2017年11月30日

11月30日 「うみラボ」小松理虔さん(4)

今週は、福島県いわき市で活動する「うみラボ」の代表、小松理虔さんのインタビューです。

「うみラボ」は、福島県沖で獲れる魚の放射線量を民間の手で測定し公表するプロジェクト。いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」と共同で、福島県沖で獲れる魚を来場者の目の前でさばいて放射線量を測定する「調(た)べラボ」というイベンも開催しています。

「調べラボ」に参加した女性の感想、そして、「風化と風評被害」に関する、小松理虔さんのインタビューです。

◆参加者の声
「わたしたちはいわきに住んでいますが、当初は不安で福島産以外のものを食べていましたが、放射能検査をしてからじゃないと出回らなくなったので、逆に福島県産のほうが安全かなと食べてました。今回大丈夫だと確信したので、これからまた子どもたちにも食べさせたいなと思います。おいしかったです、身も柔らかいし。子どもたちにも喜んでいたのでよかったです。」

◆風評被害の現状
僕自身、放射能汚染が問題になった原発事故が起きた福島県の漁業や水産業に関わる機会があるが、いま実際僕たちがはそういった生活のなかで暮らしているので、僕たち自身は「風化」したり、震災や原発事故を忘れたりすることはない。が福島から離れたり、例えばこのあいだ韓国に行く機会があって、若い方たちの前で「うみラボ」のデータを公表する機会があったが、冒頭「福島で暮らしていることをどう思うか?」と挙手をお願いしたら、9割の方が「危ないと思う。福島の魚は食べたくない。と手を挙げた。でも、僕たちがこうして自分たちの手で(福島県沖で獲れた魚の放射線量を)測ろうとして、自分たちの暮らしを取り戻そうとしたことにはすごく共感してくれて。1時間くらい話した後には「ぜひ福島に行ってみたい」という方もいて。この間10人くらい来てくれて、福島の食べ物も食べてくれたし、そうやって粘り強く伝えていくことで、風評被害は結果的に緩和されていくものだと思います。

確かにまだまだ全国的なアンケートなどをとると「漠然とした不安がある」とか「病気になったり健康被害を受けるのではないか」と考えている人が県外の人に意外にも多いというデータが出たりすると、風評被害があるんだけれど、それに立ち向かっていくときに、風評被害という言葉を使いたくないというのが僕の本音。風評被害というと、自分たちが原因じゃなくて、わたしたちの情報を受け取ってくれない人たちが悪いんじゃない、という考え方にどうしてもなってしまう。僕たちは頑張っているけど、理解してくれない人が悪い、というふうになってしまうと、相手に期待することになる。それより、自分たちにも変えられることがあるんじゃないか。自分たちを変えるほうが、断然早いと思うので。
まだまだ福島県内を見回すと、これこうしたほうがいいのになとか、こうしたら伝わるのになあともやもやすることが多くて。そういうところを鍛えていくなかで、福島の観光資源に磨きがかけられて、たくさんの方が訪れるなかで、福島の風評被害もなんとなくなくなりましたというのが一番ヘルシーだなと思う。「風評被害をなくすために頑張らなくちゃいけない」という時期は、そろそろ卒業して、僕たちが良い地域をつくったり、いい物産をプロデュースする中で、もっと魅力をつくっていくということを、まさに「うみラボ」の活動をする中で考えさせられます。

小松さん自身、子育て中のお父さんでもあります。子どもたちに福島の魚を食べさせていいのか、そんな素朴な疑問から始まった福島の海や魚とのつながりが、
いま「福島の漁業」や「故郷の未来」を考えるところまで、広がってきたと言います。大切なのは、目を背けず、知ろうとすること。そして考えること。

「うみラボ」ではいまも、福島第一原発の沖合の魚の放射線量を測る活動を継続中です。また「アクアマリンふくしま」で行われている「調べラボ」は、毎月第3日曜日の開催です。興味のある方は「うみラボ」のオフィシャルサイトをチェックしてください。

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福島、原発沖の海の現状と、小松さんの取り組み、あなたはどう感じましたか?
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2017年11月29日

11月29日 「うみラボ」小松理虔さん(3)

今週は、福島県いわき市で活動する「うみラボ」の代表、小松理虔さんのインタビューをお届けしています。

「うみラボ」は、福島県沖で獲れる魚の放射線量を民間の手で測定し、公表するプロジェクトです。福島県沖ではいまも漁業の試験操業が続いています。出荷制限がかかる魚種は10種にまで減りましたが、漁師が漁にでるのは、週2日から3日。そこには、原発事故の賠償や福島の魚の流通など、複雑な要素が絡み合っています。小松さんに、福島の漁業のこれからの課題について伺いました。

◆福島の漁業を再生することが、日本の漁業を再生すること
これからの課題。福島の魚が安全になってきたことはデータ上わかってきたが、福島の魚はまだ店頭にならんでいない。それがいちばんの問題になってきています。僕らも自治体も国も、福島の魚をどんどん食べてもらいたいが、原発事故に対する倍賞の問題と漁師の漁の回数の問題はとてもセンシティブな問題。僕らが福島の魚を出しても、こんな風に受け入れられるよというエールを送ることが、漁師の人たちのモチベーションに繋がるんじゃないかと思う。漁師の人たちが、「これなら漁の回数を増やしても値段もちゃんととれるし、前のような漁ができるんじゃないか」と思わないと、やっぱり漁師の方たちも不安になってしまうと思う。うみラボのメンバーとよく話をするのは、面白い商品を開発するとか、もっと食べられるイベントを開催するとか、率直にいうとビジネスの後押しができるようなものをやっていくとか。より地域づくりに積極的に参加することが求められると感じています。

実は震災前、福島の漁業というのは好調ではなく、魚価が下がる中で量をとらないと売り上げが回復できないので量を取ろうとすると、魚は有限なので獲れば獲るほど魚が小さくなって、また魚価が下がる。そうすると魚の卸しや加工をしていた人が商売をやめてしまう。そうすると水揚げ量も減ってしまう。船主が福島に水揚げするメリットを感じなくなって、気仙沼や銚子や千葉や宮城に水揚げしてしまうことになると、いざ僕らが復活したいな、もっとやりたいなと思っても、船主にとって福島という土地の魅力的でなくなってしまう。そうなると、漁師の人も「安全だから本操業に戻せばいい」というふうにならない。戻っても衰退が目に見えているから。
いま日本の漁業も各地で魚を獲り過ぎたり、気候変動でかつての水揚げ量を確保できないところが増えている中で、実は全国で一番漁業資源が回復しているのが、福島の海。福島の漁業を再生することが、日本の漁業を再生することと直結する問題。なので、持続性のある漁業の形をみんなで考えていく、そこがあって、福島の漁師が「よし、倍賞なんてもらわずに、昔みたいに魚を獲ってもみんなが買い支えてくれて、子どもや孫に漁が継がせることができるんだ。」と思えて、始めて僕は福島の漁業の復興だと思っているんです。


このような問題を抱える中、福島の漁師が海に戻る大きな後押しになるのではないかと、小松さんはサンプル検査を続け、安全が確認されたおいしい福島の魚をいかに流通に乗せ食卓に運ぶかを考えています。

『LOVE&HOPE』、明日も小松理虔さんのインタビュー、お届けします。

2017年11月28日

11月28日 「うみラボ」小松理虔さん(2)

今週は、福島県いわき市で活動する「うみラボ」の代表、小松理虔さんのインタビューをお届けしています。

「うみラボ」は、福島県沖で獲れる魚の放射線量を民間の手で測定し、公表するプロジェクト。いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」と共同で、福島島県沖で採れた魚を水族館の来場者の目の前でさばいて放射線量を測定する「調(た)べラボ」というイベントも開催。安全が確認された魚を調理して提供する試食会も実施しています。
来場者の皆さんの反応は?
「水戸から来ました。初めてですね、こういうの。ちゃんと測定して公開しているというのが安心できるというか。ちゃんと安全だというので出荷されているのがわかれば、買ってもいいんじゃないかと思った。試食のマコガレイもすごくおいしかった。いままで食べた中でも一番おいしかったです。」

この日の献立は、「マコガレイのから揚げ・甘酢あんかけ」。水族館へきてふらりとこの会場に立ち寄られた方たちは、講座を聴きながら美味しそうに召し上がっていました。

そして「うみラボ」の調査、福島県沖の海底の土と魚は、いまどんな状況なんでしょうか。小松さんに聞きました。

◆2013年から継続調査してわかってきたこと
「土のほうは相変わらず出ます。ただ僕ら調査し始めた当初(2013年)は三桁ベクレル/kgは確実に、というときもあったが、ここ最近は100を下回ることが多い。が、それはゼロにはならない。僕はいろんなことを聞かれますが、「出ていない」とは言わない。ただ魚から出ていないということは、魚から検出されるほどの量ではないということは確実に言えると思います。
なおかつ移動しない魚のほうが検出される、という傾向もわかっていて、海底に近い移動しない魚をセットで測るということが、魚の汚染の状況を理解していくためのひとつのきっかけになっています。なので海底の泥はこれからも測っていかなければいけない。いずれにしてもデータは下がってきています。
海にいる魚って、塩水の中で泳いでいるのにしょっぱくない。なぜか。浸透圧という言葉を聞いたことがあると思いますが、魚は塩分を体の中に入れても、それを排出する機構が備わっているんでです。セシウムは今回の原発事故で一番まかれた放射性物質ですが、そのセシウムは塩分と一緒に体の外に排出されるという特徴があって、自然に体の中から排出されていくということが科学的な知見からもわかっていたんだけど、うみラボのデータからも、ヒラメのデータをずっと測っていますが3年前は80ベクレル/kgや50ベクレル/kgというのも見つかっていましたが、2017年は最大でも5ベクレル/kgで、ほぼ9割がたND(検出せず)になってきています。つまり年代が経てばたつほどほど体の中からセシウムが放出されてきたと裏付けができるので、測っていけばいくほど、こうやって排出されていくんだなというのがわかります。なので、原発直近で海底の土を測り、魚を釣って、年齢や大きさまで測ることがより強い安心感につながるというのが、僕たち自身が実感として得られていることです。」


