2017年7月31日

7月31日 相馬野馬追と相馬市のいま

今朝は、まさに今日まで、夏の伝統行事「相馬野馬追」が行われています、福島県相馬市から、レポートです。

国の重要無形民俗文化財、「相馬野馬追」。元々は、この地を長く治めてきた武将「相馬氏」による、馬を使った軍事訓練で、鎌倉時代から、この地で1000年以上続く伝統行事です。


中西哲生は毎年この時期、相馬で子どもサッカー教室をして、野馬追を観るのが恒例。


地元の男たちが本物の甲冑をまとい、馬にまたがり、町を練り歩き、駆け抜ける。その姿の勇壮さ、そしてまるでタイムスリップしたような戦国絵巻の素晴らしさについては何度もお伝えしてきました。各所で避難指示が解除になり、一方で帰還するか苦悩する人もいる中、毎年継続している野馬追は復興の象徴としての役割も果たしています。

そして実際、町の状況も確実に変わってきています。例えば漁業。そして町の施設。相馬市 企画政策部長、宇佐見清さんに伺いました。

◆相馬市の変化
中西:この1年の変化として、どういったことがありましたかね。
宇佐美:一番(の変化)は課題になっていた漁業。だんだん試験操業の対象業種が増えてきて主力だった貝類、ホッキ貝やアサリが試験操業の対象になってきた。加えてヒラメ、カレイが対象となり我々にとってもなじみのある魚種が増えてきて。漁業の皆さんにとって主力の魚種ですから、これがやっぱり動いてこないと漁業の復活にはつながっていかない。我々市民も相馬産の、そうまさんのホッキが売っていると、アサリが売っていることと言うのはとても大きいですね。
中西:実際にホッキ貝をそうまに来て食べた時もまだこれは相馬のものじゃないんだなと去年話をしましたよね。それがいよいよ次のものが上がってくると。見通しは明るいですか。
宇佐美:ただ、まだ試験操業なんですね。これが本操業に行くにはまだ課題はあります。何よりも風評かと思います。
中西:実際僕も足を運んで目で見て話を聞いたものをどう伝えるかメディアとしての役割もあります。同時に(各魚種の線量の)数値化に関してもすごく積極的に取り組んでこられたじゃないですか。
宇佐美:これだけ検査をして対象魚種自体がこれだけの魚種の中から全部サンプリングでとって、数値を調べて発表して、それで出している。これで受け入れていただけないと言うのは我々とすれば後は「どうしよう」ということになりますよね。ただもう一つは、「おいしいんだよ」と言うのも発信していかないと、ただ単に安全だと言うだけではやっぱりダメなのかなと思ってます。
中西:そして市役所の建物も新しくなりまして今日初めて足を踏み入れさせていただいたんですが、すごく相馬の景観を壊さないように工夫した素晴らしい建物ですね。

宇佐美:隣が城跡ですから(笑)相馬野馬追の出陣の地ですから。そういうものは景観として観光につなげていければと思っています。ただ前提として、前にあった建物が地震で壊れましたので、見た目は綺麗ですがバリバリにヒビがはいっていますよね。どうせ建てるんだったら、その後につながるようなと言うことでこの建物になっていますね。

2017年7月28日

7月28日 医師・越智小枝さんが語る相馬市3

今週は福島県で復興に向き合う人々の声をお伝えしています。
引き続き医学博士で、日本医療研究開発機構の越智小枝さんのインタビューです。
東日本大震災をきっかけに、2013年から相馬市の相馬中央病院に勤務。現在は東京から相馬に通いながら、放射能への不安を解消する活動を続けています。


そんな越智さんが、いま力を注いでいるのが「くるまざカフェ」。除染や福島再生に取り組む様々な方々が情報を交換し、経験を共有するイベントです。

◆ネガティブな面を見てもらうツアー
もともとは「ポジティブカフェ」という名前で、福島についてポジティブなことをやっている人たちを集めて発信しようと始まった企画です。最初はそういう人たちが壇上で講演するという話だったんですが、来て下さった方と交流する形のものが良いのではないかという話になり、車座になって話すという言葉と、「くる」「混ざる」を合わせたネーミングで、くるまざカフェという形になり、その中で復興の現場についてのツアーなど年に何回かやらせていただいています。私が参加しているツアーは福島市から飯舘村を通って、南相馬市のほうにぬけて、南相馬市でソーラーパネルや除染のための菜の花栽培をやっているところを見た後に、浪江を抜けて川内村でバーベキューをして一泊する。翌日に三春の林業、今は林業がとても大変なんですが、その林業を見学して、薪を作っている方のところに行ってお話を聞く。そして福島に帰ってくるという一泊二日のツアーです。木材はとても難しくて、線量は下がるんですが年齢の一部に放射能がくっついている部分がある。それにプラスして根っこに残留しているところがあるんですね。それがどこに残留しているかというのがはっきり分からないので一つ一つ測らないといけない。木材の場合は薪にして灰になったときのベクレル数がいくつ以下というのが決まっていて、基準が厳しくなってしまうんです。つまり灰になって濃縮してしまうのでどれぐらいの線量まで下げていいかがわからない。非常に曖昧な中でやっています。なので、自粛では無いですが風評被害を払拭しようにも払拭するだけのデータが足りないというのが今の林業の悩みだと思います。そういう林業の方の悩みも聞きながら回っていく。福島の復興と言うと災害を忘れたかのような観光地のツアーが多くなっていますが、あえてそういう汚染した木をどう扱うかとか農地をどう再生させるかとかネガティブな部分からどれだけ新しいことが生まれているかということを見せる、そこで参加した人に未来志向でどうやればいいかと言う話をしていただくというのがコンセプトです。1番大事なことが「考えなきゃいけない」「安全にするにはどうしたらいいかな」というのを通り一遍ではなくて、自分たちで必死で頭を使わないといけないことなんだと言うことをもって帰ってくださっていることかなと思っています。


くるまざカフェで、越智さんがガイドを務めるツアー。参加される方の多くは福島の別の地域の方がだそうです。参加者は現場を見ることで、真剣に解決方法を考え様々なアイデアを口にするといいます。そしてそれが、地域を活性化する新しいビジネスなど、未来の可能性に繋がることも
越智さんは期待しているということです。

今週は福島県で復興に向き合う人々の声をお伝えしてきました。ぜひ今週の放送を聴いて何を感じられたか、率直なお考えをお寄せください。メッセージは、『LOVE & HOPE』ブログのメッセージフォームから。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2017年7月27日

7月27日 医師・越智小枝さんが語る相馬市2

今週は、福島県の「いま」ということで、当事者や福島に関わる人々の声をお伝えしています。

引き続き、医学博士で、日本医療研究開発機構の越智小枝さんのインタビューです。

東日本大震災後の2013年から、相馬市の相馬中央病院に勤務。住民の放射能への不安を解消する活動を続け、現在は東京から相馬に通いながら活動を続けています。そんな越智さんは、いまも避難生活を続ける人々が抱える「健康リスク」を、こう説明します。

◆放射線量だけでは測れない「健康被害」
私が今、あちこちの話していることのもう一つと言うのが、原発事故によって起きた健康被害というのが、放射能やガンの話だけしていることで大量の健康被害が見落とされとされているということ。例えば仮設住宅で起き得る健康被害、運動不足が起きるというのは気づくかもしれないが、仮設住宅の多くは山の向こうにあるので、歩いて買い物に行けていた人が車を使わなければいけなくなり運動不足になってしまうし、今まで浜辺に住んでいて魚をただで食べていた人たちがスーパーで高い野菜と魚を買わなければいけない。そうすると自然に保存食ばかり買って食生活も不健康になってくる。農業漁業をやっていた人たちはもともと日常生活で運動していたのに、いきなりそういうところに放り込まれると運動しようと言う気持ちになれない。さらに言えば高齢者の方だったら、健康になって将来何もないじゃないかということで鬱々としてしまう。間接的なものを幅広くとらないと解決するものでは無い。線量が低いから帰還しましょうと一言言って健康になるものでもない。その複雑さと言うのは多分しゃべりだしたら本当に終わらなくなってしまうんですけれどもその福田さんその複雑さをいろんな人が理解して欲しいなと思います。


