2016年11月29日

11月29日 東北大学 今村文彦教授(2)

今日も昨日に引き続き、津波工学が専門、東北大学、今村文彦教授のインタビューです。
 
先週11月22日に発生した「福島県沖を震源とする地震」では太平洋沿岸の広い地域に津波注意報、津波警報が出されました。この内、津波注意報が出された宮城県仙台港では最大1.4メートルの津波を観測。津波の襲来後に「注意報」が「警報」に置き換えられる事態となりました。

ではそもそも「津波注意報」「津波警報」そして「大津波警報」の、それぞれの定義とは?
今村先生に伺いました。

◆津波注意報、津波警報、大津波警報の違い
まず「津波注意報」とは、推定される津波が20センチ以上1メートル以下。沿岸部にいると津波によって流されたり、小型の船舶が転倒したりする影響がある。

この1メートルを超え3メートル以下は「津波警報」になる。この場合、当然沿岸部や川沿いに津波が来襲して、場合によっては家や建物などにも被害が起きるくらいの規模になる。ただちに安全な場所に避難しなければいけない。

さらに3メートルを超えると「大津波警報」となる。311のように、非常に広範囲でしかも河川に沿って、内陸の奥にも押し寄せる。この場合は迅速に安全な場所に移動すること。また場合によっては、「安全な場所」のはずのところを津波が超えてくることもあるので、多くは一次避難ビルということで、安全な場所に指定または設置されているが、311のように、過去の状況を大きく上回るような津波が起こった場合、さらに安全な場所、標高においてはさらに高い場所に。二次的または三次的な避難行動をとる必要もある。


中でも、避難行動すべきかどうか、判断に迷ってしまいがちなのが、推定される津波が20センチ以上、1m以下の「津波注意報」。「津波注意報」に対して、わたしたちがとるべき行動とは?

◆正しくは地域のハザードマップを事前に確認
基本的には「津波注意報」の場合は、沿岸部、陸上部にいる場合は避難行動をとる必要はない。しかし、かなり地盤が非常に低いところ、川沿いのところは、津波の影響がある。そうすると、実は地域や自治体によって、津波注意報であっても避難しなければいけないところと、そうでないところが出てくる。じゃあ沿岸部でどういう状況になっているかというと、通常ハザードマップ、避難マップと呼ばれるものが作られていて、注意報レベルだったらこのぐらいの影響があるので避難してください、警報ではこうです、という情報がある。インターネット上でハザードマップ、浸水マップというのが出されているので、それをぜひ一度確認してほしい。
さらに正確にいうと、津波の高さ、破壊力、被害は「メートル(=津波の高さ)」だけで分類や評価することはできなくて、本当は流速や力そのものを評価していかなくてはいけない。いまのところ、「津波の高さ」ということで皆さんに情報として出しているが、その場合、陸上部でどんな地形なのか、平らなのか、急峻な山が迫っているのか、それによっても状況も違ってくる。
海抜ゼロメートルでは防潮堤を超えただけでも、すぐ浸水してくる。やはりマンションやビルの高いところに避難するのが対応としては一番いい。津波というのは非常に複雑な現象なので、「出された数字よりも高いところに移動する」という判断が必要になる。


津波注意報でも、状況によっては避難が必要な場合もあることがわかりました。ハザードマップなど事前に確認して「正しく恐れる」ことが大事なのではないでしょうか。

LOVE&HOPE、明日は防災のスペシャリスト、群馬大学大学院教授、片田敏孝さんのインタビューです。

2016年11月29日

11月28日 東北大学 今村文彦教授(1)

今日は津波工学が専門、東北大学、今村文彦教授のインタビューです。
 
先週、火曜日早朝に発生した「福島県沖を震源とする地震」。マグニチュードは7.4。最大震度5弱。 太平洋沿岸の広い地域に津波警報、津波注意報が出され、福島、茨城、宮城などで津波を観測。中でも宮城県仙台港では最大1.4メートルの津波を記録しました。なぜ震源地から遠く離れた仙台港で、津波の最大波が観測されたのでしょうか。

◆今回の津波の特徴 遠いところで最大派を記録
気象庁が出す津波の高さは沿岸部で陸に近いところの津波の高さ。場合によっては、周辺の津波が集中する場合もあるし、局所的にある湾の中でだんだん増幅するという場合もある。今回の福島県沖地震でも、遠い宮城県、正確にいうと仙台湾で今回最大の津波を記録した。確かに福島は震源地には近いが、津波の伝搬する方向、そのエネルギーが伝わる方向がちょうど仙台湾を向いていた。もう一つは、第二波が沿岸部に沿って仙台湾の奥で増幅した。第一波ではなく第二波が狭い湾の中で増幅した。この二つが原因として考えられる。気象庁の記録では、仙台港で1.4メートル。しかし周辺では2メートルを超える津波の来襲があったと報告されている。
ただ難しいのは2時間後に最大波が出た。2時間後に出て、急に注意報から警報に切り替えられたときに、例えば老人ホームや病院などでは、いきなり避難をしなければいけないエリアに入ったりして、そこでの対応は本当に難しいものになると思う。
残念ながらいまの予報体制では、地震の情報を得て3分を目安に津波警報、津波注意報が出る。これは非常に速い段階での「速報」になる。しかし、いろんな沿岸には津波を監視、観測する装置があって、実際に津波の規模をリアルタイムで監視できる。その値が1メートルを超えたり、3メートルを超えたりすると、津波警報、注意報等が切り替えられるということになる。


宮城県に発令された「津波注意報」が「津波警報」に切り替わったのは仙台港に1.4mの津波が“観測された後”、午前8時9分。地震発生から2時間10分後、でした。

今村先生の話にもありましたが、最初に出る津波の予測は、3分を目安とした「速報」だということ。その後、「予測が変わるかもしれない」ということを頭に入れてさまざまなパターンで避難準備をすることが大事なのではないでしょうか。

今回、避難指示・避難勧告の対象者となったのは、およそ26万人。「避難行動の課題」も浮かび上がってきました。

◆なるべく車の台数を減らす工夫を
新たにというよりも、311のときにも課題として残されたことですが、これは「自動車による避難」ということになる。どうしても多くの方が車を使って避難をしてしまうと、交差点やある場所に関して渋滞が発生し、移動が困難になってしまう。この状況が今回も見られた。なので、車のルールに関しては、地域独自のルールを使って、できるだけ車を使う台数を減らすこと、ルートを工夫して渋滞を起こさないようにすること、また幹線道路はどうしても多くの車があるので、そこに対して津波警報が出た時にどのように誘導するのか、こういう点は個人や家族だけでなく、地域で話し合ってもらいたい。
ただ難しいのが、発生した時間帯によって我々の行動パターンが違ってくること。今回は早朝で多くの方が起きていたので、行動は比較的早かったと思うが、夜中だと眠っているので行動開始が遅くなる。また場合によっては、海水浴シーズンだったりお祭り等があると、多くの方が沿岸部にいるケースもある。それぞれ時間帯、季節、特別なイベント等をあらかじめ一つのシナリオとして考えて、さまざまなパターンで避難準備をする、避難計画をするというのがとても重要と考えます。

2016年11月25日

11月25日 東松島「福幸まつり」レポート(4)

引き続き、宮城県東松島市で先週末に行われた「ひがしまつしま 復幸まつり」からのレポートです。
     
集団移転する野蒜住民のために造成された土地が全て引き渡され、新たな町のスタートを記念したこのイベント。会場となった高台の野蒜駅周辺には今、区画分けされたまっさらな土地が広がり、今後はここに家が建ち、災害公営住宅も建てられ、新しい町が生まれることになります。

町のこれからについて、東松島市復興政策部 都市計画課 五野井盛夫さんに伺いました。


◆森とともに永続的に発展していきたい
この野蒜北部丘陵地区に関しては、高台に町全体を動かしてくるというところもあるし、被災した人たちが中心になっている町ですので、よくニュータウンが高齢化するということが聞かれますが、そんなことがなにように、永続的に町が発展していければなと思います。子どもたちについては、CWニコルさんの協力で森の背後地、森の中に町ができて、学校も森の学校として体育館まで全部木で作った校舎が今年度の3学期、1月から開校します。そこでのびのびと育ってほしいなと思っている。小学校の背後の森が散策できる森になり、ウッドデッキみたいな舞台ができるという形で里山としてうまく使えればよいかなと思います。


東松島の町づくりの大きな特徴は、環境活動家CWニコルさんも関わる、「森のある町」です。目の前に森が広がる木造校舎で子どもたちが学び、
そういう教育を望む若い家族が暮らす町を目指しています。また、東京の大きな病院を呼び込み、森の癒し効果を狙った長期滞在型の医療ツーリズムも構想中だそう。また奥松島と呼ばれる見事な景観はじめ、歴史的な遺産も、活用していくと言います。

