2016年8月31日

8月31日 なすびのエベレスト挑戦3

引き続き、今年5月に世界最高峰・エベレストの登頂に成功したタレント、なすびさんのインタビューをお届けします。

震災以降、故郷・福島県内でボランティア活動を続けてきたなすびさん。その活動の中で感じた、「風化」をなんとかしたいと考え、たくさんの人にメッセージを伝える手段として、「登山経験ゼロからエベレストを目指す」ことを決意したと言います。

ただ、その計画は簡単には行きませんでした。最初のエベレスト挑戦から足掛け4年。登頂に至るまでを振り返っていただきました。

◆成功へ繋がった「三度の断念」
1年目は何人かの支援者だけだったんですが、頭を下げて借金して、登山費用を出来るだけ削減するために僕も登山の隊の方たちにいろいろお願いして。ちょっとでも削減するために、他の人が飛行機で移動するところを僕は徒歩とクルマで全部移動、荷物もポーターを雇わず20キロ〜30キロを自分で背負って、ちょっとずつの努力を積み重ねて、なんとか1回めはそれでまかなえた。でも2回めはやはりそんなにお金があまりないので、クラウドファウンディングを立ち上げた。1000万円くらいかかると言われましたが、なんとかそのクラウドファウンディングで600万円くらい集められた。だから非常にプレッシャーを感じながら向かいました。1回めは体力の限界と天候の悪化で引き返して、2回めは現地で大きな雪崩事故が起きて残念ながら登山自体をネパール政府が中止と発表してしまいそれ以上続けられず。今度こそ、3度めの正直だと思った去年はネパールを大きな地震が起きてしまった。4月25日は僕らもベースキャンプにいましたが、そこに大きな雪崩事故が発生して、僕らも当然雪崩の被害でテントを潰され、人的被害は無かったんですがこれ以上は登山を続けられないということになり、現地に残って1ヶ月くらい支援活動をやっていたら、帰国後に「なすびよくやった、それはエベレスト登頂よりも尊いことだ」と言ってくださる方がいて、それが4回めの挑戦に繋がりました。


この挑戦、最初は、売名行為ではないか・・・といった批判もあったそうです。それでも、なすびさんのあきらめない姿勢は共感を呼び、たくさんの人たちが、4度目の挑戦を後押ししてくれたと言います。

そして今年の5月19日・午前11時すぎ。なすびさんは4度目の挑戦で、世界最高峰の頂上に立ったんです。



◆頂上で叫んだ「奇跡はおこせます!」
登頂日は青空で風が強かった。風で撤退する隊があったことも聴いた。そして登頂日が集中してしまう現象が起きていて、5月19日は渋滞が発生していた。ルートは基本的に1本しかないので、その1本の道に数百人が連なる状態ができてしまい、酸素残量がどこまでもつかという問題があった。渋滞を想定したボンベの本数は持ってきていないので、底の部分でいつ隊長さんから「撤退しよう」と言われるかという緊張感が漂いながら、頂上が少しずつ近づいてきて、これは頂上まで何が何でも行くしか無いという強い思いがあった。正直、登頂した時は、8848mというところですから酸素不足というか頭が混乱しているところもあって(笑)ただ僕は、福島への思いがあったので、自撮りの動画で、酸素マスクを外して思いを叫んだんですが、今思えばちょっと恥ずかしいですけど、福島、東北の皆さんの応援で登頂することが出来てありがとうございました。そして人間はやればできるんだ、奇跡だって起こせるんだと。東北・福島は絶対に復興できます、僕がエベレストに登れたんだから奇跡はおこせますと叫んだのは・・・うすらぼんやりですけど覚えていますね(笑)


こうして登頂に成功した なすびさん、エベレストでは体調もばっちりだったのに、帰国直前に食中毒になるトラブルで、軽い笑いも誘いながら6月に帰国。いまは、これまで同様 東北各地の復興イベントに参加したり、エベレスト登頂の報告会で、復興を応援するメッセージを伝えるなどの活動を続けています。

明日もなすびさんのインタビューお届けします。

2016年8月30日

8月30日 なすびのエベレスト挑戦2

引き続き、今年5月に世界最高峰・エベレストの登頂に成功したタレント、なすびさんのインタビューをお届けします。



テレビ番組「電波少年」で注目を集めたなすびさんは、その後、舞台役者へ転向。生まれ育った福島を拠点に地元ローカル番組でも活躍していました。

東日本大震災以降は、県内でのボランティア活動、各地の復興支援イベントへの協力などに力を注いでいたのですが、その活動の中で、震災が「風化」していくのを感じたといいます。エベレストを目指したきっかけも、この「風化」をなんとかしたいという想いでした。

◆命がけで、本気で福島を応援したいから
正直、舞台役者ってほとんどギャラもないような、なかなか食えない状態だったのですが、そんな時に5年間福島で週に1度のレギュラーをやらせて頂いた。それは生活の支えになりましたし(笑)福島では色んなところに僕のサインを飾ってくださっているので、そういう意味では大きな支えがあったことがこの応援活動の根っこになっているとは思います。僕も色んなイベントに参加して、福島の情報発信をしてきた。例えば東京都内の復興支援のイベントが震災当時はすごくたくさんあったので、情報を知ったら、僕は呼ばれて無くても勝手に駆けつけて声を出して物販の応援していたんですね。もし「帰れ!」と言われたら帰ろうと思っていたんですけど、「なすびくんよく来てくれたね」と福島の方たちも喜んでくれて。おかげさまで、足を止めてくださる人もいた。僕は福島出身で地元を応援しているということを伝えると、みんな顔つきが変わるというか。じゃあ、僕が行くことで100人に1人でも、1000人に1人でもいてくれたらそれは行った意味があるのかなと。そういうことでちょっとでも地元のためになっているのかなというところがあって。でもやっぱり時間とともにそういうイベントは減ってきてしまって、「まだやってるの」みたいな目で見られることも多々あって。でも福島に戻ればまだやっぱり復興は程遠い状況が続く中で、まだ風化させるのは早いなという危惧があって。そうなった時になにかお金やモノだけじゃない、みなさんの心に響く、たくさんの人達が目にできる旗印があればと。福島=ネガティブな情報というのが多かったりしたので、福島のポジティブなニュースを福島に届けたいし、日本中にポジティブなニュースとして福島を知ってほしいというのがあったので、情報発信として何かできないかと考えた。そして一番最初にツイッターで呟いたのが2011年の年末くらいだったと思います。エベレストは世界一高い山で、世界中の方々が知っている。色んな点が先になった。ただ僕は登山経験が一切なかったのでゼロからの出発だったんですが、苦手分野・未知なる領域に挑戦することが、福島の皆さんが原発事故から復興するという未知なる領域への挑戦とイコールになるかは判断が難しいが、でも僕は命がけで本気で福島を応援したいんですと、エベレスト登頂を目指した。支援者ゼロ、資金ゼロからのスタートでほそぼそと始めた感じではありました。


こうしてなすびさんは、2013年5月に エベレストに挑戦。しかし、8700m付近のところで、体力の問題と天候悪化で登頂を断念。あとわずか100mが届かなかったそうです。その後も、2014年、2015年と登頂を目指したのですが、これも様々な問題で中止となり、今年5月の登頂にいたるまでは、3度の断念を経験しています。あしたは、この3度の断念を経て、成功に至るまでのお話です。

2016年8月29日

8月29日 なすびのエベレスト挑戦1

今朝は、今年5月に世界最高峰・エベレストの登頂に成功したタレント、なすびさんのインタビューをお届けします。



電波少年の「懸賞生活」で知られるなすびさんは、実は福島県出身。震災直後から、県内でのボランティア活動に立ち上がり、その後は各地の復興支援イベントへの協力など、様々な形で福島の復興に力を注いでいます。

今年5月のエベレスト登頂も、復興支援を続ける中で計画が持ち上がったものなのですが、まずは、なすびさんの支援活動のきっかけを伺いました。

◆福島に恩返しを
僕は生まれも育ちも福島県。実家は福島市内で福島で活動するときは家族も住んでいるそこを拠点にしている。元々は母方が会津、父方がいわき。福島は浜通り、中通り、会津と3つの地方に分かれているのだが、そういう意味では僕は浜通り、中通り、会津すべてにゆかりがあり、ハイブリッドされていると自分では思っている。福島のどこに言っても自分の故郷だといえる。みなさんが僕を認識したのはススメ電波少年の懸賞生活だったと思うが、実はその懸賞生活が終わったあとは福島県内でローカル番組のレギュラーを5年間やらせていただいた。旅番組だったんですが福島県内津々浦々、合併があって59市町村になっているがあらゆる市町村におじゃました。震災前だが「なすびくんは福島出身だから、これからもしっかり福島を盛り上げてね」と言われていて、本当に福島の人に良くしてもらった思いがあった。いつか福島に恩返ししなきゃなと薄らぼんやり考えていた時に東日本大震災が起きた。有名人・著名人の方がトラック何十代分もの支援物資を送ったり、募金・義援金をそれこそ億単位で東北に送ったというニュースを聴いた時に、僕は情けないことに大きなことは何一つ出来なかった。なんて自分は無力なんだと自分を呪ったこともあった。一番最初に被災地に入ったのは2011年4月末。いわきで津波の被害を見た。僕が知っている故郷とは全く違う風景が広がっていた。実際僕がローカル番組をやっていた時にお世話になった食堂がいわきの浜辺にあったのだが、やはりすべて流されてしまっていた。ただ食堂をやっていたお母さんたちは無事に避難したということなので会いに行った。「なすびくん来てくれたんだありがとう!」と涙ながらに抱きついて喜んでくれたのだが、「でもごめんね」と。僕が撮影でおじゃました時の一緒に撮影した写真が「全部流されちゃった」とおっしゃって。でもみなさん命からがらで大変な思いで避難先にいる時に、僕との想い出を大事にして思い出してくださっているんだなと想った時に、僕は打ちひしがれている場合じゃないなと。とにかく地味でも地道に、何か福島のためになることをしようと。福島の場合は原発事故の影響も色濃いので、とにかくみなさんに福島というものを前向きに捉えてもらえるような何か情報発信ができたらいいなと、やめないであきらめないで続けようと思った。過ぎ去ってしまうんじゃないかという恐怖感もあったので、これは絶対に続けていくしかないなと、続けなきゃいけないなと思ってやり始めましたね。


実はLOVE&HOPEも、各地で行われる復興支援イベントの会場を取材中、たびたび、イベントを手伝うなすびさんの姿を目にしています。
どの場所でも、声をかけてくる人たちと笑顔で言葉をかわし、真剣に取り組む姿はとても印象的でした。なすびさんは今も福島を拠点に、寄り添い続けています。

明日もも なすびさんのインタビューお届けします。

2016年8月28日

熊本・阿蘇観光1泊2日の旅のススメ!