一方、今年は春に、いくつかの地域で避難指示が解除されました。解除となった地域へ「帰還する人たち」は、いまどんな不安を抱えているのでしょうか。

◆避難指示解除はゴールではない
ほとんどが放射線量に対する不安ではない。私が外来で見ている方は高齢の方が多いというのはもちろんあるんですけれども、避難指示解除になって、タダになった医療費も有料になってしまう。解除になったから家を立て直さなければいけない。そこでまたお金がかかる。向こうの病院や診療所がまだ再開していないから遠い相馬に通わなければいけないとか、そういう生活の不安なんですね。これは去年 避難指示解除になった南相馬市・小高地区に住んでいた方が言っていて印象的なことだったんですが、「世の中の人は避難指示解除がゴールだと思っている。解除になって良かったねじゃなくて解除になって住めるようになったっていう事はそこがゼロ地点であって、そこが不幸のスタート地点なのにまるでそれがゴールであるかのように思われるのが、やっぱり間違っている」とおっしゃっていました。よく国に届かないと言いますが、行政の人も地元の人の言葉がなかなか理解できていない。地元の人も行政の言葉を聞いても理解できない。言葉が通じないし、そもそもそこが大きいんだと思います。ですから生活をゼロからスタートするという不安、それが一番大きいんではないかと思います。


ぜひ今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2017年7月26日

7月26日 医師・越智小枝さんが語る相馬市1

今週は、福島県の「いま」ということで、当事者や福島に関わる人々の声をお伝えしています。

今朝は、ドクターの視点で語る福島県・相馬市の人々の「いま」です。
お話伺ったのは医学博士で、日本医療研究開発機構の越智小枝さん。

東日本大震災をきっかけに、相馬市の相馬中央病院に勤務。住民の放射能への不安を解消する活動を続けてきました。現在は東京から相馬に通う形で活動を続けています。まずは、元々、東京の医療機関にいた越智さんが、相馬市へ行くことになったきっかけです。

◆「公衆衛生」を被災地で役立てたい
もともと私は東京で10年以上医者をやっていまして、そこで下町の非常に貧しいところで医者をやっていた時に、医学だけでは人を救えないと言うことで公衆衛生と言うものに興味を持ち、2009年に留学して公衆衛生を学ぼうと決めました。2011年に公衆衛生大学院から合格通知が来たのが2月28日で留学の準備をして職場を辞めると決まっている時に震災が起きたんです。結局留学をしたんですが、留学をする前に少し福島でボランティアをして、留学中も何とか戻ってきてボランティアをしているうちに勉強した公衆衛生を被災地で役立てたいというの思ったのもありますし、留学が終わった後に福島でまた勉強しようということも思って2013年の11月から相馬市民として相馬市に住むようになりました。


こうして相馬に住むことになった越智さん。当時の相馬の人々が抱えていた不安に対して、どんなことを伝えてきたのでしょうか。

◆「何を心配しているのかもわからない」
基本は相馬中央病院と言うところで内科の医者、特に私の専門であるリウマチの医者をやらせてもらっていて、普段は診療してその合間に仮設住宅や自分のお母さん方に放射能の話や甲状腺のスクリーニングの話などをさせていただきました。直接何を心配しているのかと聞くと、「何を心配しているのかもわからない」という方が多かったかなと思います。その中で放射能の説明をしていくわけですけれども、放射能だけ乗せて放射能だけの説明であれば物理に詳しい方がすればいいのかもしれない。ただ、すごく記憶に残っているのは放射能に詳しい方が説明をしたときに70歳位の女性が手を挙げて「じゃあ結局私たちはいつから山菜を食べていいの」と聞いたんです。その時に使命をしている方は放射能の量やガンの確立など数値を説明したんですが、そこで言葉に詰まってしまったんですね。数値でいくら言ってもどうやって暮らしていくかをを説明できない限り、やっぱり不安は消えないなと思ったんです。それができるのはガンがどういうものか、診療として知っている一緒にしかできないんだろうなと思って。ガンはとりあえず日本人の2人に1人がかかる病気で、3人に1人は亡くなっている。それが、これだけの量を食べたら(確率が)増えるかもしれない。でもじっと家の中で座って閉じこもって運動しないと、それだけで寝たきりのリスクも上がっちゃうよねと言う話を他のリスクと交えてするようにしたというのが、自分が一番できたのかなと思っています。


これは、越智さんが相馬市に住民票を移し、勤務されていた頃のお話です。この当時からさらに時間が経過したいま、相馬の人々、福島県外の人々、
そして、避難指示が解除された地域の人々の 「いま」は明日以降お伝えします。

そして、ぜひ今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2017年7月25日

7月25日 長谷川健一さんが伝える飯舘村のいま2

引き続き、福島県飯舘村の「いま」、お伝えします。

お話を伺ったのは、飯舘村・前田地区の区長、長谷川健一さん。福島県 伊達市の仮設住宅で暮らしながら、飯舘村の現状を伝え続けている方です。

今年の春、浪江町、川俣町、富岡町、そして飯舘村で、原発事故による避難指示が解除されました。しかし、帰還を選ぶ人は、たいへん限られています。先日、東京で行われた「福島の声を聞こう!」というトークイベントで、長谷川さんは帰還に関するデータを挙げて、こう訴えました。

◆減っていく子どもたち
今の飯舘村。帰りたいと思っている人はどのくらいなのかと言うと、33%。ところが村側に問い合わせをして、「なんだこれは、1番肝心な年齢構成が書かれてねーべ」と。これは全体の構造のように捉えさせようとしているんですね。この33%と言うのはお年寄り。若い人は戻らないわけだから。そして学校をどうすんだ。子供たちがどんどん減っている。だから幼稚園・小学校・中学校の一貫校にしようと言う話になりました。その下に、スポーツ公園があるんです。全天候型のテニスコートや野球場。63億円。学校は来年の4月から始まるそうです。ところが子どもたちの数はどんどん減っていって、今年の3月で小学生が105人。それが3月31日避難解除がされて、避難解除と言う言葉がどんと出たことで今現在51人。そして今年の4月にピカピカの1年生が2人。その日中の2人のお母さんは来年が学校を飯舘村に戻すと言うことが決まっているなら転向させると言っている。だから私はこれについては、飯舘村いずれ第二の夕張になるだと思うんです。


現在、飯舘の子どもたちは、福島市はじめ別の市町村の仮設校舎に通っています。そして、今年3月発表、復興庁などによる意識調査では、33.5%の方が「将来的な希望も含め飯舘村に戻りたい」となっています。ただ、年齢層で分けると18歳未満の方のいる世帯では「戻らないと決めている」が49.8%となっています。

