2016年6月30日

6月30日 高森町「味どころ さくら」

今朝も被災地・熊本からのレポートをお届けします。
豊富な湧き水と、雄大な阿蘇の山並み、そして緑の中をのんびり走る鉄道・・・間もなく観光の最盛期を迎える南阿蘇村ですが、震災の影響で列車は止まり、ひと足も途絶えたまま。そして長く営業を続けていたお店を閉店せざるを得なくなった方もいらっしゃいます。

国道325号線沿いにあった「味どころ さくら」は「阿蘇のあか牛鉄板焼き」や「馬刺し」などご当地の味とお酒が楽しめるお店として、観光客はもちろん地元住民にも愛されていました。震災の影響で閉店を余儀なくされましたが、今月隣の高森町に移りお店を再開しました。

この日は南阿蘇村からいらした方などで満席。家に住めなくなった人たちの貴重な集える場所にもなっているようです。そんな「味どころ さくら」を営むご夫婦、山田貴広さん尚美さんに、まずは地震が起きた時のことについてお話しを伺いました。

◆自宅もお店も立ち入り禁止に
(貴広)自分たちは立野の自宅に帰ってて、親たちが店にいたんです。12時ごろに崩れた大橋を通って自分と嫁は帰ってるんです。地震の1時間前。で帰ったらドンと地震が来て、親たちこっちにいるけど南阿蘇に来れなかったんです。で立野の避難所に行ったんですけど、立野は危ないということで大津地区に避難してました。3日くらいしてからミルクロードとかグリーンロードが通れるようになってから、親と再会できました。
(尚美)まるまる3日目にしてお店の方に帰ってこれたんです。(それまでお父さんお母さんはどうしてた?)車中泊です。携帯もお店の電話もつながらなくて、連絡取れたのが3日目の朝だったんです。で、どうにかして帰らないといけないということでミルクロードを通ってお店の方に来たらお父さんお母さんもいて。お店を見た時はもうびっくりです。ぜんぶ倒れてて、流し台まで倒れてたんですよ。


無事にお父さんお母さんと再会できたものの、お店は大きな被害を受け、2次災害の危険もあって営業再開は出来ず、しかも山本さんの家は土砂災害の危険があって、ほぼ全住民が避難している立野地区。お店も住むところにも戻れず、避難所での生活を余儀なくされています。

そんなとき、隣の高森町にあった居酒屋の空き店舗を居抜きで借りられることになって、山本さん夫婦は、お店の再開を決意しました。

◆南阿蘇で愛されていた店
前のとこではもうできないと思いました。でこっちでする不安の方が大きかったです。この辺街だから近くに居酒屋何軒かあるんです。南阿蘇では無かったもんで。だから不安でしたけど、今ではお客さん来られて、高森町の方も南阿蘇の方も来られて、ほんと感謝してます。体育館に居た時、ウチ店してるからそれが収入源じゃないですか。だから店ばオープンせんといかんということでみんな立ち上がって動きましたね。南阿蘇の方は元あった場所で再開して欲しかったみたいなんですけど、水は出ないし、ヨミネっていって山が亀裂入ってて雨が降ると避難しないといけないので無理でしたね。さしおりここで頑張って、いずれは道が通れば落ち着いた場所探して、南阿蘇でまた商売したいと思ってます。やっぱ南阿蘇で愛されとった店だけん、最終的にはしたいですね。


お店の名前「さくら」は、お店の近く、南阿蘇にある樹齢400年の桜の銘木
「一心行(いっしんぎょう)の桜」からつけたんだそうです。

「味どころ さくら」、高森町に移っても看板メニューは変わらず「あか牛の鉄板焼き」、「だんご汁」、「たかな飯」などなど。

場所は南阿蘇鉄道の高森駅から徒歩4分、高森郵便局のすぐ近くです。

「味どころ さくら」
電話 0967−62−3908
住所 熊本県阿蘇郡高森町高森1600−7

2016年6月29日

6月29日 南阿蘇村 塩井社水源

今朝も被災地・熊本のレポート。
地下水が豊富で「水の国」とも呼ばれる熊本県ですが、その水源に異変が起きています。

熊本地震の影響で全線運休しているローカル線「南阿蘇鉄道」。この路線添いには至る所で地下水が湧き出す、「湧水池」があり、辺りの田んぼを潤してきました。阿蘇の大地に染みこんだ雨は、20〜35年かけて地表に湧き上がり、その美味しさから毎日ペットボトルに水を汲みにくる人の姿も多かったといいます。震災後も影響なく豊かな水量を誇る水源がある一方で、神社境内で澄んだ水をたたえていた「塩井社水源」は4月16日の本震直後に枯れ、深さ3メートルほどの池は消え、土が露出しています。地元住民の方に伺いました。

◆水の生まれる里
水車がありましてね、水の勢いで水車が回るわけです。廻ると同時にオルゴールがかかるんです。それを聴いて近隣住民の方は毎日を癒されて、今日も一日頑張るぞ、また今日一日が終わるぞ、一日頑張ったね、そういう生活を送っていた中で今回の震災に出くわしたわけなんですけど、その水車を発想して作られたのがこの方です!(笑)
名前は後藤と言います。塩井社水源の近くに住んでいました。深さは水面から下まで3mはあったと思います。毎分5トンの水が沸いて、長陽地区と白水地区に分かれて田んぼを潤していたわけです。ただ震災で塩井社水源の水路に水はないので。(何日目ぐらいであのように枯れてしまった?)本震の夕方にはかなり減っていた。水が濁って。飲み水に使おうと汲みにいったが、とても使える状況じゃなかったですね。だんだん3日〜4日目ぐらいにはひえあがってしまいましたね。残念というかもうがっかり。田んぼどうするか、というのが一番はじめてにあって。うちの地域でいえばそれが格なんですよ湧き水が。塩井社から流れてくる水をうまく利用して、洗濯も、野菜洗いもお米とぎも、生活の糧だったですね。南阿蘇というのは水の産まれる里、水というのは生活に欠かせないものがありまして、その水が豊富に流れているところで小さい時は泳いだり遊んだり、水との密着度というものがすごくありましたね。こういうことがあってすごく落ち込んだり、いろんな思いがあります。。だけど場所次第では水が枯れてしまったところもあるけど、今まで少なかった水が多くなったりとか、これは自然の現象だけんしょうがないですけどね。(駅名が長いで有名な?)「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」(それが表していますよね、水が豊富だったことを)そうですね。駅とか水源だとかオルゴールとかそいういったものを結び付けて地域おこしの計画を立ててたんですが、それが水が枯れたもんですから、どうしていくか、ってことです。今から・・・。


南阿蘇村の塩井社水源から、水路を流れる湧き水で動く「水車オルゴール」は「ふるさと」のメロディーを奏でる、水源巡りの観光客に人気のスポットでした。

南阿蘇村では湧水池が11か所もあります。その中で震災の影響で枯れてしまったのはこの塩井社水源だけ。白川水源など、多くの水源は今も良質な水が湧き出ています!その美味しい水を使ったスイーツや喫茶店も楽しみの1つです。水源巡り、夏の観光シーズンに出かけてみてはいかがでしょうか。

『LOVE&HOPE』、あすも熊本から、南阿蘇鉄道沿線のレポートをお届けします。

2016年6月28日

6月28日 阿蘇・高森田楽保存会(2)

被災地・熊本からのレポート。これから夏の行楽シーズンへ向け、震災で減ってしまった旅行者を呼び戻そうと頑張っている方の「声」を届けます。

今朝は昨日に引き続き、阿蘇郡高森町にある「高森田楽保存会」、本田研一さんのお話しです。
高森の伝統食として数百年の歴史を持っていたものの、戦後、作り手がいなくなっていた「田楽」を先代が再興。新たに町の名物として定着した「田楽」を、2代目の研一さんは守り続けてきました。今回の熊本地震で築140年を超える建物は被害を受けませんでしたが、客足はその日を境にぱったりと途切れてしまったといいます。

◆四季折々きれいな風景がある
年間でいちばん忙しくなるのが4月の中旬から5月にかけて。もうその時がまったくお客さまございませんし、5月の連休時もいらっしゃるお客様は5人とか、6人とか。“10分の1ですか?”って聞かれますけど、そんなもんじゃないですね。40〜50分の1ですかね。しばらくは難しいのかなと思ってますね。
(熊本全体が被災してるように見えてしまっているのも原因かなと思うが高森はそうでもなかった?)高森はまったく何もないんです。激しい揺れはあったんですが、家が壊れるわけでもないし、道路も普通の状況ですし。ですから高森にお見えになるのも、宮崎県側、大分県側から来る分にはなんにもなく来れる訳なんです。ただメインとなります熊本県側から来る道というのが、橋は落ちてしまうし、道路は寸断されるし。南阿蘇鉄道もそうなんですね。いちばん問題の立野に基地がありますのでそこをどうするかという問題があるんじゃないかと思います。南阿蘇鉄道が開通してくれたらいろんなお客様がお見えなんですけどね。。ただはっきり言えるのは、「来れるんですよ」、「昔と変わらないんですよ」っていうことだけは言えるんですよね。ちょっと遠回りすれば来れるんですよ。グリーンロードっていうのもとても走りやすいし景色がいいし、宮崎県の高千穂経由で来るとか、大分県からなら「やまなみハイウェイ」を通ってくるとかですね。遠回りを考えればいいんじゃないかと思いますけどね。長いドライブで宿泊でもして頂ければ、皆さんがいいと思うんですね。何しろ風景がとっても素晴らしいところです。
(ご主人がいちばん好きな風景は?)朝ですね。朝焼けで山の風景が変わってくるんですね。6月から7月というのは6時半くらいからですかね、山の変わりようは素晴らしいし、雲海が見えますしね。秋の紅葉、今度は阿蘇山の真っ白に雪を積む風景・・・四季折々本当にきれいな地域です。朝は鳥の声とか、自慢ですね、キツネとかタヌキが出てきたり、イノシシが出てきたり、大自然を相手とした生活です。ですから橋が壊れたり道路が壊れたりというのはじつは、大自然に対して我々が手を加えすぎたんではないかと思うんですね。変わっていくし、早くなるし、とくに現代的な感覚に溺れてしまったんですね。それが「ちょっと待てよ」って言われてるかなって思いますね。そのように考えてます(笑)。


