2017年8月31日

8月31日 九州北部豪雨 朝倉市松末地区の住民2

今朝も引き続き、7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市からのレポートです。

記録的豪雨により、多くの犠牲者を出した朝倉市。土砂の流れ込みによって全壊・半壊した家屋は、合わせておよそ1000件。2か月近くたった今も5カ所で通行止めが続いています。


大きな被害をうけた朝倉市ですが、実は6年前から各地区で「自主防災マップ」をつくり、避難訓練をしたり、指定避難場所までたどり着けない場合の「自主避難場所」を決めていました。 ですがとくに被害の大きかった朝倉市杷木、松末地区では、こうした備えをしていても思うように避難できない状況が生じていました。

今朝は松末地区、杷木星丸に住む、高倉優仁子さんのお話です。

◆地域の再生は、山を植林前に戻すこと
本当に最初は水面が見えないはずの川が見えるところまで水面が上がってきて、それが田んぼを持って行き、木が倒れて、日が暮れるぐらいには広い川だねっていうぐらい幅になって、ふつう川には流れないような大きな物がどんどん流れてくるような状況になりましたね。この近くの避難所は松末小学校なんですけれども、小学校の手前が4時の時点で道が通れない、崩落したところもあるし、道がほぼ大きな川みたいになってしまって、雨も雷もすごくて外に逃げられない状態だったんですけど、で、なんかガラスが割れる音で下に降りてきたら一気に土砂が入り込んできて、もうどこも逃げられないって感じで、ハシゴをかけて降りてきたんですけど、隣の家まで行くのが精一杯ですね。その隣の隣はもう“川状態”で行けない状態。認知ですよね、それこそSNSとかでごく近い人とかが情報送ってくれたりするんですけれども、もう停電になるのも3時ぐらいから停電なってしまっているし、情報が本当に少ない状態でした。で、次の日の昼間に松末小学校の避難者と一緒に下まで行く時もロープを握って、けっこう大きい川みたいになってるので、自衛隊の人とかと一緒に避難して。
私は生まれも育ちもここなのでなんとなく元々崩れやすい所にいるので、あり得るといえばあり得ることが起こったんですけれども、今回その川が氾濫するというのは誰も考えていなかったことで、しかも5年前の豪雨の時にある程度綺麗に戻しましたという状態だったので、たぶん川のそばの人とかは、まさかこんなになるとは思ってなかった人が多いと思います。だからそれこそいま自分も含めてこの地域がもう一回再生するのに大事なのは、ほんとに山を戻したりとかそういう事なのかなと思っていて、それこそ自分の家にも山があって、やっぱり40何年か前に“やっぱり植林がいい”って言って、植えた木がもしこの山に合わないんであれば、それを切って、元々の山にあった木を植えるってのは、何十年かかる作業ですけれども、していかなきゃならないことだし、していきたいと思ってて、でもやっぱり早く避難するってのは大事だと思います。今までは大丈夫だったからってのはもうこの何年かで通用しない時代になってると思います。なんかちょっとおかしいと思ったら逃げる。本当に亡くなった方が結構いらっしゃるので、やっぱり逃げるのが大事だと思います。


高倉さんは、目の前の川というよりも裏山の土砂崩れに対する災害リスクは認識していました。ただそれでも、短時間のうちに避難所である小学校には行けない状況に陥ってしまい、そして停電で情報も入ってこない。災害時にはこういう状況が起こりうるのを想定して、どう行動すべきか考えておかなければならない。そして昨日は雨に弱い地質「真砂土(まさど)」について触れましたが、高倉さんは、40数年前に植林して森の形を変えたことへの懸念もお話しされていました。

今週金曜日は「防災の日」。
明日も、朝倉市で被害にあわれた住民の声をお届けします。

2017年8月30日

8月30日 九州北部豪雨 朝倉市松末地区の住民1

今朝も引き続き、7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市からのレポートです。

記録的豪雨により多くの犠牲者を出した朝倉市。土砂の流れ込みによって全壊・半壊した家屋は合わせて968件。2か月近くたった今も5カ所で通行止めが続いています。

こうして大きな被害をうけた朝倉市ですが、実は6年前から各地区で「自主防災マップ」をつくり、いざというときにあわてないよう避難訓練をしたり、山間部では指定避難場所までたどり着けないことを想定し「自主避難場所」を決めていたといいます。

こうした住民たちの日頃の備えで、命が守られたケース。
それでも逃げ遅れたケース。
番組ではとくに被害の大きかった朝倉市杷木、松末地区の住民に話を聞きました。


今朝は松末小学校から数十メートルの距離で被災、中嶋玲子さんのお話です。

◆避難訓練していた想定と違った
まだ娘のところに一時避難していて、片付けに毎日通ってきています。ここまだ住める状況じゃないものですんで。娘のところに夜帰ってお風呂に入ってごはん食べてまたここへ来て片づけてまた帰るという。早くここに住めるといいんですけどね。
当日は私は居なかったんです。夫はばあちゃんと2人で逃げています。
ここの旧杷木町は花崗岩の「真砂土(まさど)」でとても山崩れしやすい土砂。なのでうちは避難訓練して、その時には家族で具合悪い人をきちんと把握して逃げる練習や、暗かったり流れが速い時はみんなが一つの紐に繋がって、つまって逃げる訓練までしていたんんですけど、時間帯が昼間で若いお父さんお母さんたちがお勤めで、その中年の層が家にいない方が多かった。だから高齢者の亡くなった方が多かったのは残念なこと。だから災難はいつくるかわからないということ。想定していたようにみんながいる時に、家族が一緒になって逃げるという状況じゃなかった。自分が主体となって避難しなければいけない。それから流れがやっぱり早すぎて、流木が思ったよりひどくて急に来たから。うちの夫なんて小学校が避難所なんですけど流れが速くて、表と裏から水が来たから小学校には到底逃げられないと、だから裏から足の悪い90歳のばあちゃんを捕まえたり引っ張ったりしながら隣の隣の保育所に逃げて、ここは鉄筋だから大丈夫だと逃げたようですね。小学校に逃げていたら流れにのまれていたかもしれないですね。でも無事助かって保育所で一晩過ごしたそうです。それからそこの家のお友達は、危なくて外に出られなくて2階におられたそうですね。あまりにもひどくて外に出たくても出られない。ただ逃げなかったんじゃなくて、逃げたくても逃げられない人もいたみたいで本当に想定してないことが起こるんですね。その方も避難訓練していてちゃんと逃げなきゃいかん、というのはわかってたけど、もう行けなかったんじゃないですかね。とても恐かったみたいですね。
でも避難訓練があったからこそ大抵の人が逃げられたんじゃないかと思う。してなかったらバラバラになってたんじゃないですか。どこに行っていいかわからず右往左往する気がしてますね。


いざという時のために危機意識をもっていた松末地区の住民の皆さん。それでも集中豪雨がいかに、あっという間に「逃げられない」状況をつくるか。また想定外であっても避難訓練が無駄ではなかったこと、教えられた気がます。

また、話に出てきた「真砂土(まさど)」は花こう岩が風化した砂状の土のことで、雨に弱い地質。現地ではこの「真砂土」の土砂崩れが目立ちました。近くの山がどんな地質なのかということを知っておくことも大切なことのようです。

今週金曜日は「防災の日」です。 明日以降も朝倉市で被害にあわれた住民の声をお届けします。

2017年8月28日

8月28日 九州北部豪雨「朝倉市災害ボランティアセンター」

今週は、7月の九州北部豪雨で特に被害が大きかった福岡県朝倉市からのレポートです。

7月5日―6日に降った豪雨により、29人の犠牲者を出した福岡県朝倉市。土砂の流れ込みによって全壊・半壊した家屋は、合わせて1000件近くにのぼっています。そんな中、浸水した住宅のがれき・土砂を撤去しているのが、全国から集まるボランティアの方々です。

朝倉市杷木に拠点をもつ、朝倉市災害ボランティアセンター事務局長、北嶋雅昭さんに現状を伺いました。

◆お盆過ぎに激減 ボランティア求む!
一般ボランティアを受付ているんですが、7月は毎日多くの方に来ていただいていたんですが、土日は千人超え、一番多い時で2200人超えのボランティアの方に来ていただきました。今は特にお盆を過ぎてから急激に減っていますので、きのうは団体がきて550人、おとといは470人ぐらいという感じで、私たちとしては困ったなぁと。まだまだ8月いっぱいで目途が立つことはありませんので、少なくとも9月いっぱい続けてそれで目途が見えるか見えないかという状態だと思いますので、できれば毎日毎日、1000人規模でボランティアの方に継続して来ていただければ早い復旧作業ができるのかなと思っています。
その中でも杷木地域が土砂の流れ込みが激しく道路が寸断されて現地まで行けない状況が長く続きましたので、ボランティア活動も遅れている状況がありますし、今も道路が寸断されて行かれない地域が一部残っておりますので、行けてない家がありますので一刻も早く行きたいと。やはり日にちが経ってしまいますと土砂がきた場合はいろんなものが混ざって流れ込んでいますので、それによって悪臭がしたり環境的に悪い状況が長引きますので、そのために私たちも早く家の中の土砂とかを取り除いてやらないと、と思っているところです。


取材したこの日も最高気温35度を超える猛暑日で、家屋に溜まった土砂から少し悪臭がしていたそう。早めに取り除くことが大事。ボランティアされる方への注意事項も伺いました。

◆熱中症、体調管理はしっかりと
とくに7月は暑かった。手元の温度計で一番暑い時季で42度を超えたことがあります。ボランティアで家の中で作業している方はもっと暑いと思いますので、自分たちとしてはボランティアの方の熱中症や体調を壊されるのを一番心配するんですけど、中には今まで体調壊された方と話していると、朝から頭が痛かったんだけどどうしようか迷ったけど来ました、という方何人かいらっしゃったんです。そんな時は勇気をもってその日はやめてくださいよ、と話すんですけど、思ったよりきつい仕事だと思いますので、体調を万全にしておいで頂きたいと、そういうお願いですね。


朝倉市災害ボランティアセンターでは、毎日朝9時からボランティアの受付をしています。
活動時の服装、ボランティア保険など、事前にサイトで情報をチェックの上、ご参加ください。