先週は、復興への歩みを進める熊本県の観光スポットにフォーカス。
「復興グルメ−熊本編−」と合わせて高橋万里恵さんのレポートをお届けしました。リスナーの方から「行程も含めて紹介してほしい!」とのリクエストをうけて、熊本1泊2日の旅、ダイジェストで振り返ります!

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<1日目>
熊本空港よりレンタカーで、被害の大きかった益城町へ〜

9:30 避難所生活が続く、熊本市の総合体育館


11:00 西原村「山田さんちの牧場」




[グリーンロード経由、阿蘇郡高森町へ 約60分]

14:20 高森駅発―中松駅着(14:41) トロッコ列車乗車


15:00 南阿蘇鉄道「阿蘇白川駅」
駅舎カフェ「75th st.(セブンティ・フィフス・ストリート)」





前回の取材の様子

16:00 白川水源


17:00 南阿蘇鉄道 長陽駅 駅舎カフェ「久永屋」








<2日目>

[高森町〜阿蘇パノラマライン経由 約60分]

10:00 「阿蘇ファームランド」


12:00  内牧温泉「いまきん食堂」へ行くも“3時間待ち”に断念…



13:30 「阿蘇神社」



[ミルクロード経由 約60分]

16:00 熊本空港へ

高橋万里恵譲を空港へ送りつつ、スタッフはもう1泊。
翌日「草千里」の取材へと続きます。
その模様はまた来週お届けします!お楽しみに。

2016年8月26日

8月26日 熊本へ行こう!阿蘇神社

8月26日(金)の熊本復興グルメプレゼントに
たくさんのご応募ありがとうございました!
山村酒造の「れいざん」純米吟醸の当選者は、
★こうちゃんさん
★チョカさん
★べろんちょさん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
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今週は、復興への歩みを進める熊本県の観光スポットにフォーカス。「復興グルメのプレゼント」のお知らせもあります!

今朝ご紹介するのは、阿蘇山を御神体とする肥後の一の宮、阿蘇神社です。4月16日の本震で、“日本三大楼門”の一つでもある高さ18メートルの楼門や、拝殿などが倒壊、屋根が地面に落ちた無残な姿のままになっていました。再建には、10年の月日と約20億円の費用がかかる見込みと言われていますが、この日もたくさんの参拝客が手を合わせ阿蘇地域の守り神として再建を望む地域の皆さんの強い思いを感じました。

阿蘇神社の権禰宜、池浦秀隆さんに、お話しを伺いました。

◆神社の存在意義、防災に対する手本となるような・・
(今日初めて阿蘇神社に参拝して拝殿と楼門が倒壊していて地面にくっついているような状態だったんですが、皆さんやはりショックだったのでは?)私どもも毎日この境内にお努めしている中で、日常的な境内の景観というのが一気に無くなってしまったので、喪失感というかひじょうに大きなショックでした。4カ月間経ってしまいましたけども、うちの神社は社殿の半分くらいは国の重要文化財に指定されてる建物でしたので、おかげさまで災害復旧の事業として取り掛かって頂きましていま復旧工事の準備を進めているところです。で今回、地域の方でありますとか、あとご支援のお申し出がけっこう全国的にいらっしゃったことを確認できたような感じがするんです。あらためて阿蘇神社という神社が、地域の神社というものだけではなくて、広域的に崇敬を集める神社だったんだということを震災を通じてあらためて再確認できたということもあります。
神社の役割というのはいろんな役割があると思うんですが、阿蘇神社のお祀りを見ますと、農耕の神であるというとらえ方を基礎に農業に恵みをもたらすとか水の恵みをもたらすということを含めた、そういう性格を持った神というとらえ方をされてると思います。それは阿蘇の神の優しい側面。でも阿蘇神社は阿蘇山の火口を御神体にしてる神社ですので、「火山神」という性格を持ってる神でもあるわけです。火山神という性格というのは、たとえば火山活動で異変が起こって噴火をして周辺に灰を降らせて農作物に被害を与えるというような現象も数十年に一度とか起こる訳ですけど、そういうことが無い限りは阿蘇の神というのは火山神として認識されないと思うんです。そういうふうに良い面と悪い面というものを真意としてとらえたところに神社の存在意義みたいなのがあって、今回の地震は災いではありますけど、時間が経ってくると忘れていくと思うんです。なので神社の存在意義の中に、防災に対する手本となるような、標となるようなものを意識することが出来ないかと。たとえば神社のお祀りの中で思い出させるとかですね、そういう所も今考えているところですね。


周辺に倒れている建物はほかになく、阿蘇神社の被害だけが甚大なために、地元では「神社が犠牲になって自分たちをお守りくださった」という声もありました。お話にあった、楼門など国の重要文化財になってる建物は国の事業として再建できますが、拝殿など重要文化財になっていない建物については、自力で再建するしかない。参拝客が納める奉賛金や、ネットでの募金も再建への大きな力になります。阿蘇を訪れた時は、ぜひ足を運んでみてください。

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「復興グルメプレゼント―熊本編」!

今日は阿蘇神社にも納められている地酒、創業1762年、山村酒造の「れいざん」純米吟醸、こちらを3名の方にプレゼントします。

※応募の受付は9時をもって締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

2016年8月25日

8月25日 熊本へ行こう!南阿蘇村「阿蘇ファームランド」

8月25日(木)の熊本復興グルメプレゼントに
たくさんのご応募ありがとうございました!
「マース」の絶品チーズ3種の当選者は、
★みおっこ さん
★蜂蜜団子 さん
★バーガー さん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
明日も熊本復興グルメプレゼント、やります。お楽しみに!


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今週は、復興への歩みを進める熊本県の観光スポットにフォーカス。「復興グルメのプレゼント」のお知らせもあります!

今朝ご紹介するのは、阿蘇の麓、南阿蘇村にあるテーマパーク「阿蘇ファームランド」。東京ドーム21個分の広大な敷地に、丸いドーム型のホテルや「健康」をテーマにした施設、動物とのふれあいコーナーなどがある阿蘇観光の中心施設の一つです。地震のあと長く休館となっていましたが、一部の施設で8月1日から営業を再開しました。
「阿蘇ファームランド」支配人の、森山千鶴さんにお話しを伺いました。

◆ドーム型の宿泊施設を避難所として提供
4月14日の前震と呼ばれる地震では、幸いあまり影響を受ける事が無く翌日は被災された方に向けて無料開放しようということで営業を進めていたが、16日の深夜の本震でかなりの被害を受けました。道路がひび割れて隆起したり、インフラ、水道管が損傷したりということで、お客様をなかなか安全に受け入れる事が出来ないと判断し、休業という形にしていましたが、まず最初に地域の方で被災された方が多くて、せめてお風呂だけでもという事で、家の中の温泉施設を最初に復旧作業を進め4月30日に避難者の方に向けて温泉の無料開放をする事が出来ました。全国から自衛隊の方や関係機関の方がすぐに普及作業を進めて頂いたお陰で、5月20日まで無料開放することが出来ました。そのあと、第一時避難所に避難されていた被災者の方が仮設住宅に移られる間、約2カ月の7月末まで、第二次避難所として私共の宿泊施設に、約700名受け入れる事が出来ました。今、まだ仮説住宅がまだ一部出来ていない所もあるので、仮設住宅が出来るまでということで8月に入ってからも受け入れているのが現状。
(それこそ、今回の地震で車中泊をされている方、体育館でもプライバシーの問題とかがある中で、ドームホテルに避難が出来た方は、凄く嬉しいという声があったのでは?)
そうですね、そこは本当に皆様からお声をいただき、今回泊まる場所ももちろんだが、食事の提供、温泉施設の提供をさせていただいたので、非常に喜んで頂きました。園内広いので、高齢の方は歩いて移動いただかないといけないという不便もありましたが、逆にそれが前向きに捉えていただき、体を動かせるということで体調が良くなった、体を動かす事で動きづらかった足も動くようになったという声も頂いて非常に喜ばしいと感じました。
(そんな中で、阿蘇ファームランドが本格的に営業を再開したのは、いつ?)
8月1日から一般の観光客の受け入れもするようになりました。時期的に夏ということで毎日のように電話で1日も早く再会して欲しいという声を頂き、何とか8月1日までにオープンするぞという思いでオープンする事になりました。一部だけでも私達が営業を開始することで、阿蘇全体に観光客が増えれば良いなということで思い切って再開できました。
(そんな中、再開してまだ1ヶ月経たないと思うが、現状の課題とは?)
今、普及作業している施設の1日も早いオープンということで、目標としては、年内には全館オープンを目指して作業を進めているところ。あとは途中通行止めの箇所などあるので、阿蘇に来られるアクセス面に不安に思っている方が多いと思うが、そういうところを出来るだけ来ていて頂きやすくなるルートを案内し、お客様の不安を解消出来るように、つとめていきたいなという風に思っています。


阿蘇ファームランド 公式サイト

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そして今週は、「復興グルメプレゼント―熊本編」もあります!
今日は、酪農王国・阿蘇の恵みをご用意しました!

こだわりの製品づくりで、酪農、畜産、農産商品を提供している、地域複合アグリビジネスブランド、【「マース」の絶品チーズ3種とヨーグルトのセット】です!

阿蘇産の生乳を使ったこだわりのチーズ3種、「オレンジラクト」、「プテックマン」、「益城」の特別セット。どれも品の良い口当たりの中に芳醇な香りと味わいがあるチーズです。震災から4ヶ月熟成させた「益城」は、より味わい豊かなセミハードタイプ。ワインに合います。これに「マース」でも大人気の逸品、「石坂ファーム100%ヨーグルト」を2つ付けてプレゼントします!
※応募の受付は締め切りました。

「LOVE & HOPE」、「今こそ足を運んで頂きたい熊本のオススメ観光スポット」、あすは楼門と拝殿が倒壊した、阿蘇神社を訪ねます。そして「復興グルメプレゼント」は、阿蘇の銘酒、「れいざん」の純米吟醸です。お楽しみに!

2016年8月24日

8月24日 熊本へ行こう!南阿蘇鉄道・長陽駅の駅舎カフェ「久永屋」

8月24日(水)の熊本復興グルメプレゼントに
たくさんのご応募ありがとうございました!
『久永屋』の『期間限定ブルーベリー・シフォンケーキ』の当選者は、
★あいぞう さん
★ごまゆかちゃん
★魔法のヒカル さん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
明日も熊本復興グルメプレゼント、やります。お楽しみに!


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今週は、復興への歩みを進める熊本県の観光スポットにフォーカス。「復興グルメのプレゼント」のお知らせもあります!

