2016年4月28日

4月28日 防災ごっこや防災ピクニック

今日も「子どもとママの防災」です。
ママプラグでは、2012年、東日本大震災で被災したママたちの体験談を「被災ママ812人が作った“子連れ防災手帖”」にまとめました。
また、「防災ごっこ」や「防災ピクニック」を通して、災害に役立つサバイバル術を楽しく学ぶワークショップも開催しています。

◆和式トイレや公衆電話が使えない
「防災ごっこ」とは、普段の生活からできる遊びのこと。トランプやボードゲームなど、電子機器ではない遊びを取り入れるようにおすすめしている。具体的に「防災ごっこ」でハードルが高いものは、普段の生活でできるお家のなかでの訓練のこと。電気を落として今日は懐中電灯で夜過ごしてみようかと、おにぎり一個で過ごしてみるとか。それでほんとにお腹が減ってしまったら食べてもいいが、どれくらい持つのかなというのを家族で検証してみることができる。あとは和式トイレが使いにくかったなど、被災してみて子どもができなかったことを気づいた方も多かった。トイレも普段は公演のトイレを使わないで、きれいな施設のトイレなどに行かせたいお母さんの気持ちもわかるが、そういうときにあえて、汚いトイレにトライさせてみるとか。和式トイレを「ちょっとやってみない?」と言ってみるとか。そうすることで子どもの生きる力は伸びていく。実際仮設トイレが絶対嫌な子は我慢してしまって、それでおねしょししまったりすることもある。東日本大震災では便秘からの合併症がとても多かったので、そういう意味では、そこで「出せるか出せないか」は健康にも大きくかかわってくる。「お母さんできるよ、やってみな!」というようにトライさせると、子どもは達成感があることがすごく好きなので、一回できると、うちの代表の娘などは、トイレに普通に並んでいて和式が空いていたりすると「あ、ママ和式あるよ!行ってくる!」と、あえて和式に行ったりもする。そういうときに「おお、すごいね、できたね!」と言ってあげると、本当にサバイバルできる子になっていく。
あと公衆電話。いまの子どもは公衆電話が使えない子がたくさんいる。うちの子も初めて公衆電話を使わせたときに、電話の液晶の部分を触りはじめた。お金をここに入れるんだよというというところから手順を教えてあげないと。あと「ツー」という音を聴きなれていないので、「わー、怖い怖い怖い」と言いだして。でも一回させればできるようになるので、「防災ごっこ」や「防災ピクニック」では必ずトイレと公衆電話を子どもにさせるようにしている。


お話は、NPO法人ママプラグ副代表、冨川万美さん。
和式トイレ問題、小中学校もいま和式から洋式に代わってきているといいます。いざという時に「出せない」といろいろな体調不良に繋がりますから 普段からの訓練、必須ですね。平常時から「キャンプ」の経験があった子どもたちは、東日本大震災のとき、避難生活のストレスが少なかったという体験談もあったそう。GWです。遊び感覚で「防災ごっこ」を試してみるのもいいかもしれません。

ママプラグでは「防災ピクニックが子どもを守る!」という本もまとめています。詳しくはママプラグが運営する「アクティブ防災」のサイトをご覧ください。

2016年4月27日

4月27日 母子避難の防災バッグ

今日も「子どもとママの災害時のメンタルケア」の話題です。お話を伺っているのは、NPO法人ママプラグ副代表、冨川万美さんです。ママプラグでは、2012年、東日本大震災で被災したママたちの体験談を「被災ママ812人が作った“子連れ防災手帖”」にまとめました。

今日はその体験談を踏まえて、授乳中の被災ママへのアドバイス、そして栄養面で気を付けたいことを伺います。

◆青汁や切干大根は重宝
いままで母乳でお乳をあげていたお母さんも、被災して母乳が出ていないんじゃないかと不安になっている方も多いと聞く。ミルクに切り替えたいと思っている方もいると思う。ただ、意外に哺乳瓶を消毒するスペースがないとか、消毒液が来ていないとか、哺乳瓶がもらえても使えなかったという例もある。そんなとき皆さん工夫されてい画のが、少しずつスプーンで飲ませるというやり方や、ガーゼにしみこませて飲ませたという例もあった。哺乳瓶を配布するなら消毒もセットで、という配慮が行き届いていればいいのだが、そういう物資が足りないということもある。
栄養面のポイントはやはりビタミン不足。炭水化物はとりやすいが、野菜は不足し、特に生野菜を口にするまでは日にちがかかってしまうので、ビタミン補給ができるサプリや青汁の粉末、切り干し大根の乾物など。一気に雑炊をつくるなどのときに、切り干し大根はすごくよかったよという被災ママの声もあった。なにか繊維質のものを口にできるといいと思
う。


切り干し大根などの乾物は、災害の備えとして備蓄しておく食材としても有効、とのこと。また災害の際に持ち出す「防防災バッグ」の中身も再点検してほしい。 特にお子さんがいるご家庭では「防災バッグ」の中身が重要です。
      
◆子ども中心の備え
旅行に行くことを考えてほしい。ライフラインが不安定なところに旅行に行くとか、旅行に行くバッグを持って渋滞に巻き込まれたなどをイメージするとわかりやすい。防災バッグというと子どものオモチャは入ってこないと思うが、渋滞に5〜6時間巻き込まれたら、子どもはこれがなかったらうるさいな、とか。あとはスキンケアアイテム。被災された女性が「あればよかった」というものの一つが化粧水。そういう日常生活の中で、自分が必要だと思っているものを、旅行バッグに詰め込むイメージで考えると具体的に必要なものが見えてくる。
小さいお子さんがいる場合は、お腹が減ったら泣き叫ぶし、トイレも我慢できないのでおむつを何枚も必要とする。大人は我慢できるが子どもは我慢できないので、子ども中心の備えになってくると思う。例えばトイレ問題。衛生面を考えると、おむつが汚れてしまって洋服が汚れてしまったら、どうしても着替えが必要になる。そういう日常生活のサイクルを見直して、お子さんがなるべく我慢をしないで済むような持ち出しバッグの中身が必要だと思う。


「防災バッグ」についてはこの他にも、水は2リットル1本より500ミリリットル4本をばらばらに入れたほうが軽く感じる。おむつも圧縮袋を利用するとさらにコンパクトサイズに。重いもの、使いなれないもの、子どもが絶対口にしない食べものははぶいて、より必要性の高いものを入れるなど、アドバイスいただきました。

「被災ママ812人が作った“子連れ防災手帖”」は現在品薄状態ですが、GW明けには本屋さんに並ぶ予定です。本の内容をコンパクトにまとめた「子どもとママを守る災害時のメンタルケア」は、ママクラブが運営する「アクティブ防災」のサイトで、無料で公開されています
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また番組では、あなたからのメッセージもお待ちしています。
東日本大震災はじめ、避難生活を経験したことのある皆さんから避難生活で役立ったアイテムや体調管理のために行っていたこと、小さいお子さんや高齢者がいるご家庭へのアドバイスなどご自分の経験を踏まえたアドバイス、メッセージをお寄せください。メッセージは「メッセーフォーム」から。

あなたの経験を、いま被災し困っている熊本そして大分の皆さんに伝えてください。
LOVE&HOPEからのお願いです。

2016年4月26日

4月26日 子どもとママを守る災害時のメンタルケア

今日は「子どもとママの災害時のメンタルケア」についてお伝えします。

熊本・大分地震を受けて、いま店頭で品薄状態となっている本があります。東日本大震災で被災したママたちの体験談をもとに、 避難生活を送るママと子どもたちへの、さまざまなアドバイスを綴った一冊。「被災ママ812人が作った“子連れ防災手帖”」です。
この本をとりまとめたNPO法人ママプラグでは、現在その内容の一部をオフィシャルサイトで無料で公開しています。今朝はママプラグの副代表、冨川万美さんに、怖がる子どもへの対応について伺いました。