明日も小松理虔さんのインタビュー、お届けします。

2017年11月27日

11月27日 「うみラボ」小松理虔さん(1)


福島県いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」で2015年5月から毎月第三日曜日に開催されているのが、「調(た)べラボ!」というイベントです。福島県沖で採れた魚を水族館の来場者の目の前でさばき、放射線量を測定するというものです。取材したのは今月19日に行なわれた時のもの。この日、獣医師の富原聖一さんがさばいたのは、マコガレイやヒラメ、サメなど、福島県沖で獲れた魚、6種類でした。さばいた後は、測定に必要な分量を量って測定機にかけます。

調べラボ_富原聖一 さん
「いまから機械に入れます。キャンベラさんというところが作っている機械です。この機械だと、ヨウ素とセシウム137と134、あとカリウムが計れます。今日の魚はホシザメ。これは福島第一原発沖、3キロでとった魚。500グラムで測定開始、とやると、グラフがでてきます。セシウム137。いま一番問題になっている放射性物質。実はこれ100ベクレルを越えるようなものは、この時点でほんの数秒ですぐにわかるんです。」

この「調(た)べラボ」は、以前このコーナーでご紹介した「うみラボ」との共同企画です。「うみラボ」は、福島県沖で獲れる魚の放射線量を、民間の手で測定し、公表するプロジェクト。2015年10月に「うみラボ」をご紹介したときには、県のモニタリング調査で安全が確認され、試験操業の対象となる魚は64種でしたが、あれから2年、現在は試験操業の対象となった魚の数、182種にまで増えました。一方でいまも出荷規制がかかる魚は10種類です。
「うみラボ」の小松理虔さんに話を聞きました。

◆福島県沖の魚の放射線量を包み隠さずお見せするイベント
出荷規制がかけられた魚も着実に減ってきています。データを測ってみると、2014年、2015年というのは国の基準の100ベクレル/kgに近い、50ベクレル/kgとか、二桁ベクレルの魚が見つかっていましたが、2016年からは50ベクレル/kgを超える魚は見つかっていないし、2017年に至っては二桁の数字も出ない。最大でも、5〜6ベクレル/kgぐらいの検出量になっていて、確実に魚からもセシウムの排出が進んでいることがデータからもわかります。
「調(た)べラボ!」は皆さんの前で、線量測定の現場をそのまま包み隠さずお見せするイベント。同時に、福島県産の魚を試食するというコーナーもあって、食べながら、福島の魚から放射線量がどのくらいでるのかという測定の現場も見ることができる。多くの方は、なんの気なしに水族館を訪れて、試食につられて入ってこられて、そのついでに福島の魚がどうなっているかを科学的なデータを受け取れるような仕組み。もし科学的なデータに興味がなくても、「福島の魚おいしいね!」ということだけは持ち帰ってくれるので、参加しているほうも楽しいし、福島の魚の魅力が伝わっていくのが大きい。
いま福島県の魚についてたくさん情報が出てくる中で、福島の魚を選択しないという選択は、僕はもう尊重するしかないと思っている。どうしても不安だと言う人に無理やり食べさせるわけにもいかない。僕はそれよりも、いままで福島の魚を食べてこなかった人、福島の魚に対して漠然とした不安がある人にこそ、どんどん情報を発信していく必要があると思っています。それにはおいしさや魅力を伝える必要があると感じてるんですね。


小松さん自身、「福島の海や魚はどうなってるの?大丈夫なの?」という疑問から、「うみラボ」「調べラボ」の活動を始めました。2013年に活動を始めて4年。いまではかなりのお魚博士に。こうして、行政ではなく、“市民目線”の「民間の活動」としてやっているところもポイントです。

明日も小松理虔さんのインタビュー、お届けします。

2017年11月24日

11月24日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(5)

今週は、作家の渡辺一枝さんが東京で続けているトークイベント『福島の声を聞こう』から、双葉郡大熊町出身、木村紀夫さんの声をお届けしています。

東日本大震災の津波で、家族3人を亡くした木村さん。特に原発事故の影響により、次女汐凪ちゃんが見つかるまで5年9カ月の歳月がかかりました。
先週このコーナーで紹介した笠井千晶監督のドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」にも、震災以降の木村さんの日々が描きだされています。この映画「Life」の上映会が、先月東京電力の本社で行われ、そこで木村さんは、東電の社長と対面しました。
  
◆企業としてではなく、個人としての意見を聞きたかった
実は10月5日に東京電力で「Life」を上映することになったと監督の笠井さんに話を聞いた瞬間に「上映会に呼んでくれ」とお願いしました。その時に笠井さんと相談して、何を聞きたいかと考えたときに、「企業としてではなく、人としてどう思うのか」ということを聞きたいと。ちょうど前日に原子力規制委員会が柏崎刈羽原発の再稼働がOKとなったばかりで。企業としてはそういう方向に進むのは、自分としては原発はあり得ないと思っているけれど、それにあからさまに反対するつもりはなくて、それを受け入れて生きているのは自分たちで、多くの人がそれに反対していないわけだから。とはいえ、福島がああいう状況の中で、汐凪ももしかしたら原発事故のせいで見殺しにした可能性もあるわけです、という話をしたうえで、刈羽原発を再稼働するというのは、人としてあるんですか?という話をさせてもらった。東電の社長とも社員の方たちともディスカッションする場面はなかったので、最後に社長が挨拶という形で話すにとどまったが、自分もそのとき興奮していてなにを話したのかよく覚えていないが、後日笠井さんとあのときどういう話をしていたかを聴いたら、「電気をつくるのも、命を守ることだ。」と言っていたという。なんかちょっと順番が違うのではと思った。生きている人の命を守るために、かたやうちの汐凪はもしかしたら見殺しにされてしまったのかもしれないし、野ざらしにされたのかもしれない。それで人の命を守る、ということが言えるのか。確かに言われている通り原発はある人達にとっては必要なのかもしれない。でもそれが全てではないと思う。生きるためだけを考えると、そこで電気は必要ないんじゃないの?というところが電気を使わなければ原発を動かすこともないんだから、というふうに感じました。


木村さんは現在長女とともに、長野県白馬村で暮らしていますが、長女も来年度高校を卒業し、家を離れる予定。今後、どのように暮らしていくか、改めて考えているとも話してくださいました。

お話にあったドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」では、昨年12月、ゆうなちゃんが見つかるシーンも記録されています。Lifeの上映情報は、公式Facebookページなどをご覧ください。上映会を開きたいというオファーも受け付けているということです。
★映画「LIFE 生きてゆく」Facebookページ

2017年11月23日

11月23日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(4)

今週は、福島県大熊町出身、木村紀夫さんのお話です。

東日本大震災の津波で、父と妻を亡くし、当時7歳だった次女の汐凪ちゃんは行方不明に。捜索を続けた結果、昨年12月。5年9カ月ぶりに汐凪ちゃんの遺骨の一部が見つかりました。現在は長女とともに、長野県白馬村に暮らしながら故郷の大熊と白馬を行き来する日々です。
そんな木村さんが、いま大熊町で取り組んでいることがあります。
  
◆大熊で採れた菜種油を今後は売りたい。大熊の現状を知ってもらいたい
去年の春から大熊で自分の田んぼと知り合いの田んぼを借りて、菜の花を咲かせてて、咲かせるだけじゃなくて、その菜種油をとってそれを燃料にしてそこに火をつけたら、なんか大熊に繋がるなと。始めて今住んでいる白馬と故郷の大熊が繋がるなと思ったんです。ただやっぱり、放射能の問題があるので、実際に放射線量を測ってみたいということで、今年知り合った専門家にお願いしたところ、放射能はほぼでなかった。食用になるのが国の基準で100ベクレル以下。大熊で原発から3キロの場所で、線量が毎時1〜2マイクロシーベルトぐらいあるところだが、そこでとれた菜種油からはセシウム137が0.016だった。国の基準からすると全然食べられる範囲なんです。最初は燃料にしようと思って測っていたが、それで自分の頭のなかでまたちょっとした欲望が出てきて、だったらこれを食用として売るような形にできないかなと思っていて。なにも隠さず、これは大熊町でとれた菜種油で、原発から3キロのところでとれたもので、線量はこのくらいと明記して、それでもいいよ、という方がいればそれで十分だし、大熊がいまどういう状況にあるのかというのを知ってもらうことにもなる。売れなくてもいい、知ってもらえれば。もちろん売れたほうがいいけど。いろんなところと繋がって、もしかしたら実現するかもしれない、という状況まで来ています。
環境省のほうでも、一回捜索したところは砂利をまかれてアスファルトにするのかどうか。あそこにまだ汐凪がいると思うと、自分としては勘弁してほしい。だったら、来年いっぱいで長女が高校を卒業して家を出るので、福島にいれる時間も長く作れるので、毎日雑草が生えないように畑を耕運しているので。なんとかそのまま、土のままにしておいてほしいと思っています。そっちの理由のほうがでかいですかね、菜の花をやりたいっていうのは。