明日以降も、朝倉市の被災地から、レポートお届けします。

2017年8月25日

8月25日 復興グルメシリーズ〜北三陸編 岩泉町「龍泉洞爽菓水まんじゅう」

今週1週間は、復興グルメシリーズ〜北三陸編!
金曜日のプレゼント、『龍泉洞爽菓水まんじゅう』
当選者は以下の3名さまです。

「アジアンカレー」さん
「しずく」さん
「コロコロプププ」さん


以上の3名さま、おめでとうございます♪
沢山のご応募、誠にありがとうございました。

「復興グルメシリーズ〜北三陸編」今日は岩手県岩泉町から、日本三大鍾乳洞の一つ「龍泉洞」にちなんだ名菓をご紹介します。

岩手県岩泉町を代表する観光スポット「龍泉洞」。宇霊羅山の麓にあって、判明しているだけでも3600メートル、総延長は5000メートル以上とも言われている鍾乳洞です。発見されている8つのうち、3つだけ公開されている地底湖は「ドラゴンブルー」と言われる神秘的な青い水で知られています。

そんな「龍泉洞」、去年8月の台風10号の豪雨で大きな被害を受け、一時閉鎖となりました。その時の様子について「龍泉洞」の山下啓一さんに伺いました。

◆龍泉洞 台風10号の被害
まずはの龍泉洞洞内の地底湖の水が溢れて、洞口の方から水が流れ出たという感じでした。それからあと河川が増水してまして、駐車場と園地が流された感じですね。町の中も災害でしたし、龍泉洞も今までに経験したことのない災害で、どっからどうやってたらいいかってのがわからなかったです。で町の方では応急復旧とか避難所の運営とかに集中してましたので、ここ(龍泉洞)を復旧工事に手をつけてらいいのか、その辺の判断も難しいところでしたね。で半月ぐらいで通路に溢れた水は引いて中の状態がだいぶ分かるようなってきました。通路が板でできてるんですけれども、それが流されたり、あとは照明機器等の配電盤が水没して中に泥が入って使えない感じでした。



今年3月19日に「龍泉洞」は営業を再開。しかしまだ周辺は流された川べりなどの修復工事が行われていて完全復旧には至っていませんでした。それでも7月末には、入洞者1500万人を達成するなど、客足は“平年以上に伸びている” ということでした。

一方で河川が氾濫し、大きな被害を受けた岩泉町の市街地はどうなっているのか?町の老舗和菓子店「中松屋」の店主、佐藤鐵太郎さんに伺いました。

◆復旧復興はまだまだ
こんな山の中であんまり水も流れてないようなところが災害にあって本当に想像を絶するような水害でした。多くのボランティア様の方々がおいでいただきまして、泥出しとか片付けに汗を流して頂いたおかげで、見た目は泥もなくなってますけれども歩いてみて頂ければ、半分壊れたような状態そのままの家がたくさんございますし、また本当に復旧復興は町内全体としては、まだまだいってないような気がします。


あれから1年が経過しますが、まだ道路や橋、住宅など応急処置しただけの場所も多く、復旧は道半ばという現状のようです。

それでも元気に看板を上げて頑張っているところもあるので、ぜひ足を運んで欲しい!という中松屋には、じつは大人気の夏のお菓子があります。「龍泉洞」の名前が入った「龍泉洞爽菓(そうか)水まんじゅう」という商品。いったいどんなお菓子なんでしょうか?

◆中松屋の水まんじゅう
夏場の商品を何かということで栗を使った水まんじゅうにして、器にお饅頭を入れたら水を入れて夏場のものとしてお使いいただけるかなと思って始めました。龍泉洞の水を強調したいと言う事で水を入れさせて頂いたりしています。この岩泉の水を見においでいただきたい。ドラゴンブルーという水と、途中の景色も山道ですけど四季折々、山川を眺めながらおいで頂ければ、岩泉の自然を楽しんでいただけるんじゃないかと思いますので、ぜひ足を運んでいただければと思います。

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LOVE&HOPE「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、今朝は「中松屋」の葛まんじゅうの中に栗餡が入った水まんじゅう「龍泉洞爽菓水まんじゅう」をプレゼント!

ご希望の方は、『LOVE&HOPE』のメッセージフォームから、『龍泉洞の水まんじゅう希望』と書いてご応募ください。
本日いっぱい受け付けます!(当選者はブログで発表します。)

2017年8月24日

8月24日 復興グルメシリーズ〜北三陸編 田野畑村「番屋の塩」

今週1週間は、復興グルメシリーズ〜北三陸編!
木曜日のプレゼント、『机浜番屋群の番屋の塩』2個セット
当選者は以下の3名さまです。

「さとこ」さん
「こうちゃん」さん
「らぶりー」さん


以上の3名さま、おめでとうございます♪

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今週は『LOVE & HOPE』が東北各地で見つけた“美味しいもの”をご紹介する「復興グルメシリーズ〜北三陸編」!もちろん紹介するだけじゃなくてプレゼントも有ります!今日は、岩手県田野畑村から『番屋の塩』をご紹介します。

◆漁師さんの作業小屋「ばんや」
今のこちら左手に見えてきました、これがですね、机浜の番屋群となります。こういう風な番屋が昭和8年の津波以後に建てられてきたものでして、現在は6年前に震災ですべて流されてしまったのですべて新しくなってますけどもほとんど同じ様な形で再現しています。漁師さんの作業小屋であったり、あとは倉庫になるんですけれども、元々は見張り番をするための小屋、見張り番の小屋、それがだんだん訛っていって、番小屋になり、番屋になったと言われています。中に何か黒いものが干してありますけど昆布なんですよ。海で昆布を採って番屋の中で干したり乾燥させたりして、そして商品として出しているという、そういうふうな漁師さんの生活が垣間見える場所になってます。


岩手県田野畑村「体験村・たのはたネットワーク」の赤坂広太さん。「体験村・たのはたネットワーク」は、机浜番屋群をはじめ海岸線の景勝地など、田野畑村の観光資源をより多くの人に見て知ってもらおうと震災前から活動しているNPO法人です。

もともと漁師たちの作業小屋が集まっていた机浜の番屋群は、その日本の漁村の原風景のような景観が認められて「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」
にも選ばれたほどでしたが、東日本大震災による20メートルを超える津波は、すべてを流し去ってしまいました。

◆サッパ船、番屋群 再び
田野畑にはですね、北山崎という年間50万人が訪れる景勝地があるんですけれども、そこは“観るだけ”、景色を楽しむだけでお帰りになってしまう「通過型観光」の場所だったんです。でこのままではいけないなということで、滞在型にシフトしていくようにしました。まず漁師さんの操縦する「サッパ船アドベンチャーズ」。現役の漁師が番屋群をご説明する「番屋群漁師ガイド」、そういったものをプログラムとして提供しておりました。そういう風にしてみんなで頑張っていた矢先に震災がありまして、ここの番屋群は全て流出してしまいました。更地まったくの更地になってました。土台ひとつ柱ひとつ残らず、そこの情景だけ見ると、ここに建物があったとはとても信じられないようなそういう情景になっていました、そういう状況だったのでもう誰もが“終わりだな”と思っていたんですけれども、やはり観光がいちばんの主幹産業なりますので、続けていかなくてはならないという気持ちで、全国の皆さんから頂いた義捐金等で準備を進めまして、平成23年の7月29日にサッパ船を再開、で村内の唯一のホテルが再開し、休業していた三陸鉄道も全線がつながるようになって、そして最後に、机浜番屋群が再建され、平成27年の4月から供用開始して現在に至ると、いう状況になっております。


現在、海岸線近くの整備も進み、漁業や観光施設も再建が進んでいる田野畑村。取材に伺った日も机浜番屋群では、家族連れや若い観光客が「番屋料理体験」や「貝殻アート体験」、「塩づくり体験」を楽しまれていました。

おとなりの野田村と共に、昔から海水を釜で炊いて作る「塩づくり」が盛んだった田野畑村。机浜の海水で作る「塩」は赤坂さんも胸を張る美味しさなんだそうです。

◆番屋の塩
(釜で塩を煮る音)〜こちらはですね机浜のきれいな海水をくみ上げまして、昔ながらの製法でじっくりとに詰めて作られた塩になります。まろやかで旨みのある塩になっておりますので、ちょっと料理に使うといつもの料理がぐっと美味しくなる塩になっております。私は個人的になんですけれども、お刺身に番屋の塩をつけて食べたりするんですけども、そーするとお酒がとても進みます。


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LOVE&HOPE「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、今日は田野畑村の「番屋の塩」を2袋セットで、3名の方にプレゼントします。まろやかで旨みのあるお塩、ぜひ味わってみてください。

ご希望の方は、『LOVE&HOPE』のブログのメッセージフォームから、『番屋の塩希望』と書いてご応募ください。
本日いっぱい受け付けます!(当選者はブログで発表します。)

「体験村・たのはたネットワーク」はコチラから!