◆子どもの恐怖や不安を吐き出させてあげる
被災して一週間以上が経ち、時間が経つにつれて懸念されていくのがメンタルな面。余震もまだ続いていて、身心ともに疲れている時期だと思う。お子さんを抱えて被災された方は、これからが大変な時期になってくる。年長のお子さんでも赤ちゃん返りがあったり、乱暴な言動が出たり、反対に無口になってしまったり、夜泣きやおねしょが続いてしまったり、寝言で夜うなされたり。いままでなかったお子さんでもそういうことが起こったりする。こういうときには仕方がないことで、子どもが怖がるのは当たり前だと言うことをしっかり受け止めてあげて、怖いよね、ということを吐き出させてあげることが重要。不安や恐怖を心にとどめてしまわないで、お母さんお父さんがいるから大丈夫だよと受け止め、抱きしめてあげるとか、抱っこして眠らせてあげる、などが必要となってくる。


さらに気を付けること。
〇災害時は「平気そうに見える子」が実は不安や恐怖を押し隠している場合がある。兄弟で言うと「上のお子さん」は気を使っている場合が多いのでお兄ちゃん、お姉ちゃんの様子にも気をくばってあげてほしい。
〇避難生活が長引く中で、少しずつ「生活のリズムを整える」ことも重要。起きる時間・寝る時間を一定にする、慣れ親しんだおもちゃで遊ぶなど、日常のリズムを親子で取り戻すことを心がけてほしい。

そして被災したお母さんたち自身のメンタルケアも心がけてほしいと話します。

◆お母さんがわずかな時間でも「リフレッシュ」することが大事
実は、被災されたお父さんお母さんにわたしたちが本当にお伝えしたいことは、子どものメンタルケアについてはお母さんも情報として仕入れたり、実践したりしているが、それを実践しているお母さん自身のメンタルのケアが後回しになっていること。子どもたちの学校が再開するのはGW明けとみられるなかで、お父さんお母さんは「子どもに前では」と、ぐっと我慢を続けている方が思う。例えばお友達同士で10分でも15分でもお子さんを見てもらって、その間にわずかでも一人の時間を持つとか、好きな音楽を聴くなど、気分転換ができるといいと思う。
東日本大震災のときの例としては、避難所の一つの部屋を「母子の部屋」「小さいお子さんがいるご家庭のための部屋」としたことで、そのコミュニティがかなりしっかりし、お母さんたちのリフレッシュ方法もうまくまわったパターンもある。知らない人同士でも助け合いは心強いことなので、同じ立場で固まるというよりは、ゆるいコミュニティをつくるのはいい方法だと思う。


今朝はNPO法人ママプラグの副代表、冨川万美さんに東日本大震災で被災したママたちの経験をもとに、避難生活を送る子育て中のママパパへのアドバイスをいただきました。

今回ママプラグがまとめた「子どもとママを守る災害時のメンタルケア」は、ママクラブが運営する「アクティブ防災」のサイトで、無料で公開されています。

2016年4月25日

4月25日 熊本地震・支援物資とボランティアについて

今朝も、熊本・大分の両県で続発する大きな地震を受けて、情報をお伝えしていきます。

伺ったのは、復興支援団体 pikari支援プロジェクトの遠藤太一さん。東日本大震災直後から、宮城県・牡鹿半島を拠点に支援活動を続け、今回の災害についても、熊本で支援活動をスタートさせています。まず支援物資の状況について伺いました。

◆支援物資の偏り
全国から届く支援物資、各避難所の物資担当、救護に入っている団体、そして現地を走っているドライバーから報告をもらっている。1800人ー2000人が避難しているところにトイレが10基しかなかったり、屋外避難している高齢者、障害を持った方、そういう方を屋内に収容し、そして近隣駐車場にほとんどの方が避難するということで、屋内に200人いる一方で屋外に1800人以上という避難所も出てきます。そういった中でだんだん必要な物資が変わってきていると思う。過多になりがちなのが、テレビ・ラジオで「これが足りない」と名指しされた物資。SNSで足りないという情報が拡散されるとさらに偏りが生まれる。SNS情報も「誰々の知り合いが言っていた」という情報が飛び交っている状況なので一つのところに同じものが集中して集まる。歯ブラシが1人に3本も必要ないように、配れないものが出てきてだんだん配れないもので倉庫が一杯になっていく。それを横に移動するというところで現地で手が足りなくなる。そうなると配りきれなかったものが、処理しなきゃいけなくなる。東日本大震災では中学校の1階〜3階まで靴や衣類、生活消耗品が集積されて、5年たっても牡鹿半島には残っている状態。


情報のタイムラグなどから、物資が必要な場所に必要な数、行き届かないケースがやはりあるようです。そんな中、新しい形の物資供給方法があるようです。

◆スマートサプライ
そうしたなかで現在物資の過渡期を迎えようとしている。新しい支援方法、だんだん整備が整ってきたのがスマートサプライ。必要な人に必要な支援を必要な数を、という最新物資支援システム。スマートサプライサイトに登録する。物資要望リストを提供して、支援したい人が買って箱に詰めて送るのではなくサイトを通じて必要な物を購入して現地に支援する。必要がなくなるとそれ以上の支援は行われない形になる。常に必要な物が必要な分だけ届けられるシステム。



☆スマートサプライ サイトはこちら

また、現地の社会福祉協議会のボランティアセンターの声として、ぜひ注意してほしいポイントを教えていただきました。

◆ボランティアに参加する方へ
熊本の被災地内では宿泊場所、食事の手配をするのが困難。あらかじめ自分たちが食べられる食料を準備。与信でケガをしないようにヘルメットや安全靴、中敷きに鉄板入りインソール、革手袋などしっかりした装備をして欲しい。ボランティア活動をする前に社協で保険に入って装備確認、食料宿泊場所を確保して。よろしくお願いします。


Pikari支援プロジェクト サイト
Pikari支援プロジェクト 熊本 地震災害特別ポータルサイト

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このコーナーでは、あなたからのメッセージもお待ちしています。
東日本大震災はじめ、避難生活を経験したことのある皆さんから避難生活で役立ったアイテムや体調管理のために行っていたこと、小さいお子さんや高齢者がいるご家族へのアドバイスなどご自分の経験を踏まえたアドバイス、メッセージをお寄せください。

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2016年4月22日

4月22日 ストレスからくる体調不良とその対策

熊本・大分の両県で続発する大きな地震でいまも9万人以上の方が避難を続けています。今朝も、避難されている方へ向けた情報、お伝えしていきます。

いまも車中泊を続ける方は、まずエコノミークラス症候群に注意が必要です。同じ体勢でじっとせず、足をぶらぶらさせるなど簡単な運動。そして水分補給。引き続き心がけてください。

また、避難生活は様々な体調不良を引き起こしかねません。きょうはストレスの問題を中心に、順天堂大学・医学部の小林弘幸教授に伺いました。

◆自律神経を整える方法
避難生活は多大なるストレス、想像を絶するストレスがかかっている。どうしても自律神経が乱れてくる。そうすると血流のうっ滞が起きる。血圧がすごく高くなったり、梗塞・血栓ができやすくなると色々循環器系の障害、脳の血管が詰まるなどということがおこる。想像を絶するストレスなので今まで経験した以上のことが体に起きてくる。そういうストレスがかかった時に乱れるのが自律神経。自律神経には交感神経と副交感神経がある。交感神経はストレスがあるときは高まってしまう。そうなると血管が収縮して血流のうっ滞、血流の流れが滞ってしまい体の不調が起きてしまう。特に脱水と呼吸をしない・浅いのが自律神経の一番の敵になる。やはり水分補給と深呼吸で自律神経が安定すると血流の流れが良くなり、エコノミークラス症候群も防げるし色んな障害が予防できるようになる。体が予防できれば心がついてきて、心の安定感も出てくる。水分補給としっかりした深呼吸をやって頂きたい。できれば吐く息を長くした方がいい。理想は「ため息」。鼻で4秒吸って口をすぼめて8秒(倍以上)の時間をかけて吐く。これが一番ベストの呼吸の仕方。これを5セットくらいゆっくりやっていただくと良い。どうしてもストレスがかかると人間は親指に力がかかってしまう。親指に力が入りすぎると全体的に自律神経のバランスが乱れる。だから親指をフリーにする、柔らかくしておくことがものすごく重要。その辺を心掛けておくと良いと思う。