きのうは、熊本地震からおよそ3ヶ月半ぶりに一部の区間で運転を再開した「南阿蘇鉄道」、トロッコ列車に乗って観光した様子をお伝えしました。一方で、まだ運転が再開できていない区間もあるんです。今回私は、その中の1つ「長陽駅」の駅舎カフェ、「久永屋」にお邪魔しました。

こちらの駅舎カフェを営む久永操さんは、もともと佐賀県生まれ。15年ほど前、24歳の時に阿蘇に移住したといいます。どんな縁があって、久永屋カフェを開業することになったのでしょうか。

●風が見える風景に一目ぼれ
最初はこの駅も無人駅で人がいるかいないかわからないような、田舎の無人駅でした。きっかけは、中松駅にお蕎麦屋さんやっている方がいて、その方が僕の小学校同級生のお父さんだった。その中原さんが駅を借りて店をやってみたらどうだ?って進めてくれて。昔からずっとケーキ作りが好きだったので、ケーキを焼きたいなってここに来ました。
まりえ)今ここは、長陽駅という駅なんですけど、ホームに座って目の前に線路があってその前に田園風景があってその向こうに山があって。なかなかこういう場所ないと思うんですけど、駅そのものがカフェみたいですよね?
このホームから向こうが南阿蘇鉄道の管理なんですけど、ホームから手前は村から委託して僕が管理している自由に使える場所なんで、カフェスペース兼駅のホームという感じですね。いろんな駅を見たんですけどこの駅だけが、昭和2年に建てられた昔ながらの木造の駅舎で、ちょうどこの時期で稲が風に揺れて、猊が見える風景”にすごい魅了されて、あ〜こんなところでもしかしたらカフェができるかもしれない、とすぐ思ったんですよね。ここで仕事もできてコーヒーが飲めたらいいな、って。昭和2年に建てたんで今年で米寿で88歳なんですよね。地震でももちこたえてくれたから、崩壊したんじゃないかと一番してたんですけど、これが残ってくれた時は本当に涙がでそうでした。


この駅舎でカフェをはじめて10年。軌道に乗ったところで、あの地震が起きてしまいました。南阿蘇鉄道は全線不通となり、運行再開が見通せない中、久永屋カフェは震災から1ヶ月後に、お店を再出発させます。

◆とにかく店を開けることに意味がある
自宅も半壊して住めなくなっちゃったので、ご近所さんの家を借りるようになってそこに住めるようになって、片付けを始めようとしていたら、村の人たちがものすごく様子を見にきてくれてたんですよね。子どもたちも「心配してますよ」と手紙をくれたり。なので駅で店をやってないことがみなさんにすごく心配かけているので、とにかく店を開けることに意味があるってことで、店を再開させたのがゴールデンウイークの次の週でした。
まりえ)こうしてインタビューしている間にも前を通る地域の方がみなさん挨拶されて、ほんと地元密着というか愛されているのを感じますね。
改めて駅がみなさんにとって愛着があるものだとわかったのと、この店が開いているってことでみなさんほっとするというか、「やっと店開いたね」って声かけてくださって、ほんの些細なことなんですけどそういう毎日の会話がちょっとずつ戻っていくことが皆さんの安心につながるっていうのを、今回の震災後ものすごく感じました。なので今回こういうことで不便なこともたくさんあったんですけど、もう一回改めて村の良さを見つめ直して、恩返しってわけじゃないですけど他のお店や村全体のことをPRしていったり、そういうことのお手伝いができるようにならなければいけない時期だなと今回の地震の後すごく感じて、地震のあった前よりもいい村にできればいいな、ってすごく思っています。
まりえ)私人生ではじめて駅のホームでキャッチボールしましたし、人生ではじめて駅のホームで水鉄砲で遊んだりして、こんな経験ほかでは絶対にできないですし、ここの景色見ながらあんな美味しいシフォンケーキ食べられないですから、自信をもっておススメしたいですよね。
楽しさが人それぞれできることではとってもいい場所だなと思ってる。またそれを続けていきたいなと思っています。



南阿蘇鉄道、長陽駅はまだ運転再開できていませんが、車で来るお客さんでにぎわっていました。
景色、シフォンケーキ、そして操さんのキャラを楽しみに、ぜひ出かけていってみてはいかがでしょうか。!

★★★
「復興グルメプレゼント―熊本編」!
今朝は、南阿蘇の大地と太陽の恵みで育ったブルーベリーのシフォンケーキ
「久永屋 季節限定ブルーベリーのシフォンケーキ」を3名の方にプレゼントします!

(フワフワで美味しかった〜! 無添加なので、賞味期限は作ってから3日間!
甘酸っぱい香りと風味、ツブツブの食感をお楽しみ下さい!)

ご希望の方は、『LOVE & HOPE』のブログ、メッセージフォームから、
「久永屋のブルーベリーシフォンケーキ希望」と書いてご応募ください。
※応募の受付は締め切りました。

*また久永屋のシフォンケーキは、ネットから取り寄せることもできます

「LOVE & HOPE」、明日は一部営業を再開した「阿蘇ファームランド」を訪れます!

2016年8月23日

8月23日 熊本へ行こう!南阿蘇鉄道トロッコ列車

8月23日(火)の復興グルメプレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました!
『あか牛のローストビーフ』の当選者は、
★月のしずく さん
★ろーる さん
以上、2名さまです。おめでとうございます!
明日も熊本復興グルメプレゼント、やります。お楽しみに!


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今週は、復興への歩みを進める熊本県の観光スポットにフォーカス。高橋万里恵さんが取材してきた現地の声をお届けします。「復興グルメプレゼント」のお知らせもあります!

今朝お送りするのは、一部の区間が再開した「南阿蘇鉄道」です。
熊本地震のあと、全線で不通になっていた南阿蘇鉄道は、阿蘇山の裾野、高森から立野までの17.1キロを結ぶ路線で、生活の足としてはもちろん、雄大な阿蘇の山なみと緑鮮やかな田園風景が車窓に流れる、“観光列車”としても、多くのファンに愛されている鉄道です。

4月の地震で鉄橋やトンネルの損傷などの被害を受け、全線が不通となっていましたが、なんとか夏の行楽シーズンに間に合って、一部の区間が再開しました!1日4便。うち3便は、窓のない開放的な、「トロッコ列車」です。
南阿蘇鉄道・総務課の中川竜一さんにお話しを伺いました。
◆大きな遊園地のようなトロッコ列車
『(今私達、高森駅のちょうどトロッコ列車の前に立っていますが、すごいお子さんたちがたくさん乗ってますね)ほんとおめでとう!って声をたくさんの人から頂きまして、またこうやってですね、列車が動き出して、たくさんの子供さんとか、おじいちゃんおばあちゃん、家族連れで遊びに来てくれる、ほんと良かったと思ってます。
(いつ運行再開したんでしたっけ?)7月の31日に108日ぶりに運転再開になりました。
(まだ一部の区間ということなんですけど?)ここ高森駅から中松駅までの約7.1キロ。だいたいトロッコ列車で20分くらいなんですけど、まだまだですね元の姿には戻ってませんけど、こうやって楽しい声が聞こえてくるとほんとに嬉しいですね。(私はじめてトロッコ列車に乗るんですけど中川さんイチオシのココを楽しんで欲しいという所は?)まず車掌のアナウンスを楽しんで欲しいということと、個々のロケーションと言いますか、阿蘇の五岳の中、カルデラの中を走る鉄道というのが一つと、観光列車としてトロッコ列車、これが走ってるということで、大きな遊園地と考えて貰えればいいと思うんですけど、阿蘇の人たちの生活を見ながら走れるところですかね。』


7月31日に、高森駅と中松駅の間、17.7キロ中7.1キロの区間が108日ぶりに運行再開。再開の日には高森駅前で「復活祭」も行われたそう。“阿蘇の人たちの生活を見ながら・・・”とお話しされていましたが、この南阿蘇鉄道、駅に改札は無くて、駅がそのままカフェになっていたり、古本屋さんだったり、地元の方とふれ合いながら“駅めぐり”も楽しめる路線。沿線には阿蘇の湧水があふれ出る水源がいくつもあって、透き通るきれいな水を飲んだり、足をつけたりも出来ます。これもオススメ💛ぜひ高森町、南阿蘇村を訪れたら、南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗ってみてください!

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そして今週は、「復興グルメプレゼント―熊本編」のお知らせもあります!
今日は、阿蘇の草原で放牧して育てた健康的な、肉本来の旨みが楽しめる熊本を代表する名産品「あか牛」です!

今日は肉工房「三協」の「あか牛100%で作り上げたローストビーフ」を2名の方にプレゼントします。

※応募の受付は締め切りました。当選者はこちらのブログにて発表します。

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「LOVE & HOPE」、「今こそ足を運んで頂きたい熊本のオススメ観光スポット」、あすは今日お話しに出てきました、南阿蘇鉄道の駅カフェの一つ、シフォンケーキが美味しい長陽駅の「久永屋」を訪ねます。

2016年8月22日

8月22日 熊本へ行こう!山田さんちの牧場

8月22日(月)の復興グルメプレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました!
『「山田さんちの牧場」の「美味しすぎる乳製品詰め合わせ」』の当選者は、
★ハッピーゆっきー さん
★ファイターママ さん
★わかめ さん
以上、3名さまです。おめでとうございます!


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今週は、復興への歩みを進める熊本県の観光スポットにフォーカス。高橋万里恵さんが取材してきた現地の声をお届けします。「復興グルメプレゼント」のお知らせもあります!