環境省では、福島県内の除染廃棄物を大熊町と双葉町の中間貯蔵施設に輸送する計画を進めています。中間貯蔵施設建設のための「用地取得」もその一環です。また大熊町は原発事故の影響でいまも全町避難が続いていあます。そんな中、木村さんは「捜索」という名目で大熊町に通っていることから、大熊でのその他の活動や情報発信は、まだまだ限られているというのが現状です。

明日も木村紀夫さんの声をお届けします。

2017年11月22日

11月22日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(3)

今週は、双葉郡大熊町出身、原発から3キロの距離に自宅のあった木村紀夫さんの声をお届けしています。
東日本大震災の津波で、父と妻を亡くし、当時7歳だった次女の汐凪ちゃんは行方不明に。がれきの山の中、ボランティアの手を借りた人力の捜索だけでは「先が見えない」と、環境省の協力を仰いで重機を入れたのは、昨年11月のことでした。

そして、大規模な捜索を始めて、およそ1か月。汐凪ちゃんの遺骨の一部が見つかります。そこは、大熊町の自宅から、ほんの数百メートルの海岸沿いでした。

◆汐凪に申し訳ないという気持ちが消えない。
最初はあんまりにもあっけなかったんで、本当に信じられなかったんだけど。作業員のおばちゃんがマフラーを見つけて、マフラーの土をはらおうとパタパタと振るったら、その中から首の骨がぽろっと出てきた。それが最初でした。それから、片方のあごの骨、歯の付いたやつが見つかって。それが12月9日の金曜日。さらに11日には、あごの骨の反対側が見つかりました。

始めて現場であごの骨の型を見た時は、ほっとした気持ちもあったし。ただそれもだんだんと、ここで見つかったということはどういうことだと考え始めて。見つけられずにいままで6年近くが経って、いまも全部が見つかっているわけではない。ここで見つかったっていうのは、自分が積極的に探さなかったということもあるが、その原因を作ったのは原発事故。改めてそう思ったら、怒りというのじゃなく、本当にやるせないきもち、汐凪には申し訳ないと。2011年3月12日にしっかり捜索していれば、もしかしたら生きていたのかもしれないとか、そのとき見殺しにしたのかもしれない、という気持ちが消えない。逆に見つかったことによって、自分の中ではつらいものがでてきてしまったというか。

今現在も捜索活動はしているが、環境省のほうでもどんどん作業を進めていて、その後土地を造成して、という作業を続けている。どんどん捜索する場所がなくなっていくような状況で。最近思っているのは、このまま捜索をここで続けて、いま見つかっている汐凪の遺骨は全体の2割ぐらいだが、残りの8割はどこかにあるはず。その中で見つからず、土地は造成されて、アスファルトを引かれてというのは、最初は環境省にお願いしたときはそれでしょうがないという気持ちでお願いしたが、いまはそれが嫌で仕方がない。なかなかどうしても重機の力が必要だし、人手も必要な中で、自分たちだけでは進められない捜索ではあるが、それでも、そういう形でどんどん前に進められてしまうっていうのは、なかなか受け入れられないというのが、いまの状況です。


大熊町では、原発事故の影響により、震災当初、自衛隊などによる大規模な捜索がほとんどされませんでした。
今回見つかった場所で2012年6月に汐凪ちゃんの靴が見つかっていましたが、その時は遺骨の発見には至らず、結局、木村さんが汐凪ちゃんを見つけるまでに、5年9カ月の歳月がかかりました。木村さんはいまも汐凪ちゃんの遺骨の一部が見つかった自宅近くの捜索を続けています。

そして、木村さんはいま、大熊町に菜の花を植える活動を行っています。明日はそのお話です。

2017年11月21日

11月21日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(2)

今週は、作家の渡辺一枝さんが東京で続けているトークイベント『福島の声を聞こう』から、双葉郡大熊町出身、木村紀夫さんの声をお届けします。

木村さんは、東日本大震災の津波で、父と妻を亡くし、長女と二人で長野県白馬村に移り住んだ後も大熊町に通い、行方不明の次女、汐凪ちゃんを探し続けました。白馬から大熊まで、片道6時間をかけて捜索に通う日々。ボランティアの手を借りた捜索でも、5年以上の間、汐凪ちゃんの発見には至りませんでした。

◆重機を入れて一か月。あっけなく自宅近くのがれきの中から見つかった
靴が見つかっているので、がれきがずっと気になっていて。そこでがれきでの捜索が始まりました。電柱とか家のはりとか、人の力では動かせないものがたくさんあるが、そこを動かせる範囲で掘り起こしながら捜索を続けました。そんな中、大熊町の自分の住んでいたところ、津波の浸水域についても、福島県内で出た除染廃棄物を置いておく中間貯蔵施設にしようという話が持ち上がったんです。環境省としては国で土地を買い上げて、そういう施設をつくるということだったと思う。だが、売る気も貸す気もないと伝えました。まだ自分の娘が見つかっていない状態で、自分の土地を手渡すわけにはいかないと話をさせていただいた。
その後もボランティアの方たちと一緒に捜索活動を続けていましが、見つけるということについて全然先が見えず、がれきの山も前と変わらず。結果を出したい、次女の汐凪を見つけるため、手伝いに入ってくれている仲間のためもあって、これはやっぱり国のお世話にならないと先には進まないのかなと思い、こちらから連絡して環境省に連絡をしました。環境省としては、精一杯捜索をして、それから造成して、緩衝地帯にしたいと。まず捜索させてくれということだったので、「捜索をお願いします」とお話ししました。それが2016年の9月。で11月から重機を入れた大規模な捜索を始めて、一か月で汐凪の遺骨の一部が見つかったんです。もう本当にあっけなかったです。


環境省の力で重機を入れて捜索を行った結果、およそ1か月であっけなく見つかった汐凪ちゃんの遺骨。見つかった場所は、大熊町の自宅から、わずか数百メートルの海岸沿いでした。
 
汐凪ちゃんの遺骨が自宅近くで見つかったことで、木村さんが改めて考えたこととは。明日も木村紀夫さんの声をお届けします。

2017年11月20日

11月20日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(1)

今週は、作家の渡辺一枝さんが東京で続けているトークイベント『福島の声を聞こう』から、双葉郡大熊町出身、木村紀夫さんの声をお届けします。
 
木村さんは東日本大震災の津波で、父と妻を亡くし、次女の汐凪ちゃんも行方がわからない状況が長く続いていました。原発事故の影響で十分な捜索ができないなか、長女と二人、長野県白馬村に移り住んだ後も木村さんは単独で次女の捜索を続け、昨年11月には重機を入れた捜索が始まります。

そして昨年12月。自宅近くのがれきのなかから、汐凪ちゃんが見つかりました。震災から5年9カ月。それは、娘を探し続ける日々でした。

◆ずっとがれきが気になっていて。
捜索を始めるといっても大熊にはなかなか入りにくい状況の中で、はじめて自衛隊が入ってきちんと捜索してくれたのが、2011年5月20日ぐらいでした。自分の部落の津波があがったところのがれきを片付けながら、捜索が一週間行われた。それでも娘は見つからなかった。そんな中、大熊町の住民に対する一時帰宅の機会が7月からもらえるようになって、始めて大熊に入って自分の手で探した、というのが2011年の秋でした。
そして2012年6月にがれきの山から、震災当日汐凪が履いていた靴が見つかったが、そこから大規模な捜索になるようなことはなかったんです。最終的に、汐凪はそこから見つかったわけで、そのときにしっかり自分が重機などを入れてここを探してくれと言えば、その時点で見つかっていたんだと思うけど、残念ながらそれをお願いすることはできませんでした。
その後も一人での捜索をずっと続けていました。一時帰宅の機会も徐々に増えるようになって、年10回になり、年15回になり、現在は年30日入れる。滞在時間も一人5時間。2013年まで一人で捜索を続けました。捜索を続けているボランティアの方もいたが、自分のほうから、捜索を手伝ってくれといえる場所ではなかったので、誰にもお願いできないなか、唯一「放射能なんか関係ねえから、一緒に探させてくれ」と言ってくれたのが、南相馬の上野敬幸さんでした。ご自身でも家族4人を亡くされて、お父さんと長男はまだ見つかっていない状況で。それに対しても自分は半年くらい悩んだが、最終的に、他にすがるものもないし、そういってくれるのならと、上野敬幸さんとそこに集まるボランティアの方に、一緒に入って捜索してもらったのが、2013年9月。すでに靴が見つかっているから、ずっとがれきが気になっていて。自然とがれきでの捜索が始まりました。


