2017年4月26日

4月26日 福島県相馬市 松川浦 菊地基文さん(3)

今週1週間は、福島県の漁業、そして生活する人々の「いま」を特集します。福島を応援する企画として、毎日 福島県産の美味しいモノ・郷土品のプレゼントもご用意しました。

詳細はこのブログの一番下をご覧ください。

引き続き福島県相馬市「松川浦漁港」の若き漁師、菊地基文さんのインタビューです。厳しい基準で調査、試験操業を続けてきた松川浦では、
いまようやく、震災前の活気を取り戻しつつあります。菊地さんは、「漁師が加工品の開発に乗り出したり、漁師自らPR活動を始めたのも、震災があったから」と、本当に前向きに活動を続けています。最後は、菊地さんが考える松川浦、福島の漁業のこれからです。

◆震災前にはできなかったこと
(※聞き手:中西)ここの漁業は、ずっと優秀なんです。今まで儲かって来たんです。中学校卒業したての鼻たれ坊主が1000万円くらいもらえる世界だから。(それだけ豊かな漁場がこの相馬にあるということですか)それもそうなんですが、一番大きいのは気性の荒い漁師が多いという浜だからですかね。タンカーすら走っていないような海でも操業しているんです。(それでも船を出すというのは技術が当然高いということですよね)そうですね。魚獲る技術は上手いと思います。(特有の相馬の技術ってあるんですか)ここで作った技術がありますね。底引き船って底を引くので魚が中で死んじゃうんですね。ここは網に工夫をしていて活魚で持ってくるという。(生きたまま)ええ。船にも活魚槽といういけすがあってそこに入れて持ってくるんです。(するとクオリティが全然違う)活魚の方が全然値段が上がります。(値崩れしたり漁に出られないとか色々あったと思いますが、この6年を振り返ってどうですか)やりたいことをただやってきただけなので。こんなことは震災前だったらできなかっただろうということが実際に形になっているし。そういう意味では逆にプラスなんじゃないかなと思うくらいです。(どんこボールもそうですが、あがってきたものを自分たちで加工でさらに美味しくするという部分も続けていくんですか)続けようと思っています。若い漁業者で任意で団体を作ってやっているんですが、それ以外にも水産加工と個々の浜で上がる魚の発信、ただイベントに行って食べさせてというPRだけじゃなく、雑誌も作っているんです。「食べる通信」という。活字に残してPRするというのも一つだし。(震災前はやったなかったことですよね。それができるという意味でもプラスに捉えていると。今後はどうしていきたいですか)今後は・・・こういう感じでやりたいことをやっていきたいす(笑)自分の本業は漁業だし、食べる通信もそうですし商品開発も地域のこともそうなんですが、本操業を迎えた時に自走していけるようにしておきたいなと思っています。


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そして今日も福島の美味しいモノ・郷土品のプレゼントです!今日は、松川浦漁港の漁師・菊地さんの「清昭丸」から
「ミズダコのボイル(冷凍)」 足1本まるごと500グラム! こちらを3名様にプレゼントします!
メッセージフォームから、ぜひ放送の感想とともに、ご応募ください!

あしたは、福島の風評被害の払しょくにとりくむ、カナダ人の方の活動をクローズアップします。もちろん、福島の「いいもの」のプレゼントもあります!

2017年4月25日

4月25日 福島県相馬市 松川浦 菊地基文さん(2)

今週1週間は、福島県の漁業、そして生活する人々の「いま」を特集します。福島を応援する企画として、毎日 福島県産の美味しいモノ・郷土品のプレゼントもご用意しました。
詳しくはこのブログの一番下をご覧ください。

引き続き、福島県相馬市「松川浦漁港」の若き漁師、菊地基文さんのインタビューです。
国の基準よりも、さらに厳しい基準を設けて調査を続け、 いまでは、およそ100種類の魚を水揚げできるまでに再生した松川浦漁港。そもそも、このあたりの海で獲れる魚「常磐もの」は、全国的にも上手い魚のブランドとして有名なんですが、菊地さんは、「常磐もの」復活の道筋を見えてきたことを、こう感じていると言います。

◆漁業者としての喜び
(※聞き手:中西) (菊地さんが、水揚げした常磐ものについてどんな感想が)こないだいわきの寿司職人の親方から連絡が来て、こちらからヒラメとか色々送ったんですけど、「ヒラメ食って涙が出た」と言っていましたね。やっぱり違うと。それは嬉しいですよね。直接扱う人、一番舌が肥えている人から評価をもらうというのは漁業者としては最高ですよね。(僕は相馬の人間ではないんですけど、すっごい嬉しかったです。僕も相馬で上がったものを食べさせて頂いて、ものすごく美味しかったので)あんなもんじゃないですよ(笑)


さらに、相馬の海と漁業について詳しく伺いました。

◆いま、相馬の海は
トータルで豊かにはなっていると思いますね。福島の沖は。この魚は震災前はそんなに数はいなかったのに・・・というものが上がっています。アカムツ…東京だとノドグロって呼びますよね。根魚と呼ばれる魚ですかね。カサゴ類とか。(食べたい!!実際この6年間で漁業に興味を持つ人を育成するのは難しかったと思いますが現状は)こういう現状になっても毎年、底引き船や小型船に若者が毎年1人ずつくらい入ってきています。ここの基幹産業は漁業で、ずっと優秀なんです。今まで儲かって来たんです。中学校卒業したての鼻たれ坊主が1000万円くらいもらえる世界だから。(そうなんですか)10カ月で1000万円くらいもらえます(それだけ豊かな漁場がこの相馬にあるということですか)それもそうなんですが、一番大きいのは気性の荒い漁師が多いという浜だからですかね。荒らしているとほかの浜から船が出なければ独り勝ちになるんです。その日の浜値が上がるんです。それも企業努力なんですが、海が荒れれば荒れるほど出たがる(笑)(そんなリスクを冒したがる精神はどこからくるんですか)魚獲ってくれば(価格が)跳ね上がるのが分かっているから。タンカーすら走っていないような海でも操業しているんです。船頭連中が無線で「大きい船出てねえな」と。下で働いている人たちにするとかんべんしてくれという感じなんですけどね。(それでも船を出すというのは技術が当然高いということですよね)そうですね。魚獲る技術は上手いと思います。


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そして今日も福島の美味しいモノ・郷土品のプレゼントです!松川浦漁港の漁師・菊地さんの「清昭丸」から「小女子(こうなご)のちりめん」200グラム を3名様にプレゼント!
希望される方はメッセージフォームから、ぜひ放送の感想とともに、ご応募ください!

コウナゴは、相馬に春を告げる魚です。まさに旬のコウナゴのちりめん・・・ご飯に載せてどーぞ!

あしたも、菊地さんのインタビュー、松川浦漁港の美味いものプレゼントあります!