まず今朝ご紹介するのは、西原村で、酪農と観光牧場を手掛ける「山田さんちの牧場」です。酪農王国・熊本の中でも“牛乳の美味しい牧場” として知られ、牛乳や乳製品の生産のほか、レストランや、自家製ソフトクリームなどを提供するショップ「ミルクの里」を運営。県内外から多くのファンが訪れるという、西原村を代表する牧場です。代表の山田正晴さんにお話しを伺いました。

◆フリーストール牛舎でのびにび牛飼い
牧場はですね、牛がのびのびとしているフリーストール牛舎といって、むかしは牛つないでましたけど、つながないで、エサを食べる牛はエサを食べる、ベッドに上がって寝たい牛はベッドに上がる、というようなのびのびとした環境の中で牛飼いをやっております。こっちは自給飼料、買いエサじゃなく自分方でトウモロコシを植え付けて、それを刈取りして牛に食べさせて、その牛の糞をまた畑に耕して、またそれから美味しいトウモロコシを・・・、循環型農業ですかね。そういうことをモットーにやっとります。
(そんな山田牧場が4月の地震でどうなったのですか?)
倒壊は4棟のうち3棟。その3棟の中には子牛がいっぱいいましたけど、その子牛は不思議なもんでつないでないけん、バリバリいって壁が開いた時にぜんぶ脱出して、小さい子牛は大丈夫でしたけど、柱の下敷きになったりとか、最終的には6頭がダメになりました。


4棟中3棟の牛舎が潰れ、6頭の牛が犠牲に。壊れた牛舎のうちの一棟は、いまも手つかずでそのまま残っています。また山田さんは地域の酪農業協同組合の代表も務めていて、自身の牧場も被害を受けるなか、西原村の酪農をどう復旧させていくのか?という難しい舵取りも担うことに。「10年は頑張ってみよう」と声を掛け合いながら、復旧に尽力されたそうです。

そして再開へ向けた動きを一歩ずつつづけ、生産を再開。今月15日には、自家製商品を販売するショップ、「ミルクの里」を再開させました。

◆ソフトクリームは絶対の自信を持っています。
私達は朝晩、牛のおっぱい触らにゃいかんじゃんかですか。おっぱいをきれいに拭いてやって牛乳を搾らなきゃいけんけんもう、それがいちばん大変で、2日近く搾乳とらんけん乳はもうぱんぱん張って、血が出てきよった乳から。もう張りすぎて。そんな状況の中、いろん人から「まだですか」「いつですか」って言われて、「いや道路が通れませんけ」って言って、「どうにかして行かれる裏道でも教えてください」って言って、それだけ8月15日にオープンしたんです。
(4カ月かけてここをオープンさせる道のりって大変って言いながらすごく笑顔なんですけど、やっぱり嬉しかったですか?)最初ぱくりと食べた時に、笑顔が出る、美味しい!って。まあそういうこと言われると自分たちは、ああやっぱりやってよかったなって、頑張っとってよかったなあとか、そういう気持ちが湧いてく訳ですよ。ソフトクリームには絶対の自信を持ってます。牧場で朝絞った牛乳でいちばんにつくるじゃなかですか。もう絶対負けんと思ってます。牛乳も朝絞りで瓶に詰めるとです。新鮮そのものです。(それこそここに来なきゃ食べられない?)だけん災害の状況も見ながら現場までなにしろ行ってみたいというのが、お客さんの気持ちじゃないかなって。どがんしとるとやろなってその後、たとえば石垣が崩れてるとか、大変だったそうやなとか、このまま閉めとったらなんでだろかなんでだろかって、いつまでも言われるけ、回り道しても行きたいっていうお客さんが、いっぱいおるなって思うとですよね。


今朝は「今こそ足を運んで頂きたい熊本のオススメ観光スポット」、熊本県西原村で酪農と観光牧場を手掛ける「山田さんちの牧場」をご紹介しました。

雄大な阿蘇の景色を望む自然豊かな牧場。搾りたての牛乳や濃厚なソフトクリームを味わいに「山田さんちの牧場」、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか!

「山田さんちの牧場」のオフィシャルページ

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そして今週は、「復興グルメプレゼント―熊本編」もあります!
今日はもちろん、「山田さんちの牧場」の〔美味しすぎる乳製品詰め合わせ〕をプレゼント!


看板商品の「牛乳」900mlを2本、「ヨーグルト」を3個、「バター」を1個に、まろやかな味わいの「牛乳そうめん」2パックを1セットにして、3名の方にプレゼントします。

※応募の受付は締め切りました。

あすは一部区間で運行が再開した、南阿蘇鉄道のレポートです。
そして「復興グルメプレゼントは、「あか牛のローストビーフ」です!お楽しみに!

2016年8月19日

8月19日 小山薫堂さんが語る、ふるさと熊本(3)

「放送作家、小山薫堂さんが語るふるさと熊本」の3日目です。
放送作家、脚本家として活躍する薫堂さんですが、食通としても知られています。パン好きが高じて、事務所でパン屋を開いてしまったり。京都の老舗料亭「下鴨茶寮(しもがもさりょう)」の経営に携わったり。とにかく、おいしいものに目がないんです。

そんな薫堂ですから、やはりこの話を聞かないわけにはいきません。薫堂さん、いちおしの「熊本グルメ」とは?

◆孫に飲ませたい米焼酎!
熊本ラーメンですね。かなりにんにくが利いたとんこつラーメンが多くて、「天外天」は熊本の中心街にある鶴屋というデパートのちょっと裏にある。ここはおいしいんだけど、かなり臭い。「旅の恥はかき捨て」じゃないが、旅で熊本を訪れた人にはぜひ行ってほしい。ただ翌日は本当に臭いのでそれだけ覚悟して行ってもらいたい。日本一おいしいラーメンといっても過言ではない。
あと熊本で皆さんにぜひおすすめしたいのは米焼酎。いままでは芋や麦が人気だったが、熊本県民にとって焼酎といえば米焼酎。人吉市を中心とした球磨川という川があって、日本三大急流の一つだが、その近くに焼酎蔵がたくさんあって、球磨川のうまい水を使って焼酎を仕込むというのが特徴。僕はもっとそのおいしさを伝えたくて、米焼酎を一つプロデュースした。究極の米焼酎。原料の米にこだわった。「森のくまさん」という熊本県産の日本一になった米を原料にした。高橋酒造の杜氏さんに「杜氏人生をかけた焼酎を作っていいといわれたら、どんな焼酎を作りたいですか?」と聞いたら、日本一の米である「森のくまさん」を使って焼酎を作ってみたいと。「森のくまさん」を使うと通常の原材料費が3倍ぐらいになるので、普通はやらせてもらえないんだけど、好きにやっていいよといったら「孫に飲ませたい焼酎を作りたいんだ」ということで、作り始めた。米焼酎だから、米、和食、寿司にあう焼酎にしようということで、四ッ谷にある「すし匠」の中沢さんというお寿司屋さんの協力を得て。寿司をつまみながら飲むのといい米焼酎を作った。名前は「百」。なぜ「百」かというと、ベースにしたのが「白」という米焼酎なので、「白の一番」で「百」。本数限定で販売していて取り寄せもできる。アルコール分23度。ロックで飲んでいただくと、食中酒としても楽しめるのでお試しいただければ。


薫堂さんがプロデュースした究極の米焼酎「百」は「白岳」や「しろ」で知られる高橋酒造さんが手掛けています。
3000本限定。500mlで6246円。電話、FAX、メールで販売を受け付けています。 
高橋酒造「百」のサイト

「おいしい食べ物」や「雄大な自然」はもちろんですが、「熊本の最大の魅力は、なんといっても人」と薫堂さんは言います。

◆地元の人を楽しんでほしい
これからもし熊本に行かれる際は、風景も素晴らしいが、ぜひ人を楽しんでほしいと思う。とにかくお人よし、おせっかい。あれ、この人と知り合いだったかな?というくらいのフレンドリーさで話しかけてくるので。「人に頼る旅」ガイドブックよりも地元の人たちにいいところを聴く、というのが熊本を旅する一番の魅力だと思うので。ぜひ知らない人に話しかけるような旅をしてもらいたい。

2016年8月18日

8月18日 小山薫堂さんが語る、ふるさと熊本(2)

「放送作家、小山薫堂さんが語るふるさと熊本」の2日目です。
今日は薫堂さんの出身地、熊本県天草地方のお話です。大小100を超える島々が連なる天草諸島は、周囲を海に囲まれた風光明美な観光地です。

◆天草の観光客数、7割減
僕の故郷は熊本県の天草市だが、天草市は幸いなことにほぼ地震の被害はなく通常通りの生活をしている。だが、熊本県というだけで夏のリゾート客は去年に比べ7割減と聞いていて、みなさんすごく困っていました。本来なら天草は海のリゾートなので観光客の皆さんですごくにぎわうし、今年は天草五橋という、九州本土と天草の島をつなぐ5つの橋があるが、それが開業50周年なので、それをいろいろなフックにして宣伝をしようとしていたが、宣伝のレベルに達しないくらいいろいろ困っています。
天草は本当にのどかで食べ物がとにかくおいしい。海のものもおいしいし、黒毛和牛、天草大王という鶏、そしてお寿司が安い。僕がよくいくお寿司屋さんは漁師さんがお寿司を握っている。自分で獲った魚を自分で握る。夜のおまかせで食べて1600円とか1700円とか。笑ってしまうくらい安すぎる、安すぎて心配するくらい。あとは畜産業の方がやっているその名も『田中畜産』という焼肉屋さんがあって、一人4000円で食べ放題だが、そのお肉のレベルが特上カルビとかシャトーブリアンとか、都会で食べると1万円するようなお肉が食べ放題で4000円。だいたい連れて行った人はみんなそこのお肉を食べるためだけに天草にきてもいいというぐらいおすすめ。
あともう一つのおすすめはイルカウォッチング。野生のイルカが200〜300頭いる。地元の漁師さんは海にいるかがいるのは当たり前で、そんなの誰も観に来ないだろうと宣伝もなにもしてこなかった。ところがなにかの情報番組でイルカウォッチングというのを知って、「こんなもんば、みにこらすとやろか〜」と言いながら、やや不安を抱えながら、皆さん漁船をつかって空いている時間に観光客の皆さんを迎えてイルカウォッチングをするように。天草では両氏とイルカが良好な関係を築いていて、いらなくなった魚をイルカたちにあげたりしていたので、漁船が走るとその横をイルカたちがぴょんぴょん飛んでくる。イルカがショーをやっているんじゃないかと思うくらい、イルカがはねる。98%くらいの確率で観ることができます一つ欠点は船に乘ったら10〜20分以内に観られる。ツアーは1時間。最初はパシパシ写真を撮ったりするが、だんだんイルカが並走するのが当たり前になって、最後はちょっと飽きて帰ってくるという。それくらいとにかくイルカが間近に見られる。


今日は薫堂さんの出身地、熊本県天草地方のお話、天草自慢がたくさん飛び出しました。
お話に出てきた、漁師がお寿司を握る店、名前は「海月(くらげ)」です。天草の崎津(さきつ)という地区にあるそうです。
さらに追加情報。天草市東町の「奴寿司(やっこずし)」は有名人も多く訪れる創作寿司のお店。松任谷由実さんも九州でコンサートがあるときは、3時間かけてわざわざ訪れたりするほど。ひとりお任せで3800円!