鼻で4秒吸って、口をすぼめて8秒吐く。親指をリラックスさせる。心がけてください。

そしてもう一つ。注意して頂きたい点があります。男女によるリスクの差についてです。

◆男性の方がリスクが高い
健康の二次被害ということでエコノミークラス症候群、感染症などいろいろあるが男性と女性では男性の方がなりやすい。男性の方が自律神経のバランスが女性よりも速く衰えが来るため。男性は特に意識して水分と動き、これを心掛けて頂くのが重要。予防は一人ではなかなかできない。みなさんがいれば1時間、2時間みんなで「運動しようか」とか「水分取った方がいいよ」とかお互いに声を掛け合うことができれば、色々出来ると思うので良いと思う。


きのうの情報ふくめもう一度おさらいします。
・ストレスを抜くためには深呼吸。親指をリラックスさせる。
・また、睡眠不足で免疫が低下しがちですので、生ものを控える、うがい、手洗いなど感染症対策も大切です。
・トイレを我慢しがちですが、こまめに水分を補給してしっかりトイレへいきましょう。

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2016年4月21日

4月21日 エコノミークラス症候群のケア

熊本・大分の両県では、いまも9万人以上の方が避難を続けています。特に今回の災害では、様々な事情で車中泊を続ける方が大変多くなっています。18日には、車中泊をしていた51歳の女性が、エコノミークラス症候群で亡くなり、エコノミークラス症候群の疑いのある患者数も増えているようです。

そこで今日は、昨日お伝えした対策、改めてお伝えします。お聴きになった方だけでなく、ぜひ、周りの方・お知り合いにも声をかけてあげて下さい。順天堂大・医学部の小林弘幸教授のお話です。

◆エコノミークラス症候群を未然に防ぐ
みなさん狭いところにいたりストレスがかかったり、水分が無かったりということで間違いなくエコノミークラス症候群にかかる環境下にある。エコノミークラス症候群というのは長時間同じ体制で座った状態でいると足のむくみ、重みという症状が出てくる。これは足の血管に血液がうっ滞したり、血の塊(血栓)で詰まってしまう。若干胸が息苦しいな、胸が若干痛いなというのは本当に赤信号。それを意識して1時間、2時間おなじところに座ったとしたらちょっと立って歩く。ちょっと歩くだけでも全然違う。壁や手すりで体を支えた状態でよいのでつま先立ちして降ろす、を繰り返す。それをやることで静脈のうっ滞が取れてくるので血液の流れが良くなる。あとは足を上げてぶらぶらと振る。それからつま先を伸ばしたり縮めたり、腕をばんざいして体を左右に振るだけで全然違う。とにかく同じ姿勢でずっといるのがよくない。ちょっと体位を変えたりする。その時に絶対に必要なのが水分補給。水が足りなくて大変なのはわかるがそれをやるだけで全然違うと思う。


もう一度おさらいします。
・壁や手すりにつかまって、つま先立ち・降ろす、これを繰り返す
・腕をばんざいして体を左右に振る
・同じ姿勢を取りつづけない。姿勢をこまめに変える。
・そして水分補給が大切だということです。
・症状は、いきなり出る場合、2週間くらい経過して出る場合とムラがあります。
・胸が苦しいなどの症状がでたらすぐに医療スタッフに報告をしてほしい
と小林教授は話しています。また、ご自身はもちろん、まわりに車中泊をしている方、ずっと動かずにいる方がいらっしゃったら、声をかけて一緒に体を動かしてください。

そのほか、避難生活で陥りがちなリスクとは。

◆避難生活で陥りがちな健康被害
どうしても今までと全く違う生活環境、違う人達の交流があると多大なるストレスがかかるので、うつ状態になりやすくなってしまう。睡眠がちゃんととれないと免疫機能も落ちるので感染症、風邪や腸炎などにもかかりやすくなる。しっかり手を洗い、あまり生ものは控え火を通したものを食べると言ったことを心掛けてほしい。粉塵もあるのでマスクをしてうがいをする、トイレが共同トイレで入りたくないということもある。トイレに関するストレスは東日本大震災でもあった。どうしても便秘になったり食欲が減退して胃腸炎を起こすなどいろいろある。大変なことは分かるがちゃんと排便・排尿はがまんせずにすることが体調管理に重要。それも心がけてほしい。


2016年4月20日

4月20日 災害時の心のケア 下條茂さん3

今日も「災害時の心のケア」についてお伝えします。

避難生活が続く中で、どう行動し、どう不安と向きあえばいいのいか。今週お話を伺っているのは、防災心理カウンセラーの下條茂さんです。下條さんは2007年の中越沖地震で自ら被災しながらも避難住民の心のケアにあたり、東日本大震災の際もボランティアとして活動しました。

今朝はまず、避難生活のストレスを軽減する方法から。

◆「ハンドマッサージ」「太陽の日差し」「深呼吸」
僕らいろんなところでやっているのはハンドマッサージ。人に触れるとオキシトシンというホルモンが出るので、人にやさしくすること、触れ合うことはとてもいい。特別なテクニックは必要ないので、手の平をしっかりゆっくりマッサージしてあげることも(ストレスをやわらげる)ひとつの手段。
自分がストレス状態にあるかどうかは自分ではよくわからないもの。そんな中体温が下がっているときは交感神経が優位なとき。眠れないとき、すごく寒いなどというときは、そういうときなので、そういうときは暖かいものを口にしてほしい。冷たいもののほうが手に入りやすいし、暖かいものは手に入りにくいかもしれないが、暖かいものを口にするとセロトニンというホルモンも出やすくなる。できるだけ暗い所にいないで明るいところに出る、日差しを浴びるというのも、セロトニンを出す方法のひとつ。
また本当に呼吸はとても大事。ちょっと胸に手をあててみてほしい。息を吸う時に胸がふうっと開くくらい、大きく胸を膨らませて、ゆっくり吐く深呼吸。どうしても落ち込んでいるときって背中を丸めてしまうので、呼吸から意識するのはいいと思う。


また経験者同士、被災体験を話すことも、ストレスをやわらげる方法として有効だと下條さんは言います。そのとき重要なのが、「話す順序」「聴く順序」です。

◆被災体験を話し合う
被災体験を話し合うのはとても大事なこと。被災したことがない話を聴くよりも、同じ体験をした経験者が話をすることで共感できる。相手も同じ状態なんだと仲間意識も出る。ぜひ話をして、支え合えると思ってほしい。ただ重要なのは話を聴く順番。まず「なにがあったのか」現実に起こったことを話す、聴くようにしてほしい。よくあるのが「悲しかったですか?」「つらかったですか?」と感情から質問すること。感情からのスタートだと、いまここにいることも感じにくくなってしまったり、感情によって急にパニックを起こしてしまったりする人もいる。
まずなにがおきたのか。その中でなにを感じたのか。その順番をきちんと意識して話をしていかないといけない。逆に話をしたくないひともいる。しゃべりたくないひとはしゃべらなくていい。その人たちを尊重してほしい。
今後みなさんがボランティアに入るとき、ボランティア3原則というのがあるが、わたしたちの仲間では基本的に「無理をしない」「地元主体である」「被災者本位である」をボランティア3原則としている。相手方を尊重してやっていかないと、仕事を全部とってしまう、全部やってしまうと相手方を弱らせてしまうことにもつながる。もしボランティアをするときは本当に気を付けながら「やらせてもらっている」という気持ちのある人がやってほしい。たまに体調が悪いのに入ったりする人もいる。実際ボランティアに入ると眠れないし、怖いし、寝る場所や水、食事の確保などの必要。お風呂にも入れない。そういうことも全部含めて納得の上で入ってほしい。「行きたい!」という気持ちだけで入ってしまうと大変なことになるので、健康状態のいい人が入ってほしい。


今日のお話のポイントを振り返ります。
※人と触れ合うことでストレスが軽減することから「ハンドマッサージ」が有効。また「日差しを浴びること」「深く深呼吸すること」もストレス軽減に役立つ。
※被災者同士経験を語りあうのもよい。ただし「話す順序」に注意。「なにが起こったのか」そして「いまどう感じているのか」この順序を忘れずに。
※これからボランティアに入る方には「無理をしない」「地元本位」「被災者本位」のボランティア3原則もアドバイスいただきました。