木村さんの次女汐凪ちゃんは、大熊町の最後の行方不明者でした。  
木村さんの自宅は福島第一原発から3キロの距離にあるため、捜索が遅れたこと。そのような状況の中で、どのように捜索を続けてきたかを話してくださいました。重機を入れた大規模な捜索に至った経緯とは、どんなものだったのか。明日も木村紀夫さんの声をお届けします。

2017年11月17日

11月17日 ドキュメンタリー映画『LIFE 生きてゆく』笠井千晶監督5

福島県・南相馬市・萱浜地区で暮らしながら、津波で失ったご家族を想い、行方不明者の捜索活動を続ける上野敬幸(たかゆき)さんを、数年に渡り追いかけ、記録したドキュメンタリー『LIFE 生きてゆく』。この映画について、月曜日からお伝えしてきました。


最後はその、上野さんご本人のお話です。捜索活動のボランティア「福興浜団」や上野さんご自身、そして萱浜地区の「いま」について伺いました。

◆笑顔を取り戻すため
今は稲刈りの時期なんですけれどもね、農業を主にやっていますし、浜団としてのボランティアも今まで通りにやっています。毎年やっている菜の花迷路も来年もゴールデンウィークにやろうと思っていて、今日から種まきをしようと思っているんですけれども。あとは夏の花火ぐらいですかね。週末にボランティアに来たいという方がいたら喜んで受け入れますし、活動に参加したいという人がいれば来てもらえれば一緒に汗を流して、いろいろできるので、来てもらえると嬉しいですね。今年のゴールデンウィークはずっと天気に恵まれて、菜の花迷路は大体1万人ぐらいの人たちが来てくれたと思っている。来年は「もっと」と。毎年毎年それを越えていきたいなと思っています。たくさんの人たちに笑ってもらえれば良いので、ここに来て喜んで欲しい、笑ってもらいたいなと思っています。その時だけですけれども、やはり子供たちの笑い声だったり、走り回る姿を見るのは、自分も元気をもらえるし、そういう姿は亡くなった人たちの上から見ていると思うんです。当然ここで亡くなった両親や、永吏可や倖太郎もふくめ、たくさんの方々が亡くなって、そういう人達が上から見ていて、安心してもらえると思うんですよ。涙しかないような場所じゃなくて、一時だけど笑声が溢て。自分たちができることは安心させてあげることしかないので、天国でゆっくりしてほしいと思って、そうするためにはどうしたら良いのかと考えると、当然、自分が笑うことも含めて、こういったところに笑顔が戻ることが一番だと思っていて、それはここでしかまだできていないですけれども、東北の沿岸部みんなに笑顔が戻ってきて欲しいと思っていて、それで初めて亡くなった人たちが安心できるんじゃないのかなと考えています。


上野さんの福興浜団、ブログやFacebookページもありますので、関心を持った方はぜひご覧ください。
★福興浜団Facebook
★福興浜団ブログ

そして上野さんは日々、農業も続けられているということなんですが、これから先についてどう考えているか、伺いました。

◆やらなきゃいけないことを精一杯
今まで農業やっていた人たちは離れてしまっているので、機械も何もなくなって、国の支援で組織を作って機械が来ていますけれどもまだまだ足りなくて。今のところ萱浜では3人でやっていて、農地は整備途中なので、これから農地が戻ってきて、自分もまだまだやらなきゃなと思っています。その先のことを考えたことがほとんどないので、今自分が置かれている状況で自分は毎年毎年、1日1日を精一杯やっているので、その先にどうこうというのはもうちょっと落ち着いてからだと思っています。自分がやらなきゃいけない事は、精一杯やっています。



©2017 Rain field Production

★映画「LIFE 生きてゆく」Facebookページ
【上映予定】
◆11/28(火)18:00? 京都・京都市(※学生限定・無料/立命館大学 朱雀キャンパス1階 多目的室)
◆12/9(土)13:30? 埼玉・さいたま市(入場料500円/さいたま市民会館うらわ 101集会室)
◆12/16(土)18:00? 神奈川・鎌倉市(入場料1000円/ソンべカフェ)
◆12/17(日)14:00? 愛知・弥富市(無料・要整理券/弥富市総合社会教育センター)
◆1/28(日)㈰14:00?/㈪18:00? 岐阜・下呂市(入場料・当日500円/下呂交流会館アクティブ マルチスタジオ)
◆2/17(土)14:00? 神奈川・逗子市(入場料・大人1000円、高校生以下 無料/逗子市文化プラザホール なぎさホール)
…以降、東京、群馬、他でも上映会企画中。

自主上映会の企画・開催を希望する方は、公式FBページへのメッセージ、または、Eメールにてお問い合わせください。Eメールアドレス omoi.negau@gmail.com

2017年11月16日

11月16日 ドキュメンタリー映画『LIFE 生きてゆく』笠井千晶監督4

引き続き、ドキュメンタリー映画「LIFE 生きてゆく」、監督で映像ディレクター、笠井千晶さんのインタビューです。

©2017 Rain field Production

福島県・南相馬市・萱浜地区で暮らす上野敬幸さんを数年に渡り追いかけ、記録したドキュメンタリー『LIFE 生きてゆく』。

この映画は、津波で4人の家族を失い、いまも捜索活動を続ける上野さんのほか、同じように津波で失った次女・汐凪(ゆうな)ちゃんの捜索を続ける、
福島県大熊町出身の木村紀夫さんも登場します。

そして笠井さんは映画を作る上で、なによりも、このお2人の気持ちを、「そのまま伝える」ことを大切にしてきた、といいます。

◆上野さんと木村さんの想いを
一応、一番最初に速達で、ともかく上野さんと木村さんにお送りして、「観たよ」と言うメールで(返事が来た)。でもちょっと(映画の)途中に津波で亡くなった永吏可ちゃんや行方不明の倖太郎くんの昔の映像や写真を使わせていただいて、上野さんはそういうのはずっと見ることができなかったのを知っていて、今も見るのはとても辛いと思うんですね。だからそういうものも含まれている中で、全部じっくり見ていただくのはまだ難しいと思うんです。ただそれを見た人の感想を、Facebook何かにいろんな方が上げてくださって、それを聞いたときに上野さんが「よかった」と言ってくれて、この映画は何を伝えているかを上野さんがわかってくれたような気がしています。


©2017 Rain field Production

これについて上野さんご本人に、率直な気持ちを伺いました。


◆信頼しているから
正直、全部一通りを観ていないんですよ。自分の発言もほとんど見ていないですし、でも笠井さんと上映会をやる中でちょっとずつ観たりして、先週も、ちょっと永吏可と倖太郎の場面があってどうしても見れないから外に出ていたりとか、そういうことをしながら少しずつ観ているんですけれども。付き合いも長いというか、ずっと来てくれて、信頼してるというのはありますし、短編のやつを観ていたので、安心して任せているという、大丈夫だろうと思って信頼しています



★映画「LIFE 生きてゆく」Facebookページ
【上映予定】
◆11/28(火)18:00? 京都・京都市(※学生限定・無料/立命館大学 朱雀キャンパス1階 多目的室)

◆12/9(土)13:30? 埼玉・さいたま市(入場料500円/さいたま市民会館うらわ 101集会室)

◆12/16(土)18:00? 神奈川・鎌倉市(入場料1000円/ソンべカフェ)

◆12/17(日)14:00? 愛知・弥富市(無料・要整理券/弥富市総合社会教育センター)

◆1/28(日)㈰14:00?/㈪18:00? 岐阜・下呂市(入場料・当日500円/下呂交流会館アクティブ マルチスタジオ)

◆2/17(土)14:00? 神奈川・逗子市(入場料・大人1000円、高校生以下 無料/逗子市文化プラザホール なぎさホール)

…以降、東京、群馬、他でも上映会企画中。

自主上映会の企画・開催を希望する方は、公式FBページへのメッセージ、または、E
メールにてお問い合わせください。Eメールアドレス omoi.negau@gmail.com

2017年11月15日

11月15日 ドキュメンタリー映画『LIFE 生きてゆく』笠井千晶監督3

引き続き、ドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」の監督で映像ディレクター、
笠井千晶さんのインタビューです。

©2017 Rain field Production

福島県・南相馬市・萱浜地区で暮らす上野敬幸さんを4年に渡り追いかけ、記録したドキュメンタリー「Life 生きてゆく」。
この映画には、原発の爆発事故を起こした東京電力の社員も登場します。

事故の直後、原発から22キロの萱浜地区は、「屋内退避指示」が出され、自衛隊や警察が捜索に入ることはありませんでした。多くの犠牲者や行方不明者が置き去りにされる中、家族を探し続けた上野さん。当時は東電に対する怒りを堪え切れなかったといいます。

しかし「Life 生きてゆく」の中では、福興浜団の催しに協力する東電社員や、穏やかに上野さんと言葉を交わす場面なども登場します。

◆東電社員という「人」
この映画の中に東京電力の方々が登場するんですけれども、じっさいに映画を観た方から頂いた感想で、“こういう風に描かれた東京電力は初めて見た”って言われて、それはある一人の人を通じて、その向こうにいる一人一人の社員の皆さんの思いっていうのを伝えたくて入れた部分なんですけど、やっぱり東京電力っていう立場の方であっても、被災した当事者である上野さんであっても、人と人であって、そういう人どうしが関わり合うことで、交流が生まれたり、あと全てではないんですけど、分かりあって通じ合う部分も出てきたり、そういうことを描いていまして。
だからこの映画というのはやっぱり、人として命を思う、そこにはやっぱり垣根はないのかなっていうことも、メッセージの一つとしては盛り込んでいる映画になっています。