明日も小山薫堂さんのお話お伝えします。

2016年8月18日

8月17日 小山薫堂さんが語る、ふるさと熊本(1)

今日から三日間は 「小山薫堂さんが語る、ふるさと熊本」です。
放送作家、脚本家、そしてラジオパーソナリティとしても活躍する小山薫堂さん。人気キャラクター「くまモン」の生みの親として有名ですね。熊本出身の文化人として知られています。そんな薫堂さんの故郷を襲ったのが、4月の熊本地震です。

◆故郷を襲った地震の爪痕
本震と呼ばれる2回目の地震が起こったあとに、これは大変なことになったなと。いっぱい親戚や友人がいるので連絡を取ろうとしたがなかなかとれず。大変な事態になってきたな、まさか自分の故郷が被災地と呼ばれるようになるとは夢にも思わなかった。その瞬間思ったのは、この日本という国で暮らすからには、日ごろから防災に対する意識をもっと高めないといけないんだなと身をもって知りました。
震災のとき僕は足を怪我していて帰れる状態じゃなかった。完治して、震災後故郷に戻ったのは6月ごろ。そこで見た光景は、まず熊本城に行ったが、見手の付けようのない状態。崩れた石垣。あとは益城町。スタッフに益城町出身の人がいるんですが、彼の実家にお見舞いを持っていったら、そこは黄色い紙が貼られていて「危険建物」だと。隣は赤い紙で「もっと危険」だと。不安に過ごされていました。あと僕の母校「熊本マリスト学園」も益城町のすぐ近くの健軍という町にあって、お見舞いに行きましたが、全寮制の高校だったが、僕が暮らしていたその寮が半分くらい崩壊して取り壊されている風景を見たときに愕然としました。高校自体はこれで新しくなるからまた新しいところでがんばろうと募金を呼び掛けたりしている状況でした。


余震が重なり、自宅の倒壊や土砂崩れなどへの不安が続いた熊本地震。そんなふるさとの状況を見た薫堂さんが、震災後まず呼びかけたのが、ツイッターのハッシュタグ 「くまモンあのね」でした。これは、被災地で見たり聞いたり感じたりしたことを、ツイッターで「くまモン」に報告してもらうという企画。「ささやかでも前向きなメッセージをみんなで共有したい」そんな願いが込められていました。

さらに「FOR KUMAMOTO PROJECT」も始まりました。

◆チャンスととらえて熊本の魅力を発信
地震の被害があったということはどうあっても変えられない。いま現在は前向きにどうこの地震をとらえるかしかないんじゃないかと思っている。熊本のことを全国の人が心配したり、熊本に興味を寄せていただける、これをチャンスととらえて、いま「FOR KUMAMOTO PROJECT」という復興支援をやっている。これは、被災の状況もいろいろあるが、幸いにも大きな被害を受けなかった熊本の人達が中心となって、熊本の魅力あふれる部分をたくさん発信していければ、支援で便りっぱなしでないいいアピールになるんじゃないかと頑張っている。クマモンはその象徴。直接被災した熊本の人を癒す存在でありながら、幸いにも被災しなかった熊本の人たちの元気を象徴する存在として、全国に熊本を魅力をさらに発信できるような、そういう活動を展開しています。


「FOR KUMAMOTO PROJECT」では「くまモン募金箱」への募金の呼びかけのほか、子供たちのための「くまモンぬりえ」を作成。また災害支援のためのツールとして、支援物資を効率的に分類するためのピクトググラム(絵文字シート)も開発しています。

FOR KUMAMOTO PROJECT

2016年8月16日

8月16日 『STAND UP SUMMIT2016』2

先週、東京ビッグサイトで行われました、“若者による若者のための復興支援イベント『STAND UP SUMMIT 2016』。「未来は、自分たちで創っていく!」という想いのもと、東北、東京、そして熊本から、350名の中学生・高校生・大学生が集まりました。そして、それぞれの地域を代表する7名の生徒が壇上にあがり、ゲストの為末大さんとともに「復興ディスカッション」がおこなわれました。

今日お送りするのは、「震災によって被災した地域に、どうやって元気を取り戻していくか」というテーマです。ギャラリーのみなさんも巻き込んで、10代、20代の学生のみなさんが等身大のアイデアを出し合いました。

●為末大
なんか、「こういうやりかた、やったらいいんじゃないか」って思う人っていますか?フロアの人でもいいし。
●東京都 足立区立第六中学校 本橋瑞樹 中学3年
ダークツーリズムっていう言葉があって、負の遺産について知るっていうことがあるんですが、まだまだ被災地について知る機会って少ないと思うんですよ。たとえば広島の原爆についてとかに比べてまだまだ少ないのが現状だと思うので、資料館だとかツアーだとかを発信していった方がいいのかなと。いいところもたくさん伝えていけば人口減少に少しは歯止めがかかるのかなと思います。
●宮城県 東北高校 橋口果林
私たちにできることということで考えたんですが、被災地を回るようにコースを設定してマラソン大会を開催しようという話し合いが出ています。コースのところどころに募金箱を設置して、その募金箱に募金して頂いた方々に私たちの作ったモザイクアートをプレゼントしようという、観光客の呼び込み、あと、被災地のいいところのPRを紹介出来るようなマラソンを企画しています。そういうのが私たちの出来ることなのかなっておもって挙手しました。
●為末大
はい、ありがとうございます。あのひとつ、ぼくずっと気になっていることでみんなに聞きたいなと思うんですけど、どうやって元に戻そうかという発想と、もうこの際、新しい東北を作っちゃえっていうのがあると思うんですが、このあたりどう思いますか?
●福島県 福島工業専門高等学校 櫻井由佳 高校3年
わたしは福島県なので原発事故の被害とかもあって、元に戻すことってすごい難しいことだなって思うし、震災があって、ひとつのチャンスだと思っていて、私たちにとって本当により良い街とか住みやすい街にするチャンスだって私は思うので、私は、みんなでほんとうにたくさん話してより良い街にするリニューアル派です。
●高橋万里恵
いまのを聞いていて、中嶋くんは、阿蘇はこんな風に復興していったらいいなって思いました?
●熊本県 阿蘇中央高校 中嶋翔太 高校2年
南阿蘇村はもともとそこまで人口は多くないんですが、今回の地震で阿蘇大橋が落ちたことで、移動するのが困難になってもっと人口が少なくなってしまったんですが、ぼくは、これからが、やっぱり頑張らないといけないところだと思っていて、熊本の現状っていうのはニュースとかでも全部伝わっていないなって思う部分があって、今回、東北の方と交流をしたときに、いままで自分はなにも出来ていなくて、東北のことも、地震が起きるまで他人事のように思っていたんですけど、自分がなにかしなくちゃいけないのかなって思うようになって、やっぱり、なにかしたいって思っている人はいると思うんですけど、それを行動に移すことが出来ない人もたぶんいると思うので、私がこれから中心になって、そういう思っている人に声をかけたり、そして、仲間を増やしていきたいと思っています。
●為末大
本当に素晴らしい。みんな、フロアの人からの意見も言ってくれて。ショックな出来事が起きた時に、それを基に急激に成長する人っていうのが世の中に現われて、そういう人がこれまでリーダーになっているって言われているんですね。そういうことが実はこの震災をきっかけに、リーダーを生む土壌ができたんじゃないかなって思っています。ぜひこういうのをきっかけに友達をたくさん作って、みんなの未来が開けるといいなと思って聞いていました。


8月9日、東京ビッグサイトで行われた『STAND UP SUMMIT2016』から復興ディスカッションの模様をお伝えしました。今回のイベントで、東北・熊本・東京の若者350人が出会いました。ここでつながった仲間同士が、これからの未来を切り開いていく“予感”を強く感じたイベントでした。

2016年8月15日

8月15日 『STAND UP SUMMIT2016』1

今日と明日の二日間は、先週、東京ビッグサイトで行われました『STAND UP SUMMIT 2016』の模様をお送りします。

これは、これからの時代を担っていく若者たちが、等身大で復興を考えていくイベント。「未来は、自分たちで創っていく!」という想いのもと、東北、東京、熊本から350名の中学生・高校生・大学生が集まりました。そして、それぞれの地域を代表する7名の生徒が壇上にあがり、震災当時のことから故郷の今、これから、なにをするべきか”を話し合う「復興ディスカッション」がおこなわれ、ゲストの為末大さんとともに高橋万里恵も参加してきました。

今日お送りするのは、「震災を経験した若者は、なにを、どのように、未来へと受け継いでいくか」というテーマです。

●熊本県 阿蘇中央高校 中嶋翔太 高校2年
まず私は、今回熊本地震を経験して、イチバン自分の中で大変なことがあって、今までは学校に行くまで30分程度で行くことができたのですが、阿蘇大橋が地震の影響で土砂崩れで落ちてしまって、今は、回り道をして1時間40分かけて学校まで行っているという状況があって、こういう自分の体験した記憶を伝えていきたいなと思います。
●宮城県 東北福祉大学 三浦貴裕 大学2年
私は、記憶が一番ですかね。震災時、私は中学二年生で中学校が高台にあったんですがそこまで津波が来て、津波でおぼれて心肺停止になった方に実際に心臓マッサージをしました。残念ながら助けることはできなかったんですね。ただ、そのことをいろんな人に伝えることで、防災だったり、次またどこで起こるかわからない津波や地震に備えることが出来ると思うので、友達や知り合いから聞いた方が印象に残るなって、私も語り部をやっていて思いますね。
●高橋万里恵
こうやってお話を聞いていると中嶋くんは阿蘇大橋が崩れてこれから道路の復興が大切だという話もあるし、三浦君から言うと記憶の風化を防ぎたいというお話もある中で、為末さん、一方でこんな回答もありました。
「理想の復興は、人々の心の中にある震災の記憶を消して、心の復興を最優先にすることが大切だと思います。そこから笑顔が生まれて活発になっていくと思います」、こういった意見もあるんですね、これを書いたのは誰かな?
●岩手県 宮古市立第一中学校 織笠倖亘 中学3年
はい、岩手県から来ました宮古市立第一中学校3年の織笠倖亘です。その、受け継ぐっていうところはすごく大切だと思うんですが、自分が実際に被害を受けて、家が流されたり、おじいちゃんが亡くなったり、自分もどす黒い波が押し寄せてくるのを見ている中で、やっぱりそういうのを思い出したくないなっていう気持ちと、受け継ぐっていうよりはそういうところを沈めていたいっていう気持ちのほうが大きいんじゃないかなって思って書きました。
●為末大さん
震災の話と復興の話って、たぶん分けた方がいいなって今聞きながら思っていて、震災の最中の、たとえば避難所でこういう風にした方がよかったなとか、ぼくはけっこう活かされているんじゃないかと思っている。やはり我々の住んでいるところって、結局地震から逃げられない国に住んでいるんですよ。だけど学ぶことはできて、その学んだことを伝えていくっていうことは大事かなと思うんですね。ただ一方でそれは表面の話で、個人個人の人生では、その人がその人の人生の中で自分のペースで受け止めていくことで、この二つを話し合っていく時間が必要かもしれない。
●高橋万里江
それに、まわりの私たちが一個の意見に断定しちゃうのもダメですよね?
●為末大さん
その通りですね。


8月9日、東京ビッグサイトで行われた『STAND UP SUMMIT2016』復興ディスカッションの模様。こちら、東北と熊本に加えて、東京の生徒も参加していたんですが、「これまで、震災は、ただ、受け継ぐべきものとだけ考えていたけど、そこには受け継ぐべき教訓と、一方で、忘れたい個人の記憶もある。両方があることを初めて知った」という声も。そして、「だからこそ、たくさんの人の声を聞く大切さに気付いた」という感想が印象的でした。