2017年4月24日

4月24日 福島県相馬市 松川浦 菊地基文さん(1)

今週1週間は、福島県の漁業、そして生活する人々の「いま」を特集します。そして、福島を応援する企画として、毎日 福島県産の美味しいモノ・郷土品のプレゼントもご用意しました。月曜日のプレゼント、b>「どんこ肝つみれ」(通称どんこボール)10個入り・5食分を3名様 当選者は以下の3名さまです。

神奈川県の「ねこちゃん」さん
神奈川県の「のりたま」さん
千葉県の「かあき」さん    おめでとうございます♪




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きょうは、福島県相馬市「松川浦漁港」の今をお伝えします。お話を伺ったのは、菊地基文さん。松川浦で生まれ育った、まだ40歳の若い漁師さんです。中西哲生は2014年から継続して、菊地さんを取材しています。松川浦はじめ福島の各漁協では、「サンプリング調査」など放射線の厳しいチェックを元に、安全が確認できた魚種に限り、「試験操業」という形で、漁業を少しずつ再開しています。

試験操業が始まった2012年、水揚げできる魚種はたった20種類でしたがそれが、2015年には60種類。そこからさらに2年が経過した、松川浦の現状を伺いました。

◆一歩ずつ、漁業完全復活へ
(※聞き手:中西)護岸工事もかなり進んでいますし、漁協の支所自体も去年開設。獲れる魚種も100魚種まで。(いまはもう100? 以前お会いした時は60魚種くらいでした)漁場も徐々に広がってきて、そういう意味ではちょっとずつ前進していますね。(試験操業の前提となるサンプリング調査はどうですか)サンプリングは今でもずっと続いていて、毎週毎週。ここの浜だと底引き船と小型船に分かれて毎週4隻出て検体を獲ってくるんです。(その結果は)3年くらい前からほとんど基準値オーバーというのは出ていなくて。国の基準は1キロあたり100ベクレルなんですが、もともとここは50ベクレルという厳しい基準を独自に設けているんですが、それもここ2〜3年はずっと下回っています。(最終的にどういう形になれば本格操業になるんですか)まだ海域によって検体数が少ないものもあるんですね。そこは慎重に検体を獲り続けて。まあ何年という時間的なものではなく、トータルでそういうものが出なくなったら一斉に本格操業となるのか・・・それは分からないですけどね。(本格操業が近づいている実感はありますか)そうですね。毎月1魚種〜3魚種くらいは解除されているのでいつかは全魚種大丈夫になると思います。(値段については)8割から9割くらいまでは回復してきているとは言っていますが、それでも大手量販店やバイヤーさんは、まだまだ拒むというのが現実としてあって。やっぱり「買って下さい買って下さい」と言うのはすごく漁業者としてはしゃくだし。モノはいいのになぜ頭を下げて買ってもらわなきゃならないんだと。そうじゃなくて「それ欲しいから買わせてください」という流れにしたいなと取り組んでいます。(そうならないと元の姿には戻らない)震災前はそうでしたから。常磐もののヒラメ、カレイ類、フラットフィッシュというのは常磐ものが日本一美味しいと言われていて漁獲量も日本一だったんですね。なのでその価値を上げるような取り組みはこれから形にしていきたいと思っていますね。


今朝は、福島県相馬市 松川浦の漁師・菊地基文さんが語る松川浦の漁業の「いま」でした。

いま松川浦では、毎月 1〜2種類ずつ魚種の安全が確認されており、今日時点で100魚種を超えているといいます。ただし、震災前の200魚種にはまだ及びません。その一方、4月に入ってからはアサリ漁も6年ぶりに再開。将来的には、潮干狩り再開を目指す、という明るいニュースも入ってきています。

あしたも、菊地さんのインタビュー、松川浦の美味いものプレゼントあります!

2017年4月21日

4月21日 阿蘇草千里乗馬クラブ(2)


昨日に続いて、熊本の観光名所「阿蘇草千里乗馬クラブ」のレポートです。
阿蘇・中岳の火口近くにある草千里が浜。約1キロ四方の広々とした草原を馬に乗って楽しめるのが「阿蘇草千里乗馬クラブ」です。ただここに通じる道は、去年の熊本地震で大きな被害を受け、ようやく道路が仮復旧した秋には阿蘇山が噴火。度重なる災害で営業できない状態が続いていました。草千里ヶ浜では、荒れた草原を元に戻すため昨年およそ40年ぶりに野焼きを再開。しかし、その後の震災で立ち入りができなくなっていましたが、すでにそれも解除され、今年は「阿蘇草千里乗馬クラブ」の美しい緑を見られる久しぶりの機会となります。3月から仮営業を始めているというクラブを訪ねました。お話は代表の末藤吉一さんです。


◆「野焼きで復活した草原 皆さんに見てほしい!」
(じっさいに馬に乗ってこの草千里、どんなコースが楽しめるんですか?)今はまる一年営業してないのと一緒だから、体験コースみたいなのを今はやってますけど、本来なら真ん中にある丘を一周するとか、湖の周りを一周するとか、そういったコースもあるんですよ。今は馬も仕事に馴れてないのでちゃんと調教できてから、徐々に始めていこうと思ってます。(GW頃のここら辺の景色ってどんな感じですか?)緑が濃くなって緑のじゅうたんみたいになってると思いますよ。草千里は野焼きじたいは去年40年ぶりぐらいに再開したんです。それも“草が伸びて荒れてきたんで野焼きするのがいちばんいい”と。もとの状態に戻すのは野焼きがいちばんということで40年ぶりに野焼きしたんです。で、“きれいになったな〜、GWはいいなあ〜”と思った矢先に震災でここも立ち入り禁止になったもんで。まあ野焼きで維持していこうということでまた今年も野焼きしました。(では今年の5月というのは震災後初めて皆さん見られるわけですね〜きれいな緑を)久しぶりにきれいな風景に戻ってますので是非乗りにきていただきたいですね。(私も乗せていただいて・・・)はいどうぞ!(これだけ話を聞いてうずうずしていました!)


高橋万里恵さんも10頭いたうちの1頭「のんちゃん」に乗せて頂きました!


お話にあったように、荒れてきた草原を美しく復活させるために、去年40年ぶりに野焼きを行いました。春には美しく再生した草原になりましたが、去年は誰にも見せることが出来ませんでした。今年3月に再び行われた野焼き。まもなく草千里には草が生えて、一面緑に覆われます。

◇予約は必要なし。行けば乗れます。短いコースで1500円から。
◇草千里に通じる道路は北側からの阿蘇パノラマラインのみ。でもこの風景も最高です!