震災の影響で客足が途絶えてしまった、阿蘇郡高森町の「高森田楽保存会」、代表の本田研一さんのお話しでした。

◇熊本空港や熊本市から高森町へは、今は外輪山を超える景色の素晴らしいグリーンロードを通るルートで高森へは行けます。

◇周辺にはお洒落なペンションも、温泉もあります。7月から熊本などの旅行が割安になるクーポンも出る予定なので、夏の行楽にぜひ。

阿蘇・高森田楽保存会へのアクセスは、コチラをご覧ください。

2016年6月27日

6月27日 阿蘇・高森田楽保存会(1)

今週は、被災地・熊本からのレポート。震災の影響で、阿蘇周辺の町では旅行者の客足が激減してしまいましたが、地震の被害が少なかった地域では、これから夏の行楽シーズンへ向けて観光客の賑わいを取り戻そうと皆さん懸命に頑張っていらっしゃいます。今朝はその中の一つ、阿蘇郡高森町にある「高森田楽保存会」をご紹介します。

「高森田楽保存会」は雄大な阿蘇五岳をのぞむ森の中にある田楽料理のお店です。囲炉裏の炭火で、串に刺したヤマメやコンニャク、豆腐、名産の“つるの子いも”という里芋のような芋を代々受け継がれているという「田楽味噌」を塗って、じっくりゆっくり焼いてから頂きます。これに「とうきびご飯」と、九州名物の「だんご汁」、香の物が付いたオーソドックスな「高森田楽コース」は、1600円!。

甘みとコクのある味噌が食材になじんで、味はもちろんなんですが、素晴らしいのはこのお店の風情!1万坪の敷地に、明治の風情が残る築140年の古民家をそのままつかって、落ち着いた空間の中で囲炉裏を囲みます。そして窓の外には森の緑と、阿蘇の山々が観られます。

◆田楽保存会は800年の歴史
「高森田楽保存会」と言うのは、戦後田楽の素材が無くなりまして、無くなったというのは農家が作らなくなったんです。作らなくなった理由が、まず売れない。手間ひまかかる割には、素材として見てくれが悪いということで売れなくなりました。というのはお出ししますメインの「つるの子芋」というお芋があるんですけど、この芋は一つとして同じ形のものがないんです。しかしこれがとっても美味しい芋なんです。火山灰の土壌のこの土地でしか取れない芋で、田楽の素材としてお出しするのは800年の歴史があります。芋もですけど、コンニャクとか豆腐、そして囲炉裏とか火鉢とか無くなるのと同時に、炭を焼く習慣も無くなりました。そんな中、うちの父が皆に声をかけまして、「保存会」というのを結成します。芋を作る農家、豆腐を作る職人、ヤマメを育てるかた、竹串を作るかた、炭を焼くかた、そういういろんな集まりで、「保存会」を立ち上げました。そのまま「保存会、保存会、」と言われてまして、いつの間にかそれがこの店の名前になりました。
現在はそれが2代目、3代目と時代が変わりました。お豆腐屋さんはお店を出せるくらいになりましたし、つるの子芋も保存会会員外の方が生産されるようになりましたし、ヤマメは養魚場を持つほどに成長しました。「田楽保存会」を作りまして60年を過ぎてます。この60年の間に、当初の目的は果たしているんじゃないかと思いますね。


本田さんのお父さんが、地元に何百年も前から伝わりながらも、戦後一度はすたれてしまった伝統食である「田楽」を60年前に復活さました。今では高森町には「田楽」を出すお店がほかにも数軒あり町の名物になっています。中でも「高森田楽保存会」は、全国からここを訪ねて旅行者がやってきたり、著名人や、秋篠宮殿下も足を運ばれたり、人気を集めていましたが4月に起きた熊本地震で、客足はぱったりと止まってしまったそうです。

◆客足は激減
年間でいちばん忙しくなるのが、4月の中旬から5月にかけて。もうその時がまったくお客さまございませんし、5月の連休時も、いらっしゃるお客様は5人とか、6人とか。“10分の1ですか?”って聞かれますけど、そんなもんじゃないですね。4〜50分の1ですかね。しばらくは難しいのかなと思ってますね。


余震も少なくなってきて、少しずつ熊本県内にも観光客が戻り始めているそうです。南阿蘇や高森町には被害が少なく、早い段階から商売を再開しているお店や宿泊施設も多いです。夏旅で熊本を訪ねるだけでも支援になります。


高森田楽保存会

2016年6月24日

6月24日 千人仏プロジェクト

今日は、現在東京上野の「東京都美術館」で展示が行われている「千人仏プロジェクト」の話題です。

京都の三十三間堂などで知られる「千人仏」は、飢饉や災害で亡くなった方の霊をなぐさめるため、千体の仏を描いたり彫ったりする日本古来の供養の方法です。東日本大震災の被災地、岩手県大船渡市で「千人仏プロジェクト」がスタートしたのは震災翌年の2012年のこと。震災で被災し、仮設住宅で暮らす方たちのために「アートを通して元気を取り戻してほしい」とアート関係者やサポート企業が立ち上がりました。

参加者が描くのは、仏様の顔。お話はプロジェクトの中心となって被災地で絵の指導を行ってきた画家の三杉レンジさんです。

◆震災後1年で仏像を書くというには「重すぎないだろうか」とか、いろいろあったが、それでも一か所やってもいいよという許可がでてワークショップをやってみた。そのときはパワーポイントでいろいろな資料を見せながら、美大生はこういうふうにやっているよなど説明をして、最初15人ぐらい参加してくださって。その中には家も家族も流されたという方もいて、それでもみんな本当に集中してやってくれて、楽しかったという感想をいただけた。それで、いけるなという感じでそこから始まっていった。

経験のない人がゼロから絵を描くのは大変。そこでワークショップでは、仏様の顔の輪郭をかたどった紙に炭をのせたものを用意します。参加者は、指で炭に陰影をつけることで仏様に表情をつけていきます。これまで、およそ50か所でワークショップが行われ、描かれた木炭画は936枚に達しました。その936枚が現在、東京上野の「東京都美術館」で展示されています。

◆やっぱり最初からどんどん書いていく人もれば、なかなか書き進められないという方もいたが、書いているうちに震災で亡くなったご主人の顔を思い浮かべて書いていて、気づいたらご主人に似てきた、人の顔を書くときでも笑っている人の顔を書くと自分も穏やかな気持ちになっていくときがあると思うので、そういった気持ちになってもらえたらなあと。このあいだ僕がすごくうれしかったのは、参加してくれた被災地のおばあちゃんが「千人仏を書いていて、神様に守られているような気持ちになった」と言ってくれた。それはすごくうれしかった。写仏は心の交通整理と言われたりするが、まだまだ混乱してごちゃごちゃしている中で、心がすうっとしてくれたらまあ一番うれしいなと思っていた。同じ弥勒菩薩でも書く人によって本当に一つ一つ表情が違うので、それを一つ一つ味わっていただければと思う。

来場者コメント
〇すごい一つ一つ顔が違って個性があって、穏やかな顔のもあればかわいらしいものもあったりとか。東京にいるとほとんど報道がなくなってきているので、やはり引き込まれる〇一枚一枚の絵にも味わいがあるが、並べてみたときに書いた人の個性や年代やいろんなものが反映されていて興味深い。いつなんどき自分が被災者になるかわからないと思うと、いろいろ考えることがある。

★「千人仏プロジェクト」、東京都美術館「表装・内装作品展」での展示は6/27(月)までです。9月には1000枚に到達する見通し。来年は岩手県大船渡での展示も予定されています。

2016年6月23日

6月23日 運転再開に向けて!南阿蘇鉄道

立野駅−高森駅 17.7キロを結ぶローカル線「南阿蘇鉄道」は熊本地震の影響で線路や橋梁に甚大な被害を受け、全線が運休しています。

阿蘇のカルデラの中を走る美しい風景、そして趣向を凝らしたさまざまな駅舎など地元住民はもちろん、観光客に愛される鉄道でした。鉄道の再開に向け尽力されている南阿蘇鉄道 中川竜一さんに伺いました。