明日も引き続き、『STAND UP SUMMIT2016』復興ディスカッションの模様をお伝えします。

2016年8月12日

8月12日 福島県楢葉町 6年ぶりの盆踊り

今日は、福島県楢葉町で6年ぶりに開催される盆踊りについてお届けします。

楢葉町は、東日本大震災に伴う津波、そして福島第一原発事故の影響で町の大部分が半径20km以内の警戒区域に指定され、全域の住民が町外に避難。その後、避難指示解除準備区域に再編され、去年秋にその避難指示も解除されました。現在、町の人口7343人に対して、町に戻った人の数は361世帯641人。1割に満たない数です。

ただ、そんな中でも少しずつ、一歩ずつ、町に元のにぎわいを取り戻そうという動きも出てきています。その一つが、あさって14日(日)、竜田駅前広場で6年ぶり行われる盆踊り、「ほっつぁ〜れ2016盆楽祭」です。

今朝は祭りを手掛ける、「一般社団法人ならはみらい」の新田勇太さんにお話しを伺いました。

「ほっつぁ〜れ2016盆楽祭」
楢葉町の竜田駅前広場で開催。午後1時から、ライブなどのステージイベントがあって、午後5時半から盆踊り。

2016年8月12日

8月11日 「Light Up Nippon 2016」

8月11日、東日本大震災から5年5か月を迎える日に、東北沿岸部を中心に各地で一斉に花火を打ち上げるイベント「Light Up Nippon」。2011年8月11日に第一回目が行われ、今年で6回目。花火の灯りで被災地を照らすとともに、東北の産業を応援するイベントなども行なってきました。その軌跡は「Light Up Nippon」という映画にもなりました。

今年は岩手県野田村から、熊本県西原村まで、全国14会場で鎮魂と復興の祈りの花火が夜空を彩ります。

岩手県(5箇所):野田村、田野畑村、宮古市田老地区、大槌町、大船渡市三陸町越喜来
宮城県(3箇所):気仙沼市、石巻市雄勝町大須、仙台港
福島県(2箇所):南相馬市、いわき市久之浜
熊本県 (1箇所) :西原村
[特別開催]
北海道(1箇所):札幌市
岡山県(1箇所):美作市上山
広島県(1箇所):廿日市市宮島

鎮魂と復興の祈りの花火は、今日夜7時に打ち上げられます。

またTokyo FMをはじめ、JFNの一部の放送局では、仙台のDate fmをキーステーションにした特別番組「Light Up Nippon 2016」を夜7時からオンエアします。

「Light Up Nippon 2016」公式サイト

2016年8月12日

8月10日 山元町・災害FM「りんごラジオ」

東日本大震災の後、東北各地に20を超える臨時災害FMが立ち上がりました。それぞれが役目を終えて閉局するなかで、現在も放送を続けているのは6局。そのうちの一つが、宮城県亘理郡山元町の臨時災害FM「りんごラジオ」です。

中心となっているのは、元東北放送のアナウンサーで、引退後、縁あって山元町に移住してきた高橋厚さん。妻の真理子さんとともに地域密着の小さなラジオ局を支えています。

真 「いい町には声がある、声なき町は死するに同じ」どなたの名言ですか。
ずっととにかくこれを言ってました。とにかく町民の声を届けたいと。
厚 そしていい町にしていきましょうね、子供からおじいちゃんまでラジオをみんなでやりましょう、と。


取材から出演まで、すべてを少人数のスタッフでこなす、まさに「手作りの放送局」。町で活動する人にインタビューする「やまもとヴォイス」や町の様子を生中継で伝える「ハロー!やまもと」などが主な放送内容です。また町議会の生中継も「りんごラジオ」の特徴のひとつ。議会で議員がどんな発言をしているのか。町の未来について、いまなにが話し合われているのか。ラジオで気軽にチェックできることが、町の政策、町づくりへの関心にもつながっています。

そんな「りんごラジオ」に大きな転機が訪れたのは、2014年12月のことです。番組づくりに奔走してきた高橋厚さんが脳内出血で倒れ、りんごラジオは存続の危機を迎えます。

◆倒れたあと1年延長
真)わたしは(主人が倒れたとき)驚きはしなかった、ついに倒れたなあと。さてどうしようと思ったときに、そのとき12月だったので次の3月で終わらせてもらおうと思った。たぶん病気が長引くだろうし、死ぬとは思わなかったけど、とにかく続けられないと思った。だから町長にご連絡しなきゃと連絡した。そうしたら町長から「局長代理でも局長代行でもなんでもいいから、とにかく続けてください」と言われた。言われた以上は「はい、承知しました」と言ってしまった。この人が4年なり続けてきたことを続けていかなきゃと、咄嗟に思った。(お受けしますと返事したときまだご主人の意識はなかった?)なかったです。寝床で「厚さん、こういったことでラジオ続けることになったから」と伝えたら、うわごとのように「りんごラジオを継続する」と言った。そして「町をよくする、町をよくする」とも言っていた。去年5月に退院してそのあと自分から町長に「もう1年りんごラジオを継続させてほしい」と申し出た。
厚)ほかのところでは臨時災害FMは5年でだいたい終わった。でもこの山元町ではあと1年やるべきことがありますよ。それは、みんな仮設住宅にまだまだ暮らしているし、この山元町から仙台に電車が通る。そのためにまだまだやりますよ、と。
真)いま山元町では3市街地のうち2つはほぼ完成し、3つめがまさに工事中で来年の3月に完成する予定。JRは今年12月から再運転される。いいことが重なっているので、ラジオが1年延長したことで町の再建までいろいろなことをお伝えすることができる。なので来年の3月まで、日々毎日どんなことをお伝えするべきかと考えながらやっているんです。


厚さんは治療とリハビリを経て、りんごラジオに復帰。病気の後遺症でしばらくは日常会話も難しい状態だったがいまでは一部のプログラムでパーソナリティとして再び声を届けています。地域外の方はサイマル放送でも聞くことができます。

山元町りんごラジオ 

2016年8月9日

8月9日 山元町こどもセンター

東日本大震災による津波で大きな被害があった宮城県亘理郡山元町。
町では3つの新市街地の整備をすすめるとともに、ホッキ貝やイチゴといった特産物のPRにも力を注いでいます。一方で課題もあります。震災後すすんでいるのが、少子化です。そこで町がかかげるのが「子育てするなら山元町!」というスローガン。7月24日、その拠点となる「山元町こどもセンター」がオープンしました。

この施設の「子育て支援センター」の運営を一部任されたのが、山元町で活動する家庭教育支援チーム「夢ふうせん」です。副代表の佐藤作智栄さんにお話を伺いました。

◆児童が集まれる場所づくり
もともとわたしたちの家庭教育支援チームは震災前から活動を始めて、先輩方が築き上げてきた団体だが、震災を経験して、山元町には児童館がなかったので、集まれる場所がほしいという熱い思いもあったので、近くの公会堂などをお借りして活動を始めました。メンバーはみんなボランティアで活動していて、広場に遊びにきていたお母さんもスタッフに入ってくださるなど、すごくいい関係が築けています。外で遊ばせるのは不安だというお母さんの声もあったので、室内で遊べる場所、お母さんたちがほっとできる場所がほしいということだったので、拠点ができることで、皆さんお話してくれるようになりました。


山元町は宮城県と福島県の県境にあります。「子どもたちを外で遊ばせるのは不安・・」という声は、そういった理由によるものです。そこで「夢ふうせん」では「子育てひろば」というコミュニティスペースをもうけ、子どもたちの遊びの場、子育て中のパパママの交流の場を提供してきました。

◆トラウマが子育てに影響
当時むすこは幼稚園に入る前で、二人で車に乗っていたら強い揺れを感じて、急いで自宅に戻ってきたら家から津波を見た、という状況だった。子供はそういう話はいっさいしなかったが、いまになって当時のことを少しずつ話すようになったんです。むすこはそこで(震災により)大きくなにかが変わったということはなかったが、やはり回りのお子さんの話を聞くと、水が怖くて手が洗えないとか、お風呂に入るのが怖いとか、そういう話をよく聞きました。あと住む場所が変わらざる負えなくなって、子育てに大変苦労したという話も聞く。まだ電車が通っていないので、大きいお子さんがいる方は、電車が通っているところに引っ越した方もいる。町外に引っ越したお母さんも子供をつれて遊びに来た時に、そこで気ごころ知れた人たちと話せるというので、すごくよかったという方もいます。


7月にオープンした「山元町こどもセンター」の大きな柱は、「児童館」と「放課後児童クラブ」、そして「子育て支援センター」です。「子育て支援センター」は、子育て中のパパママが気軽に集い、交流できるスペース。「夢ふうせん」は現在ここで、火曜、水曜、金曜の週3回、「子育てひろば」を開催しています。

◆山元町に戻ってきたいと思えるような町づくりの拠点に
拠点ができたということで、お母さんたちがそこでなにをしよう、新たなステージに向かいつつあって、どうやって運営していくかがいまの課題。なにかイベントをしようかなど、いろいろな声をいただいているので、それをわたしたちがどのような形でとりまとめていくか、検討しています。山元町は(震災を経て)外に出てしまった人もいると思うが、またここに戻ってきたいと思えるような町づくりをしていきたい。小さいうちからこの町に愛着を持つことも重要だと思う。いろんな世代で交流をしあって、みんなで子どもたちを育てていけたらと思う。


◇「山元町こどもセンター」で開催している「夢ふうせん」の「子育てひろば」は、お昼持参も可能。スタッフによる子育て相談や、誕生日会、季節のイベントなども、目下計画中。

2016年8月8日

8月8日 山元町 Iターン農業を営む内藤靖人さん

今日は、宮城県亘理郡山元町からのレポートです。山元町は宮城県のいちばん南、福島県との県境にある、人口およそ1万4000人の町。町全体が沿岸に面していることから、東日本大震災の津波で大きな被害を受けて630名を超える町民が犠牲者になりました。特産は、いちごやりんごなどの農産物にホッキ貝。現在、町では3つの新市街地の整備が進められています。