2017年4月20日

4月20日 阿蘇草千里乗馬クラブ(1)

今朝は、熊本の観光名所「阿蘇草千里乗馬クラブ」のレポートです。

阿蘇・中岳の火口近くにある草千里が浜。直径1キロ四方の広々とした草原は、阿蘇を代表する景勝地、観光スポットとして親しまれています。この草原を馬に乗って楽しめるのが、「阿蘇草千里乗馬クラブ」です。

ところが、おととし9月に阿蘇山が噴火、そして去年の4月に熊本地震が発生、秋にはふたたび阿蘇山が噴火と立て続けに災害が起こり乗馬クラブも営業がままならない状態が続いていました。先日、そんな「阿蘇草千里乗馬クラブ」を高橋万里恵さんが訪ねました。代表の末藤吉一さんのお話です。

◆春休み期間中、例年の2割しかお客さん戻ってきていません
(私は阿蘇草千里乗馬クラブにお邪魔しています。今の景色は雲の中、真っ白なんです!本来ならどんな景色?)真ん前に烏帽子岳、東には中岳の第一火口が真ん前に見えます。盆地みたいに緑が広がったきれいな場所なんです。(ちょっと霧が晴れてきましたけど草原が広がってるイメージですよね。で私たちの横に馬が10頭くらいいますが、優しい目で見てます。が見てるんじゃなくてご飯欲しがってます?)まだ草が十分生えそろってないので。野焼きをしてまだ黒いところが見えてますね、今からだんだん緑になってくると思います。(こちらの乗馬クラブ、震災後は?)震災後は立ち入り禁止というか道が通れなかったので営業は難しい状態だったんですけど、今年3月から仮営業しています。それでも例年の2割くらいかな・・・まだお客さん戻ってきてないですね。例年春休みはにぎわうんですよ。まだまだ復興途中というか道も完全に出来てないし、ほかのレストランもこれから工事だったり、ここはちょっと遅れているんですよね。(私たちも道登ってきましたけどまだ片側崩れていたり工事してるところあります)今月の終わりには道も完成する予定にはなってるんですけど。(じゃGWまでに道が舗装されればというところ?)ある程度復興してるところを周知、PRすることが出来ればまた帰ってきてくれるんじゃないかと。景色とかは昔と変わってないしきれいな状態にありますから。人間より馬の方が元気ですね。(じゃ馬たちは待ってるぞ!という感じですよね・・・いま小さいお子さんいらっしゃいましたが、小さいお子さんから遊ぶことが出来る?)大人と一緒なら0歳児から抱っこして乗ることできます。それくらいここの馬は大人しいですから。



取材した日は濃霧であたりは真っ白。神秘的な光景でした。時々霧が晴れて見えるのは、野焼きしたあとの黒い野原。これが5月には、青々とした美しい草原になるそうです。風で草原の緑が波打つ中を、馬に乗って歩くことがまもなく出来ます!ぜひGWに足を運んでみてはいかがでしょうか。

明日も引き続き、阿蘇草千里乗馬クラブの模様をお伝えします。

2017年4月19日

4月19日 南阿蘇村「まるでん」増田一正(3)


南阿蘇村の玄関口、阿蘇大橋のすぐ目の前でレストランを営んでいたのがごはん処「まるでん」オーナー 増田一正さん。
地震で自宅とお店は全壊。一度は阿蘇を離れることも視野に入れましたが、アウトドアガイドの仲間の支援で、地元の小学校で木登り体験(ツリーイングイベント)をしたことがきっかけとなり「もう一度この地で暮らそう。阿蘇で頑張ろう」とその想いを奮い立たせました。

◆「自然を活かすのも人の想いがあってこそ」
2年前にアウトドアクラブ南阿蘇knotと言って、同世代の若いガイドを集めて一緒に頑張ろうやって、チームを作ったんです。10人ぐらいいるんですけど。例えば阿蘇五岳の中で烏帽子岳って山があるんですけど、私たちメンバーの中にガイドしながらペンションしている子がいて、夜ご飯食べた後に烏帽子岳に連れていって星空や月を見てもらったりしてて、うまく一つの観光の面白味を伝えられる事業になりつつあるなと、去年は「4月に入ったらもう少し広めるために進めていこうかね」って話をしていた矢先の地震だったんです。今烏帽子岳って例をあげたんですけど、ナイトハイクは南外輪山の一部の大矢岳で再開しています。今まで通りお客さん来てくれるかわからないんですけど、きっと来てくれると思います。やっぱり素晴らしい自然いっぱいあるんですけど、でも自然を活かすのもそこに携わる人だと思うんですよね。人の想いがなければどんなにすごくいい自然、森、木、谷、水があったとしてもそこに携わる人の想いがなかったらその自然も活かされないと思う。このカルデラの地域の中なんですけど、いろんな先代の方たちの想いが詰まっているところだと思う。例えば野焼きにしても焼くことによって草原が維持されてそこに暮らす人たちの営みができて、アウトドアもこの南阿蘇の地域の想いをガイドだけじゃなく、宿泊施設だったり飲食店だったり農業だったり、そこに暮らす人々がつながっていかないとその自然も壊されてしまうし魅力も伝わらないと思う。でもそれがずーっとこの地域に代々伝わってきていると改めて分かって、地震があったからその大事さわかるようにしてくれたんかなと思いますね、今ここに残っていると。



増田さんのもう1つの活動、「アウトドアクラブ南阿蘇knot」では現在、ツリーイングの拠点として南阿蘇村・久木野地区のキャンプ場をリニューアル中。7月にオープン予定です。近くには温泉や、宿泊施設もあるので、キャンプ場だけでなく南阿蘇に長く滞在してくれるような観光の拠点にしたい、と話してくれました。夏は川や田んぼに蛍が舞うそうですよ!

アウトドアクラブ南阿蘇knot 公式サイトFacebook

2017年4月18日

4月18日 南阿蘇村「まるでん」増田一正(2)

今週は、熊本地震から1年。一歩一歩復興に向け歩みだした「南阿蘇村のいま」をお伝えしています。

南阿蘇村の玄関口、阿蘇大橋のすぐ目の前でレストランを営んでいたのがごはん処「まるでん」オーナー 増田一正さんです。赤い屋根のレストランで、「赤牛ステーキカレー」がお店の看板メニューでした。
地震で自宅とお店が共に全壊となり、「ゼロになった」と語る増田さん。そんな中でも、ふるさと南阿蘇を見つめなおす「きっかけ」がありました。


◆ツリーイングで子供たちに笑顔が戻った
(お店はどういう状況?)立ってはいるんですけど、中は裏の壁が全部崩れていて、ちょうど断層のすぐ近くみたいで基礎がやられてしまっていますね。これから先のことと言うよりも、何も考えられずに、生きるためにどうやって暮らしていこうかと。
お店とは別に10年前からアウトドアのガイドをしていまして、拠点としていた烏帽子岳(えぼしだけ)も地震と水害でやられて、一回アウトドアガイドチームも解散しようかという時もあったんですけど、ずっとお世話になっている兵庫の私たちの先生が木登り体験「ツリーイング」のイベントを南阿蘇村の地元の小学校で、でっかいイチョウの木があるんで地震にあった子供たち中心に木登り体験をしてくれたんですね。そしたら子供たちもすごい喜んでくれて、それを見ていた大人たち、父ちゃん母ちゃんもすごい喜んでくれて、それをきっかけにスイッチが入って。阿蘇を離れて、他のところでアウトドアのガイドをした方がいいんじゃないかという話もあったんですけど、もう一度、もう一回この阿蘇の自然を見直して、私たちもその一員として頑張っていこうと、逃げ出すわけにはいかないと思って、今アウトドアの事業をもう1回広げていこうと取り組んでいます。だからいろいろ地震で大変ですけど、ゼロになったんですけど、フラットになって、自分を見つめ直すいいきっかけをもらったと思って、やりたいことを見直せって言われていると思って今はアウトドアの活動を充実させようと取り組んでいるところです。