◆カルデラの中を走る世界でも珍しい鉄道
まずは生活路線として高校生の通学、通勤、病院に行かれたり、交通弱者的なところを生活の路線として担っていた。それ以外も観光面で、阿蘇が凝縮されたような形で、左側には外輪山、北には雄大な阿蘇の五岳ということで、カルデラの中を走っている鉄道。世界中をみてもカルデラの中を走っている鉄道はないかなと思います。
長陽駅を出て立野駅までの間、北向谷原生林というのがあって、そこに架かっている第一白川橋梁があります。国鉄最初に出来たアーチ橋で、昭和3年に開通なのでそれ以前に架けられたということで大変価値のある鉄橋なんですね。そこを渡って自然の風を感じたり、高さが橋から水面まで60mぐらいで、トロッコ列車という観光列車もあって窓がないので歓声をあげて喜んでいただいていた路線でした。


この第一白川橋梁と、立野橋梁、そしてトンネルなど4つの構造物が甚大な被害を受けた南阿蘇鉄道。全線復旧のめどは立っていませんが、一部でも運行再開できないかと模索中です。

◆「鉄道マンとして何がなんでも通したい」
学生を運べないというのが一番辛かったですね。高校生も朝ここを5時に出るバスに乗られるので、5時前には間違いなく自宅を出られるので、4時過ぎには遅くとも起きて…熊本市内に通っている高校生は2時間40分ぐらいかかっているので、かなり負担がかかっているんじゃないかなと思います。部活も熊本市内に志して行かれた方達も断念せざるを得ない状況と聞いていますし、迂回路のグリーンロードやミルクロードもありますが冬場は凍結の恐れがあるので心配はあります。
うちとしても、何が何でも、どうにかして全線の復旧に向けて取り組んでいくと。しかし数十億円費用はかかるかなと。動かせるとして可能性が高いのは、高森駅ー中松駅間、7.1km 5駅ですかね。今は梅雨で側溝に水が溢れたりしないかとか点検を行ってますので、梅雨明けの状態を見てからなので、7月に動かせるかどうかはまだ未定。あくまで鉄道はもちろん採算収支等もありますが、道路と同じインフラなんで、通す、通さなくちゃいけないかなと、私達「鉄道マン」としては思いますね。少しずつでもですね、はい。


お話にあったように、17・7キロのうち、比較的被害の少なかった高森ー中松駅間、7.1km 5駅分の運転再開にむけ、現在点検など行っています。夏の観光シーズンを前に、一部でも運転再開することで、「町に元気を取り戻したい。」と南阿蘇鉄道の中川さん話してくださいました。

この南阿蘇鉄道は、様々な特徴をもった駅をつくって、駅構内にカフェやお蕎麦屋さん、温泉施設など思考を凝らして駅に人を集めて活性化を計ってきました。取材で訪れたこの日も、高森駅には県内外からたくさんの観光客が訪れていました。

〇宮崎から。阿蘇が大好きなので。南阿蘇鉄道はトロッコ列車で立野駅から家族で乗って、とくに立野の鉄橋の想い出が強くて。それからずっと阿蘇に着だしたんですよね。今鉄道が復旧のめどが立ってないので、駅どうなってるのかな?ってふと思ったもんですから。こういう時、復興観光というか行くことによって阿蘇の方々と何か共有できるものがあるんじゃないかなと思って。
〇2〜3か月に一回はドライブで。景色とか空気とか、必ずタンクを持って湧水は頂いて帰ります。前回来た時、長陽駅に「久永屋」さんというカフェのある駅にいったんですけど、線路がすぐ錆びるじゃないですか走らないと。赤さびでいっぱいになっててすごい切ない思いをしましたし、観光だけじゃなくて皆さんの足になっている路線なので、なんとか復活してもらいたいなと思います。


駅構内のカフェなど、鉄道は走っていなくても、駅には人が集まりはじめています。シフォンケーキが美味しいカフェ、長陽駅の「久長屋」さんや、パンケーキが美味しい阿蘇白川駅のカフェ「75th st.」など。また沿線沿いには、たくさんの湧水の名所があるので湧水を汲みにいく観光客も多いとのことです。


2016年6月22日

6月22日 熊本の銘菓「誉の陣太鼓」復活!

今朝は、6月20日から販売が再開した熊本を代表する和菓子メーカー「お菓子の香梅」についてお伝えします。

ほんのり品の良い甘さの大納言あずきで、口当たり柔らかな求肥を包んだ熊本を代表する銘菓「誉の陣太鼓」は、熊本市の老舗「お菓子の香梅」の看板商品として長年親しまれています。そんな香梅は、西原村の工場が熊本地震の被害を受け操業停止。今月14日にようやく工場が仮復旧し、20日、「陣太鼓」をはじめ一部の商品が店頭に復活しました。「お菓子の香梅」3代目の、副島健史社長にお話しを伺いました。

◆あんこを作る施設が被災
ウチの商品はほぼ8割方、アンコを使う商品。その中の一番大事な製餡所が今回一番ひどい被災をうけ、製餡所がストップしてしまったのですべてのものが作れない状況に陥ってました。いまは建物自体を復旧してしまうと時間がかなりかかるので、その製餡所内に屋根と壁を作りまして、衛生管理をきちんとしたうえで仮設ではありますけど餡子を炊いています。なので陣太鼓自体、生産能力は一日10万個作れる能力は有るんですが、4レーンのうち2レーンがなんとか稼働できるということで、あと水も仮タンクでやっているので、一日約35000個がなんとか生産にこぎつけたという状況です。


なんとか工場再開には至りましたが、まだまだ元の状態には程遠く、本格的に工場を直すにはラインを止める必要も出てくるので、仮復旧したラインを動かしながら、別に工場を建てて本格的な復興を目指したい、とのこと。それでも一部とはいえ、工場のラインが再び動き出し、看板商品の「陣太鼓」が完成した時は言葉にならない喜びがあったといいます。

◆町の方の声が励みになり復旧が加速した
いやあもう涙が出ました。もう今でも思い出すと涙が出るんですけど。ほかの生産に従事してた社員もやっぱり気になって、なんどもなんども寄ってくるんですね。(その時社長も生産ラインの方に?)いえ居ませんでした。あの、涙もろいんですわたし(笑)。ただそういう風にみんなが気になってたということを聴いて、本当に感無量というか、私自身も涙が流れた次第です。(町の方の声も届いたのでは?)その声がいちばん私たちも復旧に向けての励みになりました。「いつオープンするんですか?」というのはもちろん、「今回震災でいろいろして頂いたところにお礼で持って行くのに陣太鼓がないと困る」という声も頂きましたし、あとお店も閉まってると淋しい気持ちになるという言葉も頂きましたし、お客様の大切さをあらためて感じましたし、そういう陣太鼓を待ってるお客様がたくさんいらっしゃるということが、わたしも含め社員もみんな励みになって、復旧にちょっと加速がついたのではないかと思ってるくらいです。



◇看板商品の「誉の陣太鼓」をはじめ、「肥後五十四万石」、「銘菓本丸」は県内ほぼすべての直営店で昨日から販売が再開しています。

「陣太鼓」は特許を取得している「紙缶詰製法」で美味しさ長持ち。しかも完全無添加。夏は冷蔵庫で冷やして食べるのが九州では定番になっているそうです!

お菓子の香梅「誉の陣太鼓」詳しくはこちらのページで!

2016年6月21日

6月21日 九州に降った大雨について

今朝は予定を変更して、昨夜から未明にかけて九州・山口地方に降った大雨についてお送りしました。

2016年6月20日

6月20日 今日から販売再開!「誉の陣太鼓」

今朝は、熊本を代表する和菓子の販売再開についてお伝えします。

ほんのり品の良い甘さの大納言あずきで、口当たり柔らかな求肥を包んだ、熊本を代表する銘菓「誉(ほまれ)の陣太鼓」。熊本市の老舗「お菓子の香梅」の看板商品として長年親しまれています。

そんな「陣太鼓」をはじめ、香梅のお菓子は熊本地震の影響で工場が被災し店頭から姿を消していました。震災から2ヶ月経った今月14日にようやく工場が仮復旧し、いよいよ今日20日から「陣太鼓」をはじめ、一部の商品が復活します!