『LOVE&HOPE』「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、明日は岩手県岩泉町から、“龍泉洞の澄んだ湧き水をイメージした『水まんじゅう』”をご紹介します。

2017年8月23日

8月23日 復興グルメシリーズ〜北三陸編「荒海団の荒海ホタテ」

今週1週間は、復興グルメシリーズ〜北三陸編!
水曜日のプレゼント、『荒海団の荒海ホタテ』
当選者は以下の3名さまです。

「つばさかぁちゃん」さん
「うみねこパン」さん
「mama」さん


以上3名様、おめでとうございます♪

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今週は『LOVE & HOPE』が東北各地で見つけた“美味しいもの”をご紹介する「復興グルメシリーズ〜北三陸編」!今日は岩手県野田村から『荒海団の荒海ホタテ』をご紹介します。

岩手県野田村は震災前にも10メートルを超える防潮堤があって村を守っていましたが、東日本大震災では最大18メートルとも言われる巨大な津波が村を飲み込み大きな被害をもたらしました。現在は市街地の再整備と共に、海辺では、防潮堤と堤防、盛り土された津波防災緑地、“三重の守り”が完成しつつあります。


◆防潮堤で勢いを止める
仮設住宅がすべてもう解体になるのですべてなくなります。で、仮設店舗もなくなって、ちょっとこう大きい一区切りかなと思います。で海側の方は都市公園が出来て、住宅なんかは建てられないんですけども、防潮堤があって、その中にまた防波堤みたいな高台が出来たので安全になったのかなと思いますね。じゃ2つだったら大丈夫なのか?っていう部分もあるんですけど、結局勢いを止める部分で、2つあることによってその勢いを止められるのかなと思います。賛否両論あるとは思うんですけれども、やっぱり海が見えなくなるってのもあるんですけれども、やっぱり今後村を守っていくときに必要なのかとは思います。個人的な部分でですけれども。


お話しは荒海ホタテ営業センターに務める、村役場産業振興課のいわて復興応援隊 町田恵太郎さん。村の防壁の完成と村の営みの再生は、仕上げの段階に入っている印象ということでした。

一方で壊滅的な被害を受けた村の基幹産業である漁業も港の整備や養殖の再開など、徐々に復興が進み、2014年には腕のいい野田のホタテ漁師たちによる「荒海団」が結成され、上質な野田のホタテを全国に発信していく取り組みが始まりました。

◆荒海団の荒海ホタテ
荒海団っていうのはですね、野田村役場とですね野田村漁業協同組合、第三セクターである(株)野田村、とメインの漁師さんたち「漁友会」っていうんですけども、その4つの団体で作りあげた組織ですね。やってることは今までと変わらないんですけども、やっぱりいいもの、品質のいいものをもっと広げていこう、発信していこうという取り組みです。ホタテって天然と養殖があって天然って海底に居るんですけど、養殖は沖合の方に行って、吊るして育てるんですけども、野田村の場合は「かご養殖」と言ってですね、かごに入れて養殖します。で、ふつうの主要な養殖方法がですね、貝に穴を開けて「耳ずり」という養殖方法をやるんですけど、その点でまず帆立が生き生きするというか動ける状態で育ててます。こうかごの中でぱくぱくホタテが動くことによってあの貝柱は筋肉なので、やっぱり大きく身が入ってくるのかなと思います。で、あと外海でやってる部分、県南とかほかの地域だと「湾」でやるんですけど、内湾でやるより外海でやった方が潮の流れも速くでですね、プランクトンも滞留しないので、要はホタテのエサがたくさんある状態で育ててます。漁師さんにとっては過酷な環境だと思います、ただホタテにとっては良い環境だと思います。で、貝に対して身が詰まってるというかですね、貝柱も大きいですし、なかなか他の地域で3年ぐらいでこの大きさになるのにやっぱり餌も豊富な部分もあって2年とか2年半ぐらいで「こんなに大きいんだね」といわれるので、まずそこの大きさですとか、あと貝殻の綺麗さ、で、もちろんやっぱその美味しさとしてはですね、熱を加えるとすごい甘みが増すので、食べてみて驚かれると思います。今までは地元の魚屋さんなんかでは流通してたんですけれども、それがこういった機会をきっかけにですね、首都圏なんかの一流店で取り扱い頂いておりまして、本当に好評頂いております。ちょっと今年はですね、去年の台風10号の影響で生産量の減少もあったりとか、あと業務用の出荷も増えてきたので、ちょっと一般販売は今年は未定なので、その取扱いの飲食店さんの方に行って頂くしかないのと、あとまあ野田村に来て頂ければ取引してる魚屋さんなんかでも販売してます。


波の荒い外洋で、かごの中で自由に動き回って育った元気なホタテ、肉厚の貝柱は熱を加えると甘みが増すんだそうです!バターもいいけど蒸すだけで食べるのが絶品!とのこと。

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LOVE&HOPE「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、2年物のぷっくりまるまる太った1キロ入りの「荒海ホタテ」むきヘラ付きで、3名の方にプレゼントします。

ご希望の方は、『LOVE&HOPE』のブログのメッセージフォームから、『野田村の荒海ホタテ希望』と書いてご応募ください。
本日いっぱい受け付けます!(当選者はブログで発表します。)

『LOVE&HOPE』「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、明日は岩手県田野畑村から 海の旨みだけで作った「番屋の塩」をご紹介します。

2017年8月22日

8月22日 復興グルメシリーズ〜北三陸編「小袖屋の『海女の磯汁』」

今週1週間は、復興グルメシリーズ〜北三陸編!
火曜日のプレゼント、『海女の磯汁』
当選者は以下の3名さまです。

「厚木の摩耶」さん
「みわ」さん
「冬生まれのなっちゃん」さん


以上3名様、おめでとうございます♪

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今週は東北各地で見つけた“美味しいもの”をご紹介する「復興グルメシリーズ〜北三陸編」!もちろん紹介するだけじゃなくてプレゼントも有ります!
今日は、あまちゃんの町・久慈市から『海女の磯汁』をご紹介します。

久慈市は東日本大震災による津波で大きな被害を受けましたが、去年夏にも台風10号の影響で川の水が溢れ、市街地まで浸水するなど大きな被害を受けました。ちょうどあれから1年が経過しますが、街は現在もとの日常が戻ってきているといいます。

◆台風10号の爪痕
そうですね戻りましたね。ホテルもロビーは完全に水に浸かってしまったんですけれどもだいぶ回復して旅館ももう開業してます。あとお土産センターも復帰しましたね。だから後爪は街なかはほとんど見えなくなりましたね。ただやはり上流の方へ行くと流木が引っかかったままとか家が壊れたままとか、そういう所は見かけますけど、街なかはもうほとんど傷跡見えなくなりましたね。


お話しは、久慈市で「海女の磯汁」を作っている会社、小袖屋の武井大光さん。当時は久慈川と長内川が氾濫して広い範囲が浸水しましたが、いまは市街地に関しては平穏を取り戻しているとのこと。去年は中止になってしまった久慈市最大のお祭り「久慈秋まつり」も、今年は9月15日から3日間行なわれる予定になっています。

「小袖屋」は青森や岩手の名物であるいちご煮(ウニとアワビを使った潮汁のこと)の缶詰で有名な、久慈を代表する企業の一つですが、2011年3月11日の津波で工場が壊滅的な被害を受け、一時は閉鎖も覚悟したんだそうです。

◆もう久慈ではやれない
3月11日は津波と地震に襲われたんですけれども、いち早く従業員を高台へ送迎バスですぐ運んだんですよね。というのは工場から町へ逃げる道路ってのは狭いので一気に皆さんが集中すると渋滞になります。それは前もって理解していたので、すぐに社長が送迎バスで避難しろという事で避難させて、人的被害は全くありませんでした。常々避難経路は確保というか、こうしなきゃいけないという意識は持っていました。やっぱりむかしチリ地震もありましたから、そういう被害をしってはいるので。でも工場が悲惨な状態、機械も全てパーでした。で、もう久慈ではやれない、やっぱり従業員を解雇せざるを得なかったんですね。でもう取り壊しをしてたんですね。バックホーが屋根をグサッと刺した時に、社長がストップをかけて、やはりやるもう一回やる!ということで再建しようと決意したんですね。そこでもう一回もとの従業員たちを集めたんですけど、まあ建物も半分従業員も半分ぐらいでようやくスタートできるようになって、いま80名ぐらいで営業できるようにまでなりました。


当時、工場はむきだしの鉄骨くらいしか残っていなかったそうなんですが、解体を決めて、重機が入って取り壊しが始まったとたんに「ちょっと待った!」をかけた社長。それから翌年には規模を縮小して操業を始めたんだそうですが、元の通りに商品は作れないから、試行錯誤しながらいろんな商品を作ったんだそうです。中には失敗作も数々。その中から、ついに看板商品である「海女の磯汁」が生まれました。

◆海女の磯汁
小袖屋の看板商品は「海女の磯汁」です。いちご煮をベースにして、久慈で作れるものはなんだ?くじで採れるものはなんだと探したら、ホタテがある、つぶ(貝)がある、ウニがある、じゃあ三つ合わせていちご煮と同じような缶詰ができるんじゃないか?で久慈工場にじつは北限の海女さん、現役の海女さんが3人ぐらい働いてもらってたんで、じゃ海女さんをPRしながら久慈の代表の一つを作っていこうということで、「海女の磯汁」っていう名前を付けたんですね。いちごによりも実は美味しいと自負しております。やっぱコクがありますし、磯の香りがします。何より具が多いです。炊き込みご飯もいいんですけれども茶碗蒸し作っていただけると料亭の味に近い、そんな茶碗蒸しが出来ます。たかが缶詰でもされど缶詰です。ちょっとお値段見て驚くかもしれません1缶だいたい1360円の「海女の磯汁」です。え?1000円以上もするのってびっくりされるかもしれませんけれども、中に使っている具材がウニだ、ツブだ、ホタテだという高級食材ばっかりが入っております。しかもスープが命のお吸い物ですので、これをぜひ堪能していただければなと思います。


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LOVE&HOPE「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、
今朝は小袖屋の「海女の磯汁」2缶に、「いちご煮」1缶もお付けした3缶セットを3名様にプレゼントします!


ご希望の方は、『LOVE&HOPE』のブログのメッセージフォームから、『小袖屋の缶詰希望』と書いてご応募ください。
本日いっぱい受け付けます!(当選者はブログで発表します。)


久慈の小袖屋 オフィシャルサイトはコチラ

『LOVE&HOPE』「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、明日は野田村から、外洋で育てたプリップリの「荒海ホタテ」をご紹介します。

2017年8月21日

8月21日 復興グルメシリーズ〜北三陸編「洋野町の粒ウニ」

今週は東北各地で見つけた“美味しいもの”をご紹介する「復興グルメシリーズ〜北三陸編」!もちろん紹介するだけじゃなくてプレゼントも有ります!