増田さんが代表をつとめるアウトドアガイド、「アウトドアクラブ南阿蘇knot」。震災後もナイトハイクや、ツリーイングなどを中心に、阿蘇の自然を活かしたガイドを行っています。『LOVE&HOPE』明日も増田さんのインタビューをお送りします。

アウトドアクラブ南阿蘇knot 公式サイトFacebook

2017年4月17日

4月17日 南阿蘇村「まるでん」増田一正(1)

今週は、熊本地震から1年。一歩一歩復興に向け歩みだした、南阿蘇村の今をお伝えします。

お話を伺ったのは、崩落した阿蘇大橋のすぐ目の前でレストランを経営していたごはん処「まるでん」オーナー 増田一正さんです。

◆阿蘇大橋の目の前 赤い屋根のレストラン
ごはん処「まるでん」といいます。阿蘇大橋渡ってすぐの赤い屋根のレストラン、と言えばみなさん分かりやすく伝わっていました。一番メインが「赤牛ステーキカレー」と言って赤牛を煮込んだカレーとランイチという部位が赤牛の特徴を出しているお肉なのでそれをワンプレートに乗せて一緒に出してました。


増田さんは南阿蘇村で育ち、就職での大阪時代を経て、26歳の時にUターンして南阿蘇村へ。6年前、34歳で独立し「まるでん」を開業しました。
昼は観光客や、東海大学の学生に向けて。 そして地元の方のために、夜の営業に向けて店内を改装したばかりでした。


◆「阿蘇大橋が落ちた」
自宅はお店からちょっとのぼっていったところなんですけど、そこで本震にあいました。寝てて違うベッドで起きましたね、それくらい下から突き上げられました。2階建ての家だったんですけど右半分が全部崩れてしまって、娘たちと家内は私と一緒にいたんでなんとか2階から下に降りることができました。ばあさんは1階で崩れたところで寝てたんですけど、ちょうどこたつとベッドの隙間に挟まってて奇跡的に助け出すことできました。私は地元の消防団で40軒ぐらいしかない小っちゃな集落なんですけど、安否確認して救助して何人か助け出しました。30軒ぐらい全壊です。私の叔母さんが一人助け出せなくて亡くなりました。
夜中に地震があって地元の救助にあたって、朝方くらいに「阿蘇大橋が落ちたよ」って噂話のように聞いて。まさかって思ってたんですけど、とりあえず作業は続けておって、昼の2時過ぎにお店もどうなっているのかな、と思って、もちろん道路がめちゃくちゃですんで車使えないので歩いてお店まで降りてきて、降りてくる途中もここ東海大学の学生の下宿街だったので学生のアパートもほとんどつぶれている状態なのを目の当たりにしながら降りてきました。本当に橋がなかったのを見て、なんか唖然としました。その当時のことをあまり覚えてないんですけど…。




こうしてレストランから見える風景が一変してしまった「まるでん」さん。お店の目の前にも地割れが1年の間に伸びていて、いつ崩れてもおかしくない状況です。同じ場所でのレストラン再開に向けては、まだ見通しが立っていないとのこと。
増田さんのインタビュー、続きは明日以降お伝えします。

アウトドアクラブ南阿蘇knot 公式サイトFacebook

2017年4月14日

4月14日 TSUNAMIヴァイオリンが繋ぐ復興への願い

今朝は、1本の特別なバイオリンの音色とともに、震災を語り継ぐプロジェクトを紹介します。

2012年にスタートした「千の音色でつなぐ絆プロジェクト」。
岩手県陸前高田市の、あの「奇跡の一本松」や津波による流木を材料に制作した「TSUNAMIヴァイオリン」の音色に追悼と復興への願いを乗せ、千人のヴァイオリニストがリレーのように引き継いでいくプロジェクトです。

著名なバイオリニストからアマチュアの方まで、すでに500人を超す演奏者に引き継がれ、世界各地のチャリティコンサートなどで音色を響かせています。

そして明日4月15日(土)には、東京・日本橋蛎殻町の水天宮で奉納演奏が行われます。演奏者はスイス在住バイオリニスト・廣田真希さん。プロジェクトに参加する想いを伺いました。



◆音楽を通じて感じて欲しい
東日本大震災当時、スイスでも報道されて現地の方にもすごく衝撃があったと思うんですね。その中で遠くに住んでいてもお手伝いや支援ができることがないかと考えていた時に様々なチャリティコンサートがスイスで行われたんですね。その時に何度か演奏させて頂いてとても印象に残っていたのが、在スイスの日本人の方だけでなく現地のスイスの方々が強く関心を持ってみんなで日本を応援していこう、一眼となっていたのが印象的でした。6年経過した今でも復興は続いていると思いますし忘れてはいけないし、そういう意味ではバイオリンという目に見える、音に聞こえる形で寄付できるというのはとても良いと思います。衛星テレビを家に入れていて日本のニュースを見られるんですが、そこでTSUNAMIバイオリンができた頃に存在を知って。まさか自分がその楽器で演奏することになるとは思ってもいなくてただただ驚きました。形は本当にとても体にフィットする感じで、音もたくさんの方が弾いてらっしゃるので一音目からとてもあたたかく、スッと人の心に入ってくる音がするなと思いました。音には力があると思っていて、音楽を通じて人それぞれ感じることがあればいいなと思っています。


奉納演奏が行われる日本橋の水天宮はこの6年、毎月11日に復興祈願祭を続けています。そうした中でこのプロジェクトに賛同し、境内での奉納演奏が実現するということです。

TSUNAMIヴァイオリンによる奉納演奏は、あす4月15日(土) 午前11時ー11時40分場所は水天宮境内で行われます。

★水天宮

2017年4月13日

4月13日 ISHINOMAKI2.0 巻組代表・渡邊享子さん2

ISHINOMAKI2.0のメンバーのおひとり、渡邊享子さん。震災後、石巻に移住した、若い世代の一人で2.0の活動から生まれた会社、合同会社巻組代表でもあります。


大学時代に、震災をきっかけに石巻と出会い、いまでは空き家の再生を通じて面白い町を作るという「自分の居場所」を見つけた渡邊さん。そんな彼女が考える、石巻の未来の姿とは。