「お菓子の香梅」3代目 副島健史社長にお話しを伺いました。

◆阿蘇の伏流水でできた陣太鼓
陣太鼓が出来たのは昭和33年。原材料を見て頂くと分かるんですけれども、7品目。本当に添加物を一切使っていない商品です。あとは「武者がえし」というパイ生地でくるんだ商品もありますが、年間を通して季節商品も含め350種類くらい、以前は3カ所に工場を分散していましたが、西原工場の水が阿蘇の伏流水ですので、とてもいい水ですから、すべての工場を西原工場に移して、西原工場一カ所だけという生産体制でやっておりました。


阿蘇の伏流水に恵まれた西原村。「お菓子の香梅」の商品は、そんな名水を生かして作られています。ところがその西原村は、震度7の地震に見舞われ、香梅の工場も甚大な被害を受けました。

◆お菓子作りに欠かせない機械が破損
まず建物はそうなんですけど、工場内に隆起、陥没があり、機械もほぼ倒れ、あと受水槽が破損したのがいちばん問題でした。水は最大180トンを使うんですが、その180トンの受水槽が割れてしまいまして、すべて水が流出、
受水槽がないと汲み上げることも、館内に回すことも出来なくなりました。お菓子作りに必要な5つのライフラインというのがあるんですが、電気、ガス、水道、蒸気、エア、その5つがすべて止まってしまいましたので、頭の中が真っ白になって、どこから手を付けたらいいんだろうという状態でした。最初に社員を集めて、一人も欠けることなく復旧すると宣言しました。まず雇用については安心してほしい、でもこの復旧には全社員が協力してもらわないとあり得ないということも伝えて、社員の協力の元、復興に向かって進み始めました。社員に大きなケガなどはなかったんですが、家が全壊半壊、今でも避難所生活や車中泊をしている社員もいます。そういった社員も会社のことを思って、そういう状況でも会社の片づけだったり生産の準備をやってくれて、これでここまでこぎつけることが出来たと思っています。」


工場が仮復旧したものの、販売が再開するのは看板商品の「誉の陣太鼓」と、「肥後五十四万石」、「銘菓本丸」の3種。県内の直営ほぼ全店で、今日20日から販売されます。

あすも「お菓子の香梅」、副島健史社長のお話しお届けします。

2016年6月17日

6月17日 サンドウィッチマン厳選!東北オススメグルメ3

今週は、宮城県仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンのインタビューをお届けしています。



引き続き、サンドウィッチマンが厳選する、東北ご当地グルメ!お届けします。本当に、地元に詳しくないと知らない、珍しい東北グルメを色々教えてもらいましたが、今日も、かなりマニアックな、美味しい東北グルメ、紹介してくれています。というわけでサンドウィッチマンのお2人、お願いします!

◆はまぐりもなかクッキー!? ゴッド!?
富澤:気仙沼の「はまぐりもなかクッキー」!

伊達:はまぐりもなかクッキーめちゃくちゃ美味いな。あの触感なんだろうね。

富澤:形ははまぐりみたいで、もなかのさくさく、そしてクッキーがあって、それを合わせてはまぐりみたいな形になっている。あの触感はちょっと味わって欲しい。

伊達:あれは誰におみやげで買っていっても喜ばれる。あと気仙沼のなんだっけ。

富澤:ゴッド。

伊達:ゴッド! ゴッドという洋菓子があるんですよ。これ美味いね。全く説明しないですけど。

富澤:説明しろよ。

伊達:9層くらいになっているミルフィーユ的な。

富澤:それを松本零士さんが。いろいろあってパッケージをデザインしてくれている「ギャラクシーゴッド」というのがあるんですけど、これがね。

伊達:抜群に美味しかったですね。

富澤:どこかお家に遊びに行く時はもっていったら相当喜ばれる高級品ですよね。

伊達:間違いなく喜ばれるでしょうね。

富澤:はまぐりもなかクッキーはなんてお店でしたっけ。

伊達:小山菓子店ですね。小山(こやま)菓子店で、作っている人は小山(おやま)さんって言うんですよね。

富澤:ややこしいですね。

伊達:どっちかわかんなくなっちゃう。統一してくれって行ったんですけどね。だからややこしい人が多いですからね、東北はね。気仙沼のサメの心臓食ったこと有ります?美味いんですよ。やっぱり鮫をいっぱいとるんですよね、フカヒレの町ですから。そのモウカザメの心臓の刺し身。これもね、モウカの星って言われるんですよね。

富澤:ちょっとレバーに似ている感じなんですよね。

伊達:本当に新鮮なレバー。すごくおいしかったですね。

富澤:鮫の皮のグッズとかもありますよね。

伊達:僕が使っている財布なんですけどサメの皮なんです。鮫皮って革製品の中でも最強の強さを誇るんですって。サメの皮。これね、安っぽいって言われるんですけど、別にそんなんべらぼうに高くはないんですけど、すごく頑丈でいいんですよ、鮫皮っていうのは。

富澤:ベルトとかもありますしね。これ気仙沼のシャークスさんという。

伊達:これも仮設の商店街なんですけど、そこで買って。すごくさわり心地もいいんです。あんまり触ったことのない肌質というか。まあ5年を機にね、ちょっとそろそろ東北行ってみようかなと思っていただいて。同じ日本なんでね、ぜひ来ていただいきたい。北海道新幹線も走っていますから、ぜひ函館から逆に東北に来ていただいて。あまり計画を建てずに泊まるところだけ予約して、あとはふらふらと遊びに来て頂ければ。おもてなしは東北の人たちは間違いなくちゃんとするので。僕らもそういうのを言ってます。お客さんたくさん連れて行きますからもてなしてくださいねと、「まかしとけ、絶対に満足させるから」と言ってくださっているので。まあ北海道とか沖縄とか北陸とかいいところいっぱいありますけど、ぜひ東北に目を向けて頂ければと思いますね。


お話に出てきた「ゴッド」こちらは気仙沼のパルポーという洋菓子製造会社が作っています。しっとりスポンジ、さっくりサブレ、クリスピーなフレンチパイの3つの食感が楽しめるお菓子。銀河鉄道999の松本零士さんがパッケージデザインした「ギャラクシーゴッド」、そして季節ごとの「フルーツゴッド」があります。10個入り1800円。 ★パルポーはこちら


「はまぐりもなかクッキー」
こちらは気仙沼のコヤマ菓子店が製造販売をしています。最中の皮、中身はあんこではなくサクサクのメレンゲクッキー。
口に入れるとアーモンドの香ばしい香りが口に広がります。甘さ控えめ。8個入り1300円。 ★コヤマ菓子店

2016年6月16日

6月16日 サンドウィッチマン厳選!東北オススメグルメ2

今週は、宮城県仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンのインタビューを
お届けしています。

昨日に引き続き、サンドウィッチマン厳選・東北ご当地グルメ!教えてもらいましょう!今日は、お2人が生まれ育った、宮城県のオススメ情報です!

◆いちごのストレートジュース!!
伊達:仙台いちごっていうのがありましてね。亘理町、山元町というところが東北ナンバーワンのイチゴ農家(生産量)だったんですが全部流されまして。それがみるみる復活しているんですよ。

富澤:いちごのジュースでしたっけ。あんなのもありますからね。

伊達:いちご100%のジュースっていうのがあるんですよ。山元町で作っているんですけど。これはどんな大手のジュースメーカーが頑張って作ろうとしても無理だったものらしいんです。いちごしか使っていない100%のジュースがあるんです。

富澤:見たこと有ります?

伊達:たぶん無いと思うんです。だからすごく難しい。それが売ってますよ。山元町で「100% いちご」で調べたら出てきますよ。

富澤:肝心なところ覚えてないですよね。

伊達:マルタのいちごジュースだったかな。あとは宮城では日本三景の松島なり来てほしいなと。

富澤:あとは海苔うどんじゃない。

伊達:海苔うどん!これは食べてほしいな〜。イチオシです。東松島っていうのは元々海苔がすごく美味しくて、皇室献上海苔にもなるような最高級品なんですけど、それをうどんに練りこんでいて真っ黒なんです。

富澤:蕎麦みたい。もしかしたら蕎麦なのかも知れない。

伊達:うどんだっつってんだろ。それをめんつゆにつけて食べる。うまい!毎日食べたいですね。

富澤:海苔の風味がしてね。乾麺なんかも出てますけど、やっぱり現地で食べてほしいね。

伊達:そして東松島は甚大な被害があった地域なので、ちょっといくとすぐ海辺があるので、そういうところを見ていただいて、ああ、いまはこういう美味しいものを食べられるんだなって思ってもらえればすごくありがたいですね。それこそ気仙沼にも南三陸にも来て欲しいし。南三陸の「お山のマドレーヌ」っていう日本一だと思うマドレーヌ屋さんがありましてですね、作っている人が粉アレルギーなんですよ。

富澤:大変ですよ。

伊達:どうやって作ってんだと思うんですけど、めちゃめちゃ美味いんです。でも防じんマスクみたいなのをつけて作っていて、奥さんが味見をするというね。

富澤:泣きながら作ってますよね。

伊達:防じんマスクをつけて(笑)

富澤:辞めればいいのにと思いますよね。

伊達:作っている姿がガラス越しに見えるんですけど、あれ見せないほうがいいと思うんですよ。

富澤:つらそうですから。

伊達:あとは仮設の商店街なんかも、実は今年で最後と言われているところも非常に多いんですよね。南三陸のさんさん商店街というところもそうなんですけど、いろんな仮設の商店街いきましたけど、一番なりたっているというか常にお客さんがいっぱいいると思ったのが南三陸のさんさん商店街。でも今年で確か終わりなんですよね。終わる前にぜひ僕らも見に行きたいですし、地場の美味しいお魚、加工品もたくさんあるので買いに行っていただければなと思いますね。

富澤:盛りだくさんです。

●お話に出てきた いちご100%のジュースは、山元町にある果物ジュースの老舗「マルタ・田所食品」の「ストロベリーピュア100しぼりたて」という商品。
300ml1本の中に生イチゴ1kgを贅沢に使用!正真正銘のストレートジュース!ちなみに300ミリリットル2本セットで3000円+消費税

★取り扱いサイトはこちら


●そしてご主人が粉アレルギーだけど絶品だという「お山のマドレーヌ」は、南三陸さんさん商店街にある「オーイング菓子工房Ryo」というお店で製造・販売をしています。8個入1300円。

★取り扱いサイトはこちら



そのほかサンドウィッチマンのオススメ
「東松島の海苔うどん」の取り扱い店舗情報は★観光協会サイトをご覧ください。

2016年6月15日

6月15日 サンドウィッチマン厳選!東北オススメグルメ1

宮城県仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンのインタビューをお届けしています。


東日本大震災から5年。東北各地を取材して、ラジオ・テレビ、ブログなどで復興の動きを伝えてきたサンドウィッチマン。

もちろん、たくさん取材する中で、いっぱい美味しいものも食べまくっています。おそらく芸人さんの中で一番東北のグルメに詳しいはず・・・ということで! 番組からサンドウィッチマンにこんなリクエストをしてみました!