◆運河、白い砂浜、松林
運河がある町づくり、運河自体も非常に景観が良い。北上川から阿武隈川まで運河がずっとつながっているんですよ。海に出ないで運河で北上川からの物流を仙台まで運ぶという形でできていた土地。今はそういう利用は考えられないいけど、運河としてその景観が残っているので、復旧に当たっても景観に配慮して、せっかく昔の石で積んだ部分があるんだから、その石を利用してもう一度再生しようとか。野蒜地区の一番のイメージっていうのは、白い砂浜が200−300mであってその背後に緑の松林が広がっていました。それが運河までつながっていて、運河にも松の木が生えて水面に生えるというのが良いところ。ですから海の近くにどんどん家が建ったのですが、それは津波で一切流され松林は瓦礫として流れてきた状態ですので、それが元通りになるということについては非常に時間がかかるんだろうなと思っています。ただやっぱり移転した元地の部分も含めて観光っていう部分に力を入れていきたい。松林が再生して、昔は松林でキャンプもできたし、海と言えば海水浴場があり、湘南海岸のイメージがここにもあったんです。それも踏まえて観光とともに発展していければなと思っています。私が生きているうちに戻ってきてほしいという願いがあります。


『ひがしまつしま復幸まつり』の現場から、東松島市復興政策部の方のお話、お届けしました。東松島、本当に景色が素晴らしいんですよね。そして「運河」もいまは津波の爪痕が残っていますがきっと素晴らしい景色が戻ってくるはずです。

また東松島市では被災した土地を無料で貸して、企業の事業所を誘致、雇用の獲得なども目指すそう。ただ現実はなかなか難しいという。
また、野蒜が丘を整備する際に削った「山」、その土は、沿岸部の防災盛り土として津波減災に役立てられるということです。野蒜駅周辺・北部丘陵地区は、「野蒜が丘(のびるがおか)」という町名になるそうです。

2016年11月24日

11月24日 東松島「福幸まつり」レポート(3)

宮城県東松島市で先週末に行われた「ひがしまつしま 福幸まつり」からのレポートです。


仮設住宅から集団移転する野蒜住民のために造成された土地の、引き渡しがすべて完了。新たな町のスタートを記念したこのイベント。野蒜駅前の会場には、地元産品の物販ブースもたくさん立ち並び、賑わっていました。その中には、この地域の生活にずっと寄り添ってきた、野菜直売のブースもありました。

◆仮設住宅に地元野菜を
野蒜野菜直売部会の小山ともうします。野蒜地区の野蒜駅前にNマップという直売所があったのですが被災して野菜を売る場所がなくなったもんで、週に2回クルマに野菜を積んで仮設住宅などを回っているんです。買って頂いている人はお年寄りが多いので、家まで訪問して売るという形でやっています。このとおりここも土地が引き渡されて、次々に家が建つけどまだまだ時間がかかる。そのあいだはやっぱり私たちが売りに行くという形でやっています。(仮設住宅がなくなるまで?)仮設が無くなって住民が移転しても、ここにスーパーができる予定は今のところない。薬局・ドラッグストアが町内で1軒できるので、この辺にはお店もないことからドラッグストアに野菜や調剤薬局、日用品も扱うという。そこに野菜の直売も入るということなのだがまだ話は進んでおらず、これから。(ここらへんに住宅は建ちますがどこに買い物に行くのでしょう?)野蒜には店が一軒も、コンビニもないので、隣町の矢本か松島町、石巻でしか買い物できない。やっぱり待ってくれる人がいると思うと辞めるにやめられないだろうな。できるだけ続けていきたいです。(この時期の野菜のおススメは)白菜も大根もネギも葉物のほうれん草も100円〜150円の値段しかついていないのでお買い得。今日はずいぶん売れました。



イベント会場となった高台の野蒜駅周辺はいま、区画分けされた真っさらな土地が広がっています。これからここに、家が建ち、新しい「町ができる」ことになります。ただ、いまのお話に合ったように、“町”はそれだけでは、成り立たないんですね。東松島市復興政策部 都市計画課 五野井盛夫さんの話です。

◆「生活ができる町」へ
高台移転で戸数が278戸、災害公営住宅が170戸という数字で500戸に至っていない。500戸以下では商店の営業は非常に難しい。それで福祉系の病院診療所が歯医者さんを入れて4軒。調剤薬局は1つでよいという話となり、それを核としたドラッグストアに物品販売を行い、地場産の野菜販売する商店を1つ立ち上げるということになる。それも早く住宅や災害公営住宅が建って利用されないと運営は厳しい。そこは一斉に完成すればいいなと思っている。高齢者の方は公共交通機関を使ったり、災害公営住宅も絡めて無料バスの運転もしているが、その継続の問題が多々ある。まだまだ町ができて敷地ができればよいという問題ではなく、それぞれの人たちが生活していけるカタチができていない。それを早く進めるように下地を用意するのが私の仕事。そのようになっていけばなと思います。


人口が少ないと、採算が合わずお店を建てるのも大変というのは、あまり考えたことのなかった事実です。
一方、お話に出てきたが野蒜地区で、野菜作りをしていた農家さんたちは、今は仮設住宅を売り歩いているという。地域の生活の大事な役割を担うこの方々が、ご商売できる環境づくりも急務です。

明日も、東松島市の福幸まつりのレポートです。

2016年11月23日

11月23日 東松島「福幸まつり」レポート(2)

(※22日あさに発生した福島沖を震源とする地震、津波の情報をお伝えしたため、この放送は1日延期して23日OAとなりました)

引き続き、宮城県東松島市で週末に行われた「ひがしまつしま 福幸祭」のレポートです!
     
このイベント、東松島はもちろん、東北各地から、美味しいグルメのブースもたくさん出店。その中には、この番組で何度も紹介している、東松島市・大曲浜でおじいさんの代から続く、海苔漁師 相澤太さんの海苔を使った「海苔うどん」もありました。


この海苔うどん、お土産の乾麺などもあるのですが、東松島市・矢本にある「ちゃんこ 萩乃井」の人気メニューになっています。ということで、萩乃井ご主人が自ら、海苔うどんをお客さんに振る舞っていました!

◆復活した海苔うどんで町を元気に!
(こんにちは〜)はいこんにちは!(元気がいい!)はい、元気がとりえです。うちはちゃんこ萩乃井です。ちゃんこ鍋やなんですけど、東松島で作り上げた海苔うどんを今日はみなさんに提供しようと来ました。(どこの海苔を使っているんですか)大曲浜の、皇室献上品をうどんに練り込んで作ったやつ。相澤太の海苔ですよ〜。(震災後に生まれた)震災前なんです。震災前にできたけど、震災で何百キロと抱えていた海苔を全部流しちゃったんです。その2年後にようやく海苔が獲れましたので、また復活しました。まだまだ震災前には戻っていないですけど、海苔種が少ないので。これからもっともっと獲れるようになるんじゃないですか。大曲浜というのは6年連続で皇室に献上されている海苔なので。ですから私は、それに押されたような気がしますね。それでもって観光客がにぎわう町づくりができれば、全体が活性化するんじゃないかという想いでやっています。



焼きたてのホタテいかがですか〜(いい色に焼けてますね)とっても美味しいですよ、プリプリのホタテ。醤油焼きですね。となりで殻付きの牡蠣を販売しているんですけど、東名の生産者がみんな集めて、1袋1000円(12個) (お安い〜♪買っていく〜♪)結構お得な。(今年は台風の被害があって)その台風で全体の半分以上がやられてしまって。うちも半分くらいはやられちゃって。でもそこから生産者が自分のだけじゃなくて、みんなで全体を、余っているもので今シーズンも頑張らなきゃっていう気持ちがすごくあったので、なんとか今シーズンに間に合ったという感じです。(じゃあ育ちとしては遅くなっちゃった分いつもより小さい感じですか)いやそんなことはないです。海の栄養も例年並みで、台風の影響があっても海の栄養ってすごいんだなと。野蒜海岸の沖合なんですけど。

海苔うどんブースのすぐそばで、焼ホタテの網焼きをやっていたのが、東松島市・東名地区の牡蠣漁師、木村幸喜さん。こちら東名の牡蠣は、成長途中の牡蠣を一度選別する手法で、身がぷっくり。最高のブランド牡蠣として人気です。

さらに、東松島のお隣。石巻の生産者の方も、美味しいモノとともに応援に駆けつけていました〜!

◆農家の努力の成果を味わって!
JA石巻 成瀬営農の横山ともうします。やっと本来の復興に近づいているなと。嬉しい気持ちもあるし、友人、会社の同僚、先輩が亡くなっているので・・・そうですね、長かったなという気持ちも両方ありますね。でも嬉しい方が強いかな。うちの方で今回出させていただいているのが、JA石巻のなっちゃ市場ということで、地元のとのさまネギ(下仁田ネギ)なんですけど、生産者の数も少なくなっちゃったんですけど、殿様ネギって茎が太くて甘くて、焼いてもトロッとして美味しいし、お鍋でも煮崩れしないで美味しいおネギができましたので、みなさんに食べて頂きたいなと思って。今まではやっぱり除塩で大変だったんですけど味わって欲しいと持ってまいりました。(畑も大変だったんですね)田んぼばかりに目が行くかもしれないですけど、畑も塩分があってもいけないものもあるので、そちらの農家の皆さんの方が苦労なさったんじゃないかと思いますけど、でもここまでこぎつけられたのは皆さんの努力のたまものですので、ぜひ味わってください。


そのほか、野蒜のやさい直売、女川のサンマ昆布巻き、イカ焼き、たこ焼き、東松島の地ビール、ご当地グルメ「だまこ汁」・・・たくさんのグルメブースで会場は賑わっていました。本当に、東北の食べ物の美味しさ、豊富さ、そして底力を感じるイベントでしたよ!みなさんも、現地へ行って自分の舌で確認して下さい!