2016年4月19日

4月19日 災害時の心のケア 下條茂さん2

今日も熊本・大分地震を受け、「災害時の心のケア」についてお伝えします。

避難生活が続く中で、どう行動し、どう不安と向きあえばいいのいか。今週お話を伺っているのは、防災心理カウンセラーの下條茂さんです。下條さんは新潟県柏崎市在住。2007年の中越沖地震で自ら被災しながらも、避難住民の心のケアにあたり、東日本大震災の際もボランティアとして活動しました。

下條さんがいま特に心配しているのが、避難生活を送る子どもたちやお年寄りのことです。まずは、子どもたちの言動や栄養面で注意するべきことを伺いました。

◆子どもの話を聞いてほしい
特にいまは弱い立場の方、例えばお子さんとか、あるいは赤ちゃんにおっぱいをあげているお母さんのプライバシーとかも少し守ってあげてほしい。水や衛生面などで不安定がくるかもしれないので、栄養状態のことも考えてあげてほしい。糖分は急にとると血糖値が上がってしまって、イライラが強くなったりしてしまうので、しっかりお水を飲んで。甘いものを過剰に摂取するとビタミンが不足してイライラしたり、落ち込みやすくなったりするので、疲れているときに糖分をとることは重要だが、それを継続すると子どもたちもイライラしやすくなったりするので、栄養面からのサポートも重要。
また子どもたちの話も聴いてあげてほしい。急に泣き出す子もいるし、赤ちゃんがえりする子もいる。暴力的にいじめっこみたいになったり。子どもたちは自分の感情をあらわに出してくるので、それを押しつぶさないでしっかり話を聴いてほしい。
話を聴くとき大事なのは、「聴く」という字は「耳に十四の心」と書くように、耳で聴くだけでなく目でもしっかり相手のことを見てほしい。十四の心というのは、いろんな心持ちがあると思うので、その子がどんなことを考えているのかなあというのを見て、聴いて。この子は本当に怒っているのか、気を引くために怒っているのか、たぶんお母さんや周りの方はわかると思うので、きちんと子どもと向き合ってほしい。できなかったらまわりにサポートしている方もいると思うし、僕らももうすぐ現地に入ることができると思うので、いまは自分たちでできる範囲のことをしてほしい。


また不便な避難生活が続き、ご苦労をされているお年寄りの方もたくさんいらっしゃいます。そんな高齢者の避難生活について気を付けるべきことは「被災者にならないこと」だと、下條さんは言います。

◆「被災者にならないでほしい」
いろんな考え方があるので自分の経験知からお話をさせていただくと、失礼だけど「被災者になってほしくないな」という気持ち。高齢者の方たちはいろいろな経験を積まれて、年を重ねられた方たちだから、子どもたちのことや環境、地域のことをたくさん知っていると思うので、その力を生かしてほしい。僕らが(被災地に)支援に行くと、お弁当が配られるのをずっと待っている人、お掃除などにも手を貸さない人などがいる。動かないと体力が弱ってくるし、つらいからと3日間寝込んでいたりすると、どんどん筋力が落ちて、そうすると次のステップに行くのが難しくなってしまう。なにか人の役に立っているという感覚を持っていてほしい。自衛隊さんに任せるのではなく、「お弁当を配るよ」とかみんなで協力して地域を盛り上げるように、みんなに仕事を与えてほしい。いま大変かもしれないし、こんなことを言うのは酷なのかもしれないけど、僕も被災しているから思うが、なにもしなくていいいよとか、全部まわりのボランティアがやってくれると「被災者」になってしまう。そうだと自分が動けなくなってしまうので、自分のことができる人は自分のことをすればいいし、ちょっとでも動ける人はまわりの人を助けること。子どもたちにもどんどん仕事を与えて、トイレのお掃除でもなんでもいい。子どもたちも動いてほしい。必ず自分たちがやっていくんだという気持ちを、いまは難しいかもしれないけど、そういう気持ちを持ってやっていってほしい。


今日は「災害時の心のケア」について、ナチュラルメディカルの代表で、防災心理カウンセラー、下條茂さんにお話を伺いました。
今日のお話のポイントを振り返ります。
※糖分のとりすぎはイライラや落ち込みの原因になるので、なるべく水分も十分とる。
※子どもたちの言動には「不安」が隠されていることもあるので、「耳に十四の心」と書く「聴く」という漢字のように、しっかり見て聴いてあげる。
※高齢者に対しては「すこし酷なようだけど被災者にならないでほしい」。
※子どもも高齢者もなにかできることを探して、とにかく身体を動かしてほしい。

あすも下條茂さんによる「災害時の心のケア」お伝えします。

2016年4月18日

4月18日 災害時の心のケア 下條茂さん1

今週は熊本・大分地震を受け、「災害時の心のケア・身体のケア」についてお伝えします。

熊本・大分地震ではいまも余震が続き、避難生活が続く中でさまざまなストレスを抱えている方も多いのではないかと思います。そこで今日はお話を伺うのは、防災心理カウンセラーの下條茂さんです。
下條さんは新潟県柏崎市在住。2007年の中越沖地震で自ら被災しながらも、避難した住民の心のケアにあたり、東日本大震災の際もいち早く現地に駆けつけました。今回の熊本・大分地震を受け、まだまだ余震も続く中で、不安な気持ちとどう向き合えばいいのか。自身の被災経験と専門知識を交えて、アドバイスをいただきました。

◆辛かったら辛いときちんと自分の気持ちを表現すること
いまわたしのところにくる相談やお問い合わせに「フラッシュバック」がある。子どもさんたちが報道やテレビなどで熊本の震災の映像を見て、自分が被災したときのことを思い出して、赤ちゃんがえりをしたり、急に眠れなくなったりするという現象。子どもだけでなく高齢者の方にも広がっているように感じる。経験者でもそういうことが起きるので、大きな地震を経験したことがない地域の方はなおさら不安だろうと思う。緊張状態がずっと続いて、眠れない日が続いたり、物事が考えられなかったり頭が真っ白になってしまったり。皆さん、息をするのを忘れてしまったりしていないだろうか。ストレスがあるときは息が浅くなりがち。ちょっと自分の呼吸を意識して、ゆっくり鼻から吸ってゆっくり吐いてみる。ゆっくり呼吸をしていると、わたし大丈夫なんだなと思える。呼吸をまず落ち着けること。一人で抱え込まないでいい。この時期はわたしが頑張らなきゃとか、弱音を吐いちゃいけないと思っている人が多いので、できるだけ吐き出してほしい。つらかったらつらい、悲しかったら悲しいと言えばいい。素直な気持ちを出すことが大事。いま我慢をしてしまうと後で出てきてしまうこともある。まわりの人を頼って、まわりの人に話をしてほしい。僕もいろんなところで活動をしていて、不安だと思うし恐怖だと思うし。少し話が違うかもしれないが、今日お肉を食べたときにシャツに汚れがついてしまった。それを隠していると「あのひと何を隠しているんだろう」と怪しそうにみえる。でも「ほら、ソースをこぼしたんだよ」と言えばいい。でも隠そうとする。隠すと怪しそうに見える。きちんと表現をすること。隠さないこと、出していいんだよということ。弱い自分も認めてあげてほしい。大変なことが起きているんだから、大変だ、つらいというのは当たり前。それを隠すと後でどこかで爆発して、急に怒ったり、もっと大変なことになったりする。子どもも大人も弱い人も強い人も誰にも起こることなので、いまはきちんと自分の気持ちを表現すること、まわりの人に声をかけることが大事。声がかけにくかったら、手だけでも握ってあげれ。子どもたちはぎぎゅっと手を握ってあげるだけで、心が落ち着く子どもたちが多いので、ぜひそうやってスキンシップを保ってほしい。


今回直接被災していない地域の方の中でも、過去の被災経験がよみがえる「フラッシュバック」を起こしている場合がある。不安を感じるのは当たり前のことと、素直に受け止めることが大切、というお話でした。また今回被災された方に対しては、「一人で抱え込まず、不安を素直に口に出してほしい」と。「被災の最初の段階で我自分の気持ちを抑えこんでしまうと、後々フラッシュバックが起きたり、急に苦しくなったりすることがあるので、不安やつらい気持ちは素直に表現してほしい」ということです。