◆福島のご当地パン「クリームボックス」を君は知っているか
富澤:ラブ&ホープからこんなリクエストをもらっています。「サンドウィッチマンのお2人、特に伊達さんは見た目は極悪人ですが、お2人とも東北に寄り添い、サポートを続けてきました。そんなお2人ならではの東北巡りのオススメを教えて下さい」ということなんですけども・・・

伊達:僕が一番行ってほしいのは福島ですかね。食べ物のオススメ・・・いっぱいあるな。喜多方ラーメンじゃないですかね。喜多方ラーメン、白河ラーメン。あとはご当地パンですかね。福島の郡山で食べられるクリームボックスというパンがあるんですよ。これがね。知らない人が圧倒的に多いと思うんですけど、美味いんだこれが。

富澤:知ってますかね。クリームボックスだけ聞いても全然イメージ出てこない。なんなんだろうと。

伊達:これ、小さい食パンと考えて下さい。サイズ小さめの食パン。

富澤:みなさんが思っている食パンの3分の1くらいですかね。

伊達:そこに、湿布を貼って売ってる(笑)

富澤:クリームがね(笑)

伊達:クリームが湿布みたいなんですよ。

富澤:クリームが乗っかっているんですけど、まあ見りゃわかるんですけど、湿布っぽいんですよ。イメージね。

伊達:イメージね。まったくスースーしませんし。

富澤:クリームですから。

伊達:なんだろうな、あれ。ちょっとクリームが固まっているんだろうね。なんで固まっているんだろう。

富澤:なんでしょうね。

伊達:食べてもらわないとダメだね。

富澤:冷やしているんだろうね。それが見た目湿布張ってるみたいにみえるんだね。

伊達:俺も最初は、なんだこれ湿布貼ってんなって思ったんで。でも食べてみたらすごい美味しくてね。

富澤:あとはコーヒー牛乳もね。

伊達:酪王カフェオレのことですか。これはまず間違いなく美味い。日本一だと思ってますね。

富澤:これはセットでぜひ食べて、飲んで欲しい。

伊達:あとはぜひ会津の方に足を伸ばしていただいて、柳津町の粟まんじゅうね。これは絶妙に美味い。あとは会津若松市に行ってソースカツ丼ね。これも美味いね。ソースカツ丼。美味いですね〜。ソースカツ丼の歌なんてのもありますからね。

富澤:いわきのほら。

伊達:水族館。アクアマリンふくしま!

富澤:お寿司が食べられる(笑)

伊達:これがねえ、知ってますかみなさん。水族館の中にお寿司屋さんがあるんですよ。巨大水槽の前に、通路を挟んだ向かい側に職人がいるんです。俺もびっくりしましたけど。俺もびっくりしましたけど。僕も行ったら必ずお寿司を食べるんですけど。本当に奇抜ですよね。ある意味。シュールです。

富澤:あ〜すごいな魚・・・って見ていると、寿司あるじゃねえか!ってなるんです。

伊達:生け簀だったのかって思うくらいね。もちろんその水族館で泳いでいる魚を使っているわけじゃないんですけど、美味しいお寿司を魚を見ながら食べるというね。

富澤:あと釣り体験もできますからね。釣り堀みたいのがあって釣って、その魚をフライにして食える。食育ですよね。

伊達:できますね。

富澤:だから気をつけなきゃいけないのが、釣りすぎると全部買って食わなきゃいけないんですよ。ある程度食べられる分だけにしないと。

伊達:あとはスパリゾートハワイアンズ。昔で言う常磐ハワイアンセンター。ここはフラダンスだったりファイヤーダンス、あれは天下一品ですね。僕らもしょっちゅう泊まりに行きますけど、本当にたくさんの方に来てイタダキタイ。

富澤:なんといってもゲーセンがありますからね。

伊達:よく行ってたなお前な。

富澤:子どもと一緒にね。ゲーセン行きますから。


お話に出てきた「クリームボックス」は、1970年代に福島県郡山市で生まれた、ご当地パン。郡山のパン屋さんなら大体扱っており、郡山の人は「当たり前に知っている」という郡山のソウルフードです。


「酪王カフェオレ」…福島県民なら誰もが知ってる生乳たっぷりのコーヒー牛乳。福島ならコンビニ、スーパー、自販機などどこでも手に入る。東京でも人気があり、震災後はファンの集いが行われるほど人気になったそうです。
★酪王乳業サイト

その他、サンドウィッチマンがおすすめしてくれた情報
★アクアマリンふくしま
★スパリゾートハワイアンズ

2016年6月14日

6月14日 サンドウィッチマンが語る東北の復興2

今週は、宮城県仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンのインタビューをお届けしています。



東日本大震災当日、気仙沼でロケの最中に被災したサンドウィッチマンのお2人。「もし高台に逃げなかったら、命を失っていたかも知れない」と当時を振り返ります。そしてお2人は、その直後からメディアで被災地の現状を伝え続け、現在も、取材やブログを通じて、東北の「いま」を伝える活動をしています。

ただ、この活動については、様々な批判の声、そして「芸人」という立場からの、葛藤もあったと話します。

◆「笑えなくなる」なら、それまでです。
伊達:これはね、すごく悩んだところですね。芸人という生業の人間が東日本大震災だ、地元宮城のために被災状況を伝えるだとか・・・。やっぱり「笑えなくなるよ、サンドウィッチマン、そういうイメージがついちゃうとあんまり良くないから、ある程度やったら身を引いたほうがいいよ」とかいう話も言われました、実際に。ああそうですね分かっております、と。僕らもすごく葛藤はあったんです、正直。ただやっぱりあの光景を目の当たりにした人間は黙ってられないというか、絶対に伝えなくちゃいけないんだろうなと。僕らはほんとうに奇跡で助かったと思っているので、俺たちこれ見ちゃった限り、そこにいたんだからやれるだけやろうと。僕らが伝えることが出来る位置にいるので。ラジオやったりテレビやったりと、たまたまそういう立ち位置にいるので。これは宮城県民としてやろうと。それでもっと面白いことを僕らはやります、と。それで笑えなかったら、そういうバックボーンがなかったとしても笑えないから。それは富澤とも会議しましたね。

富澤:その後、ネットなんかで「震災芸人」とか言われることもありますけど、全然いいですと。ちゃんと思い出してくれたり、例えば「気仙沼」というワードを一緒に覚えてくれればいいんじゃないかなと思いますね。

伊達:やっぱり地元といっても被災地の方に行かなければ、仙台市の繁華街とかでロケする場合もあるんですよね。地元の番組で月に2回は宮城県に帰りますけど、沿岸の方に行かない時期が2ヶ月くらいあったりすると、ちょっとだけ自分の中でも風化しているんですよ。2ヶ月行かないだけで、あれ最近行ってないな、そういえばちょっと忘れてた時があるなと思うんですよ。そういう時は、次の月は必ず行ったり。そうするとやっぱり、大きく工事で変わっていたりするんだよね。ああここはこんな風になったのか、とかこれぐらいの高台にするつもりなんだな、とか。もっとやっぱり俺らは来なくちゃいけないなと。この状況を伝えなくちゃいけないなと。地元のためにできることを探して、恩返しじゃないですけどこれからもやっていきたいなと思いますね。


サンドウィッチマンが震災直後に立ち上げた「東北魂義援金」は毎年、たくさんの寄付を集め、東北で被災した子どもたちの支援に役立てられています。この5年で、合計およそ3億9000万円の義援金が寄付されているということです。そんな2人に、いま私たちが東北にできることは何か伺いました。

◆東北の人たちに託されたメッセージ
伊達:今は我々が東北のために何が出来るのかな、と思った時に、やっぱり聞くんです。行くたびに。いま全国の人に伝えたいことありますか、って。そうするとやっぱり「見に来てほしいよね、東北の被災地を」って言うんですよね。テレビなんかでもなかなか報道されないようになってしまいましたし。「いまここまできましたよ、おかげさまで」というのを伝えたいらしいんですよね。「ありがとうございました、だからもう1回見に来て下さい」と。

富澤:こないだ気仙沼の魚屋さんに話を聴いたら、「美味いものはすごくある。だから満足させる自信はある。だから来て欲しい。震災の時の話をしてくれっていうならするし。だからとにかく1度来て欲しい」って行ってましたね。