そんな山元町で農業を営むのが、内藤靖人さんです。高齢化が進むこの町に、3年前引っ越してきました。

◆山元町で農業する若い人たちを増やしたい
『もともと生まれも育ちも埼玉県。震災のあと山元町にボランティアで来て、ボランティアを続けているうちに、山元町は若い人が少なくなってしまって、復興に必要な力が足りないぞ!というときに、それなら埼玉県にいてはだめだなと思って、山元町に越してきた。もともとは営業マンで(山元町では)仕事もないのでどうしようかなと思っていましたが、山元町には農地が空いているという話があり、それじゃあ農業だと。農業は若い人たちも潜在的にやりたいという人も多いという話もあり、それなら山元町で農業をやりたい人多いよと言えるような環境を自分が作れればと2013年8月に住民票を移して、いま農業をやっています。
最初は埼玉や東京都比べるとコンビニないし、スーパーも車じゃないといけないし、大丈夫なのかなと思たけど、住んでみれば「そんなコンビニ近くになくてもよかったんじゃない」と都会の価値観が変わっていった。いまつくっている作物はにんにくとかぼちゃとなすとまこもだけ。全部ふつうの品種ではなく、ちょっと珍しいものや高級なもの。地主さんにはいったんあたりいくら、という契約を交わしていて、年間でも数万円という程度で貸してもらっています。いまほとんど一人で作業をしていて、1万平方メートルくらいの畑と田んぼをやっていて、ひとりでの作業ということで、作業中に心が折れそうになることはあります。いちばん最初の年なんかは、雑草がわんさか生えてくるのを、なんで雑草をとらなきゃならないのかというところからスタートで、まわりの方から叱られたり、ということもありました。』


はじめは失敗だらけだったんですが、まわりの農家さんに教えを請けたり、逆に若い人が減った町でほかの農家さんの所へ手伝いに行ったりしながら、農家としての経験を積み上げていった内藤さん、初めての収穫のときは、特別な思いがこみ上げてきたといいます。

◆農業で山元町に人を増やしたい
『本当にうれしかった。種を植えて芽がでるのも、ほんとうにこんなふうになるんだ不思議でならなかった。だんだん育っていって、収穫して、食べてみて。全部が新鮮で。東京だと自分にしかできない仕事というのはなかなか見つからない。山元町だと若い人で集まるのも歓迎してくれるし、町に住むだけでもありがとうと言ってくれる人もいる。やりがいがでてくる。毎日楽しかった。いま農作業を終わって、夜は学習塾の講師もやっている。子どもたちには農業で地元で稼げるんだよということを教えていって、外からも山元町に人を呼んでくるということも並行して、だんだんと山元町に人を増やしていくような、ちょっと行政のような考え方かもしれないけど、一農家としてそんなことまではできるのかなと思って、いまやっている。』


埼玉から移り住み、宮城県亘理郡山元町で農業に奮闘する「内藤ファーム」の内藤靖人さんでした。
収穫期などは首都圏が知人や友達が手伝いに来てくれることも。「首都圏に住んでいたときよりも友達づきあいが密になったかも(笑)」とも話してくれました。農業を通して食と人、人と人をつないでいます。
また、「マコモダケ」の栽培に力をいれている内藤さん。町の名物としてPRするために「山元町美脚コンテスト」も計画中。これ、マコモダケの姿かたちが、「女性の美脚」に似ていることから、だそう!

内藤靖人さんのFBページ

2016年8月5日

8月5日 「CONNEL COFFEE(コーネルコーヒー) by Mother Port Coffee」開店!

今週は、気仙沼のコーヒーの名店がついに東京に進出!という話題をご紹介します!

2005年に、宮城県気仙沼市にオープンした「アンカーコーヒー」。シアトルスタイルの洗練されたデザインの店舗で自家焙煎の美味しいコーヒーを提供するお店として人気を集めていましたが、2011年、東日本大震災による津波で本店を含む気仙沼市内の2店舗と焙煎工場が流出。危機的な状況に陥りました。そして去年の春に、「マザーポート店」と名付けた気仙沼の本店を再建。その後も順調に店舗を増やし、今月末にはプロ野球東北楽天イーグルスのホームスタジアム「コボスタ宮城」にも出店が決まっています。

そんな気仙沼を代表する名店が東京に出店!ということで、さっそく代表の小野寺靖忠さんにお話しを伺いました。

◆コーヒーを通してライフスタイルを提供したい
震災のすぐ後にファンドを立ち上げて日本全国の方から応援を頂いて、それで立ち上がってきたという経緯があるんですけど、それを行なっているファンド会社のミュージックセキュリティーズの小松社長がいらっしゃって、同じ年なんで仲いいんですけど、“ちょっと東京出てくるタイミングあったらあって欲しい人がいる”と。で行ったところが草月会館の2階の抜け殻みたいになったカフェ。そこでnendoさんっていうデザイン会社の佐藤さんっていう方が、“コーヒー飲めなくて困ってるんですよ”っておっしゃったんですよ。でお話しを聞いたらそこに入っていたコーヒーショップさん出て行ったというか無くなっちゃったんですね。で3カ月くらい経っていて、で、コーヒー屋がね、コーヒ飲めなくて困っているって言われたらやっぱりどうにかしてあげたいなと思うし、昔から僕たちは、“コーヒーを提供しているんじゃない、コーヒーを通してライフスタイルを提供しているんだ”というのが第一だったんです。でコーヒーと共にあるライフスタイルが無くて困っているnendoさんが有るんであれば、そのライフスタイルというものをもう一度作り上げて行きたいなって思って、それで始めた感じです。


赤坂御所の緑を望む「草月会館」の2階に出来たお店、名前は「CONNEL COFFEE(コーネルコーヒー) by Mother Port Coffee」。お話しに出てきた、デザインオフィス「nendo(ネンド)」と、ミュージックセキュリティーズとのコラボレーション店。

初めての東京出店ですが、提供するコーヒーの味には、変わらない小野寺さんのこだわりが有るといいます。

◆深入りのブレンド
全世界的にサードウェーブっていわれるもので浅煎りのコーヒーっていうものが流行ってたんですけど、僕どうしても浅煎りの酸の強いコーヒーってのが苦手で、僕の提供していくコーヒーは、ちょっと深煎りで薫りがよくて、しゃちこばらなくていいっていうか・・・なんていうんですね、肩ひじ張らないで飲めるコーヒーを提供したいなって思って、深煎りのブレンドを用意しています。


そして今週末、明日あさっては、気仙沼がいちばん熱く盛り上がる、「気仙沼みなとまつり」が行われます。生粋の気仙沼人の小野寺さんも、もしかしたらお店より気になっているかもしれませんが、そんな「気仙沼みなとまつり」についても、伺いました。

◆今週末は「気仙沼みなとまつり」
年に一度のお祭りなんで、気仙沼人にとってはお正月とか盆とかと同じようにやっぱり「みなとまつり」っていうのがあって、そこが一年の区切りというか、そういう感覚は昔からありますね。子供の頃から本当に血沸き肉躍る感覚と、花火が上がっていくのを見た時のあの厳粛な気持ちになるっていう感じだったんですけども、震災以降、初年度はその時ちょうど車で走ってたんですけど、本当にみんなが同じ方向を見てるっていう意味でも、なんか象徴的な、すごく、うん、涙が出てくるような2011年の花火だったなって思います。「みなとまつり」は気仙沼の宝ものです。家族との思い出、友達との思い出だったり彼女との思い出だったり、いろんな気仙沼のみんなの思い出がつまってる、そして思い出を作っていく、そういうお祭りです。


『CONNEL COFFEE by Mother Port Coffee』

『気仙沼みなとまつり』

2016年8月4日

8月4日 陸前高田に移住した若者のいま4

引き続き、若者たちによる移住プロジェクトが進む岩手県・陸前高田市・広田町からお伝えします。

東日本大震災をきっかけに立ち上がった、関東の大学生を中心としたNPO法人・SET。若い世代の移住者を増やそうというこの団体の取り組みは、徐々に実を結び始めています。

お話を伺ったのは、岡田勝太さん 24歳。東京の大学で都市計画を学び、一時は大学を休学して活動に取り組み、大学卒業後の去年、陸前高田に移住。SETのメンバーとして活動を続けています。

◆町の人に言われた「行ってらっしゃい」
移住してきて2年目。移住決断をするのにそんなに大きなハードルが無かった。地元の人に大学の休学が終わる送別会の時に「行ってらっしゃい」と言ってもらって、ああそうだな、陸前高田に帰ってくるんだなと思って。そのあたりである程度決まっていたのかなというのは振り返ればありましたね。嬉しかったですね。東京でずっと暮らしていて出身も東京なので田舎が無くて、帰ってくる場所があってどんなことに挑戦しても受け入れてもらえるということを感じたので、そういう嬉しさはありましたね。良かったなと思うのは、「生きている」実感がたくさんあること。そして今を大切に生きると言うのはこの町の人たちに教わった。今を生きることが未来やその先に繋がる。東京の友だちは、3年後を見据えて今を犠牲にしているけど、ここで暮らしていると今この一瞬をどう素晴らしく生きられるかというのがあって、それが心地よくて、その積み重ねで人生は作られていくんだなというのを実感できるので僕は好きですね。次の4月に結婚する予定。今婚約していて、東京に彼女もいるので1年くらいしっかり準備しながら4月に移住して一緒に暮らしていくというのは決まっていますね。彼女は何度も広田には足を運んでいるんですが社会人になってから一度もないのでどうかな、というのは想いますが、一緒に暮らしていこうというのは決めてくれているのでありがたいなと思います。支えてもらっていると思いますね。


岡田さんはSETの中で、「Change Maker Study Program」を担当。大学生たちを陸前高田に招き、町の課題解決に取り組んでもらう滞在型のプログラムを企画・運営しています。

陸前高田に少しずつ増えていく、若い移住者。地元の人と繋がり、自分の居場所を見つけ、町のために働くことを選んだ彼らは、その先に何を見据えているのでしょうか。

◆一緒に進んでいける人たちがいる
野望というわけではないが、この町で暮らして楽しいなと思ってもらいたい。こうすることが当たり前になったら嬉しいと思っている。この町で暮らしている人たちが楽しそうだから来たい、って言ってくれる人が増えるのはいいなと、素敵だなと思いますね。地元の人たちもすごく良い町だと思っていて、来る人たちもいい町だねという気持ちがあるからこそ、それがしっかり伝わっていくことだったりとか、お互いで認識しあえるし、なりたいと思いますね。一緒に進んでいける、人生を歩んでいける人がこの町にはたくさんいるなと思いますね。


SETを立ち上げ、移住して、市議会議員としても活動する三井俊介さん。そして今日の岡田勝太さん。いずれも「いまを生きる」ことが大切だと語り、その積み重ねでしか、未来はないと話しています。あなたは彼らのような生き方をどう感じますか。

ぜひ若い学生で、これに共感した人はSETの活動、チェックしてみてはいかがでしょう。興味のある方はSETのウェブサイトをご覧ください。

2016年8月3日

8月3日 陸前高田に移住した若者のいま3

引き続き、岩手県・陸前高田市・広田町に移住した27歳の若者・三井俊介さんの「いま」お伝えします。

東日本大震災をきっかけに、NPO法人・SETを立ち上げ、陸前高田に移住。町に若い移住者を増やそうと活動を続ける三井さん。陸前高田でご結婚もされ、1歳半の女の子のパパとなり、周囲の後押しで、市議会議員にも出馬。なんとトップ当選を果たしています。茨城出身・東京の大学生だった三井さんはなぜ、陸前高田・広田町に、ここまで力を尽くしているのでしょうか。