初日の今日は、本州最大のウニの産地・岩手県、中でもスペシャルに美味しいと言われる洋野町の『うに』です。洋野町は岩手と青森の県境に位置する、岩手県の最北の町。東日本大震災では10メートルを超える津波が押し寄せましたが、住民の避難対応がよかったことと、高さ12メートルの防潮堤があったことで三陸沿岸の市町村では唯一、人的被害がゼロだった町です。ただし基幹産業の漁業は壊滅的な被害を受けました。

◆県栽培漁業協会 震災からの再開
ここの施設よりも町の方向に防潮堤がございまして防潮堤で津波が止まったので町の方は浸水はしなかったんですけれどもここってすぐ海の目の前ですので、もう全滅です。瓦礫の山でしたね。そこで地元の種市高校の生徒さんとか漁師さんたちが再開目指して手伝いに来てくれまして、漁業者漁師さんに言われたのは、ここ広野町は海の町だと。ウニの放流なくして継続的なウニ漁はできない、ぜひ早く再開してくれと皆さんから訴えられました。ウニというのは9月10月が産卵期です。その産卵期までに仮復旧させないと、また1年遅れるわけです。何が何でも卵を採りたい。そのためには秋9月までに一部復旧させなければ間に合いませんよという事でもう一生懸命復旧作業したわけです。おかげさまで間に合って震災の半年後に一部復旧して卵を採って種苗生産してウニを育て始めました。でそのウニを震災1年2ヶ月後の5月、放流したということになります。その時はみんな喜びましたね。まさかあの震災の翌年にウニを放流できるとは思わなかったなと、こういう感じでしたね。


お話しは岩手県栽培漁業協会・種市事業所所長の箱石和廣さん。震災による津波で漁業施設のすべてが壊滅しましたが、わずか半年後に一部復旧してウニの卵を採り、翌年には生まれたウニの子どもを放流した、ということでした。その後徐々に港の施設も整備され、2014年には客船をイメージした外観の「ひろの水産会館UNIQUE(ウニーク)」もオープンしました。水産物直売所や研修会議室、食堂や展望ホールもある、町の復興のシンボルです。

どこまでもウニ押しな洋野町。港にはずらりとウニの生け簀が並んでいます。

◆天然の生け簀である「増殖溝」がある
ここでは受精ふ化させてから約一年間育てて海に放流します。それを3〜4年後くらいに漁師さんが素潜りで漁獲をするシステムになってます。で、洋野町のウニの美味しい秘密は、遠浅の平らな岩盤がありまして、そこに増殖溝と呼ばれる溝を掘ってあるんです。水路みたいな。そこに秋に移殖といいまして来年(翌年)採るウニを入れておくわけです。そこは浅くて海水の流れもあって、日当たりもいいもんですからひじょうに昆布の生えが良い。その昆布をたくさん食べて美味しいウニに育つわけです。なのでただ海に居るウニを採っているだけじゃなくて手間をかけている分、美味しんです。すごく身入りのいいやつは、パカッと開けた時に、ぜんぶがウニの身で殻が見えません。ふつうウニには5つ身が入っているんですけど、殻が身の隙間から見えるのが当たり前なんですワタを取った時。それがぜんぶ身になってる、真っ黄色でもうほっこりしてすんごく甘くて美味しいですよ。


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LOVE&HOPE「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、
今朝は牛乳瓶にウニ3本分がギュッと詰まった塩ウニ、「洋野町の粒ウニ」を3名様にプレゼント!

ご希望の方は、『LOVE&HOPE』のブログのメッセージフォームから、『洋野町の粒うに希望』と書いて、お申し込みください。
本日いっぱい受け付けます!(当選者はブログで発表します。)

『LOVE&HOPE』「復興グルメシリーズ〜北三陸編」、明日は久慈市の「海女の磯汁」をご紹介します。
もちろんプレゼントも有りますので、明日もお聴き逃しなくう!

2017年8月18日

8月18日 ワンダーファーム(3)

引き続き、福島県いわき市四倉にあるトマトのテーマパーク「ワンダーファーム」についてお届けします。

約5ヘクタールの広大な敷地に、トマト栽培用の最先端のハウスや、ジュースなどを作る加工工場、収穫したての野菜が食べられるレストランにBBQ場、マルシェ、緑の芝生広場やドッグランなどが点在する、“トマトのワンダーランド”です。

生産だけでなく、トマトジュースやソースなどの加工品製造、レストランやネットを通じての販売などさまざまな形で事業の6次化を推し進めて、震災後の風評被害に対峙してきました。そもそも代表の元木寛さんは2011年3月21日からいち早く放射線の検査を開始して安全性を確認、さらにファームの敷地の除染も行うなど、これまで安心して楽しんでもらえる環境をつくってきました。それでも風評被害で衰退していく地域の農業、これを何とかしようという中で行きついた答えが、「品質」でした。

◆「なにより品質勝負で」
福島県で作られた農産物というのは、ほとんどの品目が定期的な検査をやったうえで出荷されているんです。それって全国で福島県だけなんですよ。他の地域を悪くいうわけではないんですけれども、数値として安全性が見れる野菜を作ってるのは福島県だけなんです。ですので我々としては数値で安全性を確認できるので、それが外の方にはなかなか伝わらない。それよりも何よりもやっぱり品質。元々福島というのは本当に土壌が良い、土が綺麗なものですから、良い作物がもともと取れる場所だったんですよ。ですので本来の意味の競争力とか、野菜の品質を追求していくことで、とくに首都圏の消費者の方々にそれを訴えていくと。震災直後はやっぱりそのどっか原発事故のせいにしてた部分っていうのは少なからずあったと思うんですね。もしかしたら未だにいるかもしれない。でも私はまわりの農家にそういう話をして、やっぱり品質勝負だと、良いものであれば絶対受け入れられるからということで、まわりの若手農家なんかもモノで勝負していこうというかたちになっていってます。生食用トマトでしたらトマトの味と栄養価を決めるのは日照時間なんですよ。一年を通して日照時間が長いいわきで作られたトマトというのは、ほかの地域で作るトマトよりも糖度や栄養価が高くなりやすいんです。いま首都圏の紀伊國屋とかでは数ある有名ブランドトマトの中でも売れ行きがトップクラスになりつつあるんですね。加工品に関してはやはりトマトジュースですね。我々が手塩にかけたトマトをそのまま絞ってるんですね。世の中にあるトマトジュースは加工用のトマトを絞って作ってるんです。加工用のトマトというのは生で食べた時は美味しくないですし塩分も非常に高いですし、栽培するのに手間がかからないんですよ。我々がジュースにしてるのは生で食べて美味しい生食用のトマトを贅沢にも、100gグラムぐらいの小さい瓶にトマトが2個分ギュッと濃縮されているので。ひじょうに濃厚に作っているので、例えばカレーに加えていただいたりレッドアイとしてビールと割っていただいたり、本当に美味しいんですよ。


ワンダーファームでは「フラガール」「カンパリ」「アイコ」「トスカーナバイオレット」など11種類中9種類のトマトが「収穫体験」出来、レストランで食べることも出来ます。美味しいトマトを求めて遠方からの来場者も多くいるとのこと。
またさまざまな種類のトマトのほか、ジュースやピューレなどの加工商品もオフィシャルページから購入できます。

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ワンダーファームのイチオシの商品、完熟トマトをギュウウっと絞ったトマトジュース『ワンダーレッド』10本入りを、今日からの3日間、毎日1名様にプレゼントします!ご希望の方は、メッセージフォームから「ワンダーレッド希望」と書いて送ってください。放送を聴いての感想もお書き添えください。

『LOVE & HOPE』、来週は、「復興グルメシリーズ〜北三陸編」!
ウニやホタテなど、美味しいもののプレゼントも有りますので来週もお聴き逃しなく!

2017年8月17日

8月17日 ワンダーファーム(2)

昨日に続き、福島県いわき市にあるトマトのテーマパーク「ワンダーファーム」についてお届けします。

いわき市四倉にある「ワンダーファーム」は、約5ヘクタールの広大な敷地にトマト栽培用の最先端のハウスや、ジュースなどを作る加工工場、そして収穫したての野菜が食べられるレストランにBBQ場、マルシェ、緑の芝生広場やドッグランなどが点在する、まさに “トマトのワンダーランド”です。生産だけでなく、加工や販売も手掛ける6次化を推し進めて震災後の風評被害に対峙してきた「ワンダーファーム」。代表の元木寛さんは、立ち上げに至るまでをこう振り返ります。

◆「地域のプラットホームになる」
その当時は観光客もだいぶいわき市では減ってました。その地域の農家も作ったものも売れないで廃棄してる状況が数年続いてましたので、このままでは福島の農業自体がだめになってしまうなと考えた時に、地域の中で一体となって、このレストランであれば色んな農家の食材も使えますし、直売もそうですし、加工場もそうなんですけど、いろんな農家の人がここで関わることができる地域の農業のプラットホームみたいな場所になるだろうと思ってこのワンダーファーム作ったんですよね。いま現在、200人ぐらいのいわき市内外の農家の人に作ったものを出荷してもらったり、レストランで食材として供給してもらったり、今やっとできるようになってきたところです。そこに至るまでひじょうに大変でしたね。この場所を確保するのに62人の農家の人全員が了解してもらえないとこの事業そのものができないという状況にあったんですよ。もともとここは作られていない耕作放棄された田んぼだったんです。なかにはやっぱり反対される方もいたりして、ただやっぱり代々続いてきた田んぼだからこのまま荒らすわけにもいかないし、子供達につないでいきたい、というところで皆さん納得して下さったんですね。いま同じ問題を抱えた農家の人たちが大勢全国から視察に来るんですよ。そういった方たちも自分たちの地域がどんどん過疎化して限界集落化して農業もできないで環境を維持できなくなってなくなっていく中で、どうしていこうかという中の参考の1つとしてうちを見に来るんですね。先にやってるものとしての責任もあるのでここは絶対失敗出来ないなというのがやっぱりありますね。(中には東北被災地の農家もいる?)もちろん。私自身トマト栽培農家ですので、震災後にうちのハウスの様なトマトハウスが津波跡地にいっぱいできたんですよ。でも皆さんやっぱりなかなか栽培が上手く出来なくて苦労してらっしゃるので私自身ですね、そこに行って栽培指導したり、廃棄するようなトマトをうちで加工品化してその農家さんの売上に貢献したり今やってますね力を入れて。


現在「ワンダーファーム」では、トマトづくりのほかにトマトジュースやトマトピューレなどの加工商品も手掛けています。

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ワンダーファームのイチオシの商品、完熟トマトをギュウウっと絞ったトマトジュース『ワンダーレッド』10本入りを、今日からの3日間、毎日1名様にプレゼントします!ご希望の方は、メッセージフォームから「ワンダーレッド希望」と書いて送ってください。放送を聴いての感想もお書き添えください。

『LOVE & HOPE』、明日も「ワンダーファーム」元木寛さんのお話し、お届けします。

ワンダーファーム、詳しくはコチラ

2017年8月16日

8月16日 ワンダーファーム(1)

「ワンダーファーム」のトマトジュース『ワンダーレッド』10本入り
水曜日の当選者は・・・

*ソレイユ さん です。

おめでとうございます♪
金曜日まで、トマトジュースプレゼント実施します。

また、来週1週間は!大人気「東北復興グルメ」プレゼントを実施します。
どんな商品が登場するかは、追ってお届けします。
お楽しみに!