伊達:新鮮ですからね、あの世界三大漁場ですか。リアス式海岸のあたりの魚っていうのは世界的にも有名で美味いので、観光客にもどんどん来て欲しいですよね。

★伊達みきおブログ
★富澤たけしブログ
★東北魂義援金(サンドウィッチマンが立ち上げた義援金)

明日もサンドウィッチマンのインタビュー、お伝えします。

2016年6月13日

6月13日 サンドウィッチマンが語る東北の復興1

今週は、宮城県仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおさん、富澤たけしさんのインタビューをお届けします。

東日本大震災から、5年3ヶ月。今月も月命日の11日には、東北沿岸部で警察・ボランティアによる捜索活動が行われましたが、こうしたことが報じられる機会も限られてきています。

そんな中、サンドウィッチマンのお2人は、現在も沿岸部にあししげく通い、東北の「いま」を伝える活動を続けています。まず、お2人の活動のきっかけとなった、自らの被災体験を改めて伺いました。

◆5年で気持ちの切り替えなんてできない。
伊達:僕らは2011年3月11日2時46分に、宮城県気仙沼で番組ロケをしていました。海の目の前で2時46分を迎え、カメラマンが「経験したことのない揺れなので高台へ避難しましょう」と。僕と富沢は、せっかく海の目の前にいるんだし津波警報も出ているから逆に海の方へ見に行きましょうよ、どのくらいの津波が来るか。せっかくカメラもいるんだし。

富澤:だいたい津波がくるっていっても10センチ、20センチの津波だというのが多かったので、それくらいだったら大丈夫だろうと思って、見たいですねという話をしたんです。

伊達:でもあまりに揺れが酷いので、安波山というところに慌てて避難をしたんですね。それであとから聞いたら、僕らがいたところには8mの津波が押し寄せてきていた。そこにいたら本当に僕らはいなかったんだろうなと。逃げましょうと言ってくださったカメラマンの方には会うたびにありがとうと言っていますね。そこから山の上からずっと市街地を眺めていたんですけど、町中を飲み込む様子を僕らはただただ見ているしか無かった。もうなんとも言えない光景ですね。今もその時の音とか悲鳴とか、クラクションを鳴らしながら波に飲まれるクルマとか。昨日のことのように頭にありますね。5年経ちましたというところなんですけど、たった5年で気持ちの切り替えってなかなかできないもんですよ。それまでずっと一緒にいた人が急にいなくなり、ましてや、まだ発見されていないとなると5年もなにも関係ないですからね。

富澤:津波で亡くなった方もいれば、のちに自分で命を断ってしまった人もいましたから。

伊達:ぼくの友達もそうでしたね。自分以外の家族が全員津波で流されちゃって、子どもも奥さんも流されて。そいつは自分で長い棒を持って、捜索していたんですよ。そしたらこれは奇跡だと思うんですけど自分の子供を自分で発見したんですよ。それで抱きかかえて、泥だらけになった口を全部水道で洗って・・・。発見してその2週間後くらいに奥さんが家から900mくらい離れたところで発見されて。見つけてあげたということで友達も頑張って生きていたんですけど、ちょうどその1年後に「子どもに会いに行ってくる」という手紙を書いてそいつは死んでいったんですけど。辛いですよね。そいつの身にはなれないですよ。俺でももしかしたらそうするかな、と思うくらいの出来事でしたね。実はニュースにならないけどそういう話がたくさんあって。やっぱり家族を急に亡くすというのはね、交通事故でもそうですけど、なんともいたたまれない出来事ですよね。



震災の直後から、すぐにテレビ・ラジオで被災地の状況、何が必要かを訴え続けていたことは、記憶に残っている方も多いはず。いまもお2人はブログなどを通じて、東北各地に通って見聞きしたことを伝え続けています。東日本大震災から5年3ヶ月。6月10日現在の行方不明者数は2558人です。

★伊達みきおブログ
★富澤たけしブログ
★東北魂義援金(サンドウィッチマンが立ち上げた義援金)

明日もサンドウィッチマンのインタビュー、お伝えします。

2016年6月10日

6月10日 Support Our Kids『DAN CARTER Charity for All』

今朝は「Support Our Kids」がこの夏、開催するビッグイベントについてお届けします。

「東日本大震災で被災した子ども達の自立」、そして「復興のリーダー育成」を目的に 震災から10年間、継続して、被災した子ども達の支援に取り組もうというプロジェクト 「Support Our Kids」。 2011年の夏に始まって、これまで約300人の子供たちを、10か国に派遣しています。

そんな「Support Our Kids」は、これまで、デレク・ジーターと松井秀喜による野球教室など スペシャルゲストが登場するチャリティイベントも、毎年行われてきました。 先日、この夏に開催するイベントの記者会見が行われましたが、 登場したのは、ラグビー世界最強、ニュージーランド/オールブラックスの中心選手で、 “ラグビー界の至宝”と呼ばれる、ダン・カーター選手、そして日本ラグビー界の名将、 清宮克幸さんです。

「One For All, All For Oneですか。古くからラグビーを愛する人たちが、ラグビーの素晴らしさを伝えるために使ってた言葉ですが本当に届く言葉ですよね。一人はみんなのために、みんなは一人のために。」

復興も、ラグビーと同じように、力を合わせて立ち向かうことが何より大切・・・とこのイベントのエグゼクティブプロデューサーでもある清宮さんはお話しされていました。

タイトルは、「DAN CARTER Charity for All」。今回は、東日本大震災と、熊本地震の被災児童の自立支援を目的に 7 月16日から18日まで、3日間に渡って、福岡、岩手、東京で、イベントを開催します。

◇16日(土)「グランドハイアット福岡」でのカーターと清宮によるチャイリティートークショー
◇17日(日)「釜石復興スタジアム」(建設地)視察、
「八幡平市(はちまんたいし)ラグビー場」での「キッズラグビークリニック」
◇18日(月祝)「首都大学東京・荒川キャンパス」での体験プログラム、「八芳園」でのチャリティーオークションディナー

そんな「DAN CARTER Charity for All」について、清宮さんはこうおっしゃっています。

『僕はあまり演出はいらないと思っているんです。ダン・カーターのパワーに委ねた方がいいんじゃないかと。ボールと芝生がある中で、子供たちとどういう反応をするのか、彼に委ねるっていうのが、僕はいちばん正解だとほぼ確信してます。彼に1時からイベントしますって 話をすると、「分かった、8時に行く」という。8時に来てウォームアップし始める。で9時から2時間、自分の練習をするんです。でグラウンドでサンドイッチつまみながら、ずっとグラウンドに居るんです。ボール蹴って。じつはそういう時間を共有することが、イベントよりも大事だったりする。シナリオ書けないじゃないですか。』

そしてイベントの一環で、清宮さんはダン・カーター選手を連れて、 2019年のW杯に向けて新しいスタジアムが建設される、釜石市の建設予定地を視察します。「ラグビーの聖地」をこうして訪ねることについての思いも、聞いてみました。

『僕がラグビーを始めたころにテレビで見る社会人ラグビーっていうのは釜石ばっかりでした。新日鉄釜石の7連覇があるが故ですが、本当に愛されてる土地柄ですよね。日本でもこれだけラグビーの認知度が高いところはないと 昔感じたことがあります。 たとえばドキュメントなら、「北の鉄人がどうやって生まれたか?」っていうドキュメントなんですよ。凍ったグラウンドで霜が降りて吐く息が白くて、そんな中練習を始める鉄人たちっていう映像で僕たちはラグビーを始めているんで、本当に「聖地」なんです。僕たち世代は。その場所が震災のあとは人工芝になったりもして風景は様変わりしてると思いますけど、 そのDNAは変わらずあると思ってるので。酒と魚とラグビーの町?鉄だ! 酒は関係ないか・・・鉄と魚とラグビーの町! 釜石市長も言ってましたけど、まあそういう所でいい時間が過ごせればいいなと思ってますね。

『LOVE&HOPE』、今朝は、7 月16日から18日まで、3日間に渡って、福岡、岩手、東京で開催される、「Support Our Kids」のビッグイベント「DAN CARTER Charity for All」についてお伝えしました。

福岡でのチャイリティートークショー、岩手でのキッズラグビークリニック、東京での体験プログラムにチャリティーオークションディナーなど、いずれも参加者募集中。

2016年6月9日

6月9日 防災アドバイザー山村武彦さん(4)


今週は、防災システム研究所所長で防災アドバイザーの山村武彦さんのインタビューです。

今回の熊本地震では、最新の耐震基準を満たした建物にも被害が及びました。南海トラフや東海地震など、巨大地震への備えはいまや全国共通の課題です。「安全な場所」「安全な住まい」を手にいれるために、わたしたちにできることとは?