明日も、東松島市の福幸まつりのレポートです。

2016年11月21日

11月21日 東松島「福幸まつり」レポート(1)

今朝は、宮城県東松島市からのレポートです。きのう20日(日)、東松島市・野蒜駅周辺で行われた「ひがしまつしま 福幸祭り」。オープニングセレモニーでは、来場者に配られた白い鳩のカタチの風船が一斉に空を舞う、壮観な光景も繰り広げられました。




このイベントは、避難住民の集団移転のために、造成していた宅地が全て完成。その土地の引き渡しが行われることを記念した、新たな町の誕生を祝うもので、時間はかかりましたが、東松島市では、生活再建の基盤がようやく整備されたことになります。

東松島市 古山守夫副市長に伺いました。

◆山を削り、新たな町を作る
震災から5年と8カ月。私は副市長になってまだ2年と1か月なんですよ。その前は何をしていたかというと復興政策部長ということで復興事業に携わっていまして、震災直後に避難された、被災された方は避難場所でもう集団移転の話をされていた。自分たちでこの場所に避難した。あの山に移転したいんだと言われた時に、土地を買いに行ったりなんかしたのも私でした。「この野蒜の山を売って下さい」と。そういった思いからスタートしていますのでかなり思いは強いと思いますね。ただ、この山を削った時に思いのほか土の量が削らないといけない。1日一万リューベ。1万立方メートルの土と言っても想像つかないですが、1日あたりダンプ1500台を動かさないといけない。それならベルトコンベアを使って山で削った土を向こうまで運んだ。それで1年かからずに土を削ることができました。




ということで、去年、高台に移転したJR仙石線 野蒜駅。その目の前の山から、なんでも「クフ王のピラミッドと同じ体積の土」が削られ、土地が造成されました。

これで、住民の方々の、住宅再建の道筋はついたことになりますが、ただ、復興への道のりは、まだまだこれからだと、古山副市長は話します。

◆住宅再建から、賑わいの復活へ
集団移転という震災からの第一目標で言えば、自分たちが家を建てるという方のために土地を提供する717区画が全て(引き渡しが)終わりました。ここのエリアが野蒜で最後の引き渡しエリアだったんですね。やっと自分たちの家が建てられる、仮設住宅から来られる方々が一番もっとほっとしているんだろうな。落としなので自分では家は建てられないという方に災害公営住宅1122戸の計画なんですけど、残すは291戸。それが建てば住宅再建の市の責任は終わるんですね。あとはここの津波を被った土地に以下に観光客集客の土地利用を図れるかがこれからの課題。あと2年、トータル8年の中である程度、震災前かあるいはそれ以上の賑わいを取り戻せたらなと思っています。


●来場者の夫婦の声
夫:そこです、野蒜の団地内です。震災で家が流されちゃったので、やっと集団移転・高台移転で戻ってきました。まだ10月の連休ですね、9日です。家を建てるまでに4年間は下準備をずっとやっていたので、やっとここまできたなという実感はわきましたね。
妻:長かったね。母がお友達がこっちにたくさんいるので「早く帰ってきたい」というので、一番最初に土地が引き渡されるところを希望して、一番最初にとにかく家を建ててとにかく帰ってこようということでずっと4年間進めていたんですね。でも1年前に突然倒れてなくなって、母が一番帰りたかったのに帰れなかったというのが悲しいしつらいし、悔しい。でもやっぱり海も山もきれいだし、震災後でも新たに始まったことがたくさんあるし、そういうのも交えてもっと明るくて楽しい町になればいいかなと思います。一生住むので、私たちは(笑)


ここからは、災害公営住宅や観光がこれが大きな課題になってくると副市長はおっしゃっていました。東松島市は震災前の人口は4万3000人。震災後は一時3万人台に落ち込んだものの、最近はまた4万人に回復今後は、やはり子供、若い人たちがどれだけ入ってくるか。そのためには産業、企業の誘致が必要だと東松島市は考えているということです。

2016年11月18日

11月18日 東北風土マラソン&フェスティバル

今朝は、いま絶賛エントリー受付中のマラソン大会、「東北風土マラソン&フェスティバル」についてご紹介します。

2014年に開催が始まったこの「東北風土マラソン」、今年、2020東京五輪のボート競技会場候補で注目を集めた、宮城県登米市の
「長沼フートピア公園」を会場に、春の湖をぐるっと回るコースで行われています。

大会名の「風土」は、食べ物の「フード」ではなく、「風」と「土」・・・“気候・風土”の「風土」という字が使われています。ただ走るだけでなく、給水所=エイドステーションでは、東北各地の名物グルメを食べたり、樽の薫りがする日本酒の仕込み水を飲んだり、楽しみながら走って、東北の魅力を全身で感じてもらおう!というファンラン大会なんです。

あらためて、この「東北風土マラソン&フェスティバル」のコンセプトについて、仕掛け人で、実行委員会副委員長の竹川隆司さんに、お話しを伺いました。

◆コースの中で東北中の美味しい食べ物を集結
もともとは東日本大震災からの復興支援ということで、なかでも特徴あるものを何かやりたいなという中で、フランスのメドックマラソンと言う大会をモデルにして出来上がったイベントになっています。メドックマラソンはファンランナーにとってはひじょうに有名な大会なんですけど、42.195キロの中をシャトーの美しい風景を見ながら、しかもワインを飲みながらオイスターだのビーフだのっていうのを食べながら楽しむ大会になってまして、その日本版を東北でやりたい!というのがもともとの発想の原点になっています。ですので我々の大会でもコースの中で東北中の美味しい食べ物を集結させまして、南三陸の笹かまですとか、登米のビーフですとか、気仙沼のふかひれスープですとか、そういったものをエイドステーションで楽しみながら走って頂けるような大会になっています。で、同時開催でメイン会場の「長沼フートピア公園」で、『食と日本酒のフェスティバル』も一緒にやっておりますので、ゴールしてからも、もしくは待って頂くご家族ですとかご友人の方々も、東北中の食もしくは日本酒を全力で楽しんで頂く事も出来る大会になってまして、ですので「マラソン&フェスティバル」ということでセットで開催させて頂いております。


頑張って走って “完走を目指す”、というより、“完食を目指す” というユニークなマラソン大会なんですが、今年の春が3回目の開催でした。反響、そして来年春、3月18日/19日(日)に「行われる4回目の開催についても伺いました。

◆95%以上の方が満足!
2014年の最初の大会は1300人、それが1500人ずつくらい増えてきてまして、3回目の2016年の大会には4300人のエントリーを頂くまでになりましたし、実際にその方々がお友達もご家族も連れてきてくれるようになったりしてますので、来場者の方ももう4万人近くなっておりまして、やはり毎回毎回おかげさまで満足度が非常に高くてですね、「楽しかった」というのを含めると95%以上の方々がご満足頂いていて、ゆえにリピーターも多い大会になってまして、あとは来て頂ける理由として、東北復興支援のためにというところが、もともと多くて今でも多いんですけど、それと同時に年に一回のこの機会に東北にもう一回行きたいからというような声が、ここ1〜2年はより多くなってきてですね、東北の一年の中の一つの風物詩のようなものに少しずつなってきてくれてるのかなと思っています。毎回我々、登米市、南三陸町、気仙沼といった、近隣の美味しいものを、栄養バランスなんかも少し考えながら、20品目ぐらい、集めているんですが、今回新たに復興庁の補助も頂いて、「ランメシ」というブランドを立ち上げました。これまで我々出していた、美味しくて機能的で安全な東北の食べ物というものに関して、我々が集めるだけでなくて、生産者の方に対して公募もして、思いのある生産者の方に実際に手を挙げて頂いて、それをすべて、2017年の大会のエイドで出すという取り組みをしたいなと思っておりますので、例年以上に美味しいもの、例年以上に種類も豊富なものをお楽しみ頂けるんじゃないかと思います。


さらに2017年は、よりエイドステーションの食べ物が豊富になっているということで、“完食”が大変そうですが、今これを聞いて、“参加してみたい!” と思った方もいると思います。エントリーはまだ間に合うんでしょうか?

◆エントリー受付中!
大丈夫です。今年は4300人から6000人に増やして募集をしていますので、まだフル・ハーフともに間に合うと思いますし、じつは今大会からより短い5キロの部と、あと「親子ラン」というのも加えております。親子ランは子供が0歳でも参加できます。馬車を押して頂いたりオンブして頂いても構いませんので、その意味では老若男女問わず、出て頂ける大会になっておりますので、ぜひ皆さん、ご参加頂ければなと思います。


「東北風土マラソン&フェスティバル」
◇開催は来年3月18日(土)、19日(日)。土曜はリレーマラソンで、マラソンは日曜日。
◇会場は、宮城県登米市の「長沼フートピア公園」。
◇フェスティバル会場では東北の日本酒が勢ぞろいするほか「食」のブースも充実。満腹確実!

公式サイト

2016年11月17日

11月17日 阿蘇市内牧温泉『蘇山郷』(2)

引き続き、阿蘇市 内牧温泉にある老舗旅館『蘇山郷』のレポートです。

地震の影響で止まってしまった温泉は復活。館内の修復も完了。その後、阿蘇山の噴火はありましたが、影響はないということで、蘇山郷は、最高のおもてなしで、お客さんを待っております!