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今朝は、福島県いわき市にある“トマトのテーマパーク”「ワンダーファーム」の話題です。

いわき市の北東部、四倉にある「ワンダーファーム」は、約5ヘクタールの広大な敷地に、トマト栽培用の最先端のハウスや、ジュースなどを作る加工工場、
そして収穫したての野菜が食べられるレストランにマルシェ、緑の芝生広場やドッグランなどが点在する、まさにトマトのワンダーランドです。
代表の元木寛さんに、まずはハウスの中を案内して頂きました。

◆トマトハウス
こちらがトマトの一年中栽培をしてるハウスですね。一般の客様に入っていただいてトマト狩り体験というものをやっています。作っているのは11種類ぐらい作ってるんですけれども実際摘み取りして帰れるのは9種類。こちらにフラガールという品種がありまして、ここいわき市はですねスパリゾートハワイアンズさんもあって映画「フラガール」の舞台にもなった場所ですので、まだ全国的にあまり作られていないのですが、我々が率先していま普及していると。まだ完熟ではないんですけど・・・十分甘い 美味しい!


元木さんは福島第一原発がある大熊町のご出身。東京で就職しましたが義理のお父さんが手がけていたトマト農園を法人化するのをきっかけに、平成14年、いわき市に移り住み農業をはじめました。その農業法人ではこの「フラガール」をはじめ、さまざまな品種のトマトを育てて出荷。直売所には行列が出来るほどの人気を集めていたそうです。
震災後、平成25年に開いた「ワンダーファーム」。取材に訪れた日は、ファミリーや海外からの見学ツアーのグループなどたくさんの来園者でにぎわっていました。

◆「農業と観光を融合した施設を作りたい」
いまは夏休み期間ということもあってお出で頂いてますけれども、ここ最近のこのあたりの観光交流人口はどんどん下がっていってるんですよね。それはなぜかというと、どうしても「福島」というと「原発」というイメージがどうしてあってですね、純粋に観光でお出でになるお客様というのは震災以降だいぶ減ったんですよね。そこを私は何とかしたいなというのもあって、農業と観光をうまく融合できるような形ができないかなというのを考えてこの施設を作ったというのもあります。


まだ震災前の、行列ができるような賑わいには至っていないという現状。それでもここまでの道のりには、手ごたえも感じているといいます。

◆「検査をして安全を発信し続けている」
トマトランドいわきで私も農業、トマト作りをやってきた時に東日本大震災が来て、一時期は作ったものが検査とかをして安全であるという証明をつけても全く売れない年がやはり2年ぐらい続きましたし、年間、本当に数10トンというトマトを廃棄しましたし、会社としても存続が危ぶまれる状態にまでなった。農業じたいを辞めようかという選択肢もあったんですけれども、まずこの福島で作ったものがどういう状況か、自分達も安全なのか危険なのかわからないですし、一般の方々もそうだと思いますので、放射性物質検査というものを、たぶん全国でいちばんうちが初めてまだ誰もやってない頃にやりはじめたんですね。検査をした結果問題ないということが分かったんですね。で問題ないんであれば、しっかり科学的根拠を示せば、買ってもらえるだろうということで、自らPRをしてですね、直売で売りさばいていた状態なんですよ。それが少しずつそういった検査を未だにやってますしそうした発信をし続けてきたことで、ちょっとずついま首都圏に向けての出荷も上向いてきたところなんですね。


現在「ワンダーファーム」では、トマトづくりのほかにトマトジュースやトマトピューレなどの加工商品も手掛けています。

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ワンダーファームのイチオシの商品、完熟トマトをギュウウっと絞ったトマトジュース『ワンダーレッド』10本入りを、今日からの3日間、毎日1名様にプレゼントします!ご希望の方は、メッセージフォームから「ワンダーレッド希望」と書いて送ってください。放送を聴いての感想もお書き添えください。

『LOVE & HOPE』、明日も「ワンダーファーム」元木寛さんのお話し、お届けします。

ワンダーファーム、詳しくはコチラ

2017年8月15日

8月15日 STAND UP SUMMIT2017(2)

きのうに続いて、先週東京ビッグサイトで開催されたイベント
『スタンドアップサミット2017』の模様をお送りします。


「未来は、自分たちで創っていく!」という想いのもと、東北、東京、そして熊本から350人の中学生・高校生・大学生が集まったこのイベント。それぞれの地域を代表する7人の生徒がステージにあがり「復興ディスカッション」がおこなわれました。ゲストは為末大さん。
東日本大震災の発生から、6年5カ月。今日お送りするのは
「私たちが欲しい未来」というテーマです。

<STAND UP SUMMIT2017>復興ディスカッション

●高橋万里恵
ぜひ、ステージの7人にはこんなことを聞いてみたいと思います。
「あなたが欲しい未来」

●東京都八王子市立上柚木中学校 2年 三枝愛依
私が欲しい未来は「差別・偏見のない未来」です。私は、この前、新聞を読んでいた時に、目が見えなくて盲導犬を連れているのと、あと体が不自由で車椅子を使っているという理由だけで、レストランの入店を断られるという新聞記事を見ました。せっかくその人がやりたいことがあっても、それだと潰れてしまうと思うので差別とか偏見をなくしていけば、もっとみんなが、いいね!と思える未来ができていくと思います。

為末大
この社会が実現するには具体的に何をしたらいいと思いうかということをみんなに考えてみて欲しいんですけど。

●星搓国際高等学校 吉田駿亮
たとえば、差別や偏見というのは、震災関係のことでも、避難している方への差別だったり、障害のある方への差別だったりということで、ぼく自身も発達障害を持っていて、自分がどうして欲しいかと思った時に、自分の現状を知って欲しいって思って、だから他の人に自分の現状や、被災地の現状を知ってもらうことが結果的に未来へ繋がるんじゃないかなって思っています。

為末大
はい、ありがとうございます。
みんな、これからスタートでいろんなことを始めるんだろうなと思うんですけど、僕が自分の経験でいつも思うことは何かっていうとですね、
「この指とまれっていう人」、と「その指に止まってくれる人」っていうのはすごい大事で、「私、これやりたい」っていうことに対して「それはこうやったらいいんじゃないか」っていうのは、「その指に止まってくれた人」なんだよね。「その指に止まってくれる人」の数が多いと、結構大きなことができるっていうのが僕の経験で思うことで。そうは言っても、自分の14歳から17歳のときを考えてみると夢がある人間は10%も、いなかったんじゃないかっていう気がする。でも、やりたいことがない時に人間が成長するために一番いい方法は、「やりたいことがあるっていう人のサポートをする」ことで、実は、結構同じような体験ができるっていうのを経験で思っていて、今みたいな形で、「私はこうやりたい」、「だったらこうやったら?」、「私はこれができる」っていう風に、いろんなものが、層が重なっていくことで出来ていくこともたくさんあるんじゃないかな、なんていうのを、ちょっと感じました。


「復興ディスカッション」、参加した会場の生徒のみなさんにも「あなたが欲しい未来」を伺いました。

●宮城県私立東北高等学校 3年 橋口果林さん
震災としての東北を知ってもらうっていうのも、また風化を防ぐためにも私は必要だと思うんですけれども、「震災は知っているよ」っていうワードだけでは、個人的に寂しいというか、もっと震災だけでなく、いろんな魅力を知って言って欲しいなっていう思いがあります。例えば東北には「絆祭り」もあったり「七夕祭り」もあったり「ねぶた」だったり、その各県の魅力っていうのを、さらに輝かせていきたいなっていう、そういう未来を思い浮かべています。

福島県立高等専門学校 4年 鈴木淑乃さん
復興とか震災のことに関しても、やっぱり人と関わっていくことが一番大事だと思うので、いろんな人の意見があって、いっぱい賛成してくれるだけじゃ全然、物事はうまくいくけどそんなに深いものにはならないと思うので、やっぱり、反対意見も交えながら一つの方向に進んでいくのが大事だと思います。
次世代に残すっていう風に今回のディスカッションで言っていた子もいたけど、私はもう、次世代は私たちだと思っていて、やっぱり、未来って自分たちで作っていくものだと思うし、そういうので関わりあっていけたらいいなって思います。


昨日と今日は、10代と20代が参加した「 STAND UP SUMMIT2017 復興ディスカッション」の模様をお伝えしました。

2017年8月14日

8月14日 STAND UP SUMMIT2017(1)

今日と明日の二日間は、先週東京ビッグサイトで行われました「若者が、復興を考えるイベント」の模様をお送りします。
毎年、夏休みに開催されていて、今年で4年目を迎えたイベント『STAND UP SUMMIT』です。これからの時代を担っていく若者たちが、等身大で復興を考えていくイベント。「未来は、自分たちで創っていく!」という想いのもと東北、熊本、そして東京から、中学生・高校生・大学生が350人集まりました。
それぞれの地域を代表する7人の生徒がステージにあがり、為末大さんと共に「復興ディスカッション」がおこなわれました。

今日お送りするのは、「震災のあと、いま、わたしの街が抱える課題!」というテーマです。


◆「風化ではなく、記憶が変わっていく」
「STAND UP SUMMIT2017」。
この時間は、東北、熊本、東京から集まってくれたみなさんによる「復興ディスカッション」お送りしています。「あなたの街の課題はなにか」という質問です。これに対して最もたくさんの方が「震災の記憶が薄れているということ」、こう答えています!