最初に東電幹部が挨拶に来た時、上野さんは差し出された名刺を投げ捨てて、罵声を浴びせたといいます。映画にはこの幹部も登場。そこから垣間見えるのは、まさに人と人の心が時間をかけて通じ合うさまでした。

そしてこの映画では、4年間の中で上野さんの表情が変化していく様子も伺えます。悲しみが浮ぶ表情だけでなく、時には優しい笑顔も・・・笠井さんはその笑顔について、こんなことをおっしゃっていました。

◆「LIFE」に込めたもの
本当に私の個人的な感想なのですけど、途中の時期に、上野さんが本当に心から笑っているなと思った時期があったんですよ。それはこの映画の中にも出てくる菜の花の場面なんですけれども、本当に笑顔、心からの笑顔という感じだ!って、撮影しながらも思ったくらいで、だからそういう意味では、時間とともにいろんな気持ちが湧いてきたり、それが映像として記録に残り、この作品になったと思っています。タイトルをずっと悩んでいて、最終的に「ライフ」という言葉が浮かんだんですけど、迷っていた理由というのが、亡くなってしまった方々の命、上野さんお子さんやお父さんや、お母さんや、そういった方々が実際に生きてこの世にあった命と、あともう一つ、家族失いながらでもいつも前を向こうとしている、今を生きようとしている上野さんや奥さんや倖吏生ちゃん、そういうものを全てタイトルに込めたかったんですけど、どうしても説明っぽくなってしまって、ただ「ライフ」という言葉であれば、すべて込めることができるなと思って。この映画っていうのは東日本大震災の映画ではあるんですけれども、被災地の被災した人たちの話ということよりも、むしろいま自分たちが生きていることをもういっぺん改めて、「当たり前じゃないことを思いました」とか「自分の家族を大切にしようと思いました」とか、そういう家族や命、大切な人たちのことを思って見て頂けるような内容になっているかなと思うので、私のメッセージもまさにそういうことを伝えたいなと思って作った映画です。


©2017 Rain field Production


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【上映予定】
◆11/28(火)18:00? 京都・京都市(※学生限定・無料/立命館大学 朱雀キャンパス1階 多目的室)

◆12/9(土)13:30? 埼玉・さいたま市(入場料500円/さいたま市民会館うらわ 101集会室)

◆12/16(土)18:00? 神奈川・鎌倉市(入場料1000円/ソンべカフェ)

◆12/17(日)14:00? 愛知・弥富市(無料・要整理券/弥富市総合社会教育センター)

◆1/28(日)㈰14:00?/㈪18:00? 岐阜・下呂市(入場料・当日500円/下呂交流会館アクティブ マルチスタジオ)

◆2/17(土)14:00? 神奈川・逗子市(入場料・大人1000円、高校生以下 無料/逗子市文化プラザホール なぎさホール)

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2017年11月14日

11月14日 ドキュメンタリー映画『LIFE 生きてゆく』笠井千晶監督2

引き続き、ドキュメンタリー映画「LIFE 生きてゆく」監督で映像ディレクター、笠井千晶さんのインタビューです。


「LIFE 生きてゆく」は、南相馬市・萱浜地区で暮らす上野敬幸さんを、数年に渡り追いかけ、記録したドキュメンタリーです。津波で、ご両親と2人のお子さんを失い、今も捜索活動を続ける上野さんの日常を、2011年から見つめてきた笠井さんは、長編映画の制作に至った経緯をこう話します。

◆のちのちまで残るものにしないといけない、という想い
1時間55分の長編なんですけれども、その前に15分から30分の短編の映像を何度も作っていまして、作品というよりもチャリティーで上映会とトークのイベントを自分で企画して、少しでも東北のことを知りたい方がいたら足を運んでいただいて、今どうなっているかという話をする会をやり始めたんです。その時に短編の映像が必要だったので、その時々で作っていたんですけれども、だんだん上野さん達との距離が近くなって、倖吏生(さりい)ちゃんが生まれて、倖吏生ちゃんもいろんなお話をしてくれるようになったり、その中でとても短編だけではなくてきちんと世の中に出せる、のちのちまで残るものにしなければいけないと途中で思い始めて、その後この映画を作るために時間を取らなければいけなかったので、2015年に当時勤めていた名古屋のテレビ局を止めて、それ以降はこれに専念する形で昨年末に完成しました。


お話に出てきた上野家の次女・倖吏生ちゃんは、震災の半年後に生まれました。映画「LIFE 生きてゆく」では、さりいちゃんが、津波で失った2人のお子さん、長男・倖太郎くんの年齢に並び、長女・永吏可ちゃんと同じように七五三のお参りをする姿など、彼女が成長していく姿も伝えています。


震災半年後に生まれた次女・倖吏生(さりい)ちゃん 2015年5月  
©2017 Rain field Production

こうした、上野さん一家の日常や、時間の流れ。語られる言葉。それを映画にするという行為は、様々な覚悟や責任も伴うと思いますが、笠井さんはどう向き合ってきたのでしょうか。

◆上野さんの想いをそのまま伝える
私なんかの責任や覚悟なんて、上野さんや奥さんや倖吏生ちゃんが経験したことに比べれば、どうでもいいくらいのちっぽけなものだと思っていて、でも、私としても真剣な気持ちで元々向き合おうと思っていました。ただ、作り終わってできたものに対して、上野さんが違和感を持たない、ありのままだなと思ってくれるものでないといけない。それは実はそんなに簡単なことではないんですが、出てきてくれる方自身が思っているそのまんまきちんと伝わると言うことにはこだわりました。ただ、それは映画を作るとなって急に始めたことではなくて、今までの短編も含めて、スタンスとしてはずっと変わらないので、(上野さんに)信頼していただけているとしたら、それに背かないと言う事だけ考えてやりました。


あしたも、「LIFE 生きてゆく」監督 笠井千晶さんのお話です。

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【上映予定】
◆11/28(火)18:00? 京都・京都市(※学生限定・無料/立命館大学 朱雀キャンパス1階 多目的室)

◆12/9(土)13:30? 埼玉・さいたま市(入場料500円/さいたま市民会館うらわ 101集会室)

◆12/16(土)18:00? 神奈川・鎌倉市(入場料1000円/ソンべカフェ)

◆12/17(日)14:00? 愛知・弥富市(無料・要整理券/弥富市総合社会教育センター)

◆1/28(日)㈰14:00?/㈪18:00? 岐阜・下呂市(入場料・当日500円/下呂交流会館アクティブ マルチスタジオ)

◆2/17(土)14:00? 神奈川・逗子市(入場料・大人1000円、高校生以下 無料/逗子市文化プラザホール なぎさホール)

…以降、東京、群馬、他でも上映会企画中。

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2017年11月13日

11月13日 ドキュメンタリー映画『LIFE 生きてゆく』笠井千晶監督1

今週は、「LIFE 生きてゆく」という映画を制作した笠井千晶監督のインタビューです。

この映画は、南相馬市・萱浜(かいはま)地区で暮らす上野敬幸さんを数年に渡り追いかけ、記録したドキュメンタリーです。
 
上野さんは、2011年の津波でご両親と2人のお子さんを失い、お父様と、幼稚園入園直前だった長男・倖太郎(こうたろう)君はいまも行方がわかっていません。そして上野さんは、倖太郎くんはじめ、行方不明者の捜索をする「福興浜団」の団長として現在も活動を続けています。

まずは、笠井監督が、上野さんの存在を知ったきっかけから伺いました。

◆上野さんとの出会い
出会ったのは2011年の秋で、私はその時テレビの仕事をしていたんですけど、週末自分1人で自分の時間で、自分のカメラで、お会いする人に何かお話が聞けたらと。私には、映像で、ここのことを知ってもらうというくらいしか貢献できるところはないなと思っていたので。カメラを持って萱浜の海岸で撮影して終わってというところにちょうど上野さんが来て、「何やっているんだ」みたいな声を出されて軽トラで走り去ったんです。それを追いかけて、皆さんを撮影するとかって言うのではない、申し訳ありませんとお話したんですが、「どこのテレビなんだ、マスコミなんだろう、何しに来たんだ」と本当に激怒している顔で見られて、その時の目が本当に凄い怖くてこっちを睨んでいたんですが、でもすごい悲しい目をしていて。この人は多分言いたいことがものすごく本当はある人なんだなと言う一瞬ですけど思って、ちゃんと再会する機会があったらどういう想いを持っているのか、聞ける時があればいいかなと漠然と思ったんです。そして、それから年が明けてたまたま南相馬の別のシンポジウムがあって、そこで福興浜団がブースを出していたので訪ねていったら上野さんが出てきて、その時初めて自己紹介して、震災の日から何があったかを全部お話をしてくださって。私は言葉も発することができなくて。それで最後に、「また来る時があったら連絡してくれれば」という感じで私は立ち去ったんですけど、そこからまたさらに翌月ですかね、初めてこちらにお邪魔してちゃんと話を聞かせてもらったんです。でもそこに対してカメラを向けるとか、とてもそういう気持ちにはなれなかったんです。その日もこれで帰りますと、1時間くらいお話を聞いて帰りかけたんです。車で走って途中まで行ったんですけれども、ダメだと。このまま帰ったら今日せっかく話をしてくれたのに、それは私1人が聞いただけで何も意味がないじゃないかと。それで携帯で電話をかけて、もう一回今すぐ行くので、カメラの前で話をしてもらえませんかとお願いをきちんとして、そしたら「今帰ってくれば話をするよ」と言ってくださったんです。