女将・永田佳代子さんに伺いました。

◆温泉、鴨鍋、ぜひ楽しみに来てほしい!
(震災があって噴火があって、大変な時間が長かった。でも逆に得られるものもあったりするんですか)
今まで温泉が止まるなんてことは誰も考えてこなかったと思うんです。当たり前のように出ていて。でも当たり前じゃないんだというのは思いましたね。また自然と共存しているということも実感しましたし、うまく共存していくしかないというのは想いますね。

(力をもらった部分もあったんですかね)
ボランティアですとかいろんな人たちの力ですね。全国いろんなところから。あとはお客様ですね。以前にうちに泊まられたお客様から手紙やお電話とか、海外からも外国のお客様が「大丈夫?」とお電話やお手紙がすごくありがたかったですね。でも、うちはここまで来れていますけど阿蘇全体で言うとまだまだですし、地獄温泉さんとか全然営業できていない状態で、そういうところがたくさんあります。まだまだ復興の途中の段階だと思っています。ただ、「阿蘇に行くのをやめよう」とかボランティアでお手伝いに来ればいいというのはちょっと違うと思うんですよね。とにかく阿蘇に来てお金を落として頂いて、阿蘇全体が徐々に潤っていくのが一番の復興支援になると思っています。

(秋から冬、これからの魅力は)
寒い時こそ温泉というのは日本人の皆さんはあると思うので、ぜひ掘りなおした新しいパワーアップした温泉を楽しんで頂ければなと思います。

(食べ物は)
いまは鴨鍋ですね。すごく出汁が効いていておいしいです。

(焼酎バーも魅力的ですよね)
そちらを気に入ってリピーターになるお客様もいらっしゃいますね。


さらに、女将さんがおすすめする蘇山郷の楽しみも教えてもらいました!

◆雪の季節も格別です
寒いのは苦手なんですけど、でも、やっぱり雪景色の真っ白な、足跡一つついていない時の杉の間から見る庭は最高ですね。もう本当にキレイなんですよ。誰の足跡ひとつもない、すごいじゃない・・・という。あれは自分で見ても感動します。その杉の間は見てほしいのが一つ、温泉、そして料理、あとは個人的には私が館内のお花を活けているので、お花も見て頂けたら嬉しいなと。


実はこの「杉の間」は昭和7年、与謝野鉄幹・晶子夫妻が宿泊したお部屋。2人がつかった「硯(すずり)」も展示されていて、素晴らしく趣のあるお部屋でした。
ちなみに、大浴場の他、貸し切りの半露天と屋根付きお風呂もあって、これもまた素晴らしいですよ!
★蘇山郷ウェブサイト

2016年11月16日

11月16日 阿蘇市内牧温泉『蘇山郷』(1)

きょうも中西哲生の熊本レポート。番組で何度か状況をお伝えしてきた阿蘇の温泉旅館の「いま」をお伝えします。

阿蘇市内の内牧温泉にある、老舗旅館『蘇山郷』。内牧温泉は地震の影響で、一部の旅館で温泉が止まってしまったのですが、蘇山郷はその後改めて「温泉を掘る」ことを決意。そして見事、温泉がまた湧いてきた!!・・・というのを、この番組では7月にお伝えしました。

で、どうなったか。実は中西哲生は取材も兼ねて、営業再開した蘇山郷に宿泊!取材とはいえ、最高の温泉を堪能!

ただ、営業再開まではみなさん本当にご苦労をされてきました。蘇山郷の女将・永田佳代子さんのお話です。

◆お客さんに来てほしい!
(以前のお湯に比べていかがですか)
湯量も増えて温度も高くて、すごく良いお湯が出ました。再オープンは7月19日でしたね。
(その時はどういうお気持ちでしたか)
やっとこの日が迎えられてよかったねと。暖簾を社長がかけたときに、「本当にこの日を待っていたね」って思わず言いました。みんながそういう気持ちで、ありがたい、嬉しいという気持ちでいっぱいだったと思います。
(じゃあ夏休みのお客さんには間に合ったということですね)
そうですね。あとは復興割りが7月1日から受付で、それにも間に合っておかげさまで7月から9月まではよかったですね。
(ただ、阿蘇山の噴火があって。)
そうなんですよ。まあ住んでいる私たちは、以前もちょっとありましたし何も変わらないんですよね。あ、噴火したなあくらいで。直接こちらに噴石が飛んでくることもないですし、内牧地区は全くどうもなくって、阿蘇神社の方の門前町はちょっと酷かったみたいですけど内牧はどうもないんです。いたってなんの代わりもないんですけど、お客さんから電話で「大変でしょう、すごいんじゃないの」って言われて。電話がある分には現状を伝えられるんですけど、行くのやめるというキャンセルもあったり。
(そういう人も結構いたんですか)
いまはちょっと戻ってきていますが、その時期はかなりキャンセルも多かったですし、予約自体が入らなくなっていました。すごく暇になりました。
(これから年末にかけて、お客さん増えるといいですね)
増えてほしいですね。ただ道路がやはり心配な面があるので、そういう問題点があるのは事実なんですけど。
(我々も迂回してきたんですが、道路の状況はもうちょっと早く進んでほしいという気持ちは)
道路が1つしかないので、週末にお客様が渋滞に巻き込まれたり、事故がすごく多くて到着時間が遅くなったり事故があった時点で通行止めになったこともあって、そこで待っていた人はずっとそのまま待っておかないといけなかったり。あとは外国のお客様が地震前は多かったんですけど、JRが通っていないと外国の方は来られないのでかなり減少していますね。大分の方からは来られるんですが、大津から阿蘇は来られないので。運転できる方はレンタカーで来られるんですけど、そんなに多くはいらっしゃらないので。
(JRは復興のめどはどうなんですか)
いつ頃というのは言ってないですね。立野のくずれた足が落ちたところを見ると言葉が出ないので。ああこれはと。別のルートの案も出てるんですけどね。大津のほうから赤水へ。でもそれもちょっと何年かかるか分からないですよね。


ということで蘇山郷は、建物の修繕も終わって施設内も大変キレイになっています。以前とは少し壁などの雰囲気も変えたそうです。

ただ、問題は交通インフラ。これは前回のレポートと状況があまり変わっていません。国道57号線はいまだ復旧のめどがたたずJR豊肥本線も同様です。。。

ただ、取材班はレンタカー移動しましたが、迂回ルートも景色が気持ちよくぜんぜん退屈はしませんでしたよ!


ということで、明日も蘇山郷からのレポート。明日は秋冬の阿蘇の楽しみもご紹介します。

★蘇山郷ウェブサイト

2016年11月15日

11月15日 熊本県益城町・木山神宮(2)

引き続き、熊本県 益城町に鎮座する地域の氏神さま。木山神宮の「いま」を、お伝えします。



4月の熊本地震で、境内の建物全てが全壊。再建のめどがたたない状況ですが、それでも木山神宮は、秋の例祭を執り行い、11月1日には、プレハブではありますが、仮の拝殿も完成。地域の拠り所としての神社の役割を、懸命にまっとうしています。

木山神宮の神職・矢田幸貴さんのお話です。

◆「絶やすことはならない」
神事は古来から続くおまつりごとであって、古来から台風・水害・天災にあっても続けてきたものですので、決して地震があったからといって絶やすことはならないということで、神社としては震災を受けた秋のお祭りも、地域の方々と協力しながらお祭りを執り行ったところです。
(実際、新しい狩りの本殿が)
仮の本殿と合わせて、お参りをする拝殿の両方を兼ねた建物になっています。
(これからそちらにご神体を移して)
そうですね。お移しをいたしまして、お参りできるようにしたいと思っています。
(このあとは七五三もね)
被災された中ではありますが、地元のお子さんたち、ご両親が地元神社で七五三をしたいということで、電話でも予約を頂いている。ぜひお子さんたちをお迎えすべく準備を進めています。もちろんお祝いを迎えたお子さんだけでなく、ご家族が一緒に笑顔になるんですね。ですからお子さん一人の笑顔がご家族を笑顔にするし、そして益城町も笑顔になっていくんじゃないかと思っています。


ということで、全国の神社・地元企業の支援で建てられた仮の拝殿は11月に完成。七五三に間に合いました。

矢田さんは、お父さんが神主、益城町で生まれ育った方。まだ35才と若いのですが、あの震災を機に、神社の「使命」を強く意識したといいます。そんな矢田さん、神職として、町の復興をこう考えています。

◆ご先祖たちも災害を乗り越えてきた
被害が大きすぎましたものですから、地元の人達はようやく仮設住宅に入居できたような状況でして、今からが復興だと地元の人間としても考えています。
(どういうものが力になっていますか)
私が考える復興は2つあって、住宅の再建といったインフラの復興だけでなくもう一つ大事なのが心の復興だと思う。物心両面というが、物と心両方が一緒に立ち上がって復興しなければ本当の復興ではないと思っていて、神社はその心の部分なので、地域の心の拠り所になるように一緒に勧めていけたらいいなと思っています。
(これを伝えたいというのはありますか)
平成の世の中に生を受けて、ご先祖様がいらっしゃったから私たちがいる。そのご先祖もなにかしら水害、地震、飢饉など時代の転換期を乗り越えてきたと思う。ですのでその中でその中で私たちがいるという現実は、私たちのご先祖もなにかしらの復興を成し遂げた証だと自分は思っています。ならばこれから続く未来の為に、自分たちもこの平成で復興を成し遂げていかなければいけないなと自分に言い聞かせる毎日です。