「LOVE&HOPE」明日も下條茂さんのお話をお届けします。

2016年4月14日

4月14日 南三陸町 若者から若者へ語り継ぐ(4)

今週は、若者から若者へ、震災を語り継ぐ取り組みです。

宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業生、小野寺翔君と同級生が企画した「南三陸ツアー」。首都圏の学生を連れて故郷をめぐる、2泊3日の被災地ツアーです。ツアー2日目。一行は、小野寺君と同級生の西條育美さん、そして阿部成子さんの実家があった、戸倉の在郷地区を歩きました。

◆『震災前自分が住んでいたところをいつまでも忘れないでいたい』
小野寺:在郷は俺ら3人が住んでた地区で、川を挟んでいて、山までずっと集落があったんだけど、たぶん戸倉のなかでもけっこう犠牲になった人が多くて、その理由は、山に来るほど海が見えないから、絶対大丈夫っていう気持ちがあるから、でも川を伝って波が来たので、だから奥の人ほど亡くなっている。こっちの山の方でも遺体が発見されたりした場所。
西條:震災直後にきたときは、家の基礎とか瓦礫の中から元の家にあったものを見つけて、なつかしいなって思えていたんだけど、いまは形もないし、盛り土もされているし、道も変えられていて、まったく面影がないっていうか、来ても写真とかを見ないと全然思い出せなくなっていて、時間がたったのもあるんだけど…だから自分が育ってきた場所なので、悲しいなっていう思いはある。
阿部:いくら頻繁に足を運んでも、その度に景色が変わっているので、いっぱい来たからといって思い出せるわけでもないし…あんまり故郷っていう感じもしないかもしれない(笑)なにもなさすぎて。。。
西條:戻ってきたいっていう思いは、5年たった今はそんなになくて、ただ震災前の自分が住んでいたところをいつまでも忘れないで、思い出せたらいいなっていう思いはある。


小野寺君、西條さん、阿部さんともに実家が流され、小野寺君と西條さんの家族は、いまも仮設住宅での暮らしが続いています。また、阿部さんは、おばあ様とお父様が津波の犠牲となりました。

震災当時中学2年生、現在大学2年生になった小野寺君。津波によって地元の景色は一変しましたが、いまも、ふるさと南三陸が大好きです。

◆『ふるさとの復興に携わりたい』
震災が起きて、実際に目の前で本当にたくさんの人が亡くなっているのを見て、それから本当に私たちの意識というか、一日一日を大切に生きなきゃなっていう思いになったし、だからこそ私が育った街だから、未来の街を造るのも私たちかなと思う。将来的には本当にどういう形かはまだわからないが、なにかしらの形で故郷の復興に携わりたいなっていう思いはある。
やっぱり海と山と里があってっていう、本当に自然に囲まれた暮らしやすい街、そこがいちばん大好き。いまはかさ上げで景色も変わっているが、海や山の景色は変わってないので、やっぱりいつ戻ってきても、いい街だなって思う。


今回参加された、関東の大学生3人の感想です。

◆牡蠣のところに行って話を聴いたりして、くじけてないというか、震災で被害を受けても海で生きていこうというのが強いなあと思った。
◆正直もっと建物とかが立って、復興が進んでいるのかなあと思ったけど全然そんなことなくて。津波が来たところには家を建てちゃいけないのも知らなかった。まだ結構傷跡は大きいんだなと思った
◆あくまでわたしのなかでの風化は防げたかなあと。次の3月11日を迎えるときはいままでとは違うんだろうなと思った。


今週は「震災を語り継ぐ南三陸町ツアー」についてご紹介しました。
これまで2回行われた「南三陸ツアー」。現在第3回目のツアーを夏に企画中です。
詳細が決まり次第、このブログでもご紹介します。

2016年4月13日

4月13日 南三陸町バイオマス産業都市構想

今週は、宮城県南三陸町を舞台に若者から若者へ、震災を語り継ぐ取り組みです。
 
南三陸町の戸倉中学で被災した小野寺翔君が、同級生とともに企画した「南三陸ツアー」。被災地に足を運んだことのない首都圏の学生たちを連れて、ふるさとをめぐる2泊3日の被災地ツアーです。
ツアー2日目。一行が訪れたのは、震災後、南三陸で始まった新たなプロジェクト「バイオマス事業」の関連施設。バイオマスとは、生ごみや木材片などから有用な資源を生み出す、[エネルギー再循環]の仕組みです。運営会社、アミタ株式会社の櫛田豊久さんが案内してくれました。


◆未来に誇れる南三陸町のまちづくり
南三陸の特徴はと聞くと、ほとんどの人は森、里、海がコンパクトにまとまっていること、と答えると思う。降った雨はみんな南三陸の土地を通って南三陸の海に流れる。これって全然当たり前ではない。南三陸町の場合は隣の街との境目がみんな分水嶺で囲まれているので、降った雨は全部南三陸で循環していく。いわば地球の縮図。そんな街だからこそ、「森・里・海循環型の地域モデル」が作れるんじゃないかと。それを目指したのがバイオマス産業都市構想。国に対し申請して承認された。バイオマス工場と木質ペレット施設。地域の中にあるものを地域の中で循環して、できるだけエネルギーや資源を地域の中でまわしていくという、自立分散型の構想。
ペレット事業というのは「海の街」と言われているが、7割は森。その中で「材」として使われているのは半分ぐらいで、残りは森に捨てられたりしている。そういったものをうまく地域のエネルギーとして使っていくというのが「木質ペレット事業」。
もう一つはバイオマス事業。生ごみとかうんちとかおしっこを微生物の力で分解して、ガスを発生させて、電気と熱に変える。液体や肥料も作り出す。この施設は生ごみを微生物が分解したガスで発生したエネルギーで賄い、余った分は東北電力に売電している。残りは南三陸の農家さんで肥料として使っている。
「匂いますか?」「臭い・・」
臭くないといったらウソになるけど、後で屋上に行ったら、南三陸の液肥の匂いがかげる。南三陸の液肥はミネラル分がたくさん入っていて優秀だと専門家にも言われた。魚や海の生ごみが入ってきているから、山のほうの液肥よりもいいと。山や海が健全なら、地域の中で好循環ができる。人と自然が折り合えるような、共生できるようなしくみをつくるのが循環型の一つの要素。


正式なプロジェクト名は「南三陸町バイオマス産業都市構想」。民間企業と国、そして南三陸町が連携した、官民共同のプロジェクトです。

小野寺君たちは実際に工場を案内され、分別された生ゴミや汚泥から、バイオガスと液体肥料に生まれ変わる様子を見学。この液肥は、この春町内の畑に肥料として撒かれるそうです。

こうして南三陸町では、昨年10月から一般家庭から出る生ごみの分別を実施しています。今後は、飲食店や宿泊施設にも協力してくれるよう働きかける予定です。

人口減少が進み、交流人口や定住人口を増やしたいというのは、全国各地の市町村が抱える悩み。新たな産業により街を活性化する取り組みは、そのモデルとしても注目されるのではないでしょうか。

南三陸町バイオマス産業都市構想

「LOVE&HOPE」明日も小野寺君たちの「南三陸町ツアー」の様子をご紹介します。

2016年4月12日

4月12日 南三陸町 若者から若者へ語り継ぐ(2)

宮城県南三陸町を舞台に、若者から若者に震災を語り継ぐ取り組みです。

宮城県南三陸町戸倉地区。震災当時、戸倉中学の2年生だった小野寺翔君たち同級生が企画した「南三陸町ツアー」。「自分たちが経験した震災の経験を、一人でも多くの人に伝えたい。」そんな想いから、被災地に足を運んだことのない首都圏の学生たちを連れてふるさと南三陸をめぐる2泊3日のツアーを企画しました。


『このように牡蠣剥きをしています。だいたい一日に一人2000個ぐらい剥きますよ。牡蠣は栄養価が高いの知ってますか。牡蠣には二日酔いなど肝機能をよくするタウリンや、鉄分などミネラル分もいっぱいある。皆さん食べたらきれいになるし、牡蠣剥きをしているお母さんたちも肌きれでしょ?海のミルクと言われるくらい牡蠣には栄養分が高い。じゃあ、ここで剥いたやつをこちらで洗浄します。』