一方、60代半ばになる長谷川さんは、「いずれは村に戻ろうと思っている」といいます。飯舘の将来を考え、チェルノブイリの視察までした長谷川さんの、故郷への想いとは。

◆なにもせずにいられない
これが故郷よ、何を言って言われたって。これもチェルノブイリの人たちにも聞きました。「どうして戻ったんですか「と。それは生まれた故郷だから」と言う答えが返ってきた。それと同じ。いつになるかわからないが、そんな遠い時期ではないと思うけれどもいずれは戻りたいと思っている。今年は戻らない。というのもうちの女房が伊達東仮設住宅の管理人をやっているから。1年間委員長やって来年の3月までは戻らない。俺は。だからそれまでは農地を荒らさないように手入れだけはする。何もせずにはいられない。蕎麦を作らないで、田んぼも荒れ放題で、それは簡単だ、やらなければいいわけだから。でもそのあいだ俺は何をやっているのと。健康のためでもある。蕎麦は好きだから、今は国や県にも申請をして、蕎麦に関連する機械を全て導入しようとしているのよ。国の事業として。だからあそこで蕎麦を打って食うと思う。事故の前は楽しみと言えば、山を歩いてキノコや山菜をとって、冬は鉄砲かついで猪とかいろいろやっていたけれども今の楽しみってなんだろうなぁ。ただ仮設住宅に黙っているわけにもいかないので自然と車に乗ると、ハンドルが飯舘村に向く。飯舘村の家に行くとほっとする。行くのが楽しいんだな(笑)


長谷川さんはいま、5人の仲間と、蕎麦、飼料用のお米作りに動き出しています。ただ、去年の蕎麦からは基準値よりも低いとはいえ、放射線が検出されています。それでも長谷川さんは「なにもせずにいられない」と、未来のためにこの取り組みを続けていくということです。
ただ、その一方、長谷川さんはトークイベントでこうも言っています。「子どもたがいないところに未来はない。」

「LOVE & HOPE」」、一週間かけて、福島の「いま」をお伝えしています。明日は、相馬市の医師、越智小枝(おち・さえ)さんのインタビューです。

ぜひ今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2017年7月24日

7月24日 長谷川健一さんが伝える飯舘村のいま1

今朝は、この春、福島第一原発事故の影響による避難指示が解除になった福島県飯舘村の「いま」をお伝えします。

作家・渡辺一枝さんが企画する「福島の声を聞こう!」というトークイベントは、この番組でも何度か取り上げてきました。福島の人々を東京に招き現状を語ってもらう会で、2012年から20回以上開かれています。

5月の会で登壇したのは、飯舘村・前田地区の区長、長谷川健一さん。現在も伊達市の仮設住宅で暮らしながら、飯舘村の現状を伝え続けています。

◆飯舘村を覆う黒い袋
これはですね、ぜんぶ黒いフレコンバック。5段重ねに重なっています。それを大きなシートで覆っているわけですね。
これがこの地区だけじゃなくて飯舘村全部がそういう状況になっています。これが今の飯舘村の現場ですね。


これは、「福島の声を聞こう!」の中で、汚染物質を詰めた袋「フレコンバック」を説明する場面。飯舘村には、これが実に235万個、置かれているといいます。そして長谷川さんはこの6年間、飯舘村の様子を写真などで記録し続けています。

長谷川さんは3年前、除染が行われている最中にも このトークイベントに登壇。国の除染の方法に「疑問」を投げかけていました。
そして3年後の今年。帰還困難区域を除いて国直轄の除染作業は終了したのですが、村の環境は改善したのでしょうか。長谷川さんに伺いました。

◆だんだん現実に
私が話をしていたことについてはあまり変わりはない。ただそれが3年前と比べてどうなったのかと言うと、それがある程度現実化してきたなと言う。“こうならなければいいな”“これじゃダメなのかな”という思いが現実になってきたなぁという。6年除染をやっても線量が下がらない、山は除染をやらないとなった場合に、故郷をあきらめると言う人がすごく増えてきたな。俺なんかも、避難が解除されたら結構な人が戻るんだろうと言う思いはあった。ところがその思いに反して戻らない。意外と。家族とみんな一緒に暮らしたいしな。村に戻るという事は家族がバラバラになると言うことだから。それを避けて村には戻らないという選択は、かなりの人がしている。私はそういうことに反して戻りたいとは思っている。という事は子供たちや孫たちとは暮らせない。チェルノブイリのサマショールの人たちの話を聞いても、子供たちや孫たちには自分から会いに行かないとダメなわけだ。子供たちがこっちに来る事は無いわけだから。それと同じように飯舘村だってそういう状況が、だんだん現実になってきているんだなという思いがしました。


国の大規模除染は終わって、道路や住居などの放射線量は、“問題ないレベルまで下がった”ということになっていますが、でも長谷川さんの見解は、それとはまったく違います。長谷川さんは飯舘村前田地区の民家一軒一軒の線量を測り続けていて、「公表されている数値の倍の値(あたい)が出ている…」と主張。こういう状況が続く中、長谷川さんは一昨年、「飯舘の将来を考える上で見ておきたい」と、ある場所を視察しました。それが、お話しの中にも出てきました、1986年に爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発のあるウクライナです。

◆チェルノブイリの現実を見て
私も本などを読みあさって、ウクライナの現実や病気になったという数字的な部分も出ているわけだから。日本はそれを発表もしないし隠すわけでしょ。この目で当事者として見て来ないとダメだなと。それも行政とかそういう部分で行ったのではダメだなと。いいところしか見せないから。だから好きなところを歩ける状況にしたいなと思って行った。現実として子供たちや若い人がいない所に未来はないという思いがした。チェルノブイリのサマショールと呼ばれる人たちを見ると、向こうは現実に起きていて、こうならなければいいなと思いながらも、半分頭の中では、これは、こうなっていくぞと言う思いはあったな。飯舘村全部がそうはならない思うが、山あいの地区は間違いなくなっていくと思う。


飯舘村は原発事故のあと、一次避難した住民が、「安全だ」という情報に惑わされて村に戻り、避難指示も遅れました。結果、無用な被ばくを受けた村として大きな問題になったという事実があります。この出来事以来、長谷川さんは国や行政へ不信感を持っています。
そして飯舘村をはじめ、この春に多くの町村の避難指示が解除になりましたが、そのほとんどの地域で避難先からの帰還は進んでいません。

今週一週間、福島の「いま」をお伝えしていきます。明日は、福島県飯舘村長谷川さんのお話しの続き、そして水曜日からは、相馬市の医師、越智小枝(おちさえ)さんのお話です。

今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2017年7月21日

7月21日 Reborn Art Festival 2017 小林武史さん(2)

昨日に引き続き、音楽プロデューサー、小林武史さんのインタビューをお送りします。

いよいよ明日からスタートする『Reborn-Art Festival 2017』。
宮城県石巻市の中心市街地と牡鹿半島を舞台に、国内外のアーティストによる“アート”作品や、様々なスタイルの“音楽”イベント、さらに地元食材をつかった“食事”が楽しめる、“51日間”にわたるお祭りです。

リボーンアートフェスティバルでは牡鹿半島のちょうど真ん中あたり、荻浜に 拠点となる「リボーンアート ダイニング」が誕生。小林さんいわく「不便なレストラン」ということなんですが、どういうことなんでしょうか?