為末
震災を体験したという人はどれぐらいいるかな?
そのなかで、自分の中で、少しずつ、話している内容って変わってきたなっていう人いますか?
たとえば、「震災があって1か月後に話していたこと」と、「数年経って喋ること」、こんな風に自分の中で変わって来たような気がするなってことが、もしある人は、教えていただきたいんですが?

福島県 福島工業専門高等学校 櫻井友香 高専4年
福島県の福島工業高等専門学校に通っています、櫻井由佳です。震災当時は、こういう被害があったよ、自分はこういう状況にいるよっていうことのほうがメインだったんですが、いまは、逆にそれがあったから、それを活かしてっていうプラスな面に捉えている面はあるのかなと思います。

高橋
櫻井さんは自分で自ら復興ツアーというか被災地を知ってもらうような活動をされているんですよね?

福島県 福島工業専門高等学校 櫻井友香 高専4年
はい。熊本地震で被災した熊本の学生を東北に招いて、学生の立場で若い世代がどう復興と関わっていくかを一緒に考えるプログラムを作っています。

為末
それをなんでやろうと思った?思いついたのは、なんでなんですか?

福島県 福島工業専門高等学校 櫻井友香 高専4年
熊本地震が発生した時に、自分と重なる部分があって、私は震災当時にすごいもどかしい気持ちを抱えていて、なにか力になりたいと思っているのにそれが行動に移せなかったりっていう部分を持っていたので、もしかしたら熊本地震で被災した学生もそういう気持ちを抱えているんじゃないかなって思ったときに経験をした私たちだからこそ出来ることがあるんじゃないのかなと思って、そこから始まりました。

高橋
その櫻井さんのプログラムに、今日いらっしゃる熊本の阿蘇にいらっしゃる吉岡さん、参加されたんですよね?

熊本県 阿蘇中央高等学校 吉岡杏優 高校2年
去年参加して、気持ちも変わったんですけど、たぶん前の自分だったらいまたぶんこのステージに立って話してないと思うし、わたしは熊本に帰ってからも結構いろんなプロジェクトやボランティアに参加させてもらったんですけど、たぶん、ゆかちゃんとかが呼んでくれていなかったら、今の自分はいないかなって思っています。

高橋
為末さん、同世代で、年の近い子同士で話して風化を防いでいくというアクションは大切ですね。

為末
そうですね。競技の話でいくと、選手が本当の意味で困難を乗り越えるときに必ず現れる変化があって、それはなにかというと、記憶が変わるんだよね。つまり、ぼくはオリンピックで転倒しているんだけど「オリンピックで転倒しました」っていうことが変わっていって、「あれからなにを学んだか」っていうことがくっついてくるんだよね、この記憶に。そうなったときにはじめて次に向かっていろんな夢を持ったりするんだけども。ちょっとずつみんな自分の中でたぶん記憶が変化していって、これは風化じゃないと思うんだよね。みんなの記憶が変わっていってよくて次に進んでいっていいと思うんだけど、そこから学んだことをなにかのアクションにつながっていくっていうことが起きれば、それは記憶っていうのは形を変えて続いていくんじゃないかなって思って、そんなことをすでにアクションが起きているっていうのは、今日聞いていてすごいなあって思って聞いていました。


***

LOVE&HOPE。明日も『STAND UP SUMMIT2017』、復興ディスカッションの模様をお伝えします。

2017年8月11日

8月11日 岩手県大船渡市「キャッセン大船渡」(2)

今朝は昨日に続いて、この春にグランドオープンした岩手県大船渡市の商業エリア「キャッセン大船渡」に出店している「湾岸食堂」店主、及川雄右さんのお話しです。

BRT大船渡駅前の商業エリア「キャッセン大船渡」はこの春に完成したばかりの大船渡のにぎわい拠点です。ここに「湾岸食堂」を開いた及川さんは、震災後にいち早く「大船渡屋台村」を立ち上げ、大船渡湾に東北で初めての屋形船を浮かべるなど街の賑わい再生に尽力してこられた方。震災当時にたまたま飲食店組合のリーダーだったことから、いろんなことを手掛けるようになったということでしたが、あらためて震災当時のことも伺ってみました。

◆飲食店を復活させよう
もともとは高台でホテルをやっていて、そこは被災をしなかったので、被災した人たちを受け入れて数か月生活はしていて、自宅は被災してしまったんですけど、なのでいちばんその当時「動けた」というか皆はもう被災してしまって何も手をつけられない状況だったんだけども私自身は被災してないので、何かしてやらないとなという思いがあったしね。そういう思いで、たまたま飲食店の組合長でもあったし、なんとか救済する方法はないかってことを考えて。いろんな人に相談をした結果、じゃ飲食店を復活させよう!という話から屋台村をやってましたね。6年前は。


何も無くなってしまった大船渡の市街地にポツンと灯りを点していた「大船渡屋台村」は、この春「キャッセン大船渡」の開業に合わせて幕を閉じ、及川さんはその「キャッセン大船渡」の中に「湾岸食堂」を開きました。

◆湾岸食堂
やっぱり「大船渡屋台村」というものがあって、そこに年間10万人くらいのお客さんが来て、それも本当は残したいという気持ちはあったんですね。でもそれはなかなか叶わなかったので、それだったらもう自分の思い描いてる店舗を作ろうということで、屋形船で牡蠣とかいろんな海産物だしてるので、そういうものを中心にしたお店を出したいということと、それからたまたま私趣味でバンドやったり楽器やったりしてるので、じゃライブも出来るお店にしようと。で屋台村でもワインを出したりしたっていうことで、だったらワインバーの要素もありつつライブハウスの要素もありつつ牡蠣小屋の要素もありつつ、ぜんぶいいとこどりの店を作ろうということで、今回こういう形で出させて頂いてます。屋台村でいろんな出会いがあったり、いろんな支援があったりして、その名残を残したいということで、屋台村を撤去するまえに看板だったりいろんなものをこの店舗にも残してやろうってことで、ここに飾っておきました。やっぱ「懐かしいな」ってみんな言ってくれるので・・・。6年半くらい経ってますけど、ある意味あっという間というか、もう6年も経ったんだみたいな感じでいますけどね。その当時は大変だったりつらかった時期もあったんですけど、早いなって感じですね。復興自体はもう進んで、道半ばではあるけども仕事をする場所や生活をする場所という面では、ほとんどもう出来上がった状態です。あとは街をどう生かすか。作りました!お客さんが来ませんでした!ではダメなので、新しい仕掛けをしていかないと。そんな思いでいますね、今は。


「キャッセン大船渡」の「モール&パティオ」に出店している、及川さんの「湾岸食堂」。ワインバーで牡蠣小屋でライブハウスという、いいとこどりのお店。ライブスペースのバックには、「大船渡屋台村」の看板が飾られています。

「キャッセン大船渡」

2017年8月10日

8月10日 岩手県大船渡市「キャッセン大船渡」(1)

今朝は、この春にグランドオープンした岩手県大船渡市の商業エリア
「キャッセン大船渡」についてお届けします。


◆賑わいを取り戻した大船渡の中心街
えっとここは物販を中心とした店舗ですね、ここの通りは。それから後ろの「湾岸食堂」の入っているところは「モール&パティオ」っていって海産物を中心としたエリアです。でそれから川を挟んで向こう側は、「フードヴィレッジ」っていって飲食を中心にしたその3つのエリアに分かれた街づくりになってます。もともと震災前の中心の場所がここだったので、まあ新しい店舗に代わっても場所としてはね、街の中心になってると思います。グランドオープンが連休だったので、それはそれはすごいにぎわいがあって、もうひっちゃかめっちゃかの状態でしたけども、いまは落ち着いてきてると思います。震災から5〜6年くらいはずっと、自分のことというよりも街のことをいちばん最初に考えて動いていたので、ここまできて、これからは自分んとこも考えようかななんて(笑)


BRT大船渡駅前の商業エリア「キャッセン大船渡」。今回開業したのは、メインエリアとなる「モール&パティオ」、「フードヴィレッジ」と仮設商店街として営業していた「おおふなと夢商店街」運営の「ドリームプラザ」の3施設で、地元のお店を中心に約50のテナントが出店しています。
ようやく完成した大船渡のにぎわい拠点を案内してくれたのは、震災後にいち早く「大船渡屋台村」を立ち上げ、大船渡湾では初めてとなる屋形船を浮かべるなど街の賑わい再生に尽力してこられた、及川雄右さん。「キャッセン大船渡」では、「モール&パティオ」に「湾岸食堂」を開いています。震災から6年余り。ここまでの及川さんの道のりについて、伺いました。

◆この6年の道のり
いちばん最初のきっかけというのが、震災後に飲食店の復活ということで、ちょうどその当時、飲食店の組合長という立場もあったので、なんとか飲食で街を盛り上げたいっていうことで、屋台村をやったらどうかということで屋台村をはじめて6年くらいやりましたかね。その当時はまわりに何にも無かったので、そこにポツンと屋台村が出来ることによって、全国から復興のために来てくれる業者さんだとかボランティアさんとかにも利用して頂いて、癒しの場だったりコミュニティの場だったりそうとう親しまれたということでやってよかったと思っています。その後、震災後3年くらい経って、だいたいこう生活も落ち着いてきたし、生業の方も落ち着いてきたので、これからはもっと人を呼ぶには何をしたらいいかということで、大船渡は海の町なので、しかもほかの湾とは違って穏やかな海なので、ここに屋形船を浮ばせて観光の目玉にしたら面白いなってことで、しかもその船の中で大船渡で採れた海産物を食べさして、大船渡をもっとPRしましょう発信しましょうということで屋形船を思い切って持ってきた経緯があって。全国各地からお客さんも来て頂いてるし、船からは新しく震災後に出来た魚市場とか、大船渡湾の中央にある珊瑚島も間近で見えたり、大船渡の湾口防波堤も今年の3月に完成したんですけど巨大な防波堤も間近で見たり、復興状況が分かり易いですね。大船渡ってこんなにいいところなんだって喜んで頂いてますね。で今回はこのキャッセンというところにテナント業者の一人として出店を決めたという経緯ですね。