ちなみに、震災のあと矢田さんが最初にした仕事は、『益城町再興』と文字を書き、大きな看板にして参道の入口に建てることだったそうです。地元の友人に「おまえ、神社やめるのか。どうするんだ」と聞かれた矢田さんは、「俺が逃げるわけないだろ!」と、その気持ちを表明するためにまずこの看板を建てたのだそう。看板の文字の力強さがそれを物語っています。

丁寧に、言葉を選んで語ってくれましたが、実は熱いタマシイを持つ若者でした。これからも益城町の復興の力になっていくはず。

2016年11月14日

11月14日 熊本県益城町・木山神宮(1)

今朝は熊本県 益城町に鎮座する、地域の氏神さまをめぐる震災後の現状、お伝えします。


熊本県益城町、木山神宮。1000年以上の歴史を持つ神社です。本殿は完全に倒壊し、楼門や鳥居、社務所、境内のすべての建物が全壊しました。現在も境内の建物の多くは、手付かずになっているのですが、なぜなのか。木山神宮で神職をされている、矢田幸貴さんに伺いました。

◆地域の小さな神社の厳しい現実
14日の揺れでは、本殿が半壊以上、傾いていました。
(16日の2度めの深夜の揺れでは)
わずかながら残っていたすべての建造物が全壊した状況です。
(屋根から全部落ちてしまっていますが)
そうですね。まさに2階建ての建物が1階建てになってしまったような。
(で、これからどうされていくのでしょうか)
復旧工事については全く見通しが立っていません。通常神社は文化財の指定を受けている建物は国からの助成があるので、国の支援をもらって復旧復興に立ち上がっていくと思いますが、うちの神社の御本殿につきましては全く指定のない、未指定の文化財ということで、100%所有者である神社の負担ということで、現状は見通しが立っていない状況です。
(支援が受けられないというのは・・・)
100%所有者負担となりまして、これはうちの神社だけではなくて全国の小さな村の鎮守の神様というのは同じような状況でして、鳥取でもつい先日地震が起きまして、中越でも東日本でも大きな震災があって、自然災害に際しておそらく多くの神社、お寺、お堂、祠が被災して、地域の守り神である心の拠り所が消失してしまったというのが現状としてあります。文化財ばかり、国宝とか重要文化財ばかりに目がいきやすいですが、実はそういう小さい神社や祠は厳しい現実があります。
(地元の方々はそれでも足を運んでくださる)
そうですね。小さい神社というのは地域の皆さんに支えて頂いてお宮を守っている。年間を通して、お祭りの前に寄付を地元の方から頂いて神社の運営に当てておるんですが、熊本地震で特にこの益城町は被害が大きいということで、今の段階では地元の方々にお願いがしずらい状態がありますものですから、復旧と再建のめどが立っていないんです。


木山神宮の本殿は江戸時代後期、256年前に建てられたものです。それでも残念ながら公的な支援は受けられない。一方、木山神宮はできるだけ256年前の建築物を残そうと考えており、本殿から、重要な木彫りの彫刻部分を取り外して、再建のときのために保存しているそうです。
<br />

その一方、こんな問題も。実は「解体」の費用は行政から出るそう。そのため、過去の災害でも、少しでも負担を減らすために、解体を選択する神社仏閣も多かったといいます。結果、古くからの建物が町から失われるという大きな問題が起きています。

★木山神宮 Facebook

2016年11月10日

11月10日 ロアッソ熊本・畑実 ☓ 中西哲生

きのうに引き続き、熊本県に拠点を置くサッカーJ2・ロアッソ熊本ゴールキーパー、畑実選手のインタビューです。



熊本地震で特に被害の大きかった益城町で生まれ育ち、ご実家も益城町にある畑選手。
実家の建物も被害を受けたため、現在は、町外のいわゆる「みなし仮設」でご家族と生活しています。そんな畑選手は被災後、ロアッソ熊本のチームメイトによびかけ、避難所でサッカー教室を開くきっかけを作ったのですが、、、その経緯を伺いました。

◆サッカー、やろうよ。
やっぱり最初はみんな生きるのに精いっぱいという状況だったんですけど、落ち着いてくると子どもたちはストレスが溜まってきていろんなところで遊びだしたりして、親は大変で子どもを見てられないので、自分のところに「サッカーやろうよ」言ってきて。自分もまだサッカーして良いのかという気持ちもあったんですけど、どうにかしてサッカーをできる状況を作りたいなと思っていました。

(それでチームメイトに声をかけた)
そうですね。地元の方にも「サッカーやったらどうだ」という提案を受けたので、すぐにチームに相談して選手を呼び掛けたところ、みんな「やろう」ということで決まりました。避難所にいるときから、「何かできることはないか」と常に連絡をもらっていたので、サッカーなら役に立つと思ったのでありがたかったですね。

(子どもたちはボールを蹴り始めて表情はどうでしたか)
本当に楽しんでいましたね。体を動かすこともしていなかったでしょうし、みんな笑顔で。保護者や地域の大人も楽しそうに見ていたのでやってよかったなと思いました。

(自分のやっていたサッカーが役に立つ、実を結ぶと感じた)
改めて感じました。ボール一個あればみんな笑顔になれるし、こういうことができるのがサッカーのスゴサだと思いました。そういうことも改めて感じたので、こういう経験をしたからこそこれからも頑張っていきたいと思います。

(ロアッソ熊本としてもそうですし、ご自分として益城町とどう向き合っていくべきだと思っていますか)
震災があったからこそ地域の方々とのつながりもできましたし、避難所で声をかけて下さったり、こういう時だからこそ試合を頑張ってって言われることもあったので感謝の意味も込めて、これからもサッカーで試合で勝って元気を益城町に与えられるように頑張っていきたいです。


巻選手も話していましたが、ロアッソ熊本の選手たち、この件で地域に根差したクラブチームとしての責任感や役割、そして影響力を重く受け止めたと言います。畑選手もまだ20代ですが、人間として大きく成長したんですね。

最後に、生まれ育った益城町について畑選手に伺いました。

◆益城町が好き
(元々益城町で生まれ育って、どういう魅力がある町ですか)
田舎町ですけど
、食べ物、農作物も美味しいですし自然があることで人柄も良いし、地域のつながりが強いので住みやすい町で、自分自身もたくさんの人の支えで育ったと思うので、良い町だと思います・・・難しいですね表現が(笑)今は益城町じゃないところに住んでいますが、やっぱり益城町が良いですね。

(住民の方々の8割〜9割がそういう状況だと伺ったんですけど)
本当にそうだと思います。何が良いというのは無いんですけど、人のつながりやすさがあると思う。一度住んだら益城町が良いなという人は多いですし、来てみて伝わるものがあるのでぜひ来てほしいなと思います。


11月10日現在、J2ロアッソ熊本は残り2試合で18位。今週末(土)のFC岐阜(19位)との試合、20日(日)のC大阪との試合で、一つでも順位を上げられるか注目です。チームが勝つこと、全力のプレーを続けることが熊本の力になるはず! そしていつかJ1へ!!

2016年11月9日

11月9日 ロアッソ熊本・畑実 ☓ 中西哲生

今週は、熊本県に拠点を置くサッカーJ2・ロアッソ熊本の選手に焦点を当ててお届けしています。今回の取材では、FWで元日本代表・巻誠一郎選手ともう一人の選手にもインタビューしました。


畑実選手(27歳)。 ゴールキーパーです。ロアッソ熊本の選手たちが、避難所でサッカー教室を開く旗振り役になった選手。熊本地震で特に被害の大きかった益城町で生まれ育ち、ご実家も益城町にあります。
ご実家の建物も被害を受けたため、現在は、町外のいわゆる「みなし仮設」でご家族と生活しています。

◆「生きていかなきゃ」
(中西:4月14日の1回目の地震の時はどちらにいらっしゃったんですか)
自分はちょうど温泉に後輩と一緒に入っていて、その最中に・・・
(えっ? 温泉には日常的に行かれていたんですか)
近くにあるので、たまたま行っていて。ちょうど露天風呂に入っている時に地震が起きて。最初は何かなと思って。すごい地響きがして揺れがあったのですぐにあがって確かめたら震度7ということでかなりビックリしました。

(もともと、益城町のご実家に住んでらっしゃるんですか)
そうですね。1回目の地震のあとは実家に戻ることができなかったので、避難所というか公民館のようなところに泊まって朝に帰ったんですけど、その途中の道がもうガタガタで、朝になってビックリしましたね。道も凸凹でマンホールが浮き上がっていて、クルマで走っていてもガタガタするような感じで。

(さっき巻選手に伺って、1回目のあとはまだ「週末の京都戦がアウェイである」ということもイメージしたと言っていました。1回目の時はまだ、練習はあしたあるのかなと考えるような状況だったんですか)
自分自身は実家が1回目の被害も受けていたので、練習にすぐ行ける状況でなかかったのですが、試合はできるかなという感じはありましたね。