◆「海から見てほしいんだよ」
メインのレストランが、今回のリボーンアートのメインビジュアルとしてよく使われている名和晃平さんのアート作品、6メートルの白い鹿があって、その鹿の脇にレストランと食堂の2つを作った。でもその場所にたどり着くには、循環バスで降りた所からさらに10分ぐらい歩くんですよ。歩きながら漁師さんの営みを横目で見ていく感じなんです。漁師さんの日常を。ぼくらその漁師さんたちと本当に仲が良くて、遊漁船と言ってお客さんを乗せてもいい船なんです。それで向こうから会期が近づいてきたら言ってくれたんですけど、名和晃平さんの鹿を見て、それこそ「Reborn Art」に近い、海の中の命と向き合っている人たちだから、「外からお客さんを乗せて、外から見る景色がすごくいい。だから船に乗せたいんだよ」ってわざわざ言いに来てくれて。だからそこに行くと、毎日毎日たぶん乘りたい人を乗せてくれると思う。その名和さんの6メートルの鹿のオブジェを見せたいという感覚がすごいなって。きっと、海から見えてくる牡鹿半島の鹿だし、陸地で生きている命の先端で白い鹿のオブジェが「未来」を見ている、ってことなんじゃないかなーと想像したんだけど。そこに今回のメインの「リボーンアートダイニング」というレストランと、その名和さんの鹿が遠くからでもドーンと見えるわけです。もっともフォトジェニックなエリア。歩いていく中でも自分の身体が、呼吸が、いろんなものと向き合ったりしながら、貴重な食体験みたいなものを各シェフは提供したいと思ってくれているんですよね。
高橋)そこまで歩いていく道のりとお食事まで全部含めた体験みたいな感じですね。
小林)あと喪に服すという気持ちは、海をずっと見ているとあるんですよね。命のつながりだらけを感じるだらけだから。そういう意味ではたかだかあの大きな震災から6年、全然終わっているということではないですね。まだまだ目に見えない周波数みたいなものが複雑に絡んでいるんだって感じがすごいしています。それも含めて僕らがリボーンアートフェスをやることで、何かちょっとでも見えてくるといいなって思いはあるんですけどね。
高橋)東北から帰ってくると、何か自分の中で考えるというか、考える時間が増えるというのはすごくある。リボーンアートではじめて東北にいく方もいらっしゃると思うし、地元の方と話したり食を通じたりしてそういうスイッチを押すきっかけになりそうだなと、今すごく感じました。
小林)ぜひいらしてください!


「Reborn Art Festival2017」は、7月22日〜9月10日まで。アート、音楽、食をテーマに51日間開催されます。

オフィシャルサイト

2017年7月20日

7月20日 Reborn Art Festival 2017 小林武史さん(1)

宮城県石巻市の中心市街地と牡鹿半島を舞台に、なんと51日間にわたって行われる『Reborn-Art Festival 2017』がいよいよ、この週末スタートします!
イベントの全容を確かめるべく、イベントの総合プロデューサー 小林武史さんにお話し伺ってきました!


◆一期一会に出会えるフェス
高橋)小林さん、おはようございます。よろしくお願いします。聞きたいことがたくさんあるのですが、まずこのフェス、“アート”“音楽” “食”を楽しむことができる上に、開催期間が“51日間”という、どんなお祭りなんだろう?という感じがしますが、一体なにが行われるんですか?
小林)基本的には51日間と長期間なお祭りというのは、ベースにはアートフェス=芸術祭というものをひいているんですね。まずは長期間にわたっていろんな人に来ていただける土台を作ったということ。ただ51日間となると当然食のことも多様な形で必要になってくるし、とくにこの「Reborn Art」って「生きる技」とぼらく解釈しているので、生きていくこと、これから未来にどうつながっていくかって考えた時に、例えば生産者の方もいれば、その生産者と向き合っているトップシェフがいるんですけど、そういう人たちが入れ替わり立ち替わりやってきて、食を通して生きる技を問う、未来につながることを問うことが出てくる。そういう意味では音楽が一番、51日間なんて聞いたことがない話なんだよね。ぼくら「×ap bank fes」というのが7月28,29,30 3日間で5万〜6万の動員目指してやってるんですけど、そういう東京で仕込んでいる音楽は、プログラムされたものだし、でも音楽って実は「一期一会」みたいなところもあって良いんだと思うんですよ。キューバのブエナビスタソシアルクラブみたいな、街になんとなく音楽が流れているみたいな。そういうことをやって欲しいという声が石巻市内の方々からかけられたのもヒントになっているんだけれども、現代アートの作品を観てまわっている時に、不意に出くわす一期一会の音楽の在り方で。音楽って即興とかフリーな音楽の表し方ってあるんですよね。僕みたいにずっとポピュラーミュージックをやってきているとなかなかそういうところを出す場ってなかった気がするですけど、楽しみなところでもあるんですよね、音楽の部分が。
高橋)音楽もそうですけど人生って一期一会がすごい多い気がして、計画してない時に実は楽しい瞬間っ ていっぱいあって、このアートフェスに参加することで計らずして得られる楽しみとかハッピーな時間がすごく得られるような気がします。
小林)ほんと、今おっしゃってくれたようなことを目指してると言ってもいいんです。やっぱり震災があった場所ですからすごく多くのものを失っているとも言えるんですね。つまり、生きる術をこれだけ一回シャッフルされ、もう一回問うてみたいと思ったときに「出会う」ということが必要なんだなということ。だからリボーンアートを構想して何度も何度も石巻の方に行っているうちに、ここは「出会う」ということが起こりやすい場なのではないかと思ったんです。それがわりと本質的な部分をちゃんと捉えているような出会い方というか、、そんな気がするんですよ。


「Reborn Art Festival2017」は、7月22日〜9月10日まで。アート、音楽、食をテーマに51日間開催されます。

オフィシャルサイト

2017年7月19日

7月19日 災害時のSNS・法政大学 藤代裕之准教授3

引き続き「災害時のSNSの役割」です。

被災地や被災した方から、SNSを通じた 救援要請は、「本当に本人なのか」「古い情報ではないのか」などを、しっかり確認したうえでリツイートしないと、結果として 古い情報やデマ情報を拡散してしまう可能性がある…ということを昨日はお伝えしました。

では、逆の場合はどうでしょう。もし自分が当事者として、災害で孤立した時、どこかに閉じ込められた時。誰かの助けが必要な時。さらには緊急で支援物資が欲しい時。混乱を招くリスクがあってもSNSを頼ってよいのでしょうか。法政大学准教授 藤代裕之さんは、こう解説します。

◆命を守るためには
災害時に、自分が当事者として被災した場合。まずはSNSで発信するよりも119番や110番が先ですね。でもどうしても電話がつながらない、一方でインターネットはつながっていて家族と連絡ができるなら、SNSを使うことはあってもいいと思います。「助けてください」を見た人が119番をするのは非常に混乱を招く原因になるんですね。SNSの「助けてください」を見ても実際の現場がどんな形で、閉じ込められているのか、怪我をしているだけなのか、命が危ないのか、優先順位が消防の側には伝わらないんですね。私は、熊本地震でも現地の消防の方にヒアリングをしているんですが、いろんな電話がかかってくるらしいんですね。「SNSで見た、助けなくていいのか」と。でも消防の方からするとどんな状態か分からないし、どうしたらいいのかわからないということなわけですね。それを確認する電話をしている間に、もしかしたらふさがっている電話にもっと大変な人から電話がかかってきて繋がらないということが起こるかもしれないんです。なので不確実な情報を見て消防に電話すると消防の機能が麻痺しちゃうんです。消防の電話も無限にあるわけでは無いですから。SNS上で救助情報を見た方が電話をすると言うのは現場の状況が分からなけれれば慎んだほうが良いというのが基本的な考え方だと思うんです。状況がわかる、つまり閉じ込められてしまっていて息をしていて命に別状は無いが、足が挟まっていて痛い、どんな形で閉じ込められているのが分かる状態の人がしっかり電話して状況を伝えるということが基本だと思うんです。では、SNS上で発信するのやめたほうがいいんじゃないか、命が危ないのに助けてって言っていいのか、混乱するのでやめたほうがいいんじゃないかなと言うとそうではない。命は大事なので、出来る限り「助けてください」「支援物資が欲しい」「支援物資が欲しい」というものは自由に拡散できる方が良いと思うんですね。情報トリアージ(選別)みたいなことをして、社会的な負荷を減らしていく。みんながあまり無理せずに、やっぱりおじいちゃんから子供までいろんな人が使っていく中でリテラシーをあげてくださいというのは難しい。焦っていて友達が怪我しているような状況ではついついやってしまうわけです。やっても良い状態と、実際の救助支援の現場をどうマッチングさせるかというのがこれからの社会の大きなテーマになってくるのかなと思います。