震災当時、たまたま飲食店組合のリーダーだったこともあって、「屋台村」を作ったり「屋形船」を導入したり、街のにぎわいの再生のために尽力してきた及川さん。「屋台村」は「キャッセン」の完成に合わせて幕を閉じましたが、いま及川さんの「湾岸食堂」の店内にはその「大船渡屋台村」の看板が飾られています。

「キャッセン大船渡」

2017年8月10日

8月9日 岩手県陸前高田市「アバッセたかた」(2)

今朝は昨日に続き、この春に開業した岩手県陸前高田市の複合商業施設「アバッセたかた」についてお届けします。

「アバッセたかた」の「あばっせ」は陸前高田の言葉で、「一緒に行きましょう」という意味。以前中心街だった場所を10メートルから12メートルかさ上げした新しい中心市街地に、震災から6年余りを経た今年4月27日に開業しました。オープンモール4棟で構成、スーパーやドラッグストア、衣料品店などのほか7月には「陸前高田市立図書館」も開館しました。

ただし昨日もお伝えした通り、まだこの場所には「アバッセたかた」以外の建物は少なく、街づくりはこれからという段階。現状とこれからの見通しについて、「アバッセタカタ専門店街」理事長の伊東孝さんにお話しを伺いました。

◆まだ迷っている方も
このかさ上げ地には、自分の元々あった土地を換地する人、それから市が土地を確保して借地でお貸しする人という形があるんですけど、最終的には120くらいの事業者がアバッセを中心とした周りに店舗を構えたり事業所を構えたりする予定です。ただまだその120の事業者の中でも、一旦は希望を出したけど実際にこれから建物を建てるというところにはいっていない、まだ迷ってる方も中には居らっしゃいます。これが増えてくるのか減ってくるのかというのは、これから動きが出てくると思います。みんな住んでるところはバラバラになってますので、以前の面影はまったく無い、新しい街を創っていくということで一緒にやっているわけですけど、やはりでも新しい街になっても、街の面影は無くなっても、陸前高田の空気、匂いは変わらないと思うんです。ですから帰省される方、新しい街に帰ってきてもまったく違うところに帰ってきてるな〜じゃなく、“あ、やっぱり陸前高田だなあ”という思いはあるんだと思います。そういうものを大事にしながらこれから少しずつでも前に進んでいきたいなとは思っています。


工事が長くかかった分、違う土地でお店や事業を再開していた方の中には「換地」=(もともと持っていた土地の面積に応じて土地を無償で取得する)で土地を手に入れても、これから大きな投資をしてお店を出すことに迷っている、という方も多いということ。
新しい中心街の前途には、まだまだ課題がたくさんある段階ではありますが、伊東さんには、信じている揺るぎないものがあるといいます。

◆震災で深まった地域の絆
得たものというのか、津波で自分の財産だったり今まで築いてきたものだったり、また人ですよね、大事な親族家族、友人を亡くして、本当にどうなんだろうという思いはありましたけど、そこからいろんな方の支援を受けたり、ここまで来てるわけですけど、やはり残った者みんなでですね、なんとか陸前高田をまた再建していこう、新しい高田を創っていこうという、そういう「絆」みたいなものは強くなったのかなという思いはしております。

なかなかまだ6年過ぎてですね、来て見てもらえれば分かるんですけど、復興した!再建した!というところまではまだいってないです。やっと今年6年目に街づくりがスタートしたというのが本当の現状です。ですのでこれから徐々に徐々に街が出来上がっていくというところを是非皆さんにも来て頂いて見て頂ければなと。本当に美味しいものもたくさんありますし景色もいいです。風光明媚なところでございますので一度足を運んで頂ければまた来たくなるところですので、ぜひお出で頂きたいなというふうに思います。


「アバッセ高田」

2017年8月8日

8月8日 岩手県陸前高田市「アバッセたかた」(1)

今朝はこの春に開業した、岩手県陸前高田市の複合商業施設「アバッセたかた」についてお届けします。

今年4月27日に開業した「アバッセたかた」は、造成された新しい中心市街地のシンボルとなる複合商業施設。オープンモール4棟で構成、スーパーやドラッグストア、衣料品店などのほか、7月には「陸前高田市立図書館」も開館しました。「アバッセたかた」の「あばっせ」は、陸前高田の言葉で、「一緒に行きましょう」という意味だそう。

そんな「アバッセタカタ専門店街」理事長の伊東孝さんにお話しを伺いました。

◆震災前も商店街だった場所に、賑わいを戻す
今までそういう皆さんが集まれる場所というのが震災後なかったんですけど、このアバッセが出来てですね、皆さん久しぶりに会った方だったり、出会いの場っていうのか、そういうのをオープンして私も感じております。そういうのを見るとすごく“やってよかったな、嬉しいな”と思いますし、これがお盆だったりお正月に皆さん帰省した時に再会を喜び合うとか、そういうお買い物をするだけでなくそういう場になってるなという感じがします。震災前はいま建っているところ、陸前高田の中心市街地の大町通り商店街というところでした。このアバッセを中心に新しいまた賑わいを作っていこうということでいまやっております。


これまでになかった“皆が集える場所”の完成。これは陸前高田の皆さんも嬉しかったはず。伊東さんももともとは市内で書店を営んでいた方。もちろん「アバッセたかた」にもお店を出店しています。
長くかかったかさ上げ工事から、ようやく完成した街の核となる商業施設。ここまでの月日と、「アバッセたかた」周辺の現状についても伺いました。

◆街づくりはこれから
この陸前高田の場合はもともとあった市街地が全滅してしまったような感じだったので、そこの上に10メートルから12、3メートルかさ上げしたところに新しい中心市街地を作るということでスタートしていますので、やはりこの6年というのは、それくらいの年数はかかってくるのかなという思いがあります。ただやはりここに来るまで新しい中心市街地をどうしようか?とかっていうことでいろんな計画を立てながらやってきてましたので、6年というのもあっという間に経過したなという感じの方が強いですかね。まだまだ何もないところにアバッセがオープンしてますので、それと周りの道路がまだ本当の道路が出来てないということもあって非常に来づらい場所にはなってるんですけど、図書館がオープンしたり、そういったお店が7月8月9月にどんどんオープンしてきますので、そうすることによっていろんな方もここに集まりやすくなってくるのかなと思っております。


そんな陸前高田では、夏の風物詩、気仙町の「けんか七夕まつり」と、高田町の「うごく七夕まつり」がきのう7日月曜日に開催されました。一時は存続も危ぶまれた陸前高田の名物ですが、町の皆さんの協力によって続けられ、とくに「うごく七夕まつり」は、新市街地「アバッセたかた」を会場に開催されました。

◆動く七夕への思い
むかしはこの中心市街地もですね、かなり賑わいのあった中心市街地でしたけど、どんどん車社会になって郊外型のショッピングセンターとかいろんなお店が出来て、中心市街地も正直ちょっと寂しくなってきてた街ではありました。どんどん商店街はさびれていきましたけど、やはり昔からあそこで生活しながら商売をしながらという方々が多かったので、そういう横のつながりとか町内会のつながりというのはものすごく強いのがありましたし、七夕まつりになりますと町内が一丸となってお祭りをしていくというのがありましたので、震災後もそういうお祭りが継続してやっておりますけど、やはりどうしても震災前の、みんなで一緒にやってた時の思いが、こう思い出されてくるので、皆さん、涙を浮かべながら、今年も七夕やってるんだよ、というのを亡くなった方に伝えるような思いで、七夕を見てるんじゃないかと思っております。


中心市街地のほとんどが津波で流された陸前高田市。復興に時間がかかっている分、人口流出が大きな課題になっています。ただし、若い世代のUターン、Iターンは他の地域と比べて多く、子育て世代が増加しているという現象も起きているようです。

「アバッセ高田」

2017年8月4日

8月4日 女川町のトレーラーハウス「ホテル・エルファロ」

今朝は宮城県女川町に震災後生まれたトレーラーハウス『ホテル・エルファロ』 の話題です。

薄いピンク、ブルー、グリーンなどカラフルな色が遠目から見てもかわいい、トレーラーハウスのホテル。震災の翌年2012年冬にオープン。町の復興と共に歩み続けたホテル・EL FAROが明日、8月5日に女川駅前に移転しリニューアルオープンします!!
今朝はホテル・エルファロの女将、佐々木里子さんに電話でお話し伺います。

◆まずは、リニューアルオープンおめでとうございます!
トレーラーハウスって町の復興状況に応じながら、いろいろな場所に移動できるのが利点かなと思いますが、内陸の場所から駅前まで40棟のトレーラーハウスがトラックに運ばれて移る様子、私も動画で拝見して、町に彩りが1つ増えて本当にうれしいなと思ったのですが、商店街の方もエルファロがこっちに移動してきてくれて嬉しいとおっしゃっていました。佐々木さんどんなお気持ちでしたか?

「家が一軒一軒動く感じがとても壮観なんですが、町の方もそれを見に来る方もいらっしゃいました。皆さん楽しみにしてくださっています。」

◆リニューアルオープンに際して、ホームページにはこんな文字が。
 『リニューアルのベースとなるのは、アウトドアリビング』
 『敷地内に散らばる6つのパティオで、家族や仲間とBBQや焚火をしたり』
 ・・・オシャレ過ぎで分からない!パティオって何ですか?

「パティオというのはちょっとした広場のことで、お客様が部屋の中ではなくその広場でおしゃべりをしたり、待ち合わせをしたりできる場所です」

そこで例えば商店街で買ったお魚を焼いたり、そういったBBQもできるのですか?

「BBQプランがありまして、食材や機材をご提供しています。持ち込みも可能です」

◆EL FAROが駅から徒歩3分という、町の玄関口に移動したことによって、女川を訪れる観光客の動きも変わってくるのかなと思いますがいかがですか?

「今まで駅があってだんだん商業プロムナードができて商業施設ができて、駅前がどんどんにぎわっています。なぜかそこに女川町民のお客さんがすごく仲良く迎えてくれるんですね。なのでそこで食べて飲んで夜まで楽しんでもらって、歩いてエルファロまで帰れますので、日帰りではなく女川町の夜も楽しんでもらいたいと思います」

私も女川の夜が大好きで、そこに音楽が鳴っていたりビールを飲んでいたり、そこに町長さんがいたり、、

「隣り合わせるとすぐお友達になっちゃうんですよ」

これから先またそういう方増えますね。

「女川ファンがまた増えるといいなと思います。面白い町民たくさんいますので。」

この夏休み、まだ空きはありますか?