ツアー2日目に訪れたのは、地元の産業の中心、牡蠣の養殖場。案内人は、牡蠣やホタテ、ホヤ、ワカメなどを手掛ける養殖歴45年のベテラン漁師、佐々木幸一さんです。

◆簡単に海をやめられない
『震災から5年になる。小野寺翔君たちも中学2年だった?早いね、みんな立派になって。
わたしはここで牡蠣の養殖をしている佐々木と言います。ここは共同の牡蠣の処理場。家族12軒が仲良く牡蠣剥きの作業をしている。震災のときはここに20軒ほどの牡蠣の建物があったが、全部津波で流されてしまって。わたしたちも「もう無理だな」と思ったが、ガレキを片付けながら、やはり海でがんばっぺと。そうしたら延べ人数1000人以上の方にボランティアが来てくれて作業をしてくれて。そのおかげでいまこうやって、ほとんど震災前と同じくらいの漁場を設定することができた。ただ、前は少し過密養殖だったので、いまは震災前の3分の1の施設台数になったが、その分牡蠣でもなんでも実入りがよくなって、いいものが獲れるようになった。震災のときは海って怖いと思った。でも皆さんも見てもらってわかるとおり、海ってすごい。あんなに怖い思いをしたのに、海の恵みはやっぱりすごいなと。海の恩恵をわたしたちは受けている。簡単に海をやめられない。
皆さんもこれから進む道はいろいろだと思う。町のために、復興のために一生懸命頑張らなきゃというのはずごく立派だと思うが、本当に自分のやりたいことをとことん頑張ってもらうというのが、私たちにとって一番うれしいこと。君たちにとってもそれが一番なので頑張ってください。』


宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業生が企画した「震災を語り継ぐ南三陸町ツアー」、首都圏の大学生に被災地を案内するツアーなんですが、高校卒業後地元を離れた小野寺翔くんたちも、こうして地元の猟師さんに震災後話を聞く機会はなかったそう。「海に対する想いを聞いて、改めて地元の魅力に気づかされた」と話していました。

2016年4月11日

4月11日 南三陸町 若者から若者へ語り継ぐ(1)

今週は若者から若者に、震災を語り継ぐ取り組みです。
東日本大震災の津波で大きな被害が出た、宮城県南三陸町戸倉地区。南三陸町立戸倉中学校でも生徒1名、教師1名、そして校庭に避難していた地域住民が津波の犠牲となりました。

震災当時戸、倉中学の2年生だった小野寺翔君は、震災から4年を数える昨年春、首都圏の大学に進学しましたがそこで直面したのは、友人たちの震災や被災地に対する関心の低さでした。

◆関東の学生を地元に連れて案内したい
はじめて故郷を離れてみてわかることがあって、関東の大学に行き、自分が被災地の出身だという話をしても友達はピンとこなかった。防災だとか震災に対する意識の違いというのが、離れれば離れるほどあるのかなと思って、それで私たちにできることはないかなと考えたときに、自分の大学の友達、学生を被災地に連れて案内をしようという、南三陸ツアーというのを企画した。


小野寺君と同級生は、昨年、被災地を訪れたことのない若者を案内する「南三陸町ツアー」を企画。今年2月に、2回目のツアーを開催しました。ツアーがまず向かったのが、戸倉中学校の周辺。震災当日、小野寺君たちが迫りくる津波の恐怖から逃げまどった場所です。戸倉中学校の校庭は、震災前は「津波の際の避難先」に指定されていたが、津波は海抜20メートルの戸倉中学の校庭をも飲み込みました。

◆海抜20メートルの校庭に津波が
小野寺:とりあえず後者が危ないからといって、きくた先生の指示で、当日そこに並んでいたら、波の音がゴォーっと聞こえてきて、で、逃げろ!っていう指示があって、赤土の斜面を登って、登ったところで、すぐそっちから波がバァーってきて、校庭にあった車が全部流され、途中で走っているうちに流されたとか、そういう瀬戸際の状況でした。


津波の恐怖が去った後も、周囲は混とんとしていました。
小野寺君の同級生、三浦たかひろ君が振り返ります。

◆自分の目の前でなくなる命、誰かのおかげで助かる命
自分は避難してから先生に呼ばれて、なんだろうなと思ってついていったら、溺れた男性のかたがいて、心肺停止で死戦期呼吸といって、しゃくりあげるような呼吸もしていて、もう本当に命が危ないような状態だったので、心臓マッサージを始めたが、心臓マッサージをはじめてから15分位やってても意識が戻らなかったので、やめざるをえないような状況だった。中学二年生の時に職場体験があり、私は「普通救命講習」を受けていて、とりあえずやってみようみたいな感じだった。
いまでも、あのときもっと自分に知識があったら助けられたんじゃないかなっていまでも思う。本当に震災を通して、命の重みを学ぶことができたなと。本当に自分の目の前でなくなる命もあれば、誰かのおかげでたすかる命も会ったんだなというのは感じた。


「LOVE&HOPE」明日も小野寺君たちの「南三陸町ツアー」の様子をご紹介します。

2016年4月8日

4月8日 「Support Our Kids」海外ホームステイ募集中!

今朝は、海外ホームステイを経て成長した、東北の子供たちの活動に注目します。

「東日本大震災で被災した子ども達の自立」、そして、「復興のリーダー育成」を目的に、震災から10年間、継続して被災した子ども達の支援に取り組もうというプロジェクト「Support Our Kids」。2011年の夏に始まって、これまで、延べ296人の子供たちを、10か国に派遣しています。このホームステイに参加した子供たちの声は、これまでも番組で紹介してきました。

そんな「Support Our Kids」の海外ホームステイを経験した、OB/OG たちが、いま復興プロジェクト「HABATAKI」を立ち上げ、自分たちが受けた支援を還元しようと、活動を続けています。その中の一つが、去年、震災に見舞われた、ネパールの子供たちを東北に招き、被災地の現状と、復興に立ち向かう姿を見て感じてもらおうというもの。メンバーの大学生たちは街頭募金やクラウドファンディングを重ねて資金を集め、ネパールの高校生3人を東北に招きました。

「HABATAKI」に参加する、宮城県出身の3人のメンバーに、今回の計画についての思いについて聞きました。

◆私達にしか出来ないことホームステイを思いついた
清澤環です。奥山瑠捺です。阿部日向子です。
奥山 「ネパールの地震、心配した。一週間後に募金を始め、私達にしか出来ないことホームステイを思いついた」
阿部 「思っていたより多くの方が協力してくれた。温かい言葉もかけていただいた。」
清澤 「毎週末立つことでみんなの記憶からネパール震災が薄れていくのを感じた。クラウドファンディングはFB 等での呼びかけや達成率報告などを頻繁に行い成功した。」
奥山 「人込みの中、ネパールの子どもだけが浮かんで見えた。あぁ、来てくれたんだ!と感動。」


清澤環さん21歳、奥山瑠捺さん19 歳、阿部日向子さん19 歳、この3人をはじめとするHABATAKIメンバーは、先日3月21日から31日にかけて、ネパールの高校生3人を東北に招き、南三陸町の震災遺構などを見学したり、東北の大学で震災について学んだり、自分たちが海外ホームステイで経験したような交流を重ねました。そして清澤さん、阿部さん、奥山さんは、この活動を終えて、こんな感想を語っています。

◆真の友だちができた
清澤「自分の夢である“民間から世界平和を実現” 、ということに可能性を見いだせた。
阿部「3 人共、“震災があったからこそ”と言っていたことが印象に残っている。
奥山「ネパールの高校生から、はじめて真の友達ができた、と言われたことが嬉しかった。 」


今回招かれたネパールの高校生たちは、帰国前のレクリエーションで、「こんなにたくさんの愛をもらったのは初めてです」「この経験はまさに私たちにとって、“ニュービギニング”です」と、感謝の言葉をつづっていたそうです。