(それで2回目の地震が。その時は。)
友だちの家にシャワーを浴びに行っている時に地震が起きました。それまでは家の片づけとかをしていて、お風呂に入りたかったのでお湯の出る友達のところに行ってシャワーを浴びてゆっくりしている時に地震があって、かなり揺れたので本当にもう死ぬかと思いました。動けないし何もできない。頭を画して揺れが収まるのを待つしかなくて、しかも長かったのでいつまで続くんだろうという感じでちょっと怖かったですね。

(実家に戻ってみてどうですか)
瓦が落ちたり窓ガラスが割れたりひびが入ったりして、それでもまだある程度は修理すれば大丈夫かなという感じだったんですけど、2回目で完全に住めないような状況になりましたね。そのまま避難所に行きました。

(夜が明けて家の周りは見に行かれたんですか)
次の日くらいに行きましたけど、さらにひどくなっていて。中もぐちゃぐちゃでしたし。何より自分の家はまだ建っていたんですけど、まわりの家がさらに倒壊して道が土砂崩れのように崩れていてショックでしたね。

(こういう地震があって、サッカーもできなくなって、まず自分がやるべきことはなんだと思いましたか)
まずは生きていかなきゃなと。避難所にもまだ食料があまりなくて、なんとかしなきゃいけないという思いだけでやっていましたね。


畑選手のご実家は全壊判定を受けており、来年以降での自宅再建・修復を目指しているそう。ただ、現在のみなし仮設は、ご両親はじめ家族全員で生活できていて、バラバラになっていないのが救いだと言います。

そして避難所で畑選手は、徐々にストレスを感じ始めた子どもたちのためにサッカーをするべきでは、と考えるようになるのですが、この続きは明日お届けします。

2016年11月8日

11月8日 ロアッソ熊本・巻誠一郎 ☓ 中西哲生

昨日に引き続き、ロアッソ熊本のFWで元日本代表・巻誠一郎選手のインタビューです。

4月の熊本地震で、チームが活動休止となったロアッソ熊本。ホームスタジアムは支援物資の集積所となり、選手たちも避難生活を余儀なくされる中、
巻選手を中心に、全国から集った支援物資の供給などに専念する日々が続きました。サッカーどころではない、誰もがそう思ったはず。

ただ、やはりサッカー選手として何かできないか。そう考えた選手たちが、自主的に始めたのが、子どもたちのためのサッカー教室だったんですね。これについて巻選手に伺いました。

◆僕らにしかできない活動
きっかけは、ウチのチームの畑という選手が避難所にいて、「子どもたちにサッカーをしてくれないか」というチームのグループLINEを作ったんです。選手同士で。その中で、俺も行く、俺も行くと手が上がり、ゴールを準備する、ボールを持ってくる、俺はビブスという感じで自発的にサッカーを始めたのが一番最初だったんです。そしたら子どもたちがすごく笑顔になって楽しそうで。うちの子どももそうだったんですけど、ずっとクルマの中にいて地震で危ないのであまり遠くにいけないじゃないですか。ストレスもすごく溜まっているんです。そういう中でサッカーをやると子どもたちがすごく笑顔でイキイキしていて。なかなかそういう笑顔に触れることが少なかったので、まずこういうことをやれてよかったというのが第一印象で。もう一つが、まわりの親御さんとか地域の避難されているおじいちゃんおばあちゃんたちまで笑顔になるんですよ。ああそういうことなんだなと思って。子どもが笑顔になると大人たちも笑顔になるんです。それで温かい気持ちになって、「頑張ろうと思える」「ありがとね」って言ってくれて。僕らはありがとうと言ってもらいたくてやっているわけじゃないんですけど、そういう声がもらえると、この活動は僕らにしか出来ないと思えるんです。だからそこからは、逆に選手の中で色んな避難所に声掛けをして、ニーズがあるところにどんどん行こうと。避難所だったり近隣のグラウンドに子どもたちを集めて、色んな部隊に分かれて子どもたちとサッカーをしてみんなで笑顔になろうと。サッカー教室というかみんなで笑顔を作りに行くという活動でしたね。


この活動を通じて、熊本の選手たちはプロサッカー選手に出来ること、その影響力、責任感を強く感じたと巻選手は話します。

そして、ロアッソ熊本は5月2日に全体練習を再開。5月15日に、巻選手の古巣でもあるジェフとの試合で、試合復帰を果たしたのですが、あのフクダ電子アリーナの伝説の試合、巻選手はじめ選手たちはどんな想いで迎えたのでしょうか。

◆サッカーが出来ることは当たり前じゃない
みんな「責任」というのを感じるのか、試合では硬かったですね(笑)
(相手のジェフサポーターからも温かい声援がありました)
あれは僕にとって、特別な空間だったというか。一生忘れることが出来ない試合ですね。
(今シーズン戦ってきて、非常に大変な状況の中で熊本として、何が恩返しができたかと思いますかね)
正直、恩返しできたかは分からないですけど、僕ら自身は全力でプレーすること。今でも思うんですけど、サッカーを出来ることに感謝しています。今まではサッカーが出来ることが当たり前で、毎試合できるのが当たり前で、地域の皆さんに支えてもらって応援してもらうのが当たり前・・・じゃないんだけど、心のどこかにあったんですけど、今は本当に心の底から感謝しているし、それをプレーで見せたいと思います。
(元々、巻選手は魂でプレーしている選手ですけど、さらに魂がはいった)
そうですね。本当にワンプレーワンプレー、1日1日がすごく貴重な時間なんだなと思えるようになったと思います。


★巻選手が立ち上げた熊本復興支援募金 YOUR ACTION KUMAMOTO

明日は、ロアッソ熊本が子どもたちのために実施したサッカー教室のきっかけとなった選手、ゴールキーパーの畑実選手のインタビューです。

2016年11月7日

11月7日 ロアッソ熊本・巻誠一郎 ☓ 中西哲生

熊本地震からおよそ半年。あの時からずっと、地元の方々と支え合い、ともに復興へ歩み続けるクラブチームがあります。J2・ロアッソ熊本です。

地震の影響で、一時は活動休止に追い込まれ、被災直後はFWで元日本代表・巻誠一郎選手の呼びかけで支援物資の供給、さらに避難所の子どもたちのサッカー教室などに専念。5月の活動再開後も、地元クラブとして、熊本復興の旗印として戦い続けています。

11月5日、中西哲生は熊本市の練習場を訪問、巻選手をインタビュー。最大震度7を2度記録した、あの地震当時について、巻選手は、こう振り返ります。



◆とにかく「やらなきゃ」と思った。
大きな地震が熊本は2回起こったんですね。1回目はまだ建物も耐えて被害も大きい地域は大きかったですけど、熊本全体では、これはもうどうしようもないということもなくて。次の試合がちょうどアウェイの京都だったんで、その時は次のアウェイの試合に行かなきゃいけないという思いと、良い準備をしなきゃいけないというのが頭のなかにあって。建物が崩れ落ちて交通網が壊滅的な状況になったのが2度めの地震。その時はサッカーを考えられなくて、まずは家族だったり自分の近所の人の安全を守るとか、水や食料を確保しなきゃいけないし、電気も通っていなかったし、そういう必要最低限のライフラインを確保することに頭が行きました。生きるためにどうしよう、と。

(サッカー選手はけが人が出たらすぐに救護隊を呼んだり、何かあった時にすぐ動かなきゃという意識が試合中はあるじゃないですか。そういう感覚に近かったんですかね)
いや、そんなとこまで考えていないです。無意識というか「やんなきゃ」と思いました。うちは、おじいちゃんが足が不自由なので動けなかったので、父と母が祖父を乗せてから来るという連絡を取り合っていたんですが、もう渋滞で身動きが獲れないということだったので、なんとか家族が上がってくるまでは誘導しなきゃなというところからスタートして。そしたら思いの外、続々と近隣の町からも登ってきたのだと思いますけどね。

(運転している人たちは、巻選手が交通整理しているってびっくりしてたらしいです。自分が子供の頃から熊本に暮らしてきて、ここにこんな大きな地震がくるという予測はありましたか)
なかったですね。特に熊本という地域はそんなに地震が頻繁に起きる地域でもなかったので、まさか自分が住んでいるところでこんなに大きな地震が起きるとは思いませんでしたね。最初の地震の時も、グラウンドで子どもたちにサッカーを教えていたんですけど、最初は何が起こったのか分からなかったです。地震とも思わなかった。

(地面がぐにゃぐにゃとしているような)
立っていられないくらい揺れましたね。普段はふざけて全然言うことを聞かない子どもたちが、パニックでびっくりしちゃって、グラウンドの真ん中で小さくなって怖がっていたので、これは本当に大変なことが起こったんだなというのは、子どもたちの反応でわかりましたね。


巻選手には今年5月のJ2復帰戦直前にも、お電話で状況を語ってもらいました。その時も巻選手が中心となった呼びかけに、全国から支援物資が集まったという話がありましたが、巻選手によれば「サッカーどころではなく、本当に無我夢中だった」そうです。そして、サッカー界のネットワークもあり、倉庫を貸してくれる方、トラックをチャーターしてくれる人、様々な協力が集まり、最終的には1000トン近い物資が被災地へ届けられたといいます。巻選手自身は、ずっと倉庫で物資をどこにいくつ供給するか、指示する係をやっていたということです。