◆ISHINOMAKI2.0から、「3.0」へ
(※聞き手:中西哲生)巻組の仕事は不動産の空き家活用だったりというのが切り口なんですけど、元々大学で都市計画を勉強していて、石巻に来る前も西日本などいろいろ見て回って活動・勉強をさせて頂いていたので、その経験を被災地でも生かせるんじゃないかなと思って、自分にできることを始めようと思いました。(そして実際に巻組が始まるんですが、当初はどういう風に考えてらっしゃいましたか)完全に楽観視していましたね(笑)若気の至り100%だったんですが、それが自分の存在価値なんじゃないかと思いましたし、始めてみてここまで失敗だらけだったんですけどそれって20代で始めることの価値なんじゃないかなと思っています。大人になればなるほど、できないことを認めたり分からないことを人に聞いたりするのが恥ずかしくなっちゃうだろうなと思って。今だからこそやったことのないコト、わからないコトにチャレンジしてみようと思ったのが大きかったです。(なかなか遠い未来をイメージするのは難しいと思いますが、ちょっと先の未来はどう描いてらっしゃいますか)石巻3.0の時代なんだなと思うんですよね。震災から10年の地域の姿をすごく意識して活動してきたんですけど、2011年でトップランナーで走って来た30代・40代がきっかけを作ってくれて、その活動に参画した若手が次の世代を作り始めているのが6年経った「いま」だと思っています。私も僭越ながらそんな一人かなと。当時は学生で何もできなかったけど石巻にきてきっかけをもらって事業を始めたりしていますが、そこで育った世代がやっているのが2.0になって、次に私たちにきっかけを作られた方々が何か次の世代のために始めるのが10年先の未来。その頃中学生や高校生だった子たちが大人になると思うんですけど、その世代が何をしてくれるのかが非常に楽しみだなと思っています。それが3.0かなと(笑)どんどん舞台を作り続けて、次の世代、次の世代が舞台にのぼっていくのが本当に重要だと―思っていて。私がやっている活動はそれをまさに形で示していると自負してやっています。

巻組はこの春から、メンバーが増えるそうです。そして新メンバーは新しいメンバーは、元々石巻で暮らしていた地元の人たち。なかには美術大学を卒業する女の子もいて、クリエイティブな仕事がしたい!と 巻組に入って来たそう。こうして地元の若い世代にも新たな「居場所」を作り、石巻という町は「2.0」から「3.0」へバージョンアップしていきます。

2017年4月12日

4月12日 ISHINOMAKI2.0 巻組代表・渡邊享子さん

今朝も、宮城県石巻市の町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」の〈いま〉を伝えします。

地元の若い世代・ボランティアによる団体、ISHINOMAKI2.0。メンバーの中には、ボランティアをきっかけに石巻に移住した若い方が数多くいます。そんな一人が、合同会社巻組(まきぐみ)代表・渡邊享子さん29才。

巻組はISHINOMAKI2.0から生まれた、建築やデザインを専門とする集団。石巻の空き家のリノベーション、移住者のための新たな使い方の提案などを手がけています。ということでまずは、渡邊さんと石巻が「ツナガった」経緯から。

◆「居場所がある」ということ
(まず石巻にこられた経緯は)2011年の震災の時で、私は3月11日当初は学生で東京で就職活動をしていたんですけど、これからどうしようと悩んでいた時に震災があって就職活動が全部ストップしたんですよね。そんな5月に研究室のメンバーと石巻に来たのが一番最初ですね。心変わりをしたつもりは全然ないんですけど、もちろん最初の年は学生だったので学業をやりながら毎週石巻に通っていて、そのうちに、自分がいないあいだにも町が動いていて、一つ一つが楽しそうで、自分が石巻にいない時間がすごくもったいないなと感じるようになって、できるだけ長く滞在したいなと。(それを埋めるために最終的に移住を)そうですね。移住もそうなんですけど商店街でお手伝いしたお店が居候させてくれて。呉服店さんのテンポの裏側の着付けスペースに泊めて頂いていたんです。その居候生活もそれなりに楽しいし(笑)このまま滞在しちゃおうかなと結構軽いノリでした。(でもやっぱりそういう都会ではありえないかかわり合いとか、全然知らない方が居候させてくれたりということをどう想いましたか)まずお気持ちが温かかったですし、毎晩毎晩一緒にするお話が楽しかったですし。東京でもシェアハウスや寮に入っていたんですが物音を立てると怒られたりとか。近所の人の顔さえ知らないのが当然の中で、その距離感が暖かくて面白くて、居心地が良かったというのもあります。なんでしょう、若者自体がいることがその頃の町の人達にとってすごく特別なことだったようで。実際商店街は平均年齢が60才くらいの方々が運営されていて、そこに若い人がいるだけで雰囲気が明るくなるんだなという気持ちもありましたし。本当に就活の時の思い出とオーバーラップするんですけど、居場所ができるということ、ただそれだけで人の可能性って広がっていくんだとわかったのは、都会の環境と比べて田舎にいると、いるだけで必要とされているという実感があって、それはすごく応えたいなという気持ちにさせてくれました。

巻組の活動は、今月のこの時間になんどか取り上げていますが、例えば。番組ブログにもアップされているこの、「ハグロBASE」。

石巻の坂道の途中の路地にある、大変ふるい空き家を「住めるアトリエ」というコンセプトでリノベーション。
クリエイターが創作活動しながら暮らせる。元々の土間を活かしていて、でもイマ風のおシャレ空間ぽくて素敵。

そしてここにまた渡邉さんみたいな若者が移住するわけです。

明日も、渡邊享子さんのインタビューです。

2017年4月11日

4月11日 ISHINOMAKI2.0 建築家・勝邦義さん2

今週も、宮城県石巻市の町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」のいまを伝えします。
ISHINOMAKI2.0のメンバーのお一人、建築家の勝邦義さんは、ご出身は名古屋で、2012年からISHINOMAKI2.0に参加。現在は独立して石巻にご自身の設計事務所を構えています。勝さんが石巻という町を活動拠点に選んだ理由はどんなものか。伺いました。


◆最初は建てないし何も作らなかった。
2012年にISHINOMAKI2.0というチームを僕が所属していた横浜の設計事務所ぐるみで立ち上げたんですね。その時に人がいないので、「ちょっと手伝って」というのが始まりだったんですね。そこから頻繁に石巻と横浜を行き来していて、二拠点居住みたいな感じになって、石巻に事務所を構えて独立しようと思ったのが去年の春先ですね。(事務所を石巻に構えようと思った具体的な理由は)チャンスが多いと思いました。新しくて誰も思ったことがないことをチャレンジしている人がいるので、僕自身が建築をやっていて、見たことがない、誰も考えたことがない建物の使い方や空間の作り方に興味があって、そういった人たちと一緒に場所や建物を考えたほうがなにか面白いものが生まれるんじゃないかと思ったから、石巻でやってみようと思ったわけです。でも実際には設計って大変な仕事で、労力もかかります。でもこういった町だと、自分が関わって暮らしている町がちょっとでも良くなると、そのまま自分に返ってくるので(笑)結局町づくりって人のためにやるとそんなによくないなと思って。少なくとも町を面白くする、町を変えることは自分の生活に直結することで、例えば町に新しくパン屋さんが出来たら嬉しいし、美味しいコーヒーやさんができたら嬉しいし。そうやってちょっとずつ自分に帰って来る所が良いなと思っています。(このあとはどういう風に)石巻だけでなく東北全部に関わりたいという思いがあって。いまその石巻でやったことを他の地域に行かせたらいいなと思っています。それこそはじめのうち、日本全国からそういう建設関係の人達がたくさん来たんですが、僕らが始めたことは、はじめの2〜3年は建てないし何も作らなった。復旧や復興、復旧という元あるものを戻すということに関わらないように決めながら2.0もやっていた部分もあって。でも今は復旧じゃなくて復興になってきて、これまで無かったもの、これから町に必要な物を建てようというフェーズになってきたので、ようやく改めて自分の職種を意識するよう担って、作るということを始めたという感じですね。