2017年7月18日

7月18日 災害時のSNS・法政大学 藤代裕之准教授2

引き続き「災害時のSNSの役割」です。

SNSは災害時に、身近な人の安否確認や情報収集にとても有効であることはすでにお伝えしてきました。ただその一方、被災現場を混乱させる「デマ」が拡散し続けてしまう問題があります。法政大学准教授 藤代裕之さんに、実際にあった例と、拡散を防ぐ方法を伺いました。

◆正しい情報が「デマ化」する
災害時のデマ情報というと、熊本地震では「ライオンが動物園から逃げた」、東日本大震災では「石油会社の爆発で人体に影響のある雨が降る」というようなことを考えがちなんですけれども、実は災害の現場ですごく困るのは救助情報や支援情報が、適切では無い、正しくない状態で拡散され続けるというのがかなり被災地の負担を多くすることになります。「助けて、いま生き埋めです」というものが拡散される。助かったとしても、「助けて」の情報はずっとSNS上で拡散を続けることがあるんですね。そうするとどれを助けて良いかわからなくなる。正しい情報がデマ化して行くこともある。これも研究でわかっていまして、「助けてください」というツイートはすごく拡散するんです。しかし「助かりました、ありがとうございました」というツイートはほとんど拡散しない。熊本地震でも実際にマンションから「助けてください」とツイートをして、その後「助かりました」というツイートをした人がいらっしゃるんですが、「助けてください」はとてもたくさんツイートされて、「助かりました」はほとんどツイートされていないんですね。ですので「助かりました」が拡散すると、「助けてください」がSNS上から消えていくことが望ましいんですが、みんな心配しているので「助けてください」だけがSNS上に残り続けてずっと拡散し続けるということがあるわけなんですね。それで被災地の現場が混乱するということが実際に起きているということです。ですから拡散するときには、例えばTwitterだったら<リツイート>で拡散するというやり方があります。本文をコピーして、自分でツイートするのではなくて、流れてきた情報を<リツイート>すれば、元の情報が消えた時にそのツイートも消えるという仕組みにTwitterはなっているんですね。そうすると「もう助かりましたよ」「物資はもう来ましたよ」ということになって、元の発信者の方がツイートを消した場合、リツイートだったら自然と消えてデマにならない。良かれと思って情報をコピーして別のSNSに投稿するということもあるわけです。LINEの情報コピーしてTwitterに載せたり、Facebookの情報をTwitterにコピーするということも実はSNS上でデマが消えない要因になっているんですね。当事者以外の方が、別のSNSから投稿コピーしたり、心配だからとツイートのコピーをまたツイートするということは控えていただきたいなと思います。


さきほどのお話に補足すると・・・
SNS上の情報が、「古いか新しいか」は、書き込まれた時間が表示されるので分かるはずですが、例えば「たすけて」という書き込みを別の人が「コピーしてツイート」すると、いつのものか分からなくなることがあります。ですから、コピペではなく<リツイート>でなければいけない。

では、デマ情報や古い情報を拡散しないために、どうすればよいか。デマ情報・古い情報の見極め方も藤代さんに伺いました。
・まずリツイートする場合に「発信者のアカウント」その発信者の「過去のツイート」をチェックする。本当に被災した人なのか。被災地にいるのか。過去に怪しいツイートをしていないかをチェックするのが大切です。
・さらに、対象となるツイートを一度「検索してみる」のも有効。同じものがたくさんヒットする場合は、スパム的にたくさん書き込まれた可能性があり、「あれ、おかしいぞ」と立ち止まることができます。

緊急時は、なかなかウソか本当か、古いか新しいかを判断できない状態になりがち。せめて原則として「リツイート」を守る。他のSNSに広げないようにする。覚えておきましょう。

明日も、災害時のSNSの役割について考えます。

2017年7月17日

7月17日 災害時のSNS・法政大学 藤代裕之准教授1

先週に引き続き「災害時のSNSの役割」、考えていきます。
これまで、ユーザー数の多いSNS 3社にお話を伺ってきました。LINE、Facebookは身近な人の安否確認、支援する側・される側のマッチング、Twitterは災害現場に立ち入れない場合の、情報収集に力を発揮することが分かりました。
一方、SNSには拡散力が大変大きいため、様々な問題点もあります。これまでの災害を通じて分かって来た、今後SNSを活用するうえでの「課題」はどんなものがあるのか。

ソーシャルメディアに詳しい法政大学准教授 藤代裕之さんに伺いました。

◆SNSが招く混乱をどうすればよいか
SNSはたくさんの人が利用していて日常して日常的に使っているわけですが、災害時や緊急時に上手に利用するのは、かなりリテラシーが高い層に限定されてくると思います。簡単に発信できるんですが、一方でその現場の状況の把握・拡散と両方がセットにならないとトラブルが起きます。例えば東日本大震災の時だと、「助けてください」と物資を要求したのはいいんですが、それがずっと拡散し続けてどんどん(物資が)来てしまい捨てなければいけなくなったりとか。

一方、SNSを使う人が少ない集落ではそういうこともできず、ずっと物資が届かない。そうするとSNSでたくさん拡散した人の方が支援が来る、救助が来るという格差みたいなものに繋がるのじゃないかということがいま課題になっています。このSNSの発信力が格差を生むなら、2つ解決策があります。1つは「発信力を高めてもらう」。みんなが発信力を高めて自分たちの地域で困っていることをSNSで発信する。それによって物資が届きボランティアがやってくるというのは、ミスマッチがミスマッチを防ぐことができるし大変良いことだと思います。しかし、Twitterを非常によく使われていた熊本市長がおっしゃっていたんですが、「自治体の職員にも能力差がある。なのであまりTwitterでいろんなことをつぶやかれると職員がついていけないんです」。ということで使うのをセーブしたとおっしゃっていたんです。リテラシーの差があるものをある突出した人が使ってしまうと、支援者側のリテラシーが追いつかないというケースもあるわけなんですよね。そこで差がついてしまうと混乱が生じてしまうので、だとしたら自治体や支援団体のSNSの拡散力や発信力を高めるよりも、人々に自由に使ってもらいながら、様々な発信がまだらな状態を維持しつつ、どこかで専門家による情報のチェックをする。これを私は「情報トリアージ」と呼んでいるんですけれども、情報を選んで救助・出動の手前の部分で、情報トリアージチームが適切な情報を流すことで、「これは古い情報ですよ」「これも助けられました」と情報を選別する、ふるいにかける作業を入れることで被災現場の作業を減らしていこうという取り組みなんですね。ただ、情報トリアージが具体化しているかというとそうでは無い。研究は始まっていまして、国の方で最近流行の人工知能・AIを使って、情報が新しいか古いか、うそか本当かというものを確かめていきましょうというプロジェクトが始まったばっかりなんです。


明日は、いまの時点で私たちが、情報の拡散による「混乱」を防ぐためにどうしたらよいのか、藤代さんに伺います。

2017年7月14日

7月14日 災害時のSNS・Facebook編3

災害時のSNS活用法、Facebook編です。

これまで紹介してきたLINEやTwitter、そしてFacebook。それぞれが、災害をはじめ世の中のニーズを受けて、常に新しい機能を追加しています。そして実はFacebookは、まさに現在、災害に対応した機能追加を進めているんです。Facebook japanコミュニケーションマネージャーの嶋田容子さんに伺いました。