こうして映像ディレクターの笠井さんは、2011年から、自宅のある東海地方と福島県を休日ごとに往復。上野さん、奥さん、震災後に生まれた次女倖吏生(さりい)ちゃん、福興浜団の活動を見つめ続けました。取材は手弁当。自公負担だったといいます。そして昨年、4年間 撮りだめた数百時間に及ぶ映像を編集し、クラウドファンディングで資金を集め映画を制作。各地での上映会も精力的に行っています。また、上野さんの取材は現在も継続しています。

★映画「LIFE 生きてゆく」Facebookページ

明日も笠井千晶さんのインタビューです。

2017年11月10日

11月10日 リボーンアート・フェスティバル 東京展

今朝はこの夏、宮城県石巻エリアで51日間にわたり開催された【リボーンアート・フェスティバル2017】の最新レポートです。

音楽プロデューサー 小林武史さんの呼びかけで行われた「リボーンアート・フェスティバル」。宮城県石巻市の中心市街地と牡鹿半島を舞台に、“アート、音楽、フードが楽しめる51日間”、行かれた方も多いのではないでしょうか?

その「リボーンアートフェスティバル」が今、東京にステージを移してアート作品の再展示が行われています。題して『リボーンアートフェスティバル 東京展 〜そこで何が起きていたのか?』

アート作品のキュレーターでもあり、東京展の会場にもなっているワタリウム美術館 和多利浩一さんと 和多利恵津子さんに伺いました。

◆いろんな形の「再生」を東京でも感じてほしい
浩一)今年の7月から9月10日まで石巻市内と牡鹿半島を使って40人弱ぐらいのアーティストが作品を作ったんですね。ただ、なかなか全てを観れたという人が本当に少ない。ですので東京の人たち、見損ねた人、見に行けなかった人、見た人ももうちょっと見たかった人というのも踏まえて、動かすことが可能なものを持ってきて東京展というのを今ワタリウム美術館で今年の暮れまでやっています。例えば、かなり津波の被害があった冷蔵倉庫があって、壁が全て崩壊しているので使えなくなってしまっているのを、地元の若い連中がそこをスケートボードの会場にして、そこをサイドコアというアーティスト達がスケートボードに絡んだストリートの作品を作った。再生=Reボーンですから、新しく生まれ変わった場所も今回持ってきたりしています。
恵津子)カールステン・ニコライというドイツの作家は、彼は普段ものすごいグラフィックなデザインの強いものを作ってたんですけど、石巻ではレーザー光線でピュンと空に一本だけ放つ「それは自分の大事な人と交流するための糸だ」と、一度も作ったことがないような作品を作った。この場でしかできないものを出したかなという感じがしますね。
浩一)ですからいろんな形の再生というのを試みたつもりですので、街中と牡鹿半島というもともと人口が多くなかった場所にアート作品をおいて、多くの方達に見に来ていただいて、レストランを開いたり、鹿の解体場を創ったり、キャンプ場ができたりという形で場所を人と共に再生していく、生まれ変われるような形で続けていくのがリボーンアートです。


そしてリボーンアートフェスティバル 東京展では、二人の料理人もやってきます!

◆あの「四季彩食いまむら」が東京へ!
リボーンアートフェスティバルというのは大きく分けると、音楽とアートとフードと3つに分かれていて、せっかく東京でやるなら石巻のフードも体験してもらいたいなと思って、11月19、20、21日の3日間で石巻の今村さんがワタリウムの中に特別レストランを開きます。地元の食材とか、パフォーマンス仕立てでディナーショーみたいな感じになると思う。あとはリボーンのフードディレクターでもある目黒さんが12月1、2日。食と目と両方楽しめる日もありますので是非ご参加いただければと思います。


島袋道浩 起こす, 2017
青木陵子+伊藤存 浜と手と脳, 2017
金氏徹平 "White Discharge #1, #2" , 2017
SIDE CORE+EVERYDAY HOLIDAY SQUAD rode work, 2017 rode work, 2017
撮影:後藤秀二

「リボーンアート・フェスティバル 東京展 そこで何が起きていたのか?」
2017年10月20日(金)-12月10日(日)@ワタリウム美術館

〇Reborn Art Festival2017から2つのフード・イベントが開催されます!
石巻の人気日本料理店「四季彩食いまむら」
11/19(日),20(月),21(火)

〇リボーンアートフェスティバルのフードディレクター
目黒浩敬氏の2日だけのレストラン
12/1(金),2(土)

また現地では、閉幕後も地元のお母さんによる食堂と、宿泊施設は引き続き利用できるそうです。詳しくはコチラ

2017年11月9日

11月9日 フィッシャーマンジャパン直営「魚谷屋」(2)

今朝は昨日に続き、東北の漁師集団「フィッシャーマンジャパン」が東京・中野に出店した漁師酒場「魚谷屋」のレポートです。

震災後、それぞれ一匹狼でやってきた東北の若い漁師がタッグを組んで、東北から全国へ、そして世界に向け未来の水産業の形を提案していくチームを結成。そんな「フィッシャーマンジャパン」が手掛ける漁師酒場「魚谷屋」。東日本大震災当時、神戸からボランティアで石巻を訪れた魚谷浩さんが、石巻や三陸の漁師たちと出会い、この宝物のような人たちと最高の食材をもっと全国に発信したい!という思いから去年の6月に開いたお店です。

◆食だけでなくストーリーを楽しんでほしい
(オープンから約1年半、お馴染みさんもかなり増えたと思いますけどいかが?)そうですね、宮城の旬を伝えるということをコンセプトにしてるんですが、その旬をお客様が待っていらっしゃる、というのが感じられていて、ある素材の時には、週に2〜3回来るお客さんもいらっしゃいます。なんか悔しいんですけど、お店のファンというよりは素材のファンの方がたくさんいらっしゃる・・・あれが食べたい!食べれるからって。そのかわり我々も間違ったものは出せないですし、僕の仲間の漁師が作ったものはやはり東京で一番美味しく出したいというのが目標なんで、それが今年は、1年半かけて伝えられてきたかなという手ごたえを感じています。(その魚谷さんが魅了された三陸、東洋一といわれる豊かな漁場ですよね。これからどんなものが美味しいんでしょう?)四季を通じてとくに石巻は魚種が豊富ですからいろんなお魚が食べられるんです。それが一つの魅力なんですけど、これからの時期いちばん皆さんにお召し上がりいただきたいのはやっぱり三陸の牡蠣なんですね。僕は日本一の牡蠣じゃないかなと思っています。(これから寒くなる時期おいしいですよね〜最後にメッセージを)やっぱりだんだん復興に向かっていくにつれて外から来る人たちもだんだんと減ってくる中で、もう一度、行きたいと思ってもらうには、新たな観光産業を生まないといけないなというところで、いちばん必要なのは“胃袋をつかむこと”だと思うんです。その胃袋を魚谷屋として東京で8割つかんで、あと2割で100%は、宮城で完成してもらいたいっていうストーリーに辿り着いたんです。我々魚谷屋のスタッフは日々日々メニューを変えながらやっているので、その時、四季折々の味わいたいお客さまにぜひ集まって頂きたい。且つ漁師さんたちとつながる場所も月に一度以上設けているので、ただ「食」だけを楽しむんじゃなくて、ストーリーを楽しんで頂ければいいかなと思っています。


「フィッシャーマンジャパン」の凄腕漁師たちが獲った新鮮な魚介類が、毎日直送で届く!しかもこの店お値段もリーズナブルです!
この店で宮城、三陸の海の幸の美味しさを知ってもらって、現地を訪ねる人を増やしたい・・・そんな思いをもって最高の料理を提供している漁師酒場「魚谷屋」。ぜひ足を運んでみてください。

魚谷屋さんのサイトはコチラから

2017年11月8日

11月8日 フィッシャーマンジャパン直営「魚谷屋」(1)

今朝は、東北の漁師集団「フィッシャーマンジャパン」が東京に出店した漁師酒場「魚谷屋(うおたにや)」のレポートです。

「フィッシャーマンジャパン」は震災後、それぞれ一匹狼でやってきた東北の若い漁師がタッグを組んで、地域や業種の枠を超え、東北から日本全土へ、そして世界に向け未来の水産業の形を提案していくチームを結成。いろんなイベントを開いたり、漁師たちの写真を使ったカレンダーを作ったり、とにかくこれまでの漁師のイメージとは違ったいろんな仕掛けをしているチームです。そのフィッシャーマンジャパンが手掛けたお店が、東京・中野にある「魚谷屋」。去年の6月にオープンしています。