あしたもロアッソ熊本 巻誠一郎選手のインタビューです。
★巻選手が立ち上げた熊本復興支援募金 YOUR ACTION KUMAMOTO

2016年11月6日

11月4日 開沼博「はじめての福島学」(5)

今週は、福島学のスペシャリスト、立命館大学准教授、開沼博さんのインタビューです。

開沼さんは福島県いわき市出身。2006年から福島第一原発周辺地域の社会学的調査を手掛け、東日本大震災の後は、福島の復興に関する調査・研究を続けてきました。そんな開沼さんが昨年出版したのが「はじめての福島学」という本。福島の現状をデータで読み解く一冊です。

5日目のテーマは「福島の新しい産業」です。

◆南相馬市 ロボットテストフィールド
福島は震災後にネガティブな動きとともに、ポジティブな動きも生まれている。南相馬ではロボットテストフィールドといって、かなり大型なロボットも含めて、ロボットが遠隔操作で動くかとか、ドローンがどういうふうに動くかなど、広いフィールドで実験できる場ができる。もちろん福島第一原発の廃炉でロボットが必要だという発想から生まれているが、実際はそれだけではなく、介護用や農業用など、そういった技術を使いたいという企業がさまざま参加して動いている。これは非常に面白い話で、福島といったら原発はどうするのということが問題だと外からは見えると思うが、廃炉技術とは何なのかというと、原発の専門家やメーカーだけが頑張ればいいというわけでなはく、一番現場で働いているロボットやドローン、またスマートフォンが乗っかっているキャタピラー付きの原始的なロボットだったりする。スマートフォンということが重要で、位置情報とかわかりやすい画像などを非常に小さい携帯の中に集積されているということがポイント。そういったことに象徴されるように、廃炉技術だけを追求しても廃炉技術が出来るわけではない、いろんな技術を追求される多様性がある中で、イノベーションが起こり、結果として廃炉に関する技術も、開発・発明されるかもしれない。逆に廃炉技術を追求していく中で、廃炉とは全然違う技術が開発されていくかもしれない。そういう循環を作っていく、エコシステムを作っていくことが重要で、福島で起こっていることに非常にネガティブなイメージを持っている方や、福島ではなにも動かなくなっている、福島には人がいない風景があるなど、紋切型のイメージのまま止まってしまっている人もいるかもしれないが、確かにそういうそく面もあるが、その先に新しい産業が生まれ、新しい人の動きが生まれ、新しい知識が出てくるとうい「小さな芽」が、現場にはある。


少子高齢化、過疎、地域コミュニティの崩壊・・福島で起こっている課題は、いま全国各地の「限界集落」が抱えている問題でもあります。

◆「課題先進地」としての挑戦
一言で定義するのであれば、福島は先進国内の課題先進地。高齢化が進み、既存の産業がうまくいかない、町づくりコミュニティも崩壊している、医療福祉の体制が非常に脆弱である、そういった問題というのは、日本全体がこれから20年、30年かけて深く向き合っていかなければいけない問題。あるいはほかの先進国やインドや中国もたぶん半世紀単位で向き合っていくことになるはず。それを福島は偶然ながら、(震災後の)最初の2−3年で突きつけられた。一気に人がいなくなる地域が出てきたり、一気に高齢者が医療過疎のところに住まざるをえなくなった、コミュニティから見放された。そういう中で、どのように生きやすい社会をつくっていくのかということが求められている。そこではいろんな最先端の技術が活躍した瞬間に救われる命もあるかもしれない。あるいは技術的なことだけでなく、行政や社会のプロセスがもう一度デザインし直すことが人の幸せをうみだすかもしれない。そういった課題の先進地であるという風に福島を定義したときに、そこにはいろんな可能性が見えてくるのかなと思う。


2016年11月6日

11月3日 開沼博「はじめての福島学」(4)

今週は、福島学のスペシャリスト、立命館大学准教授、開沼博さんのインタビューです。

開沼さんは福島県いわき市出身。2006年から福島第一原発周辺地域の社会学的調査を手掛け、東日本大震災の後は、福島の復興に関する調査・研究を続けてきました。そんな開沼さんが昨年出版したのが「はじめての福島学」という本。福島の現状をデータで読み解く一冊です。

今日のテーマは「中間貯蔵施設のいま」です。

◆中間貯蔵施設の地権者、いまの心境
福島第一原発の廃炉と並んで大事なのが、その周辺にできる中間貯蔵施設。これがなにかというと、除染で出たごみ「廃棄物」を持ってくる施設ということ。これを福島第一原発の周辺にドーナツ状にできるものだと考えてほしい。
ひとつ誤解されているのが、「全然進んでいない」「土地買収が数パーセントしか進んでいないんじゃいか」という意見。確かにで事実ではあるが、他の事実もある。多くの場所、8割以上では地権者が現場の調査をしていいよ、つまりこれから現場を中間貯蔵施設にしていくかどうか、まだ最終的な合意には至っていないけれど、そういう検討に入っていこうとしているということ。ここは非常に重要で、やっぱり契約はしないがとりあえず調査していいという状況に多くの人がとどまっているということが、いまの心境や現状を象徴的に表していると思う。「あんな土地どうでもいいわ」と思っていたらすぐに売ってしまうかもしれないし、「絶対に売らない」という思いがあるのであれば、そもそも調査も始まらない。でもその間にいる。復興のためには、未来をつくるためには、その土地を中間貯蔵施設にすることはみんなのためになるだろうという方もいるし、一方では、やっぱり自分自身の思いにふんぎりがつかない、まだ迷いたいという人もいる。そういう住民の戸惑いや懸念を、だれも協力していないんだというような言い方は、現場で迷っている被災者にとっては、非常につらいものいなっているのかと思う。その点の誤解を解きたいと思う。

では中間貯蔵施設の土地の買収が終わったら、それで全部済むのかというと、そうではない。そこに大量の、東京ドーム17杯分の廃棄物が入ってくる。輸送したり管理したりする中で、新たな課題がでてくるので、そういったことについて考えていくことが重要。一応国は、震災から30年以内に福島から廃棄物を外に持っていくと言っている。それを実現するためには、いまもう5年経ってしまっているわけだから、いまからどういう策をとりながら、言ったことを実現するかを議論していくべき。このまま5年経ったら、議論しないまま10年経っちゃいましたとか、そうしたら無理ですよねと話にどんどんなってしまう。いまから議論をすることが重要。


※環境省は今年4月、福島第一原発の除染廃棄物を、福島県双葉町と大熊町の建設予定地内に運び込む
本格輸送を始めました。平成28年度中に、およそ15万立法メートルを運び込む予定

2016年11月6日

11月2日 開沼博「はじめての福島学」(3)

今週は、福島学のスペシャリスト、立命館大学准教授、開沼博さんのインタビューです。

開沼さんは福島県いわき市出身。2006年から福島第一原発周辺地域の社会学的調査を手掛け、東日本大震災の後は、福島の復興に関する調査・研究を続けてきました。そんな開沼さんが昨年出版したのが「はじめての福島学」という本。福島の現状をデータで読み解く一冊です。

今日のテーマ、まずは「福島の観光」です。

◆修学旅行と、外国人観光客の戻り
いちばんややこしいのが観光。全体でみると8割から9割ぐらいで足踏みしているが、だいぶ回復してきているとも思う。ただ、残りの2割ぐらいがどういう人たちなのかが、だいぶ偏りがあると言われている。一つは外国人観光客。震災前福島には(年間)4万人の外国人韓国客が来ていたが、震災後は3000人台になり、そこから大きく増えていない。10分の1。これだけ日本でインバウンドとか爆買いとか言っている中で、福島は大きく取り残されている、むしろ後退していしまっている。
もう一つは学校の修学旅行。これも震災から5年経とうとしているがまだ半分くらいしか戻ってきていない。福島は関東からも近いから、震災前関東から修学旅行の一環で来て、盛んだった会津若松などは城見学や農業体験などをやっていた。しかし震災後、震災前と同じように福島に行きましょうというと、「それはどうなんだ」という親御さんがある一定数以上いたりして、学校としてはことなかれ主義で、ほかのところでもいいじゃないかということになる。


2020東京五輪に向けて、海外へも情報発信をしていくことが重要です。

◆スポーツの町、希望や新しい姿の発信
希望を持っているのは、2020東京オリンピックの聖火ランナーに国道6号線を走ってもらいたいという話がある。非常に政治的に反発を受けて、地元の方がいやな思いをしているが、「福島の安全PRにオリンピックを使うのか」「危険なんじゃないか」といった意見。やっぱり原発周辺地域には、Jヴィレッジというアジアで一番広いともいわれるサッカーのトレーニング施設があって、日本代表も国際遠征いくときにいつも泊まっていたような場所があって、非常にスポーツも盛ん。その風景をもう一度取り戻したいという思いを、2020東京に関連してぜひ実現してほしいという住民の方の想いもある。
あと震災後の面白い動きとしては、福島のプロスポーツチームがいくつか誕生している。野球の独立チーム「福島ホープス」、バスケットボール「福島ファイヤーボンズ」など。どちらも運営している方にお話を聴いていくと、震災後ネガティブな形で日本そして世界に知られてしまった福島を、ポジティブに発信できるようなものがほしい、また子どもたちが憧れるような選手や文化がほしいということで、こういうチームが生まれたということ。スポーツに重ねるような自分たちの希望や新しい姿の発信の在り方をくみ取って、福島の状況を発信する機会にしてもらればな、と思っている人も多いと思う。