◆「安全な場所にする」「安全な場所に住む」
地震の後応急危険度判定といって、建物の危険度の判定をやっているが、もう片方で宅地危険度判定というのもやっている。これは宅地の地盤が崩れるのではないか、擁壁が崩れて建物に影響を与えるのではないかなどを判定するもの。熊本地震の一番の特徴は地震による土石流、土砂災害というもの。あるいは地割れや活断層が地表に露出してそのずれが明らかになるなど。わたしが言った益城町の神人という場所は、畑の真ん中、麦畑やキャベツ畑を活断層が通っている。地域に大きな被害をもたらした。地元の方に伺うと、「この辺は活断層があると聞いていました、でも本当にあそこにあるとは思いませんでした」とおっしゃる方が多い。では本当に同じ場所に家を建て直すかというときに、日本人の場合、例えば活断層は全国でおよそ2000か所と言われている。カリフォルニアでは一部活断層法というのがあって、活断層からは一定の距離を置かないと住宅を建ててはいけない、という法律がある。でも日本でそれをつくろうかという話があったが、わたしはそれに猛反対した。もちろんできたらそれに越したことはない。活断層の上には住まないほうがいいに決まっている。でもそれを全部規制してしまったら、いまわかっているだけで2000か所あり、わかっていない活断層が3倍以上あるだろうと言われているのであれば、いまわかっている活断層から離れたところが安全とは限らない。そうしたら、日本中住むところがなくなってしまう。それすれば、活断層の上でも壊れない家をつくるとか、例えば普通の木造住宅であれば一定の杭を打つとか。それでも活断層があれば危険ではあるが、できるかぎり安全な家を建てることをまず考える。いままでは、防災とは「逃げる、守る防災」だったが、「安全な場所にする」「安全な場所に住む」ということも考えていかなきゃいけない。今回明らかになったように、大地震によっておこる土砂災害は大雨がくれば起こる場所でもある。豪雨や自然災害に備えて安全な場所はどこなのか。地域によっては氾濫低地と呼ばれて地盤の悪いところがある。そういったところは地盤改良したり、杭を打ったりして、いろいろなやり方で耐震化を図ることは可能。絶対安全な場所を見つけることは、日本では困難だが、安全な場所にするということは、ある程度できること。そいういうことを工務店等と相談して進めてほしい。そして、住居ではできれば2階を寝室にしてほしい。普通2階建ての家をつくると1階が広い部屋、2階が狭い部屋ということが多い。これは逆のほうが安全。下が狭い部屋が多いほうが、建物は崩れにくい。もう一つ、今回多くの建物の1階が崩れて犠牲者が出た。2階の寝室のほうが安全。2階はつぶれても隙間ができやすい。そいういった生活方法含めて、「安全な場所にする」「安全な場所に住む」ということが大事。


山村さんは「とにかく命を守ることが第一」と強調していました。
そのためには、「家全体を頑丈にする」というよりも、家の構造を一部強化したり「地震シェルター」を準備するなどして家のどこかに「命を守る安全ゾーンを設ける」というのが合理的だと。
そして、言われ尽くされていることですが、家具の固定化などできることをまず実践すること。「自分だけは大丈夫」という考え方は捨てて、まず自宅のチェックから初めてください。

山村さんが語る防災の知恵は、著書「スマート防災〜災害から命を守る準備と行動〜」で詳しく読むことができます。

2016年6月8日

6月8日 防災アドバイザー山村武彦さん(3)


今週は、防災システム研究所所長で防災アドバイザーの山村武彦さんのインタビューです。
およそ50年に渡って、災害の現場に丹念に足を運び被害や実態を調査してきた山村さん。災害に備えるための「防災訓練のあり方」にも、警鐘を鳴らしています。

◆防災訓練の在り方
マンションや学校の防災訓練は、避難訓練・初期消火訓練・救出救助訓練が定番だが、それはよく考えてみると災害後の対処訓練。私が提唱しているのは、火を消す訓練とあわせて、火を出さない訓練。閉じ込められた人を助ける訓練の前に、閉じ込められないようにする訓練。そういう災害前の予防訓練にウエイトを置くべきではないか。避難訓練もベルが鳴ってから、先生が避難しなさいと言ってから避難するのではなく、自分で避難できるように「状況別判断行動訓練」が大事だと思う。
併せて大切なのは、地震に備えるとしたら、机の下にもぐるのも間違えではない。それしか方法がない、身体が不自由、時間がないなどの場合はやむを得ない。しかし、すべて机の下が正解とは限らない。またいつも机があるわけでもない。よく起震車で地震の体験訓練をやるが、あれを見ると机がちゃんと固定してある。自宅の机が固定している家などほとんどない。学校の机もそう。わたしが申し上げているのは、小さな揺れや緊急地震速報のときはまだ動ける可能性がある。そのときは神様が与えてくれた防災訓練だと思って「安全ゾーン」に移動する。家の中であれば「玄関は安全ゾーン」。玄関は避難路確保にもつながるので、玄関に行ってドアを開ける。ドアを開けても手を離したら閉まってしまうから、サムターンを回して靴を履く。それを普段やっている人は、「凍りつき症候群」にはならない。普段できないことが、いざというときにできるはずがない。私は50年間にわたり地震の現場を回っていますが、玄関だけ残った家をずいぶん見てきたが、玄関は、狭いスペースに柱の数が多い場所。構造によって異なるが、原則的に安全ゾーン。安全ゾーンは「命の通り道」として、できるだけ物を片づけるということも大事。


そして山村さんも高く評価しているのが、群馬大学、片田敏孝先生の指導による「自分で考えて行動する防災」です。

◆被害想定に惑わされない、釜石の奇跡は訓練の賜物
災害は、大多数の人たちが想定外だと思うときに発生するものだという認識を持つべき。それを前提にして訓練していたのが、釜石市東中学校。片田敏孝先生のご指導で「みんなが逃げなくても、自分が危ないと思ったら率先避難者になれ」という訓練をしていた。「被害想定」というものが各自治体から出されるが、それによれば東中学校は、津波がこない場所になっていた。しかし片田先生は「被害想定に惑わされてはいけない。常に災害はその想定を裏切るものである」と、繰り返し中学生たちに指導していた。だから東日本大震災発生時にはその訓練が功を奏して、子どもたちは自身の判断で避難を開始した。逃げるときには大声で「津波がくるぞー!」と叫んだので、近くの小学生たちも一緒に避難し、 “釜石の奇跡”が起こった。。つまり正しい知識、意識と、想定外の事態が起こりうるのが災害であるという認識をしっかり持つことが大事。


今日のお話の内容は、山村さんの最新刊「スマート防災〜災害から命を守る準備と行動〜」で詳しく読むことができます。

明日も山村武彦さんのお話です。

2016年6月7日

6月7日 防災アドバイザー山村武彦さん(2)


今週は、防災システム研究所所長で防災アドバイザーの山村武彦さんのインタビューです。山村さんは、およそ50年に渡り災害の現場に丹念に足を運び、被害や実態を調査するとともにその教訓を伝え続けてきました。

そんな山村さんが注目するのが「防災心理学」。災害が発生したとき、人はどんな心理状態に陥り、とっさにどんな行動をとるのか。その特徴を知ることが防災に大いに役立つと山村さんは言います。その一つが「正常性バイアス」です。

◆正常性バイアス
「正常性バイアス」というのは、「正常性の偏見」ともいうが、物事は平常な状態で続いていると、それが継続的に続くものだという認識を持ちたくなる。首都直下地震もいつか起こると思いながら「今夜は起こらない」と思っている。明日は?明日もまだ起こらないだろう。根拠はない。なんとなく。想定できることを想定しないように、自分の意識のなかに正常性バイアスをかけ、「自分には嫌なことは起こらない」「昨日も大丈夫だから明日も大丈夫だろう」「これは永遠に続くんじゃないか」と考えてします。これは違う。首都直下地震のような大災害が今夜も起こるかもしれない。明日起こるかもしれない。そう思っていれば、想定外ではない。


さらに山村さんが指摘するのが「凍り付き症候群」、そして「同調性バイアス」です。

◆「正常性バイアス」「凍り付き症候群」「同調性バイアス」を知っていることが重要
東日本大震災のとき、津波がすぐそばに迫っているのにゆっくり歩いている人の映像が見かけられた。私は被災地で避難者にインタビューをしたとき、「津波が来ていたのは知っていたでしょう?なぜ走らなかったのですか?足腰が悪いのですか?」と聞いた。すると、「いいえ、そうじゃないのです。走っているつもりでした。足が宙に浮いて進まないのです。体がゆっくりしか動かなかったのです」若い人たちの中からもこんな答えが返ってきた。体が硬直し、自分では走っているつもりなのに、ゆっくりしか動かないのがじれったかった、頭のなかでは「急げ、急げ」といっているのに、体はいうことを聞かなかったというのです。こういう状態を「凍りつき症候群」という。
イギリスの心理学者・ジョン・リーチ博士の調査によると、突発災害が起こったときに正常な対応ができる人はせいぜい15パーセント程度。取り乱す人が約10パーセント程度。残りの75パーセントは茫然自失になって、その半数くらいはその状態から覚めない。それを「凍りつき症候群」というのです。体と心が凍りついてしまって、思うような行動が取れない状態になってしまう。これも「認知心理バイアス」といって、自分で自分の心を固定したり、動かしたりしてしまうこと。
もう一つ「同調性バイアス」というものもある。これは大勢の人がいると、その中にいるほうが安全、その人たちと同じ行動をとるほうが安全につながると考え、その集団に同調してしまうこと。「変だな、おかしいな、危険かな」と思っても、みんながなにもしないなら自分もなにもしないようがいい、あるいは自分がこの秩序を乱してしまうことへの抵抗もある。お互いがけん制しあって、一人や二人なら行動を起こすにもかかわらず、大勢だったから逆に行動が遅れてしまう。
「正常性バイアス」や「凍り付き症候群」「同調性バイアス」というのがあるいうことを知っていることが重要。自分がいまその状態になっているのかもしれないと気付くことができる。