*****

清澤さん、阿部さん、奥山さんも経験した、「Support Our Kids」の海外ホームステイ、第6回/2016年度の参加者を、現在募集中です。派遣予定の国は、アイルランド、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドで、各国10名。いずれも7月下旬から約2週間程度のホームステイになります。募集するのは、東日本大震災で被災した中学2年生から高校3年生までの生徒たち。4月20日まで、「Support Our Kids」の事務局で、応募の受付をしています。

詳しくはコチラをご覧ください

2016年4月7日

4月7日 大川小の解体を望む遺族の想い

今日は宮城県石巻市の教師、平塚真一郎さんの声をお届けします。

東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。先日市が、大川小の旧校舎を「震災遺構」として保存する方針を発表したことはこの番組でもお伝えしました。

しかし昨年行われたアンケートでは、「大川地区の住民」そして「遺族」の多くが、旧校舎の解体を希望しているのも事実です。平塚さんもその一人。大川小で、当時小学6年生だった娘の小晴さんを亡くしました。

今年2月に行われた市の公聴会で自らの思いを訴えた平塚さん。今日はその声をお届けします。

◆悲しみを想起させ、遺族に苦しみを与える旧大川小校舎はもう必要ない
わたくしは震災時、大川小学校で娘を亡くした平塚と申します。
想像してください、わが子が帰ってこない喪失感を。泥の匂いに包まれたガレキの中からわが子を掘り出すことを。数時間数日前まで確かにあったぬくもりが突如奪われたという事実と悲しみを。救えたはずの命が帰らぬものとなった親の無念さ、悔しさを。

想像してください。もう生きて帰ることなんて望みもしない。せめて骨一本でもわが子の手がかりが見つかればと、津波で一変した故郷大川の地を来る日も来る日も掘る姿を。遺体が見つかったことをともに捜索した方と手を取り合い涙して喜ぶ姿を。5年経とうとしているいまも、いまだに家族のもとに帰ってこられない一部でも捜索し続けている遺族がいることを。できれば校舎を壊して、周辺の探し切れていないところをくまなく捜索したいという思いを。

想像してください。ただただ亡くなった方がたのために手を合わせたいだけなのに、大型バスで乗り付けた観光客に憐みや好奇の目を注がれることを。それが嫌で近寄れないことを。あの校舎をバックに記念写真を撮る姿を見せられることを。メディアに「大川小」という文字が躍るだけで、胸が締め付けられる思いの遺族がいるということを。

ここで起きたことは「悲しみ」などと一口で語れるものではないのです。「遺族の悲しみはわかるけれども遺すべき」という意見があります。遺族の悲しみは遺族にしかわかりません。その悲しみは一生消えることがなく、我々遺族は深き悲しみをこれからも背負っていくのです。だとするならば、せめてせめて、悲しみにつながるものは取り除きたい。その解体を望むこうした遺族や地域の人々の苦しみや悲しみといった犠牲はやむを得ないものですか。これから何十年も我慢しなければならないものですか。

旧大川小校舎の解体に賛成します。あの場所は子どもたちの笑顔と地域の方たちの暖かさに包まれた場所でした。あの無残の校舎はいまではもうそうした場所ではないのです。悲しみを想起させ、遺族に苦しみを与える旧大川小校舎はもう必要ありません。あそこを遺族の、そして集う方々の心安らぐ場にしてほしいのです。そして天国に旅立った皆さんも笑顔にしてほしい。それが本当に後世に遺すべきものであるとわたしは思います。



宮城県石巻市、平塚真一郎さんの声をお届けしました。
平塚さんに電話でお話を伺ったところ「“解体”という言葉ばかりが強調されるが、あの場所をなにもなかったようにしてほしいということではない。心静かに追悼する場所にしてほしいということ」。「保存の方向性が示されたからには、整備や維持、運営など覚悟を持って取り組んでほしい」と話してくださいました。そして、なにより重要なのは、建物そのものではなく、震災の経験をきちんと伝えていくこと、「教育」だとも話していらっしゃいました。

2016年4月7日

4月6日 大川小出身 佐藤そのみさんの手紙

東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。佐藤そのみさんも、当時小学校6年生だった妹のみずほさんを、大川小で亡くしました。
そのみさんは「お兄さんとそのみさん、そしてみずほさん」の3人兄弟。2つ違いの妹みずほさんとは、性格も正反対。でも、大の仲良しでした。


今朝は、佐藤そのみさんが、妹のみずほさんに宛てた手紙をご紹介します。


『みずほへ』

お元気ですか。私は元気で大学生活初めての春休みを過ごしています。
本当ならみずほはこの春から受験生だね。英語の通訳者の夢を叶えるために、一生懸命勉強しているんだろうなあ。なんたってみずほは私と違ってすごく努力家さんだ。
そうそう、みずほが大好きだったあのバンドが、今度の五月で解散しちゃうんだって。よくラジオの前に二人くっついて並んで聴いていたね。びっくりして、どうしてもみずほを連れて行きたくて、思わずラストライブのチケットを買ってしまいました。ちゃんとついて来てね。あと、お下がりであげたい服がたくさん溜まっています。みずほは私が選んだ服でもお下がりでも、なんでも文句言わずに大切に着ていたのを思い出すなあ。

こうやって話し始めたら止まらないくらい、教えたいことがたくさんあります。みずほの顔を見て話すこともできなくなって、もう5年も経つんだね。風景も人も環境も、あれからずいぶん変わってしまいました。
みずほのこともあの日のことも、段々薄れていってしまうようで怖くなることがあります。なんだかそれってすごく悲しいな。みずほの声もすぐには思い出せなくなりました。だから時々、一緒に近所の川に魚を見に行った時に撮影した映像を見て、みずほの声を確認するようにしています。こんな私を見て、みずほはどう思うだろう? 

正直私はみずほにとってどんな姉だったのかとか、津波にのまれてしまう瞬間まで何を考えていたのかとか、時々想像してみても全然分かりません。これからもずっと分からないんだと思う。せめて12年間の短い人生がみずほにとって幸せなものであったことを願うばかりです。

でも、みずほは家族が好きだったでしょう? 
友達が、学校が、好きだったでしょう? 
大川が好きだったでしょう? 

いつも隅っこでにこにこしていたみずほを思い浮かべると、すごくそんな気がするんだよね。今、お姉ちゃんもおんなじ気持ちです。だから、大好きな大川のためにできることを考えて行動したい。大好きな家族のために、自分らしくまっすぐに生きたい。 頑張るよ。

みずほ、いつもありがとう。これからも見守っていてね。
2016年3月 佐藤そのみ 



宮城県石巻市出身、佐藤そのみさんが震災で亡くなった妹のみずほさんに宛てた手紙。そのみさん自身の声で朗読してくれました。
そのみさんは昨年東京の大学に進学して、この4月2年生になりました。「映像作家」になる夢を叶えるため、映像制作の勉強をしています。故郷石巻を舞台にした映画ができたら、誰より先に見せたいのは妹のみずほさんです。

2016年4月5日

4月5日 大川小出身 佐藤そのみさん2


東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。宮城県石巻市出身、佐藤そのみさんも、妹のみずほさんを大川小で亡くしました。

震災後「解体か保存か」で、街を二分する議論が続く中、そのみさんは、2014年春、他の卒業生とともに「大川小保存」の呼びかけを始めました。昨年は仙台で行われた「国連防災会議」でスピーチ。今年2月、石巻市で行なわれた市民公聴会でも自分の意見を発表しました。

◆5年経って地域の人の距離もどんどん離れていってる
妹の同級生の代の生き残った女の子3人とか、何人か同じ気持ちを持っている子たちと集まって、「大川小を残したいんです」という意見表明をしてきました。わたしたちの母校だから遺してほしいというのもあるし、これからまた同じことを起こさないためにも、防災、教育、学べる場にという気持ち。いまもうそうなっていると信じたいが、これからもあそこがないとだめだなと思って。
震災は地域の人の距離とかもすごいバラバラにしちゃったなっていう感じがした。どんどん離れていってるなっ、距離があるなって。5年経ってなおさらですね。戻る感じがしない。どうしたらいいんだろうと思うけど。ずっと残していくためには、お金もかかるし、いろんな補強も必要だし、もちろん地元の人たちの気持ちもちゃんと一緒にしないといけないから。
同級生の子たちの中にも「壊してほしい」という子もいたし、それは全然間違ってなくて、気持ちもわかる。壊してしまったらどうすることもできないので、とりあえず遺して時間をかけて、これからもっといろんな地区の子たちと話せる場が欲しいなと思っている。