◆ヨソモノが、繋ぐ役割を与えられる。
一番のモチベーションは、広田のためになりたいというそれだけですね。たぶん。僕らの世代は未来が約束されていない。高度経済成長の頃なら、成長してGDPをあげてお金を稼げば幸せになれるというゴールが決まっていたけど、それがバブル崩壊とともに崩れた。それが僕らが物心がついた時期なんですね。だから僕らは「こうなれば幸せになる」という答えをもらったことがない世代で、先がどうなるかわからないというところに行きている。そんな中で震災が起きて、明日も約束されないということを肌身で感じて。そうなったときに、今どれだけ豊かに楽しく暮らせるか、今をどれだけ大切にできるかが大事なんだなと思って、そういうメッセージを発信しながら集まっているメンバーなので、縛られた価値観や絶対こうあるべきだという思いを持っているというより、柔軟に「いま自分にとって何が大切なのか」ということを考えながら、その時時に応じてやることを変えながら進んでいますね。ぼくも最初は地元の人に「お前は骨を埋める覚悟じゃないなら来るな」と言われましたけど、そんなの引っ越しても暮らしてもいないのにわかるわけ無いでしょ、と思って、約束は出来ませんと言った。今はずっとこの街に住んでいたいなと思っているのでそう伝えますけど、その当時はわからないものはわからなかったので。だからぼくはこういう背景があるので、大学生のメンバーにも、ぼくと同じように一生ここに暮らすことだけじゃないよ、移住というのは例えば3ヶ月だけいたい、1年だけ居たいというのも全然OKなんだよという話をしている。それで自分のキャリアにしたり、人生経験を積みたいなら積めばいいと思う。結果として若者が一人この街のために活動するってスゴイことなので、そういう風に思ってくれる人が一人でも増えればいいなと思いますね。移住者を増やすと言いながら、帰るのも全然OK。その人が豊かで幸せな人生を送れればいいなと。不幸せなのに広田に住んでいても誰も幸せにならない、数だけ増えても。僕らが若いし一生懸命やりたいと思う気持ちを汲みとってくれて。応援してくれるその心も嬉しいですし。ぼくは茨城県のつくば市で育ったんですけど、あそこって研究学園都市なので昔からの伝統やお祭り、工芸は無かった場所で育ったんですね。それで震災が起こって広田に来たら、そういう暮らしがあったんですね。広田の魅力って、一番はそういう人と人とのつながり。地元の人はそれを「しがらみだ、嫌だ」というけど、逆にそういう風に助けあって暮らしているところを観て、その中に入られるのはすごく心が満たされるし幸せだなと思いながら暮らしていますね。4年に1度お祭りがあるんですけど、ぼくも去年から地区の出し物に一緒に参加してやれて。それも地域の中に本当に受け入れてもらえたなと思って。この地域で橙続く伝統を自分も背負わせてもらって、次の代へ繋いでいくという重要な役割をもらえたのは、今まで経験をしたことがなかったのでスゴイ嬉しいことだなと感じましたね。


ちなみに三井さん、市議会議員に出馬する前は政治家に全く興味は無かったそう。あくまで若い移住者を増やすためには、行政の「政策」という力も必要だと考え立候補したので、「任期が切れた後は分からないし、国政へ打って出る気もない。広田が好きだからやっている」と話していました。

LOVE&HOPE、明日は、このNPO法人・SETのほかのメンバーの方の声、お届けします。

2016年8月2日

8月2日 陸前高田に移住した若者のいま2

引き続き、岩手県・陸前高田市・広田町に移住した27歳の若者・三井俊介さんの「いま」お伝えします。

東日本大震災をきっかけに、関東の大学生を中心としたNPO法人・Sを立ち上げ、その後 陸前高田に移住。三井さんはいまもその代表として、陸前高田に若い移住者を増やそうと活動を続けています。

SETのメンバーは現在74名。そのうち現役大学生・およそ40名は、入れ替わりで陸前高田に通い、地域の人達と交流を深めています。当初 三井さん一人だった移住者も、少しずつ人数を増やしていると言います。そして、人口減少・高齢化が進む陸前高田に、小さな変化が起きているんです。

◆若者たちが町を明るくした
言ってもらうことで嬉しいのは「あなたたちみたいな若い人たちが活動してくれて、町全体の雰囲気が明るくなったな」とか。うちのメンバーは月に1度必ず陸前高田に通うのだが、そうすると「孫が来た」という感じで地元の方は受け止めてくれる。来るまでの間は「じゃあ●●ちゃんが来たらウニの時期だから食べさせようかな」とかワクワクしながら、普段は会話が無い夫婦が(笑)楽しみにしてくれる。1泊2日で大学生の子が帰ったら2週間くらいは、やっぱり普段は会話のない夫婦が会話をする。そしてまた2週間後にはまた来るので、次は何をしようという風になる。大学生と接する地元の方の家族の仲が明るくなり会話が生まれてよくなったということは色んな方から言って頂けるようになった。僕らはそれがすごく大事なことだと思っていて、町づくりや地方創生って言葉は叫ばれているがそれってなんなのかという実態はない。10年先、20年先にこんな町になりますよ。だから頑張りましょうと言っても地元の人たちにすると「私たちはもう生きているかどうかわからない」という話。そのために今苦しい思いをして何かするのは違うと思う。それよりも地元の人が、今ここで暮らしていることが楽しい、今ここでの暮らしが豊かだとどれだけ思えるかがすごく大事。今ここで暮らすことが楽しいと思う人がたくさんいることが、ある意味地方創生の一つの形だし地域が活性舌と言えるのではないかなと思う。大学生の子が来ることで、「私の生活は前より明るくなった」「家族が仲良くなったよ」という話を聞くと、僕らが目指している地域活性の形はこういうことなんだなと思いますね。


さらに陸前高田に起きた変化がもう1つ。実際、陸前高田の人口が「1人」増える出来事もありました。

三井さんはSETの活動で知り合った女性とご結婚され、いま1歳半の女の子のパパ! 名前は「なぎさちゃん」だそうです!

◆波打ち際に花を咲かせて
「なぎさ」という名前にした。広田の海を連想させる名前がいいなということでなぎさ。渚は波打ち際という意味なので、そこは老若男女が誰でも遊べて集まれる。海の中の方はお年寄りには行けないし、浜だけだと子どもたちはいない。でも水際の渚なら多くの人が集まれる。そういう風に色んな人が集まってくれる、交流を持てるような人になってほしいという思い。名前は「渚咲(なぎさ)」なので、そういう風に人が集まる中で花を咲かせてほしいという意味で、願いを込めて名前をつけました。


さらに三井さんは現在、史上最年少・トップ当選で陸前高田市議会議員としても活動の幅を広げています。「ヨソモノで若者」だった三井さんは、町のたくさんの人から後押しされて立候補。地域の人達から、本当に町の将来を託される立場になっています。

明日も、三井俊介さんのインタビューお届けします。

2016年8月1日

8月1日 岩手県陸前高田市へ移住した若者のいま

今朝は、岩手県陸前高田市広田町という半島の漁村から、町の未来を担う若者をクローズアップします。

三井俊介さん・27歳。
東日本大震災直後、大学3年生で復興支援団体を立ち上げ、陸前高田での活動をスタート。東京の大学を卒業した後は、住民票を移し陸前高田市広田町に移住。現在も団体の代表として、活動を続けています。

団体名は「SET(セット)」。震災直後から、広田に若い世代を増やそうと大学生たちに呼びかけ活動を続けています。

◆陸前高田への移住者を増やしたい
僕らも最初は何をすべきなのか迷いながら色んなことをやっていた。ピザ窯を作ったりこちらで起業する人を支援したりとか色々やっていたが、いまは活動をギュッと絞って陸前高田に移住してくる「外の人」を増やす。iターン者を増やす移住定住の取り組みにフォーカスしていて、その移住者として想定しているのは大学生。大学を卒業したらそのまま移住するという人を増やそうと大学生向け、高校生中学生向けのサービスをやっています。


中西哲生は、2012年に三井さんを取材。漁師の手伝いなどで日焼けした三井さんが、免許取り立てのクルマでやって来た初々しい姿が印象的でした。

そして4年が経過。当時も最大の木曜は、「広田に若い世代を増やすこと」と話していましたが、その思いはいまも変わっていないようです。NPO法人SETは、若年人口を増やすために、様々なプログラムを展開しています。

◆よそ者だから気づく町の魅力
一つは地元高校生向けのキャリア教育のプログラム。高校生のうちから町のために何かやるという機会はなかなかないが、その機会を提供してこの町をどうしたいかどう生きたいかを高校生と一緒に考えて、具体的に町のためになることを実行する。それを通して将来的には大学を卒業してこっち(陸前高田)に帰ってくる子を増やしたいという思いでやっている。3年目になるが今ではプログラムに参加した高校生が都内の大学に通って、SETのメンバーになって月に1度こちらに帰ってきて町のために活動を続けるという状況もできていて、だんだん良い形が見えてきたかなと思っている。もう1つは地元ではなく外の中学生・高校生の修学旅行を誘致しようという取り組み。ただ観光ではなく民泊を行って地元の方の家に4〜5人でずつで別れて止まって広田の生活を知ってもらう。大学生になった時に、「あのおばあちゃんに会いに行こう」「修学旅行で行った町にもう1度行ってみよう」と思うような人たちを増やしたいと民泊の修学旅行の受け入れをしている。大学生向けにもう1つが、Change Maker Study Program。広田に1週間滞在して町のためになることを具体的に実行までする。例えば大学生が感じた広田の魅力を詰め込んだ30秒のCM作りをしてYouTubeで広く発信したり。広田の魅力を大学生はたくさん感じるが地元の方は当たり前すぎて答えられない。なので大学生が感じた広田の魅力を広田の人たちにご紹介するバスツアーを企画したり。「なべやき」という郷土のお菓子があるので、それを若者風にアレンジして新しいなべやき選手権をやったり様々。Change Maker Study Programではその時に来た大学生が考えて実行までする。最終的にはその参加者の中からSETのスタッフになったり、大学を卒業したら移住したいという子もある。悩んでいる子、親と相談している子が5人くらいいる状況。上手くいけば来年には移住者が10人くらいになるんじゃないかなという形で活動を進めている。


「Change Maker Study Program」。この夏は8回目を実施予定。8月11日から東京での事前研修、21日から現地プログラムが行われます。詳細はこちらのウェブサイトから。

移住から4年。三井さんは陸前高田でご結婚もされてお子さんも生まれたそう。明日は、そんなお話もお届けします。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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