「おかげさまで満室が増えました。とはいえまだ空室もありますのでぜひご予約お待ちしています」

佐々木里子さん、朝早くからありがとうございました!
パティオ、エルファロのホームページで見るととてもおしゃれな空間です。商店街と連携した遊び方、今後ますます増えそうです。
女川にできるホテル・エルファロ リニューアルオープンは明日8月5日です!



ホテル・エルファロ 公式サイトはコチラ!

2017年8月3日

8月3日 気仙沼・大島のいま(3)

陸中海岸国立公園の気仙沼湾に浮かぶ、大島。この時季は海水浴場、マリーンスポーツやBBQ、美味しい海産物と魅力にあふれています。3日目の今日は、そんな大島の観光情報を改めてお伝えします!

アクセスは、気仙沼の港からフェリーでおよそ20分。海鳥たちと一緒に船旅を楽しみながら到着。
そこから向かうのは、標高235mの「亀山展望台」から眺める、リアス式海岸のパノラマ!?それとも、「快水浴場百選」にも選ばれている「小田の浜(こだのはま)」へ。または、国の天然記念物に指定されている、鳴き砂の浜「十八鳴浜(くぐなりはま)」へ行くのも良いですね!
さぁあなたなら、どこから向かいますか?



◆小田の浜〜十八鳴り浜
ここは波が静か。あそこに無人島があって荒い波が来づらいのが特徴。海水浴場第2位だった。ちなみに1位は沖縄なので、本州では1位がここ小田の浜海水浴場です。夏いっぱいおいでいただいて海で泳いだり、カヌーで遊んでいただきたいですね。 
大島には国の天然記念物の「鳴り砂」があります。「十八鳴り浜(くぐなりはま)」という浜で、湿っていると鳴らないのですが、乾いていて摺るように歩きますと「クックッ」という音がなります。九たす九が十八なので、十八鳴り浜と呼んでいます。砂がきれい、海がきれい。昔は日本にも綺麗な砂浜が多かったのですが、次第に汚染されてきて音がならなくなったのです。でもこの浜はまだ鳴りますので貴重な浜ということで、国の天然記念物に指定されています。



お話しは、島の観光ガイドもしている大島の旅館「黒潮」を営む堺健さんです。堺さんによると震災後、ここ2〜3年は観光客の数が減っているとのこと。本当に素敵な場所ですので ぜひ県内外から足を運んでいただきたい!ということで大島の魅力、さらに伺いました!

◆亀山展望台からの眺めも最高です!
東北の中では珍しい島で気候も温暖ですし、景色も年中「緑」、とくに亀山展望台から見るとあぁこんなに緑が美しい島だったんだ、とよくわかって、なかなかこのような環境は日本でも少ないのかなと思います。冬も温暖なのでゆずやビワなども実る。東北らしくない島というのが1つこの島の魅力。あと磯釣りやる方もいらっしゃいますしカヌーやSAPとかそういったマリンスポーツも段々できるようになってきました。私宿をやってますけど夕食にBBQを希望する方が4割ぐらいらっしゃる。だからこういう島らしい良い雰囲気の中で食事や遊びをこれからもっと皆さんに提供したいなと思っています。船で来れるうちに来ていただくと本当に島らしい旅情が味わえると思う。いらっしゃった方には島めぐりを無料でしていますので、楽しく島の中で過ごしていただきたと思いますね。


大島 旅館「黒潮」のサイト

★ ★ ★ ★ ★
LOVE&HOPE、明日は、8月5日に女川駅前にリニューアルオープンする宮城県女川町のトレーラーハウス「ホテル・エルファロ」の女将に電話をつなぎます!
 

2017年8月2日

8月2日 気仙沼・大島のいま(2)

昨日に引き続き、宮城県、気仙沼「大島」からのレポートです。

気仙沼の港からフェリーでおよそ20分。
周囲はおよそ22キロ。海と山の自然に恵まれ「緑の真珠」とも呼ばれる美しい大島。東日本大震災では、津波と気仙沼湾で発生した火災で甚大な被害をうけました。そんな大島の方たちには、50年前からの長年の悲願がありました。気仙沼本土と大島の間に「橋を架ける」という構想です。その『気仙沼大島大橋』がこの春ようやくつながり、2019年3月の完成を待ちわびています。

この大橋が復興の後押しとなるのでしょうか。大島で旅館「黒潮」を営む、堺健さんに伺いました。


◆橋を待たずして島を出てしまう
あと2年足らずで橋がかかりますがそれが順調なんだろうかというと、橋を活かす為の受け入れ態勢、準備態勢は極めて遅れています。送れた原因の1つは、宮城県知事が強引に推し進めたスーパー防潮堤の問題があります。何がなんでもスーパー防潮堤を作るとゴリ押しなんですよね。かなり住民とも対決したりして、大島では小田の浜や田中浜やそういった東側のきれいな砂浜は防潮堤を作らせないことで反対運動をしましたし、浦の浜港もやっと地域の方ががんばって盛り土の防潮堤という形になりました。こういうことでものすごく時間が取られたんです。防潮堤があるからかさ上げも遅れる、そこの地域の再生も遅れると玉突きで遅れてしまった。やはり地域の方と話し合って地域の将来を行政も地域住民も真剣に考えて復興の作業をしてほしかったんですけど、現実にはそうは進んでいなかった。わかめを揚げるための堤防、船着き場にしても、勝手に作っちゃうんですね。そうするとどうなるかというと、高すぎてわかめを揚げるのが大変だったり岸壁にあげる時に誤って落っこちてしまったり、もう笑えないような話がでてきまして。なんで岸壁を作るにしても船着き場を作るにしても高さはどうしたらいいのか、作業する方々からお話しを聞いて設計すべきなんですけど、それもスーパー防潮堤と一緒で勝手にやってしまうんです。だから現実問題として、橋が架かる架からないに関わらず、家が流された方々が島にまた家を建てるかというとそうでもなくて、気仙沼の高台に家を建ててもう移っちゃってるんですよね。橋が架かる前に見切りを付けちゃったと。それと、漁業施設や船がやられちゃって高齢化で漁業を再開するのがなかなか難しい、息子たちが気仙沼に住んでいるならそっちに家を建てようってことで、何軒かが気仙沼の方に移って新しく家を建てて再スタートしていますね。橋が架かるから大島に住もうか、という人はほとんどいないと言っていい。大島へ移住者希望の方が若干いるのが救いかなと思いますけどね。


気仙沼市内ではいろんな海岸線に巨大防潮堤が建設されていますが、大島のいくつかの浜では住民の反対運動により巨大防潮堤は作らないことが決まっています。橋がつながる、つながらない以前に、大島の何を守ることが大事なのか、住民の方の想いに触れることができたインタビューでした。

気仙沼市の本土と、離島・大島を結ぶ「気仙沼大島大橋」は再来年、2019年3月完成予定です。

明日も大島の魅力をお伝えします。
大島 旅館「黒潮」のサイト

2017年8月1日

8月1日 気仙沼・大島のいま(1)

夏休み真っ只中!今週は、宮城県気仙沼の沖合に浮かぶ「大島」の観光情報を中心にお届けします。

今私は、気仙沼の港から大島へ渡るフェリーに乗っています。大島は気仙沼の港から見えるほど近い距離。20分ほどで着きます。すごく緑のきれいな大島、今からどんなところなのか、楽しみです!(2013年夏の様子)

東日本大震災では、津波と、気仙沼湾で発生した火災で甚大な被害をうけた大島。取材当日は海水浴場「100選」にも選ばれている浜辺が復活し、きれいな砂浜とエメラルドグリーンの透き通った海を見ることができました。

あれから4年。番組では再び、気仙沼大島を訪ねました。大島で旅館「黒潮」を営む、堺健さんのお話です。

◆ここ2〜3年観光客は減少
残念ながら観光のお客様は震災前も長期的に減っていたんですけど、震災後はボランティアさんとかが多く泊まられましたけど本当の観光のお客様が増えていたかというと、残念ながらどんどん減っていたというのが現状で。とくにこの2〜3年の観光のお客様の減りが激しいという傾向はあります。(震災後)移住してきた人は2〜3人いるし、私の知っている範囲では東京からIターンで来られる方もいらっしゃいます。以外と若者がIターンしているというのが多いんですよね。


たったフェリーで20分で、島の空気は本土とは全く違い、時間もゆったり流れ「船で行く」 というのが“旅情”を誘う観光にぴったりの島です。一方、島の方たちにとっては島のアクセスに関する、半世紀前からの「長年の夢」がありました。気仙沼本土と、大島の間に「橋を架ける」という構想です。

◆橋への期待
50年「橋をかけてください」という運動をして、やっと半世紀かけてあと2年弱で橋がかかるわけで、橋の姿が見えてうれしいね、という声はあると思いますね。例えば脳卒中、あれは時間の勝負ですからとにかく早く治療しなきゃいけないんですけど、夜中だった為に時間がかかちゃうと重い障害を負ったりするわけで、あるいは心臓病でもそうなんですけど緊急を要する医療というのは島だと不利ですよね。これから橋がかかれば本土並みの医療が実現できますからいいと思いますね。無料の橋ですのでね。我々も出ていきやすいですし、外からも入ってきやすい。そういう意味では画期的なことなので、外から来られる方も「橋がかかってよかったね。大島に来られてよかった」となるように我々もっと島の良さを引き出していかなきゃいけないと考えているんですけど。


気仙沼市の本土と、離島・大島を結ぶ「気仙沼大島大橋」は今年3月につながり、今後、水道管など設置する工事が進められ、2019年3月に完成予定です。ただ観光面では、橋が架かることによってアクセスしやすくなると「旅館や民宿の宿泊客が減るのではないか」という不安の声もあるようです。この橋に関する堺さんの想い、明日も引き続きお伝えします。

大島 旅館「黒潮」のサイト

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

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