2016年11月6日

11月1日 開沼博「はじめての福島学」(2)

今週は、福島学のスペシャリスト、立命館大学准教授、開沼博さんのインタビューです。

開沼さんは福島県いわき市出身。2006年から福島第一原発周辺地域の社会学的調査を手掛け、東日本大震災の後は、福島の復興に関する調査・研究を続けてきました。そんな開沼さんが昨年出版したのが「はじめての福島学」という本。福島の現状をデータで読み解く一冊です。

今日のテーマは「風評被害」です。

◆6年目の風評被害
風評というのは非常にあいまいな言葉。英語にすると「ハームフル・ルーマー(harmful rumor)=有害な噂」ということになる。ただ現場感覚からすると、単なる噂話ではないので、もうちょっと概念定義を明確にするべきだと思っている。ポイントは2つある。1つは経済的な損失。もう1つがディスクリミネーション(差別、偏見)が根強くあること。経済的な損失について。市場に出回ったときに福島のものがなぜ値段が下がるのか。消費者の中には福島ファンがいるのだから、そういう人たちがもっと買えばいいんじゃないかという話もあるが、例えば流通の段階で「うちの消費者がすごく福島のものを嫌がる人がいるんだよね」とか「これを入れただけでクレームしてくる人がいるんだよね」ということを交渉材料にして、値段を下げる動きが震災直後あって、いまもそれが固定化されてしまっている状況がある。そういう差別や偏見を無意識にもっている方たちの想いが、結果として市場の中で、福島の状況を5年前のままに固定化しているという側面がある。「自分の子や孫に福島のものを食べさせられるか」という方と、全然問題ないという方と、両方いると思う。不安を感じている人に適切で正確な情報が伝わっていないということが、震災から6年目に入っている、いまの状況だと思う。そういう問題を見える化していく、まだ知識が足りていないぶんをちゃんと意識化して、みんなで共有するための議論が必要だと思う。


風評被害に関しては、「なんとなく不安」とか「あえては選ばない」など消費者の「無意識の行動」が、実際の消費行動を左右している場合もあります。

◆福島のお米「全量全袋検査」
確かにこの問題はとても理解が難しいと思う。少なくともどういうスタンスで行くかといったら、ちゃんと事実を見てほしい。例えば福島県では、福島で獲れたお米に関して、市場に流れるものも自分の家で消費するものも、1000万袋くらい「全量全袋検査」を行っている。
2012年から始まって、最初の年は1000万分の71袋が法定基準値に引っかかった。(実はこの法定基準値もヨーロッパアメリカの基準の10倍以上厳しくしている)。2015年はそれがゼロ袋になった。世界で一番厳しい検査をして、そういう結果が出た。それでも気持ち悪いという方は、アンケートをとるとだいたい1割2割出てくる。それはそれで仕方ない。でも8割の方はちゃんとデータを知ることによって、大丈夫なんだなと思っている。まず事実を知ることが重要だと思う。


2016年11月6日

10月31日 開沼博「はじめての福島学」(1)

今週は、福島学のスペシャリスト、立命館大学准教授、開沼博さんのインタビューです。

開沼さんは福島県いわき市出身。2006年から福島第一原発周辺地域の社会学的調査を手掛け、東日本大震災の後は、福島の復興に関する調査・研究を続けてきました。そんな開沼さんが昨年出版したのが「はじめての福島学」という本。福島の現状をデータで読み解く一冊です。

今日のテーマは「風評被害」です。

◆6年目の風評被害
風評というのは非常にあいまいな言葉。英語にすると「ハームフル・ルーマー(harmful rumor)=有害な噂」ということになる。ただ現場感覚からすると、単なる噂話ではないので、もうちょっと概念定義を明確にするべきだと思っている。ポイントは2つある。1つは経済的な損失。もう1つがディスクリミネーション(差別、偏見)が根強くあること。経済的な損失について。市場に出回ったときに福島のものがなぜ値段が下がるのか。消費者の中には福島ファンがいるのだから、そういう人たちがもっと買えばいいんじゃないかという話もあるが、例えば流通の段階で「うちの消費者がすごく福島のものを嫌がる人がいるんだよね」とか「これを入れただけでクレームしてくる人がいるんだよね」ということを交渉材料にして、値段を下げる動きが震災直後あって、いまもそれが固定化されてしまっている状況がある。そういう差別や偏見を無意識にもっている方たちの想いが、結果として市場の中で、福島の状況を5年前のままに固定化しているという側面がある。「自分の子や孫に福島のものを食べさせられるか」という方と、全然問題ないという方と、両方いると思う。不安を感じている人に適切で正確な情報が伝わっていないということが、震災から6年目に入っている、いまの状況だと思う。そういう問題を見える化していく、まだ知識が足りていないぶんをちゃんと意識化して、みんなで共有するための議論が必要だと思う。

風評被害に関しては、「なんとなく不安」とか「あえては選ばない」など消費者の「無意識の行動」が、実際の消費行動を左右している場合もあります。

◆福島のお米「全量全袋検査」
確かにこの問題はとても理解が難しいと思う。少なくともどういうスタンスで行くかといったら、ちゃんと事実を見てほしい。例えば福島県では、福島で獲れたお米に関して、市場に流れるものも自分の家で消費するものも、1000万袋くらい「全量全袋検査」を行っている。
2012年から始まって、最初の年は1000万分の71袋が法定基準値に引っかかった。(実はこの法定基準値もヨーロッパアメリカの基準の10倍以上厳しくしている)。2015年はそれがゼロ袋になった。世界で一番厳しい検査をして、そういう結果が出た。それでも気持ち悪いという方は、アンケートをとるとだいたい1割2割出てくる。それはそれで仕方ない。でも8割の方はちゃんとデータを知ることによって、大丈夫なんだなと思っている。まず事実を知ることが重要だと思う。

2016年11月6日

10月31日 開沼博「はじめての福島学」(1)

今週は福島学のスペシャリスト、立命館大学准教授、開沼博さんのインタビューです。

開沼さんは福島県いわき市出身。2006年から福島第一原発周辺地域の社会学的調査を手掛け、東日本大震災の後は、福島の復興に関する調査・研究を続けてきました。そんな開沼さんが昨年出版したのが「はじめての福島学」という本。福島の現状をデータで読み解く一冊です。

その中から、今日は、福島の第一次産業「農業・漁業・林業」のお話です。

◆福島の農業・漁業・林業の「いま」
福島の状況として気になるのは、やはり食べ物かなと思う。一方では福島フェアなどで福島の産品、例えば東京なら東京駅の近くに福島の物産館があって、福島の漬物やお酒などが売っていて、すごくにぎわっていて、ぜひ食べたいとおっしゃる方もいる。もう一方では、放射線のこととかどうなっているんだろう、不安だなと思っている方もいらっしゃる。数字をみながら福島の状況をみてみたい。まず農業がどうなっているか。例えば米の生産量は、震災前に比べて震災後2割ほど減った。そこから徐々に上昇したなと思ったら、いまは8割5分ぐらいで足踏みをしている。これはどういうことかというと、原発事故の影響があったものの意外と福島では8割ぐらいの人が農業を続けようと思ったというのが、震災直後の状況。それから5年ほどたつ中で、やっぱり福島で農業をやるのはきついな、やめてしまおうかなという人が増えている、だから足踏みしている。8割から8割5分に。この5年間で5分しか伸びなかった。背景にあるのは一言でいうと価格低下。福島のものというと、市場に流れたときに値段が下がってしまう、または流通の過程で下げられてしまうということがある。作物や時期によって一概には言えないが、例えば米であれば、震災前に比べ、3〜4割価格が下がってしまっているところもある。ようは売上は5年間あなたの会社は売上4割減よといわれたら、ちょっとこの会社たたもうかなという方もいると思う。そういう状況が続いている。
漁業も一応ある程度の回復をしている。遠方にとりにいくような、カツオやサンマは徐々に獲れるようになってきているが、これも農業と同じで値段がなかなかつかない、高くは売れないとう状況が続いている。一方でより厳しいのが近海、つまり陸地から近いところで獲れる魚。そこは試験操業といって、週に1回から2回くらい、安全が確認されている魚を獲る、という状況。
林業は、数字上は相当回復してきている。震災前に比べてほぼ100%に近い生産高になっている。しかしながら問題はそれだけではない。特に山林の除染はほとんどできていない。技術的にもかなり不可能に近いともいわれている。すべての山林が汚染されたわけではないが、汚染の濃度が濃いところの除染は、いまだ手つかずのところもある。中山間地域の暮らしはまだまだ厳しいんだなあと思っていただければと思う。


福島の一次産業において、重要な柱が3つあると開沼さんは言います。
それが「モニタリング」、「ブランティング」、「ターゲティング」。
「モニタリング」は、安心安全のための検査体制を確立すること。
「ブランディング」は、一次産品の付加価値を上げて、競争力を持たせること。
最後の「ターゲティング」は、福島の一次産品に漠然とした不安を抱いている層にターゲットを絞って“正確な情報”を発信していくこと。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

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