2018年2月16日

2月16日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」3

東京・東中野の映画館などで まもなく公開がはじまる、映画『願いと揺らぎ』の我妻和樹監督のインタビューです。

宮城県南三陸町、戸倉半島の北側にある小さな漁村「波伝谷(はでんや)」に2005年から通い続け、撮影を続けてきた我妻監督。映画『願いと揺らぎ』は、東日本大震災から1年後の2012年を中心に、被災後の住民の方々の不安や葛藤、リアルな心境も丁寧に伝えています。完成した映画、当事者である波伝谷の方々はどんな風に見たのでしょうか。

◆波伝谷の人たちに見せるのは怖かった
これは結構、波伝谷で上映するのが怖かったんですよね。結構デリケートな人間関係を描いていて、ただでさえ震災が起きた地域の人間関係のデリケートさがあるなかこの映画を上映することによって、地元の人に見せることによって悪影響与えたらどうしようという不安があったんです。ただ実際に見てもらったら、思っていた以上に皆さん、前の作品よりも良かったと受け取ってくださって、それは何故かと言うと、自分で言うのもなんですが波伝谷の人たちが抱えていたいろんなものと言うものを、それなりにちゃんとよかったことも大変だったことも含めてかけているからなのかなと言う気がするんですね。ちゃんと掘り下げられているというか。でも震災後っていろんなことがありすぎて、被災された方々も覚えていないことがたくさんあるんですよね。いろんなことが過ぎ去ってしまっていて。その中で改めて、当時の自分たちのことを振り返るとと言う意味では、皆さんには残してもらえて良かったと言う事は言われましたね。


ちなみに、我妻監督によれば、「これまで波伝谷のみなさんは僕のことを"あがつまくん"と呼んでいたがこの映画をさかいに、"監督"と呼ぶようになった」なんてことも話していました。一人前の映画監督として、町の人が尊敬の気持ちを込めた・・・ということかも!最後に、南三陸町 波伝谷の「いま」を教えていただきました。

◆高台移転後の波伝谷
2つの高台に団地を作って、そこに一軒一軒家を作り、個人の土地で家を作った人もいるんですけれども、今現在は37〜38軒くらいです。もともとは80軒弱だったのでちょうど半分以下くらいという感じですね。波伝谷の獅子舞の行事もそうなんですけれども、行事の時にちゃんと若い人や子どもたちが手伝うために帰ってくるんですよね。その中でお酒を飲みながら世代間の交流があって、震災前から見てきた"波伝谷らしさ"と言ったらすごく漠然としているんですけれども、ならではの地域のつながりが震災があってもちゃんと継承されている印象を受けますね。ただやっぱり高台に建った家ってみんな新しい家じゃないですか。今までの家と違ってインターホンがそれぞれ付いていて、扉で外と家の中が仕切られちゃっている感じがして、そういう意味ではだんだん、波伝谷も都会化してきていると言う話を地元の人たちからも聞いたりして、そこは大丈夫なのかなと心配するところもあります。



映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

2018年2月15日

2月15日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」2

引き続き、東京・東中野の映画館などでまもなく公開がはじまる、映画『願いと揺らぎ』の我妻和樹監督のインタビューです。

宮城県南三陸町、戸倉(とくら)半島の北側にある小さな漁村「波伝谷(はでんや)」で行われる獅子舞。地域の人々の心をつなげてきたこの伝統文化に関心を持ち、我妻監督は震災前から、波伝谷の人々にカメラを向けてきました。そして、東日本大震災から1年後の2012年を中心に、被災後の集落の人々の姿を切りとった映画が「願いと揺らぎ」です。このタイトルには、こんな想いが込められています。