お店のコンセプトや出店の経緯について、店主の魚谷浩さんに伺いました。聞き手は、明日の高橋さんのピンチヒッター、加納有沙さんです。

◆ボランティアがきっかけに
まず一つは、宮城県という県のPRになるように。とくに私が関わりの深かった石巻沿岸部の生産者、かっこいい男たち、と求めるファンをつなぐ役目をしたいなということをきっかけに始めた居酒屋です。(食材だけじゃなくて漁師さんごと好きになるという感じですね)まさにそこを目指してるんですよ。なのでもう一つこだわりとして、月に一回必ず宮城から生産者を招いて、直接お客様のテーブルに自分が育てたり採ったものを運んで頂く、そうすると、“この食材ってこんなに美味しかったんだ”とか、今まで気づかなかったところが一人漁師さんがいることでかなり意識してみるようになったりとか思って頂けるような流れを作りたいんです。(魚谷さんはいろんな漁師さんたちと会われてきたと思いますけど、魚谷さん自身は東北の生まれではないんですよね)私は東北の生まれでもなければ漁師でもない。なのに漁師酒場を謳わせて頂いているんですけど、もともと僕の生まれは兵庫県神戸市。料理を覚えたのも西日本なんですよ。きっかけは2011年の東日本大震災によって災害支援のボランティアに関わったことがきっかけだったんです。僕は2011年に飲食業として独立をしようと思っていたので、自分を育てて頂いた会社を辞めて独立に向けて動くところだったんです。それがこういったことがあって、なにか自分に出来ることが無いかなと。二十数年前に僕も阪神大震災で被災した経験があって、やっぱりその時にいろんな方に助けて頂いたし、何か僕なりにも出来ることがないかなと。たまたま宮城県の石巻市にボランティアセンターがあって、一般のボランティアとしてまずは瓦礫出しとか泥かきの作業をしながらやるうちに、だんだんと感情が入ってしまったんですね。当初は2週間でボランティア活動を終えて次は独立に向けて動こうと思っていたのが、結果、1年半くらい経って、だんだんとそういう活動も縮小していった中で、今度は自分が一個人として出来ることは何かと考えた時に「食」だなということにもう一回呼び戻されて、2012年の冬に地域活動に切り替えて、石巻の町なかで「おでん」の屋台をやったんですよ。もう一度そこに灯りを点すのと、人が集まる場所をつくるということが僕には課せられたような気がしていて、まだ通常のお店も開いてないなかで期間限定で空き地を借りて、キッチンカーでのおでん販売をやったんですよ。


魚谷さんは、空き地でのおでん屋さんのあとも石巻で漁師さんをはじめいろんな人と関わり続け、この地域の素晴らしい食材をもっと広めるために、と東京で店を開くことを決意。仲間である「フィッシャーマンジャパン」のバックアップを受けて「魚谷屋」を開きました。
明日も「魚谷屋」店主、魚谷浩さんのインタビュー。いま食べるべき旬の食材なども伺います!

魚谷屋さんのサイトはコチラから

2017年11月6日

11月6日 秋保ワイナリー


今朝は、仙台市秋保町に震災後誕生した「秋保ワイナリー」の最新レポートです。お休み中の高橋さんに代わって、和田奈美佳さんとお伝えします。

東日本大震災で被災した岩手県、宮城県、福島県でワイン造りが活発化しています。その中でもいち早く「ワインを通して地元食材の魅力を伝え、復興の後押しをしたい。」とワイン造りに乗り出したのが、2015年にオープンした 「秋保ワイナリー」です。オーナーの毛利親房さんは、ぶどう栽培に適した気候・風土を求めて谷と川に囲まれた「秋保温泉郷」をワイナリーの地に選びました。

この時季、震災後に植えたブドウが実り、収穫の季節を迎えています。
レポートは高橋万里恵さんです。

◆新酒のデラウェア
新酒で、山形のデラウェアという品種なんです。同じブロウの果汁から作った白ワインと、少し紫色の皮ごと発酵させた「醸し」っていうんですけど旨みや違う香りの成分が入ったロゼみたいなもの。(いただきます!白ワイン…スッキリしてて美味し〜い!ではこっちのデラウェアの皮ごとの方…ん!全然違う!こっちの方が渋いというか。)皮の渋みが出ます。どっちの方が好きですか?(私白の方が好き。飲みやすい!すごい美味し〜い!!)


魚介類との相性抜群のデラウェア、1つのブドウから、白と醸しができます。

そしてこの秋保ワイナリーから嬉しい報告もありました!
シードルが国際コンクールで賞を授賞したんです!

◆シードルが国際コンクールで銀賞、銅賞を授賞!
日本で初めてシードルの国際コンクールが開催されて、宮城県の林檎100%で作っているうちのシードルが、甘口が銀賞、辛口が銅賞を頂いたんですね。甘口は宮城県のふじりんご100%で、基本的には生産者が個人のお客様を持っているので完熟するまで樹に付けているんです。その一番美味しい状態の林檎を使わせてもらっているので、今年やっと3回目の醸造で我々の腕でというより原料が良くて賞が取れたのかなと。辛口は宮城県が開発したサワ―ルージュと、ジョナゴールドと、ふじリンゴの3つをブレンドした。サワールージュの酸味が辛口の味をキュッとしめてくれるので魚介類とかにすごく合いますし、それが銅賞を頂いたので都内のホテルでもそれを使ったコース料理を考えると言って注文を頂いたり、宮城県の食材とのマリアージュでコース料理を作ると言ってくださっているので私たちもそれは嬉しいですね。(以前ワインで町おこしをしたいというお話をされていましたが、まさにそういうふうになってきましたね)そうですね。
(新しいプロジェクトもスタートしたとか?)宮城県でワイナリーを立ち上げたいという方々が少しずつ増えてきていまして、栽培と醸造とワイナリー設立のための二か年のプロジェクトで「宮城ワインアカデミー」という研修をしています。僕らが2015年で第一号のワイナリーとしてオープンして、それから宮城県の一番南の沿岸部、山元町で去年。今年は内陸の大和町というところでできます。そして2020年に南三陸町でワイナリーが出来る予定なんです。(沿岸部にもワインが飲めるワイナリーが出来ると、以前もおっしゃっていたワインツーリズム=巡っていく新しい観光の形ができますね)それは是非やろう!というのはみんなとも話し合っていて、半分ちょっとした夢みたいなんですけど、それぞれのワイナリーに必ずツリーハウスを作りたいね、って。それをワインツーリズムの1つの楽しみにして、そのツリーハウスで飲むとか、地元の地元の旬の食材と一緒にお酒を楽しむそんなツーリズムにしたいなと思っています。



★秋保ワイナリーのワインを楽しみたい方、11月18日(土)に横浜で行われるワインの『LIFE is WINE』 というイベントに出店します!
(新酒ワイン、BBQ、お料理込 7,500円)

南三陸、戸倉っこ牡蠣も出るらしい!南三陸の牡蠣と秋保ワインのマリアージュが試せるチャンスです!ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

秋保ワイナリー Facebook
LIFE with WINE #11 新酒だヨ!全員集合

2017年11月3日

11月3日 ふくしまキッズフェスタ2017(3)

福島県「いわき海浜自然の家」で開催された「ふくしまキッズフェスタ2017 in いわき」でのステージイベント、元・サッカー日本女子代表の丸山桂里奈さん、「Jヴィレッジ」の専務・小野俊介さんをゲストに迎えたトークショーの模様をお届けします。

福島県楢葉町と広野町にまたがる広大なナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。男女のサッカー日本代表の練習の場でもあって、名だたる名選手がここで練習を積み世界との戦いに旅立って行きました。しかし震災後に施設は閉鎖。長く、原発事故収束のための中継基地として使われていました。そんなサッカーの聖地が来年夏に再開することが決まり、2020年東京オリンピックのサッカー日本代表チームがここで練習を行うことにもなっています。

その「Jヴィレッジ」がホームのチーム、「マリーゼ」でプロとしてのスタートを切った丸山さん。当時「マリーゼ」のGMを務めていた小野さんにとってこの「Jヴィレッジ再開」のニュースは、なにより嬉しいものだったといいます。

◆Jヴィレッジ再開へ向けて
丸)代表はJヴィレッジ。私ほとんど代表合宿はJヴィレッジだったので、やっぱりJヴィレッジからみんなが世界に出ていくっていうのが良いのかなって思いますよね。
小)そうですね、今の男女の代表選手、みんなJヴィレッジに対してすごく親しみを持って頂いている。本当はあそこで走らされて辛くて辛くてって多いと思いますけど・・・(笑)ただそういった方もみんな応援してくださってますので、これからJヴィレッジに足を運んで頂いてまたあのにぎわいを取り戻すお手伝いをして頂きたいなと思っています。
中)そしてマリーゼ。復活の可能性は・・・
小)残念ながらいま、相双地区のサッカーチームというのはゼロです。男女合わせて。その状況の中でいつの日にかこの浜通りで、男女問わず日本のトップを目指せるような、そういったクラブを何とか立ち上げてもう一度元気な浜通りを取り戻したいです。
中)その時は丸山さん戻ってこないといけないんじゃないですか?小野さんそういう可能性は?
小)そうですね、桂里奈の場合は出来ればプレーヤーでずっとやって欲しかったんですけど、おそらく指導者になるということはちょっと色合いが違うな・・・(笑)
中)いやいやでも世界のトップで、W杯にもオリンピックにも出て、W杯でゴールも決めて優勝してるメンバーなので、かけがえのない経験、これは誰も持ってない・・・
小)そうですね、この浜通りで育った選手、じつはJFAアカデミーなんかも出来まして、ここからも東京オリンピックには何人かの選手が出ることになる、そういった意味では先陣を切ったいちばんの実績を残した選手でもあるので、指導者ではなくて、アンバサダー・・・
中)アンバサダーには向いてますよね、グラビアに出るくらいですから(笑)
丸)よろしくお願いします、その時には。
小)クラブ全体をうまく引っ張っていくので、その時、桂里奈にも手伝ってもらって。中西さん、桂里奈、ぜひJヴィレッジ、そして浜通りにサッカー文化を作ること、我々一生懸命やっていきますので是非お手伝い頂ければなと思います。