LOVE&HOPE。明日も、ISHINOMAKI2.0のメンバーと、石巻の「いま」お伝えします。

2017年4月10日

4月10日 ISHINOMAKI2.0 建築家・勝邦義さん1

ここからは、「LOVE&HOPE〜ヒューマンケア・プロジェクト」東日本大震災から6年。継続して東北被災地の「いま」をお伝えしているプログラムです。今週も、宮城県石巻市の町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」の〈いま〉を伝えします。

世界一面白い町…を目指して震災直後に立ち上がった、地元の若い世代・ボランティアによる団体、ISHINOMAKI2.0。先日の取材では、メンバーの一人で、建築家の勝邦義さんにお話をうかがいました。


この方は、所属する設計事務所のボランティアとしてISHINOMAKI2.0に参加。横浜から石巻に通い続け、去年ついに、石巻で設計事務所を立ち上げ独立した方。こうやって、石巻に可能性を感じて活動拠点にしちゃう人は本当に多いそう。そんな、勝さんの今の役割について伺いました。

◆チャレンジできる町 石巻を目指して
(※聞き手:中西哲生)
移住者が増えて、今まで地域になかった仕事をたくさん作っている。そういった人たちの住まいや仕事、ローカルベンチャーと言った人たちを増やす窓口をしています。石巻には移住コンシェルジュが2人いて、石巻市と我々ISHINOMAKI2.0、古民家や空き家を再生する「巻組」、そして「イトナブ」というIT技術者集団でハグクミというコンソーシアムを組んでチャレンジできる街・石巻を売り出したいなと思っています。(具体的な勝さんの活動は)僕は元々設計が本業なのでその環境づくりなので、そういった環境づくりに関しては専門的な知見から色々やっています。移住・定住というのはもう古いと思っています。そう言われてもハードルは高いですし、そうじゃなくて通うような関わり方もあるんじゃないかと。週末だけ滞在して石巻で仕事をするということができる環境を整えるところに可能性を感じています。「チャレンジできる町 石巻」を売り出したいなと思っています。(目の前に模型があります)これは巻組が取り組んでいる古民家の改修事業。昭和の初期に建てられた土壁づくりの家がありまして、この場所自体が路地裏にあって、石巻駅から10分くらいの路地の奥、奥まった場所にあって、誰にも邪魔されずに捜索に打ち込める静かな環境だったんですね。だったら、この住宅を何かモノづくり、自分のやりたいこと、作りたいモノ、収集できるような環境づくりをして。陶芸も出来ますしなんでも出来る場所似できないかと考えて。アトリエつき、庭付き住宅として作っています(クリエイターの方々に?)週末に石巻に通ってモノづくりがしたい、こんなもんができるなら狩りてみたいという問い合わせはもらっているところです。



石巻には震災以降、若者の移住者が数百人は入居したと言われており、話にあったように、古民家を改装してクリエイターのためのスペースにする動きもどんどんすすんでいます。中には、築300年の古民家をリノベーションしてして、最新の3Dプリンタなどを設置、最新の技術を学べる施設なんかもすでに完成しているそうです。

ちなみに勝さんはまだ30代後半(1982年生まれ)!!この年令で、これだけ責任ある仕事、町そのものに関わるプロジェクトに関わっています。

明日は、勝邦義さんが石巻に自らの拠点をおいた理由です。

2017年4月7日

4月7日 富岡町復興の集い2017と桜イベント

今朝は福島県富岡町で明日8日に行われる「富岡町復興の集い2017」についてお届けします。

先週4月1日に、福島第一原発の事故によって出されていた避難指示が、帰還困難地域を除いて解除になった富岡町。町の再興はこれからようやく始まりますが、富岡町の名物といえば「夜ノ森の桜」。約2.2キロに渡る桜並木は町の皆さんの誇りでもありました。
避難指示が解除され、そして桜の時期を迎えた富岡町の“新しい出発”を祝う催しが「富岡町復興の集い2017」です。ようやく町へ帰ることが出来る帰町開始を記念する式典のほか、町内の中学校を会場に“桜イベント”も行われます。富岡町産業振興課・課長の、猪狩力さんにお話しを伺いました。

◆「桜は富岡町のシンボル」
今回富岡町、桜イベントということで、富岡第二中学校の校庭を使って桜を愛でながら芸能関係の歌や面白いお話を伺いながら桜のイベントを実施します。なおその桜、今日の時点で桜が咲き始めたというところまで来ましたので、今回8日のイベントの日は咲き始めという状況かと。そこから1週間くらいは桜を楽しめると思います。(震災前から)富岡町といえば桜だよね。という状況でありまして、昔から小さい時は学校に通う時は桜咲いているとこを通りながら通うとか、桜は切っても切れないもの。富岡町には「さくら」という名称のものがいろんな施設についている。富岡のシンボル的なものになっています。国道6号線から富岡第二中学校まで約2.2キロ、両側に桜が咲く、桜のトンネルになりますけど、実際そこを帰還困難区域に阻まれて今現在見ることができるのは約300メートル、100本ぐらいの桜しか見ることができない。その奥は相変わらず帰還困難区域になってまして、1.9キロ、320本の桜があるんですけど、立ち入りができない状態になっています。どうしても故郷に想いを馳せる方は「また富岡の桜が見たいね」といろんなお話の場面場面で出てくる状況です。


避難指示が解除されてから1週間。まだ町へ戻った人の数は300人程度なんだそうですが、明日は町外13カ所の避難所で暮らす町民の方を乗せて、16台のバスがやってきます。再会を喜ぶ方も多いのではないでしょうか。
そして町でも復興へ向けた動きが進んでいます。

◆「さくらモール富岡」がオープン!
いま富岡町は一部解除ということになりましたけど、その要因となったのは診療所ができて病院の役目を果たす、それから買い物をする場所が必要ということで、今回「トムトム」というお店を町が購入して、一般募集したネーミングが「さくらモール富岡」という名称になりました。その中でアンケートをとり、食料品スーパーが必要、ホームセンターがあったらいい、薬局があったらいい、などのアンケート調査の中で出たものを今回配置できた。さらに食事ができる場所ということで、以前やっていた店舗を再開したところ、年齢の上の方が「お袋の味を出したい」ということで「おふくろフード」というお店が出店したり、かなりにぎわっていて、町民の方に喜んでいただいている状況にあります。