◆災害マップ
6月7日にアメリカで発表されたばかりの情報が1つありまして、災害マップという機能を新しく追加しようとしています。どういうものかというと、匿名化されたFacebook上の位置情報データを災害時に救援をする組織や団体の活動に役立てるという取り組みです。どこの場所でどんな物資が不足しているか、どの場所に被害のある人が多いのかというような情報は、Facebookのほうに位置情報として出てくるので、それを少しでも組織や団体の支援活動に役立ててもらえないかとアメリカで取り組みが始まり、現在構築中の段階で、今後ユニセフですとかそのような支援をしている団体と一緒に、他の組織と共有するための準備を進めている段階になっています。


その一方、災害時にSNSを利用する際、気をつけなければいけない点があります。いわゆるデマ、フェイクニュースの拡散です。これについて伺いました。

◆Facebookのデマ対策
災害時に特定したことでは無いんですが、真偽が疑わしい情報や不適切な情報がタイムラインに上がってきたときに、まずそれをシェアしてしまうとどんどん広まってしまうので、その前に一度立ち止まって考えるとか、簡単にシェアしないということがあります。その次に、明らかに正しくない情報が上がってきている場合は、それをFacebookサイドに報告するということができます。報告をして頂だければ、こちらでそれに応じた対応が取れるので、皆様からしっかりと報告してもらうというのも重要になっています。この2つをしていただきたいと思います。また自分自身では判断できなくても、Facebook上で「この情報は怪しんじゃないのか」と感じる人が複数いた場合Facebookサイドでそれに対応することを行っています。複数の人がこの情報は怪しいと報告したものに関してなど、AIのようなもので不審な動きをするところを察知するんですね。例えばさっき上がったばっかりなのにありえないシェアをしているというのは不自然じゃないですか。そういうものに関してはまず機械がスキャンして察知して、それを誰かがシェアしようとするとセキュリティーコードのようなものが出たりするんですね。この情報は真偽が怪しいかも知れません、と、立ち止まるセキュリティーコードを打つ時間を、Facebookサイドが提供するということもございます。そういった施策を行うことでFacebookが行うこととしては、タイムラインに上がってくる情報が有意義でかつ安全であるということを確実にするという活動を今行っています。


来週は、こうした問題含め、災害時のSNSの「注意点」について、ソーシャルメディアに詳しい法政大学 藤代裕之准教授に伺います。

2017年7月13日

7月13日 災害時のSNS・Facebook編2

今週は、「災害時のSNSの使い方」をお届けしています。

きのうに引き続き、Facebook編です。
九州の豪雨災害では、まさにいま、支援の情報共有が必要となっていますが、じつはFacebookには、こうした「災害時の支援」を橋渡しをする機能が、今年から追加されています。Facebook japanコミュニケーションマネージャーの嶋田容子さんに伺いました。

◆支援のマッチング機能
Facebookには実は災害時情報センターというものがありまして、情報センターを使うと大きく2つのことができます。1つ目が「安否を知る、知らせる機能」。2つ目は支援をしたり支援を求める機能です。これが2017年2月から始まっているコミュニティーヘルプと言う機能で、災害が発生した後に利用者が必要とする、避難場所、水、食べ物などを自分で探したり、それが欲しいということを示すことができます。例えば「今40人分の食料が必要です」とか「200人分ぐらい水が必要です」と書き込むと、書き込みに対してコメントができたりメッセージを送れます。さらに、「いま家に水がいっぱいあります、食べ物が余っています、この避難場所はスペースがいっぱいあります」というふうに書き込むことで、必要な人にお知らせすることができます。そのニーズがマッチした場合、そこでメッセージのやりとりができて必要物資や支援を簡単に発見したり提供できたりする機能です。この災害時情報センターという機能は、今世界中でテロが起きたり災害が起きたときに発動しているんですが、今すでに600回以上発動しています。その機能は実は日本の東日本大震災がきっかけでできたんです。東日本大震災が起きたときに、アメリカの大学でFacebookでインターンをしていた日本人の学生が、アメリカにいて日本の震災の状況を見て何かしなければいけないと思ったんですね。彼はFacebookでインターンをするエンジニアだったので、その場でFacebook上で人々が安否を確認しあうことができたらいいんじゃないかと言うプロトタイプを書いて、友達にシェアしたんです。それが話題となって、その後マーク・ザッカーバーグの目に触れてチームができて機能化したということで、東日本大震災がきっかけにできたあとは、災害時情報センターが発動され安否確認などのコミュニケーションができるということが初めて行われたのが熊本地震でした。Facebookは日本でも2700万人、世界でも19.4億人が使っていますので既に使っているものを利用して、そういう支援を求める、支援をするということができると言うのが大きなポイントかと思います。


この機能は、災害が起きて災害情報センターのページが立ち上がると、その中に「支援サポートを提供する/支援サポートを見つける」というボタンがあります。


これをクリックして、あとは表示される選択肢を選んでいくだけで↓


支援元・支援先がマッチングできるようになっています。


あしたも、Facebook編。テロや災害時の「デマ、フェイクニュース」対策についてご紹介します。

2017年7月12日

7月12日 災害時のSNS・Facebook編1

今週は、「災害時のSNSの使い方」をお届けしています。

ここまでLINE、Twitterを紹介しましたが、今日はFacebookです。
国内2700万人、世界で19.4億人が利用する世界最大のSNSの一つです。Facebookの場合、安否確認だけでなく、まさにいま九州では支援の力が必要となっていますが、こうした「災害時の支援」で 大きな機能を発揮します。

Facebook japanコミュニケーションマネージャーの嶋田容子さんに伺いました。

◆Facebookの安否確認機能
災害時に役立つ機能として、Facebookには「災害時情報センター」というのがあります。これは大きく2つのことができます。1つ目が「安否を知らせる機能」。災害が起きた時・災害の影響下にいる人、その方を心配しているご家族やお友達とのコミニケーションが大事になると思っておりまして、災害時情報センターではまずご自身の無事をFacebook上でつながっている家族、友人に知らせることができます。逆に、災害の影響を受けている地域にいる人の安否も確認することができます。最近だとテロもそうなんですが、そういう事件が起きたときに提携している第三者機関がFacebookサイドに、事故や災害が発生をしていることを報告するんですね。事故や災害が起きている場合は、災害時情報センターというページができます。プロフィールの位置情報の通知をオンにしている人ですと、災害が起きている場所にその方がいるかどうかを判断します。そこにいると判断された場合は、Facebookから通知が届きます。普段Facebookから、誕生日のお知らせが届くように、「位置を報告しますか?」と確認がきます。これに対して「報告する」というボタンをポチっと押すだけでFacebook上でつながっている友達に自分の安否を知らせることができます。ただ、無事であることを報告したくない場合、その被災地の場所にいるということを言いたくない、私はここにいないんだけど?など関係ない時は「その場所にいません」というボタンを押すこともできます。通知の受け取り方も同様で、「お友達の誰々さんがご自身の無事を報告しています」と言う通知が届きます。そこを見るとどのような人が無事を報告していて、誰の無事が分かっていないのかという事までわかるようになっています。さらには、災害時情報センターのページでは、そこの地域にいる自分のお友達がリストになって出てきます。その方のうちまだ無事が報告されていない方でもこの方の無事を知りたいと言う場合はそのリクエストを送ることがページから可能です。またお友達の中でまだ無事が報告されていないけれども自分がその人が無事であることを別の手段で知っている場合、「この人は無事です」というボタンを押すことで、自分以外の人にもその方の無事を知らせることができます。


番組では同じくユーザー数の多いSNS「LINE」を特集しましたが、LINEにも「LINE災害連絡サービス」という、ほぼ同じ機能が追加されています。

ポイントとして、LINEもFacebookも、特に、特別な操作をする必要は無いということ。普段から使っている方は、災害時に自動的に、安否確認の通知が届く仕組みになっています。位置情報を普段からオンにしておくかどうかはご自身の判断です。