◆「願いと揺らぎ」
タイトル「願いと揺らぎ」、被災して震災前の暮らしと何もかも状況が変わってしまった中で、震災から1年後というのはある程度落ち着きを取り戻してきた時期というか全然先行きは見えないんですけれども、震災前の自分たちの本来の生活に思いを馳せるようになっていた時期だと思うんですね。その中で地域の、全戸全世帯が関わる象徴的な1番大切にされてきた獅子舞を復活させようということで、本来の自分たちの姿を取り戻そうと。震災で人間関係もいろんな歪みがあって、住んでいるところもバラバラになっちゃって、実際には思うように進まない中での心の揺れ動きやすれ違いを描いているんですね。じゃあ誰がそれを引っ張っていくのが、高台にまとまって家を建てて、元々あった自治組織も震災の後に立ち行かなくなっちゃっているわけですよね。だからみんな考えていることは同じはずなのに、1つの結果に向かっていかないというか。あの当時、被災地のいろんなところで地域で大切にしてきた伝統行事が復活したと言うニュースが流れたと思うんですけれども、それって復興を加速させる素晴らしいニュースとして取り上げられたと思うんですけれども、その裏には地元の人たちのいろいろな苦悩や葛藤があったと思うんです。大切なものだけにみんなそれぞれいろんな思いを持っているわけじゃないですか。思いがあるからこそ一筋縄ではいかない。最終的には(獅子舞は)復活するんですけれども。「願いと揺らぎ」はラストが現代なんです。高台に家が立って自分たちが歩んできた道を振り返る形なんですけれども、当時は納得いかなかったことや押し込めてしまった思いが現在になって整理できてくるというか、要はそれがよかったのかよくなかったのかという事は、その時点では誰も決められないことで、長い時間が経ってようやくあの時のことを振り返ることができて、その時に初めて意味がつけられると思うんですね。願いと揺らぎはそういう映画です。



この映画では、震災でバラバラになった地域を一つにするため「獅子舞」を復活させようとするのですが、周りからの支援を受けず、自分たちの力でやり遂げたいという若者がいたり、様々な思惑で、人々がうまくまとまらない様子が出てきます。我妻監督が言うように、震災後の東北では、同じような混乱・戸惑い・・・「揺らぎ」があったのかもしれない。そう気づかされる映画となっています。

映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

あしたも、我妻監督のインタビュー、お届けします。

2018年2月14日

2月14日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」1

今朝は、まもなく、東京・東中野の映画館などで公開がはじまる、一本の映画についてお伝えします。映画のタイトルは、『願いと揺らぎ』。
宮城県南三陸町戸倉半島の北側にある小さな集落「波伝谷(はでんや)」を舞台にしたドキュメンタリーです。

この映画を撮影したのは、我妻和樹監督(32)。漁業や、古くからの伝統・文化とともに生きる、波伝谷の人々に関心を持ち、震災前からカメラを向けてきた方です。我妻監督ご自身は、宮城県でも内陸部にある、白石市出身。距離も離れた、沿岸部の波伝谷と関わることになったきっかけを伺いました。

◆小さな漁村の「営み」を知りたかった
波伝谷との出会い自体はたまたま、学生の時に大学のフィールドワークで地域の暮らしをまとめて本にするというプロジェクトに参加したのが2005年の3月12日の事なんですね。震災の6年前です。そこで今回の「願いと揺らぎ」という映画のモチーフにもなっているお獅子さま、南三陸町の無形民俗文化財に文化財に登録されている春祈祷という行事なんですけれども、獅子舞が地域の全戸を回って悪魔払い、いわゆる厄を払う行事なんですが、初めて波伝谷に行った時にその行事を目の当たりにしてすごく衝撃を受けまして、それから先、学生として3年間フィールドワークで入り続けて、大学を卒業してからまた3年間、今度は個人でドキュメンタリー映画の撮影を始めて、震災を経て、震災後も撮影を続けてずっと関わり続けて今に至るという流れです。


ということで、大学時代に民俗学を学んでいた我妻監督は、波伝谷の「お獅子さま(おすすさま)」・・・いわゆる獅子舞の文化と、その背景にある集落の営みを撮影。東日本大震災の「前の波伝谷」を記録した映画を2015年に発表しています。