富岡町に限らず、先週、避難指示が解除になった浪江町や飯舘村、川俣町の山木屋地区でも帰還者の数をどう増やしていくかがこれからの最重要課題。猪狩さんも“たとえ商業施設が開業しても、町に帰る人がいなくては商売が立ちいかなくなる。施設、雇用などを重層的に考えて、暮らしやすい町づくりをしていって、帰還者の数を増やすことにつなげていきたい”とお話しされていました。

「富岡町復興の集い2017」サイトはコチラから。

2017年4月6日

4月6日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太4

震災直後に立ち上がった、地元の若い世代・ボランティアによる町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」。“世界一面白い町”を目指す彼らの活動で、町には、「ローカルベンチャー」…つまり、地方ならではのニッチな市場に、斬新なアイデアで立ち上げた様々な事業が 成果を上げつつあります。

また一方で、“観光”という面でも、前代未聞の新たなチャレンジがこの夏、石巻で行われます。7月からスタートする、「アートフェスティバル」です。
今朝も「ISHINOMAKI2.0」代表・松村豪太さんに伺いました。

◆街全体がモザイク模様の石巻を楽しんでほしい
ガチのチャレンジャーに心から来てほしい。石巻は本当に単純に面白い状態に、6年目にきてなっている。街自体が良い意味でモザイク模様になっているというか、当たり前の土地の使い方とは違う使い方、空き家の使い方が実験的にできていると思います。移住してきた人の暮らしぶり、作っているスペースも単純に面白くておしゃれで。1階は石巻の若手の料理人がすごく素敵な飲食店を構えて、2階は移住者のシェアハウスになっているような建物になっていて、それが良い町の景色を作っているんじゃないかと思う。そしてそういう人に会いに来てほしい。松川横丁 COMICHI石巻という施設でして、僕らの仲間の東工大の真野先生という石巻2.0を一緒に立ち上げた先生が、地元の地権者と2011年からワークショップをやって、こういう施設があったらいいねというデザインゲームをやって、それが5年目にして実現して松川横丁となったり。その管理を「巻組」の渡邊享子さん・・・うちの奥さんがやっていたり。入居者の暮らし方、共有スペースでやるイベントしたらどうだ、こういうお料理を一緒に作ったらどうだと、アイデアを出し合っているのが素敵な空間になっている理由かなと思います。

◆芸術×音楽×食で彩る新しいお祭りを東北に
あとはこういうオープンな雰囲気からいろんなつながりができていて、音楽プロデューサーの小林武史さんともこの石巻で縁を持たせて頂いて、小林さんのapbankと石巻2.0で、今年の夏にはリボーンアートフェスティバルという大規模な芸術祭を行う。7月22日から9月10日で。そういうアートフェスもこの町を訪れるきっかけとしてもらって単純に楽しんで、単純に美味しいものを食べて飲んでほしい。ちょっと東京では見たことがないな、なんだこの変な具合はという面白さに触れてほしい。


お話に出てきた、小林武史さんのapbankとコラボしたイベント、7月22日からの「リボーンアートフェスティバル」。
こちらは現在、パートナーとして協力してくれる飲食店や、ボランティアスタッフ「こじか隊」を募集中です。
詳しくは公式サイトをご覧ください。

LOVE&HOPE。来週はIshinomaki2.0の活動をきっかけに、石巻で実際にローカルベンチャーを立ち上げたメンバーのインタビューをお届けします。

2017年4月5日

4月5日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太3

引き続き中西哲生が取材した、宮城県石巻市の町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」の「いま」お伝えします。

震災直後に立ち上がった、地元の若い世代・ボランティアによるISHINOMAKI2.0。“世界一面白い町”を目指し、次々と新しいプロジェクトを生み出しています。きのうは、石巻の家具メーカー、ITの研究開発、カッコイイ漁師を生み出す企画・・・など震災後に立ち上がった「ローカルベンチャー」の動きをご紹介しましたが、具体的にIshinomaki2.0では、このローカルベンチャーの誘致を、どのようにサポートしているのでしょうか。
代表・松村豪太さんに伺いました。

◆行政・商工会との連携へ
(※聞き手:中西哲生)
いま石巻市と連携して、コンソーシアムを組んで若者の移住やローカルベンチャーを石巻が応援するという事業が始まっている。「ハグクミ」というコンソーシアムなんですが、構成メンバーはまず僕らISHINOMAKI2.0、建築のバックグラウンドを持った人間。あとは移住コンシェルジュというのを設置して、地元の人間やUターンで戻って来た人間が、石巻をおせっかいにいろいろ連れまわす仕事が生まれています。さらにISHINOMAKI2.0から独立した出る杭の若者3人が立ち上げた「巻組」という建築・デザインで勝負しているチームがあり、空き家の回収や不動産の新しい使い方を考えていたり。その巻組のフィールドで新しいチャレンジャーが集っていたりとか。そういう広がりが心強く思っていますね。(そういうことを子どもたちにいしのまき学校で伝えることも、新しいアイデアを生み出す子どもが生まれることになるのでは) 既存の職業カタログでどこを選ぶかということだけじゃなく、自分で職業を作っていかなきゃいけない時代だと思うんです。いしのまき学校はそういう町の面白い人、変な人、カッコいい人を先生として学びのプログラムを作っているんですね。ですから新しいチャレンジャー・・・介護の分野や漁業、農業で、メラメラ燃えるような人に来てもらって話を聞かせてもらったり、あるいはその現場に高校生が行って一緒に活動するといったことをプログラムとしてやっています。こないだもいしのまき学校も参加して、教育シンポジウムというのをやったんですが、そこに来たゲストの先生が言っていたのが「いまある職業のリストは30年後には8割が無くなっている。だったら自分で今こそ考える力や表現する力、あるいは新しいものを生み出す力が必要だよね」ということを話していて、本当にその通りだと思いましたし、いしのまき学校はそういう場でありたいなと思っています。(行政、学校、教育というところまで来ていますが将来的には) このフェーズで、行政や商工会議所など大きな組織とのタッグというのが本格的に組みだせているんですね。いしのまき学校も最初は勝手にやっていたんですけど、ついに地元の市立高校の理解ある先生が繋いでくれて、地元高校で総合学習の授業を持たせてもらったりという連携ができてきていますね。




元々、ISHINOMAKI2.0は、震災直後、機能不全に陥った行政や、既存の町の有力者に頼らず、若者たちだけでアイデアを実現してきた団体です。しかし震災から6年。そうした若い世代が、行政と連携をするようになった。ある意味大きなターニングポイントになっているのかも知れません。

2017年4月4日

4月4日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太2

引き続き中西哲生が取材した、宮城県石巻市の町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」の「いま」お伝えします。