あしたは、Facebookを活用した「支援の呼びかけ方、支援の受け取り方」をお伝えします。

2017年7月11日

7月11日 災害時のSNS・Twitter編2

昨日に引き続き「災害時のSNSの使い方・Twitter編」です。

・行政や公的機関などの公式アカウントをフォローして情報を得られるようにしておくのが大切。
・ハッシュタグと写真付きツイートを使うことで、災害状況を市民が行政と共有できる。〜昨日は、この2つのポイントをご紹介しました。

そしてTwitterといえば、情報が爆発的に「拡散する」という特長がありますよね。この拡散力を利用して、不特定多数の人に「助けを呼ぶ」という使い方もあると言われます。しかしこれは慎重さが必要です。Twitterjapan メディア事業本部の谷本春樹さんの回答です。


◆救助要請ツイートは慎重に
災害が起こった場合、例えば自分が救助が必要な状況に陥った場合、まずは119番に連絡をしていただきたいと思います。ただ、何らかの事情でどうしてもツイートしかできない時に、ツイートをするということになりますが、ただし自分が助かったり、求めていたものが叶えられたなら、それは即座に削除することをやって頂きたいと思っています。元のツイートを消すと、リツイートされた先も消えるんですね。特に救助要請をツイートした方は、救助がされたり何か問題がある場合に、ツイートを消すことでリツイートされた先も全部消えるので、他のユーザのタイムラインが「すでに終わった情報」で埋もれてしまうことを防ぐ方法になるんじゃないかなと思います。それからツイッターユーザーは災害時に救助要請のツイートを見かけることがあるかもしれません。そうしたときに、むやみやたらに拡散するのではなく、一呼吸置いてもらって、本当にこの人は救助を求めているのかなと、アカウントを見るなどして確認してほしいというのがあります。一方で、これは有益な情報だなと思ったら、例えば自治体からの情報や、災害機関からのツイートがあったら、そうしたものは拡散してみんなに注意喚起をするということをやるのも大切だと思います。



実際、過去の災害では生き埋め状態の方がツイートで助けを呼び、助かった事例もありますが、こうした「助けを求めるツイート」は、リツイートし続けられ拡散が止まらない。これが混乱を招きかねない。ですから、「元のツイートを消す」必要があるということです。

さらに、ツイッターで助けを求める時、知っておきたい情報を教えていただきました。

◆ハッシュタグと位置情報を活用
救助要請でツイートをするときの工夫としては、まずハッシュタグをきちんと入れる。例えば「#〇〇市 災害」とか、防災訓練で使ったハッシュタグや、多くの人に目に触れるハッシュタグ使うというのも工夫のひとつだとおもいます。あとは、命が助かるのを最優先にして、緊急度に応じて「位置情報を入れる」のも重要かなと思っています。これによって災害時や災害後の対応で助かることがあると思っています。ツイッター上の位置情報を地図に落として、例えば、いま救助要請がされている場所、どこの避難所が物資が足りていなか、といった情報を地図上に集約して展開する色んなサービスがあります。そうしたサービスを使って人が助かったり、物資が足りないところに届くということも考えられますので、そういったことをするためにも必要に応じて位置情報をつけてツイートしてくださればよいのかなと思っています。


明日は、「災害時のSNS活用法・Facebook編」です。

2017年7月10日

7月10日 災害時のSNS・Twitter編1

今週は「災害時のSNSの使い方」を特集します。

多くの方が、SNSを普段から使っていますが、災害に見舞われたときの使い方をちゃんと把握していますか?
代表的なSNS、Twitter、Facebook、LINEは、それぞれ特長があり、役立つシーンもそれぞれ違うんです。ということで災害時のSNSの使い方。まず今日はTwitter編です。Twitterjapan メディア事業本部の谷本春樹さんに伺いました。

◆公的機関など信頼できるアカウントをフォロー
災害時に役立つ機能なんですが、Twitterとしては特別な機能は無いんですね。我々として呼びかけているのは、災害時を想定して「信頼できる情報を発信するアカウントをフォローしてください」ということ。例えば皆さんが住んでいる自治体のアカウント、警察、学校に行っている人なら学校のアカウントも最近は増えてきたので、そういうアカウントをフォローして頂くというのが重要かと思っています。例えば、自治体等などのアカウントには、認証マークという水色の本物を示すチェックマークをアカウントのところに付与して、このアカウントが本物であることを証明するということをやっています。

Twitterが役に立った事例としては、大きな災害であればあるほど自治体の職員も被災者になってしまうわけです。2年位前の事例なんですが、長野県の佐久市が大雪に見舞われた時に、市役所の職員も移動できない状況になってしまった。災害対応の第一段階は、現状認識だと思うんですが、状況がどうなっているか、どこに手をつけなければいけないのかがわからなかった。そこで佐久市の市長さんはTwitterを使って呼びかけたんですね。「付近の状況について写真付きで、〈#佐久市 道路〉(#佐久市 災害)などハッシュタグをつけて写真付きでツイートして下さい」と呼びかけたんです。
そして市民のみなさんが雪の状況について写真付きでツイートをしたわけです。この写真を見て市長は、幹線道路で車が通れない場所などを写真から判断できて、最終的に自衛隊の出動要請まで結びついたんですけれども、そうした市民と市が協働で災害対応を進めるということが、災害時のTwitterの大きな役割を果たすことができることのひとつだと思っています。災害時のハッシュタグの共有ができていると、本当に役に立つんじゃないかなと思っています。単純に「#地震」「#大雨」ではなく、「#(自分たちが住んでいる自治体の名前) + 大雨・大雪・災害」など。災害時にどういうハッシュタグをつけるのかは、まさに自治体が音頭をとって常日頃から呼びかけて頂きたいと思っています。


自治体によっては、すでに災害時のハッシュタグの使い方を市民参加の防災訓練で取り入れているところもあるそうです。例えば埼玉県和光市がそう。そして、災害情報を市民と行政が共有できると、市民は被災のリスクが減り、行政の負担も減ることになります。

ちなみにお馴染みのハッシュタグはそもそも、2007年のカリフォルニアの山火事という災害をきっかけにエンジニアが提案して生まれたのだそうです。さらに東日本大震災のあと日本語ハッシュタグも追加されています。災害を教訓にSNSは進化した。

明日も災害時のTwitterの活用法、お伝えします。

2017年7月5日

7月5日 若い移住者を広田町へ?

引き続き、岩手県・陸前高田市 広田町で、移住者を増やそうと取り組む若者、NPO法人SET代表、三井俊介さんのお話です。



震災ボランティアがきっかけで、大学卒業後に広田町に移住した三井さんは、NPO代表、そして市議会議員として 町に若い世代の移住者を増やそうと様々な取り組みを続けています。そんな三井さんは、ご自身の経験から、「移住者にしかできないこと」があると話します。