そのみさんは昨年の春、故郷石巻を離れて上京し、日本大学芸術学部に進学。子どものころから目指していた「映像作家」になる夢を叶えるため、映像制作を学んでいます。
「いつか、大好きな石巻を舞台にした映画をつくりたい。」そのために、石巻の風景や大川小学校の様子を少しずつ撮りためています。


撮影:佐藤そのみ

◆私が生きてるうちになにかやりたい
大川地区を映画にしたいなという思いは変わらない。小学校のときに撮った、いまは流された場所の写真を見て想い出すこともあるし。どうにか、大川地区でこういうことがあった、大川地区ってこういう地区だったということをフィクションとして映画にして発信したいと思い、大学も(映像監督の道に)決めた。できれば卒業制作でやりたい。
地元に戻りたいという気持ちも半分。こちらで映像制作もやりたいし、地元のためにもなにかやりたい。地元の景色は戻らないけど、震災前の道を歩けば必ず誰かが挨拶してくれるような、あの地域の暖かい関係を取り戻すことができたらいいな。なにかここから変えていかなくちゃいけないなと。わたしが生きているうちに、なにかやりたい。


「震災や津波の記憶を伝える“震災遺構”として、また自分たちの想い出が詰まった場所として、大川小を保存したい」そんなそのみさんたちの思いが伝わって、市は大川小保存の方針を先日発表しました。

「LOVE&HOPE」明日は、佐藤そのみさんが、亡き妹のみずほさんに宛てた手紙をご紹介します。

2016年4月4日

4月4日 大川小出身 佐藤そのみさん1


今週は、宮城県石巻市の佐藤そのみさんのインタビューです。

◆大川の何十年先のことを考えている
高橋:いま、大川小学校に来ていますけど、そのみちゃんはこの小学校出身?
佐藤:はい、ここであの子が転んだとか、ここで先生に怒られたなとか、ここで誰かに嘘をついたなとか、そういうちっちゃいことが結構鮮明に思い浮かぶんで…。でもいまはこの校舎を見て感じるのは、大川地区にこの校舎が残った何年、何十年先のことを考えることが多くなりました。


東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受けた石巻市。市内の大川小学校では、全校児童108名のうち74名が死亡・行方不明となり、教職員も10名が津波の犠牲となりました。佐藤そのみさんは、そんな大川小学校の卒業生です。震災当時、中学2年生だったそのみさん。妹のみずほさんを大川小学校で亡くしました。

◆必ず残るものだとばかり思っていた
小学校のときに大川地区を舞台に映画を撮りたいなって思っていて、それは風景が綺麗だったからなんですけど、北上川の河口から数キロで、山、田んぼ、海、全部あるんですけど、それがすごく自然の恵みを与えてきたんです、例えば牡蠣の養殖だったり、田植えだったり。それが中学二年生のとき、震災で全部ダメになっちゃって。妹が当時大川小学校の六年生で、亡くなったかもしれないって噂で聞いたのが3月12日の夕方頃で、その時は、そんなわけないな、と軽く捉えていて。つぎの日の朝にお母さんと一緒に大川小学校まで車で行こうってなって、それで途中で通行止めになって、いろんな人が大川小のほうを見て泣いているんですよね。わけが分からなくて、その時通りすがりの、たぶん誰かのお父さんが「妹さんがあがったよ」って言われて、「あがったよ」ってなんだろうと思って…。その時は、道路に顔を伏せるようにして泣いたというか、立てなかった。そのあと、遺体安置所に通って、よく一緒にお風呂に入っていたから、安置所で泥だらけになって、服を脱がされて、横たわっている妹が受け止めることが出来なかったです。覚えてないです、本当に…。
高3の4月かな、2014年4月に大川小学校の校舎が、津波の被害を受けたままずっと残っていて、そこにいろんな人が足を運んで、手を合わせに来てくれていたんですけど、その校舎が早く壊して欲しいっていう、地元に人が結構いるんだっていうのをそのときお父さんの口から聞いて。それはびっくりして、私は必ずあそこは残るものだとばかり思っていたから、これは誰かが言わないと壊されちゃうと思って、それが結構大きなきっかけ、変わったタイミングかなって思います。


佐藤そのみさんは、先週ご紹介した佐藤敏郎さんの長女。2014年から後輩の卒業生と共に「大川小保存」の呼びかけを始め、
今年2月には地元で行われた「保存・解体」をめぐる市民公聴会でも意見を発表。そして先日、石巻市として「大川小保存」の方針が示されたことは番組でもご紹介しました。

「LOVE&HOPE」明日も佐藤そのみさんのインタビューをお届けします。

2016年4月1日

4月1日 岩手県釜石市 樹齢77年の染井吉野

4月から金曜日は速水建朗さんがお送りする『LOVE&HOPE 〜ヒューマンケア・プロジェクト〜』。
今朝は、東北の沿岸部の桜にまつわるお話しです。

お話を伺うのは、桜前線を追いかけて日本列島を北上する旅を長年続けている、気象予報士で桜ウォッチャーの中西一登さん。中西さんは、2011年3月11日の震災直後、津波で大きな被害を受けた東北沿岸部のある町の桜が気になり、足を運んだといいます。

◆震災後、桜の下で結婚式
震災後1ヶ月半たった週末、私は岩手県釜石市の本郷地区に行きました。本郷地区には、昭和9年に植樹された染井吉野の並木があると聞いており、その古木たちが津波の被害を受けていないか、確かめに行きたかったんです。桜並木に到着してびっくりしました。桜たちは樹齢77年を数えていた立派な古木でした。その古木が、全く何事もなかったかのように見事な花を一斉に開き、ちょうど見頃を迎えていたのです。津波の被害はほとんど受けていませんでした。不思議な光景でした。地元の方にお話を伺って、その謎がとけました。この桜たちは、昭和8年の三陸大津波が到達した場所に植えられたものだったからなのです。三陸大津波の翌年に、復興の願いを込め、津波の到達ラインを後世に残すために植える場所が選ばれたとのことでした。今回の津波も、ほぼ同じ高さまで押し寄せたとのこと。並木の下の平地に建てられた家々はほとんど流されて残っていませんでした。でも、私が見る限り、桜並木の上には全く津波被害がありませんでした。先人の知恵と、800本もの桜を植えてそれを記録し残そうとした努力に敬服するしかありません。そして、家をうしない、コミュニティーセンターで避難生活をしている方々からお話を伺っている時に、このような厳しい中ではあるけれど、桜が見頃になったこともあり、お花見ではないが今夜はちょっとした炊き出しをするのだ、と伺った時、あぁ、桜が被災者に力を与えているのだな、心のよりどころになっているのだな、と感じました。翌年の満開の時期に本郷を訪れた際には、桜並木の下でなんと結婚式が行われていて、地元に伝わる本郷桜舞太鼓もお祝いとして演じられていました。新郎新婦も、列席者も、太鼓の演奏者たちも笑顔でした。家々の復旧はあまり進んではいませんでしたが、桜が人の心を少しずつ復興させているような、そんな気がしました。岩手県釜石市本郷の桜並木は4月中〜下旬が見頃。
(高橋:その他おすすめの桜は?)
宮城県松島町 「西行戻しの松公園」。手前に染井吉野、向こうには、仙台湾に島々が点在する松島の景色が広がります。約260本の桜があります。4月中旬〜5月上旬が見頃です。


宮城県松島町の「西行戻しの松公園」は、日本三景「松島」の景色が見渡せる公園で、染井吉野と仙台湾に浮かぶ島々が一望できる場所。約260本の桜があって、4月中旬〜5月上旬が見頃ということ。

そして岩手県釜石市、昭和8年の三陸大津波からの復興を願って、津波の到達点に植えられた染井吉野が咲くという「本郷の桜並木」は、4月中〜下旬が見頃。現在は約150本の桜があって、一斉に花を咲かせます。

同じく岩手県の陸前高田市では、いま同じ志で、津波到達地点に17000本の桜を植えようというプロジェクト「桜ライン311」も進められています。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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