震災直後に立ち上がった、地元の若い世代・ボランティアによるISHINOMAKI2.0。“世界一面白い町”を目指し、次々と新しいプロジェクトを生み出しています。中でも2.0が今、力を入れているのが「ローカルベンチャー」の後押しです。ISHINOMAKI2.0代表・松村豪太さんに伺いました。

◆ローカルベンチャーが地元の雇用を生む
(※聞き手:中西哲生>
「ローカルベンチャー」というキーワードが最近言われている。地方ですき間産業でなおかつ高度な、今までにないアイデアで事業を興す・・・というのがローカルベンチャーの発想。石巻はそういうことにチャレンジできる場所だよという風に外に発信して、もっとチャレンジしたい人がこの町に来られるように、あるいはすでにここで活躍している人をもっと外に発信して彼らがもっと稼げる、活躍できる状態を作るということを、とうとう我々は石巻市・行政とタッグを組んでチャレンジャーが来やすい状況を作ろうとしています。実際にいくつか可能性のあるローカルベンチャー的な取り組みが生まれて活躍していますね。代表的なものだと、僕ら石巻2.0の仲間が元寿司職人で二代目の若旦那なんですが、家具メーカーを立ち上げちゃって。それは「石巻工房」というものなんですけど、六本木のIT企業のオフィスを丸々任せられたり。けっしてそれは被災地の応援ということではなくデザインの面白さや質の高さから声がかかって、海外進出も積極的にしているみたいですね。他にもIT研究開発をする教育機関の「イトナブ」というチームがここ(IRORI)のすぐ裏にあって、そこは小学生にアプリのつくり方を教えています。これも5年目なので、当時小学校高学年だった子が高校入学しだしていて、彼らのスキルもメキメキ伸びていて、彼らをいまイトナブはアメリカの西海岸に連れて行ってたり、そういうこともやっていますね。あとは例えばYahoo!が最初は被災地支援として復興ベースという拠点を置いたんですが、今では被災地支援というところを離れて、新しいことを始めています。サイクルツーリズムということで石巻を自転車の町にしようとたくさんの人を連れて来たり、あとはカッコいい漁師を作っていこうという「フィッシャーマンジャパン」という活動を後押ししたり、そういうITの主体も石巻には大事なプレイヤー、仲間として参加してもらっていますね。(今までは企業を誘致して、企業の方々に、座る“椅子”を作ってもらう…というのが主流だったと思うんですけど、石巻2.0や松村さんは、自分たちで“座る椅子”を作っている感覚があります)その表現を使わせて頂きます(笑>まさに新しい価値を生める状態を一緒に作っていきたいと思っています。企業や工場の誘致ではなく人の誘致という呼び方をしています。面白い人や変な人、新しいことを楽しめる人がこの町を選んで、この通りを歩いてくれる状態を作ると、仕事も単に人が移動してきたという量の問題ではなく質として作れると思いますし、そういう人の椅子をこれから一緒に作っていきたいですね。



ちなみに、ISHINOMAKI2.0の「2.0」は、文字通り町を“バージョンアップする”という意味。アメリカ西海岸…つまりシリコンバレーに地元高校生を連れていく!なんて企画まで実現しているこの町では、町そのものだけでなく人もバージョンアップを続けている印象がありました。

また、お話に出た家具メーカー石巻工房は4月6日(木)から東京渋谷ヒカリエのD47ミュージアムの企画展にも商品を出展予定だということです。

明日も中西哲生の石巻レポートです。

2017年4月3日

4月3日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太1

今週は、中西哲生が、宮城県石巻市の町づくり団体「ISHINOMAKI2.0」を取材した模様、お伝えします。

ISHINOMAKI2.0は、震災直後の石巻で、地元の若い世代・ボランティアで町にやってきた人たちが立ち上げた団体です。津波ですべてが流された町を、ただ再生させるのではなく、“世界一面白い町にしよう”…という目標を掲げ、様々な企画を生み出しています。そして番組では、2011年からこの団体を取材しています。震災から6年。中西哲生は久しぶりに 代表の松村豪太さんと再会。場所は彼らの活動拠点「IRORI」。石巻のメイン通りに面したこの場所も、さらに進化していました。


◆ 人が集まり、新しいモノが生まれる場所
(※聞き手:中西哲生)
(石巻2.0の事務所だった場所が、カフェに変わりましたね。)2011年冬にガレージを手作りで回収して、何かモノが生まれる、集まれる場所ということで「irori」は誕生したんですけど、もっと多くの人に開いていきたいなということで倍の広さになって。使い方としてはカフェやコワーキングスペースというレッテルを張らずに、自由に使える場所、でも快適に使える場所として生まれ変わりました。(コーヒーもおいしそうですね) 一杯一杯ハンドドリップで淹れて。やっぱり町が変わっていくには美味しいコーヒーが必要だよねということで、新しいiroriの中核の部分ですね。(この場所に来て思うのは、人が色々交流できる場だなと)理由がなくても来てもらえることが大事だなと思っていまして、今ではランドセルを背負って、変わったお兄ちゃんお姉ちゃんにちょっかいしたり、コーヒーを飲むお金はないので「水ちょうだい」と水をここで飲んでいったり(笑) あとはミーティングに使ってもらうのも大歓迎で、作戦会議とかプロジェクト、何かをやってみたいという人の話す場にも使ってもらっています。



IRORIは、ISHINOMAKI2.0から生まれた「石巻工房」という、木製家具メーカーのテーブルや椅子が使われ、ウッディでとっても素敵な空間。
カフェと、時間制/月ぎめのミーティングスペースやシェアオフィスも併設しています。また、ISHINOMAKI2.0から生まれた別の会社や プロジェクトもオフィスとして活用しています。そしてまた、町を”世界一楽しくする”アイデアが生まれていくわけです。
一方、町全体の復興はどうなのでしょうか。

◆ボランティアから移住へ
(現在の石巻中心部の復興状況は)ハード面、土木インフラはできてきています。近くに新しい橋がかけられている途中ですし堤防も作られつつあります。でも人々の普通の生活は、仮設住宅にもまだ3分の1の人が残っていて、まだ2011年から動き出せていない人がかなりいるんだろうなというところはありますね。(震災後に訪れた方と元々暮らしている人たちの交流は)石巻市だけで最初の1年で28万人のボランティアが来ている。その方たちはすっかり離れてしまったわけではなくて、継続的に交流しに訪れてくれたり、あとはボランティアからそのまま移住しちゃった若者が相当数いるんです。これは住民票などで調べるのは難しいんですが、肌感覚のリサーチでは200〜300人はいるんじゃないかなと思っています。ある人は仲間と一緒に手作りでクオリティの高いレストランをオープンさせたり、被災した大漁旗を材料にしたアパレルブランドを立ち上げたりとか、多様な、素敵な暮らし方をしている人たちがいて、その人たちが町の方たちと良い関係性を作っているなと感じますね。


明日もISHINOMAKI2.0 代表松村豪太さんのお話です。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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