◆暮らしを豊かにするということ
それこそ外の人なので、「しがらみ」がないのは大きなメリットだと思っている。人と人、行政と民間、NPOと住民をつなぎ合わせるのが外の人は得意。そういうふうに色んなものをつなぎ合わせながら新しいものを作る、接着剤というか起爆剤として移住者が必要だと思っている。僕自身は市議会議員をやりながらNPOをやっているが、家族もいて地域の行事もあって消防団にも入っている。あと実は漁業権も持っていまして(笑)準組合員と言う資格なんですが、広田でウニやアワビをとって良い日があってそういう日は船に乗ってウニ取ったりしている。それは地元の人からやれと言われると言うよりも自分が楽しんでやっている。そんな日そんな感じで今、議員、NPO代表、時々漁師という感じで暮らしている。東京に暮らしているときは、仕事=暮らしと言う感じで、暮らしを豊かにすると言う事は仕事を頑張ることと言うことだったが、広田に移住して思うのは暮らしは仕事だけではないと思う。家族の時間や地域の人との関わり、そういうものを全部ひっくるめたトータルが暮らしで、その豊かさを追求するのが大事なんだなとすごく感じている。仕事量みたいなものはぎゅっと縮小されたりはしているが暮らし全部全部ひっくるめると、満たされている感じというのはありますね。移住を考えている方がいらっしゃるなら飛び込むしかないというのが僕からのメッセージ。世の中これが正解これが腐生かいというものはない。自分がこうしたい、こうやりたいと思ったら一歩踏み込んでなんとしても選んだものを正解にしていくと言うそういうのが大事だと思っています。もし移住したいなら、都会じゃなく田舎に暮らしたいと思っているなら、まず踏み出して、その道を僕らは一緒に正解にしていける。そういう良いパートナーがいる以上先を探して移住を実際にやっちゃうと言うのが良いのかなと思っています。気にいらないなら帰りゃいいだけだし。もっと自由に行きたい場所、暮らしたい場所で生きるのが良いのではないかなと思います。

                                                               

LOVE&HOPE、あしたは、福島県飯舘村をめぐる人々の「いま」お伝えします。

2017年7月4日

7月4日 若い移住者を広田町へ?

引き続き、岩手県・陸前高田市 広田町で、移住者を増やそうと取り組む若者、NPO法人SET代表、三井俊介さんのお話です。

大学卒業後に広田町に移住した三井さんが代表を勤めるNPO法人 SETでは、Change Maker Study Programという企画を継続的に行っています。これは東京の大学生参加者が、1週間かけて町の暮らしを体験。町の魅力を広める方法を考えるという滞在型の企画です。この企画などを通じて、本当に広田には若い移住者が増え始めています。

そしてSETでは、この企画をさらに発展させた取り組みもスタートします。

◆あなたの次の一歩がこの町で正解になる
チェンジメーカースタディープログラムを4年間やったノウハウを生かして、今度は4か月滞在型のチェンジメーカーカレッジという授業を開始しようと思っている。いわゆるビジネススクールみたいなものではなくて、まちづくりを徹底的に実践するというもの。4ヶ月住み込みで僕たちと一緒にまちづくりを学んだり実行するということで一緒に過ごす参加者の仲間を募集している。ターゲットは、起業したいと思っている人、自分で何かやりたいと思っているが就職をしている人、就活をしなければいけないと思っている人を対象にしたい。僕自身も大学卒業してそのまま陸前高田市広田町に引っ越したし、生き方や働き方はもっと自由で良いし、自分のやりたいように進んでいけばいいと思っている。そういう1歩を踏み出すための場所を提供したい。キャッチコピーは、「あなたの次の1歩がこの町で正解になる」。6月あたまごろから募集開始していて、定員になり次第締め切り。8月の半ばごろまでは募集したいと思っている。


東京で就職…という選択が「違うんじゃないか」と思っている若い世代の方、興味あればこちらをぜひチェック。
http://cmc.set-change-maker-program.com/

この新たなプログラムで目指すものはなにか、三井さんに伺いました。

◆人口が1%ずつ増えれば
人口1%戦略ということが今、地方創生の文脈の中で言われている。これは人口の1%を毎年移住者として呼び込む。町の外に出ているお金も1%町内で循環させる。例えばパンを外に買いに行っていたものを、町の中にパン屋を作れば町でパンが買えるようになる。そういうことで人を呼び込み、町に1%ずつお金が循環するようにすること。これを人口1%戦略と呼ぶ。これを達成すれば町が持続可能になると言われている。
チェンジメーカーカレッジの第1期生募集をしているが今後は2期生、3期生・・・続けていき目指すのは年間で30人の生徒を募集。30人が移住するという形を取れると、広田町は3,200人の人口がいるので1%にあたる30人がカレッジを通して移住することになる。カレッジでいろんな商品を作るが、町内のものを使って1%ずつお金が循環できるようにしていきたいと思っている。


三井さんは人口減少社会の町づくりについて本当によく勉強されていて、他にもこんな言葉を教えてくれました。
「人口シェアリング」。例えば週末だけ広田で過ごす。月一だけ広田で過ごす。こういうケースも人口が「1人増えた」とみなす考え方です。町と町、地域と地域で人口をシェアしあうというこれからの時代に町の人口を増やすための新たな捉え方。最近の「二地域居住」もこれに当てはまります。
三井さんは「人口がキープされる前提の町づくりではなく、人口が減る中での街づくりをしなければいけない」と語っています。

あしたも三井俊介さんのインタビューです。
★NPO法人SET

2017年7月3日

7月3日 若い移住者を広田町へ?

きょうは、岩手県・陸前高田市 広田町という半島の漁村で、町の未来を担う一人の若者のインタビューです。

三井俊介さん(28)。東日本大震災をきっかけに、大学3年生でNPO法人・SETを立ち上げ広田町で復興支援活動をスタート。東京の大学を卒業した後に広田町へ移住。SETの代表として、三井さんと同じように陸前高田に移住する若者を増やそうと、様々なプログラムを立ち上げ、日々活動しています。

まずは、このSETが現在 実施しているプログラムから。三井さんのお話です。

◆中高生、大学生に広田を知ってもらう
SETでは、移住者増やす取り組みとして、3つの事業をやっている。ひとつが民泊の修学旅行を誘致する事業。関東の中高生の修学旅行は京都や沖縄ですが、それを陸前高田広田に来てもらい、民泊に泊まってもらう修学旅行を呼び込もうとしている。高校生が広田にタッチする機会を作るプログラム。

2つめが、地元の高校生のキャリア教育。東北の広田という町では「自分のやりたいことができない」というネガティブな発想から町を出て行く人が多く、そして帰ってこない。それが、「町が好きで、でも力がない。だから勉強するために外に出ていく」というポジティブな理由で外に出るのであれば素晴らしい。なので郷土愛、地元愛を育てて自分のやりたいことを明確にするということを高校生のうちにプロジェクトをやりながらやろう、ということで行っています。それが面白くなってきていて、そのプロジェクトに参加した子で去年4月に大学に進学した子が、SETのメンバーになって、週に1度は地元広田のために東京で会議をして、月1回は広田に戻ってきて活動するようになった。合計3人の広田出身の子が、地元のために大学生になっても地元のために活動している。将来的なUターンというか人口増を目指す取り組みだが、兆しが見えてきたなと感じている。

もうひとつがChange Maker Study Program。大学生向けの1週間滞在型のプログラム。チェンジをメイクする人=変化を起こす人と言う意味。社会、街もそうだが自分に変化を起こし続けられる人という意味合いもある。そういう人を増やそうというプログラム。1週間広田町に滞在してもらって町の体験をしてもらう。参加者の大学生メンバースタッフ20名位が1つのチームになって町のためになることを考えて準備をして、1週間後の6日目には実行してしまうというプログラム。
私たちの事業はすべて、中高生の頃から広田を意識してもらって、大学生になったら実際に町のために活動してもらって、そのあとはSETのメンバーになったり移住したいという子を生み出すという、長く移住したい子を育てるような事業設計をしています。


以前も紹介しましたが、三井さんは広田町に移住後、ご結婚され2人のお子さんにも恵まれています。また地元の方に後押しされ、「行政を知ることも町づくりには必要」と、市議会議員にも立候補。現職の市議でもあります。

現在、SETのメンバーは140名。すべて大学生です。チェンジメーカースタディプログラムの実施はすでに20回を重ねています。

こうして開かれ始めた「広田への移住という選択肢」。実際にSETの社員となり移住した人は9人(8世帯)。広田は少しずつ若者が増えています。

あしたも三井俊介さんのインタビュー。移住を考えている若い方はぜひお聴きください。

パーソナリティ 鈴村健一

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