今日は「災害時の人間の心理」=「防災心理学」のお話でした。
「正常性バイアス」「凍り付き症候群」そして「同調性バイアス」。とにかく災害時は自分の心と身体が「正常な判断ができない場合もある」ということをしっかり覚えておきたいですね。

明日も山村武彦さんのお話です。

2016年6月6日

6月6日 防災アドバイザー山村武彦さん(1)


今週は、防災システム研究所所長、防災アドバイザーの山村武彦さんのインタビューです。

山村さんはおよそ50年に渡り災害の現場に丹念に足を運び、被害や実態を調査してきました。地震、津波、噴火、水害、土砂崩れ。これまでに足を運んだ災害の現場は250か所を超えます。今回の熊本地震でも、発災後いち早く被災地に駆け付け、これまでにない被害と被災の状況を目の当たりにしました。

◆熊本地震は想定外
災害というものはすべて想定外。今回の熊本地震のように震度7の地震が連続して起こるなどということは、建築基準法、政府あるいは自治体もほとんど誰も予想していなかったことで、そのあとに群発地震が続くことは想定されていない。ましてや、その大地震によって夜中に土砂災害が発生するというのは、その恐怖の受け方というのは想像以上に不安感が高い。夜家の中で寝ていると、危ないんじゃないかと。あるいは今回の地震の特徴として比較的新しい建物も倒壊している。それを見ると自分の家ももしかしたら次の地震で倒壊するんじゃないかと。そうすると、家の中で寝るということ自身が耐えられない。子供さんもそうだが、それがずっとトラウマになっている。今回初めて、これほど多くの方が車中泊をせざるを得なかったことが、地震の強さと異常さを示していると思う。


そして、熊本地震で被災した方には「まず自分の健康を気遣って」とアドバイスいただきました。

◆長期戦、身体と心の両方休めて
大きな地震の後はその続震が場合によっては1年程度、あるいはもう少し続く場合がある。浅い地震だから続震多いということもあるし、宇田川断層と日奈久断層という2つの断層が交わったところで起こった地震で、まだ不安定な状況が続いていることを認識したうえで、安全なところに避難したり、家族と一緒にゆっくり眠れる場所を確保することを最優先にして、まずはいまの健康を大事にすること。これから戦いに挑むときに自分の健康が阻害していたら戦えない。ぜひ身体に注意して、家が壊れているということは心も壊れているということだから、自分の心も癒しながら、自分で自分によく頑張ったねと声をかけてほしい。空いている温泉があったらそこにいって、最近は被災者の方に温泉どうぞ、と言っているところもあるようなので、そういう情報を得て、身体と一緒に心も休めることを考えて、この長期戦、普通の生活をいち早く取り戻していただきたいと思う。


山村さんは「災害はすべて違う顔をしている」「“想定外の事態が起こりうるのが災害”という認識をしっかり持つことが大事」
とも話していました。LOVE&HOPE」明日も山村武彦さんのお話です。

2016年6月2日

6月2日 熊本の畜産業 菊池農業2

熊本地震では県内の畜産業も大きな被害を受け、県の調査では乳牛、肉用牛を合わせ、畜舎85棟が損壊、115頭が死傷しています。その中の一つ、熊本名物の「あか牛」を飼育している菊地市の菊池農場を訪ね、代表の臺典子さんにお話しを伺いました。


◆もう胸がつぶれましたね。
これで全頭なんてことがあったら続け切らないと思ったかもしれませんね。二頭だったから・・・。でもこれ片付けるだけでも相当お金かかると思うともうがっくり。


臺さんの営む菊池農場は育成状態に合わせた3つの牛舎を運用していましたが、そのうちの一つ、母牛18頭、子牛3頭がいた繁殖用牛舎が4月16日の本震で崩壊、母牛2頭が犠牲となりました。

◆2頭とも大きくていい牛だった
16日はもう揺れた時にばしゃっと潰れたと思います。6強くらいでしたね。今回潰れた牛舎はひとりで産めるベテランお母さんのところ。けっこう古かったんです。学校の校舎を移築したところで、「ああやっぱり」というのはありました。「2頭挟まってる」って。子牛も一頭挟まってたんですけど、子牛は小さいので引き出せました。そこは親牛が13頭いたんですけど11頭はばっと運動場に逃げて運動場から道路にまで出てましたけど無事でした。下敷きになった牛の一頭は即死んでて、もう一頭は腰を打って立ち上がれない状態で、19日の日に屠畜場に持って行って。2頭とも大きくていい牛だったんですけど・・・残念です経済的にも。
11頭と子牛2頭含めて、5頭は泗水へ、6頭は肥育の牛舎へ詰め詰めして入れました。ちょうど4月20日が阿蘇の牧野に入れる入牧式だったんです。ですけどもちろん出来ない、道路も行ける状態じゃなかったので、1か月延びたんですけど、とにかく妊娠してる牛は山に上げようということで。補助も無ければ当分このままにしておこうかと思って考えてたんですけど、本当は人が住む家が優先なんですけど県も牛舎の被害が多いので、牛舎の方も出ると聞いています。粗末な牛舎でも構わないかなと思ってますけど、もう一回建てることになるかなと思ってます。


3つの牛舎のうち残った2つの牛舎に牛を振り分けて急場をしのぎ、子供をお腹に抱えた母牛は放牧へ。そして近いうちにもう一つの牛舎もなんとか再建したいということ。ただ県内には、復旧のめどが立たなかったり、廃業を考える畜産業者もいるそう。酪農はもちろん、畜産も熊本を代表する産業の一つですから、なんとか自治体の支援を活用して持ちこたえて欲しいです。

そんな熊本の「あか牛」、「九州産直クラブ」の宅配サービスを利用するか、熊本県内のレストランや旅館で味わうことが出来ます。また数は少ないですが、取り扱っているオーガニック食品のお店もあるようです。

2016年6月1日

6月1日 熊本の畜産業 菊池農業

熊本地震では県内の畜産業も大きな被害を受けました。県の調査では、乳牛、肉用牛を合わせ、畜舎85棟が損壊、115頭が死傷したということです。

その中の一つ、熊本名物の「あか牛」を飼育している菊地市の「菊池農場」を訪ねました。

お話しは菊池農場の代表、臺典子さん。菊池農場は育成状態に合わせた3つの牛舎を運用していましたが、そのうちの一つ、母牛18頭、子牛3頭がいた牛舎が4月16日の本震で崩壊、母牛2頭が犠牲となりました。熊本の名物「あか牛」とは、どんな牛なんでしょうか?

◆阿蘇の草を豊富に食べさせた赤牛
熊本に昔からいた牛で最初は田んぼを一緒に耕すのに使ってたり荷物を引くのに使ってたり、どの農家にも1〜2頭は赤牛が居ったよ〜ってみんな言いますね。それがトラクターが入ることによって肉牛になっていったと思います。赤牛はお肉としたらサシが入りにくい分、赤身が美味しい。牛の特徴としたら大人しくて体が丈夫。子牛も丈夫です。うちではお母さん牛はお腹に赤ちゃんが居る時に阿蘇の山に放牧に出して、放牧に出すと歩くし太陽にいっぱい当たるでしょ?で草をたくさん食べて、すごく健康になるんです。でたくさん運動すると人間もそうですけど安産になる。いろんな育て方があって即離す、ミルク栄養でというのも有りますが、うちでは3〜4ヶ月は母乳だけで育てます。母牛に付けて。エサは草をたくさん食べさせて穀物類を少なく。草はすべて熊本県産。食べたいだけ食べさせるというやり方です。もともと牛は草食動物なので穀物を食べるようにできていないと思うんです。穀物類をたくさん食べさせると早いうちに成人病じゃないですけどメタボになって、内臓とかにも負担になる。私のところでは内臓の廃棄とかは全くないです。そのかわりあまり太らないのが悩みの種です。牛肉というとどちらかというと贅沢な肉っていう感じですけど、私としてはそうじゃなくてカレー用でもなんでもいい、子供たちに自信をもって「食べて」と安心な安全なものを作りたいなと思ってやっています。
震災あっていろんなことがありましたけど、やっぱりとても豊かな農業県なんですよ。草を熊本で調達するのに苦労しない、牛にしても豚にしても育てられる環境があります。だからそれも田んぼとか山とか畑とか無いと手に入らないので、普通のところだと草もアメリカとかオーストラリアから輸入した飼料がいっぱいあるんですけど、草は豊富に手に入るのでいいなと思います。そしてああいう自然の中で母牛も育てていけるのでですね・・・


草原で放牧して、草をお腹いっぱい食べさせて・・・牛本来の育て方に近い方法で飼育しているのが、臺さんの「あか牛」なんですね。安心安全という言葉も印象的でした。

そんな臺さんの「菊池農場」を襲った熊本地震。明日は震災後の取り組みについて伺います。

パーソナリティ 鈴村健一

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