丸)私はやっぱり福島で5年間、プレーも生活もしていて、私、東京で生まれて東京で育ったので、田舎っていうか故郷が無いじゃないですか。だから本当に第二の故郷っていう感じで思ってますし、福島でサッカーを通じて盛り上げていけたらなって思いますし、Jヴィレッジでイベントとか、サッカー教室とかそういうお手伝いが出来たらと思ってますので、これからも引き続きよろしくお願いします。
小)Jヴィレッジ、来年の夏、再開します。その時には、緑の芝生がほとんど戻った状態で営業することが出来ますので、ぜひ一度、Jヴィレッジの緑の芝生を踏みしめて頂きたい。また以前、西というシェフがいまして、西も腕をふるって待ってますので・・・
中)じゃあ日本代表帯同のシェフの!
小)そうですね、ぜひレストランの方では美味しい食事を召し上がって頂きたいと思います。またJヴィレッジをよろしくお願いします。


元・サッカー日本女子代表の丸山桂里奈さん、そして「Jヴィレッジ」の専務・小野俊介さんのコメントでした。

Jヴィレッジは来年夏に一部再開、2019年には全面再開の予定。サッカーだけでなくスポーツ全般のトレーニング施設が整備され、宿泊棟やフィットネスクラブなどもある。そして日本代表専属シェフ・西芳照さんが腕をふるうレストランも再開します。


2017年11月2日

11月2日 ふくしまキッズフェスタ2017(2)


今日も引き続き、福島県いわき市「いわき海浜自然の家」で開催された「ふくしまキッズフェスタ2017 in いわき」でのステージイベント、元・サッカー日本女子代表の丸山桂里奈さん、来年ナショナルトレーニングセンターとして再開する「Jヴィレッジ」の専務、小野俊介さんを迎えたトークショーの模様をお届けします。

昨日はおもに、今だ帰還困難区域の大熊町に家があって、しかもJヴィレッジがホームだったチーム「マリーゼ」出身の丸山桂里奈さんが抱く福島への思いの部分をお届けした。

一方、「Jヴィレッジ」の小野俊介さん。来年夏に「Jヴィレッジ」が6年ぶりに再開するということでいま多忙な毎日を過ごしていらっしゃいますが、丸山さんも所属した「マリーゼ」の元GMでもありました。つまり丸山さんとは選手とGMという関係。今日はそんな小野さんと福島のかかわりの部分から、お届けします。

◆いよいよ来年夏に一部、2019年には全面的に再開!
小)私が福島とご縁が出来たのは2005年にマリーゼというチームが出来てから。それから震災があって、国から日本サッカー協会、それから「Jヴィレッジ」にも“施設を基地として使わせて頂きたい”という要望があって、それから多くの自衛隊の方とか消防の方とか、それから多くの作業員の方に作業にあたって頂く前線基地として機能してきましたので、ある意味あれだけの大きなスペースがあってよかったというのがあります。あそこにもしあれが無かったら、Jヴィレッジが無かったら、収束の時間はもっともっとかかったのではないかと思います。
中)ただその風景を見るとやはり・・・
丸)いやもうどうにもならない感情が湧いてきますよね・・・
小)そうですね、今ちょうど目の前に緑の芝生があって、芝生って本当に人の気持ちを豊かにする、ホッとさせてくれるものがある。これが砂利になったりアスファルトになったり土のグラウンドだとなかなか“座ろう”っていう気持ちにはならないし、見てる方の気持ちも開かれないと思うんです。そういった意味では、あれを見た時、あの色合いというのは忘れることが出来ません。
中)ただ、廃炉まで40年と言われる中、いよいよ来年夏に一部、2019年には全面的に再開と・・・
小)おかげさまで来年の夏に一部営業を再開することが決まってますし、それに向けていま、ホテル棟ですとか、建屋の回復工事はいま進んでいます。グラウンドの方は、以前12.5面ほどあったんですが、今度新しく作るのに際して11.5面、1面経るんですけど、そのうちの5面は天然芝の芝張りがもう終わりました。緑一面広がって、だんだん、“これ復興できるんだな”っていう、そんな力をもらっているような状況ですね。
中)やっぱり丸山さん、我々いつも芝生の上でプレイしてますけど、芝生の上を流れてきている風の匂いって本当にいい香りしますよね。
丸)いいですよね。だからJヴィレッジが新しく出来て、そこにみんな帰ってくる・・・じゃないけど、そういうのが早く来て欲しいですよね。
中)若い方が町に戻って来る、そういうきっかけになって欲しいという思いは?
小)そうですね、やはり今、明るい話題ってなかなかないじゃないですか。そんな中でJヴィレッジが昔のように復活して、日本の代表チームだとか、或いは全日本少年サッカー大会だとか、明るい声であそこでサッカーやってると、そういう復活を果たした時にはたぶんまだ戻ってらっしゃらない町の方もですね、“おっ、楢葉、広野、元気になったね、そろそろ戻るか”っていう形にもなって頂けるんじゃないか、そういう、Jヴィレッジが旗頭になって、皆さんに戻って頂く契機、を作っていきたいと思っています。


『LOVE & HOPE』、明日もこのトークショーの模様、お届けします。

2017年11月1日

11月1日 ふくしまキッズフェスタ2017(1)

今朝は、先週土曜日にいわき市で開催されました、10月28日、29日に福島県いわき市の「いわき海浜自然の家」で開催された「ふくしまキッズフェスタ2017 in いわき」のプログラムの一つ、元・サッカー日本女子代表の丸山桂里奈さん、来年ナショナルトレーニングセンターとして再開する「Jヴィレッジ」の専務、小野俊介さんをゲストに迎えたトークショーの模様をお届けしました。

太平洋を見下ろす「いわき海浜自然の家」を会場に、丸山さんも一緒にまず運動場で子供たちとサッカーボールを使った運動を少しました。

そして特設ステージに場所を移してトークショーを行いました。丸山桂里奈さん、サッカー選手としてのキャリアは、福島県楢葉町と広野町にまたがる「Jヴィレッジ」がホームグラウンドだった「東京電力女子サッカー部マリーゼ」から始まっています。まずはそんな丸山さんと福島のつながりの部分からスタートしました。

◆「東北の方のためにゴールを決めました」あの言葉の背景には
丸)私は大学卒業してマリーゼに入ったんですけど、ひとり暮らしとか寮に入るとか親元を離れるのも初めてだったので町の方にすごく支えられて、食堂とかすごい行ってたんで、そういう美味しいご飯を食べてサッカーしてって感じでほんとに“私を作ってくれた町”かなって思ってますね。
中)で丸山選手が福島の方々に認識された、より深く理解されたのが2011年のドイツW杯。中でも決勝ゴールを決めたドイツ戦。「東北の方のためにゴールを決めました」とコメントした・・・
丸)そうですね、私も福島に居たので、福島に居る方たちに元気を与えられたりというのをずっと考えていましたし、選手も監督も東北の出身の方が居たので、そういう話は常にしていたのでそういう思いがこもったゴールになったんじゃないかなって思います。
中)じっさい決めた瞬間、頭の中はどうだったんですか?
丸)決めた時「光」が見えたんですよ(笑)。嘘だろ〜とか言われるんですけど、蹴る瞬間、澤さんからボールが来て、走って行ってボールを見た時「光」が見えたんです、蹴ったところに。
中)左隅ですか?
丸)そうです。それでそのままの想像で蹴ったら入ったという・・・
中)じゃその「光」は誰かの導きだったんですかね。
丸)目に見えないものがゴールに、吸い込まれたじゃないですけど、そういう気持ちが乗ったのかなと。
小)その直前に起こった福島の原発事故、大震災の影響があってですね、選手たちにもすごく“やらなきゃいけない”というモチベーションが高まったんだと思います。そういったものが一つになって、本当にいい結果を残してくれた、日本中に希望を与えるような結果を残してくれたなと大変うれしく思ったのは間違いなかったです。
中)丸山さんは帰って来てからこちら福島には来たんですか?
丸)来ました。私、大熊町にお家があるんですよ。なので一時帰宅を4回くらいしました。
中)一時帰宅、大熊町はまだ・・・
丸)そうですね、まだ戻ることは出来ない・・・
中)当時の一緒に働いていた方には顔合せたんですか?
丸)はい。大熊町に一時帰宅してその帰りに「Jヴィレッジ」によって、働いてる方とか多かったので、みんなと連絡をとって会うという形で。


そして震災後、Jヴィレッジは福島第一原発の廃炉に向けた基地となるため閉鎖されることとなります。Jヴィレッジの職員だった小野さんが目にした光景とは。明日もトークショーの続きをお届けします。

パーソナリティ 鈴村健一

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