そして今度は、震災後も波伝谷に通い撮り続けた映像を中心に、被災地に生きる人々の姿を伝えようとしています。それが映画 「願いと揺らぎ」です。

◆震災前を記録したからこそ伝わること
今回の作品に関しては、メインで使っているのは2012年時点の映像なんですね。僕が波伝谷との出会いになった獅子舞の行事を復活させようということで、動き出すんですけれども、全然足並みが揃わない。いろんな課題に直面してみんな価値観や考えがバラバラで、願いは同じなんですけれどもうまくいかない、すれ違いを描いているんです。そこに震災前の2005年から撮影してきた映像を織り込みつつ、ラストは2016年の12月なんですけれども、ラストで当時の自分たちの混乱や葛藤を高台に家を建ててようやく改めて振り返ることができるようになったタイミングで、振り返ると言う形になっています。12年という時間をそこに凝縮させているという感じになります。震災前からずっと1つの地域の営みを追いかけているわけで、震災に関するドキュメンタリーは「震災後」に作られたものがほとんどです。震災前から撮影していた僕の映画の1つの大きな特徴だと思うのは、もともとそこに生きている人たちの営みに目を向けているというところから、始まっていること。
だからこそ震災が1つの土地の歴史の中でどんな意味を持っていたのかという意味でとらえることができると思うんですね。


映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

中西 (※一言)
あしたも、我妻監督のインタビュー、お届けします。以上、LOVE&HOPEでした。


確定6:  :  

2018年2月13日

2月13日 アップデイトふくしま(2)

今朝も引き続き、先日10日土曜日に東京・青山の国連大学で行われましたパネルディスカッション「アップデイトふくしま」の模様をお届けします。

「知って応援。伝えて応援。」をキャッチフレーズに開催されたこの「アップデイトふくしま」、これまで『LOVE & HOPE』でもお話しを伺ってきました福島県民の被ばくの分析や発信をしてきた東京大学名誉教授、早野龍五さん、福島に通って医療活動を続ける医師の越智小枝さん、海外の学生を招いて福島を視察してもらう活動を続けている福島大学のウィリアム・マクマイケルさん、そして「はじめての福島学」を執筆するなど福島の現状発信に尽力してきた立命館大学の開沼博さん、この4人が立ち上げたアップデイトふくしま実行委員会によるパネルディスカッションです。

この4名をはじめ、行政や教育現場の方、生産者などさまざまな立場の方が参加して討論や発表が行われましたが、ステージには3人の学生も登壇しました。福島高校の沖野峻也くん、荒帆乃夏さん、ふたば未来学園高校の遠藤瞭くん。3人は去年秋、早野さんと共にアメリカ、バークレーで実施されたトークセッションに参加、それぞれの被災体験や現在の取り組みを英語で発表しました。そしてこの日は、改めてそれぞれの取り組みや思いを発表してくれました。

沖)これはDシャトルという機械なんですけど「個人線量計」と言ってポケットとかに入れて持ち歩くと1時間ごとにどれだけ被爆したかっていうことを測ってくれる機械で、これと生活記録表、いつどこに居たかを記録するんですけど、それとこのデータを照らし合わすことによってどこでどんな線量を受けたのかというのを解析することが出来ます。
早)福島高校で書いた論文、これですか?
沖)いちばん右側がヨーロッパ、真ん中が福島県内、左側が福島県外の放射線量で、これで測った2週間分のデータを一年浴びたらどうなるか換算して表したものなんですが、ご覧の通り、じつはほとんど同じ値で変わっていないということが分かったんです。
早)そういう一年分の線量ということで論文になりましたということですね。その後も福島高校では様々な取り組みをしていると聞いています。じゃ荒さん・・・
荒)こちらは私が海外に向けてプレゼンテーションを行うにあたりインタビューをした、福島で実際に活躍している農家の方なんですけど、サイトウノボルさん、キクチショウヘイさん、サイトウさんはスタディーファームというイベントを行なっていて、農業体験をするとともに、実際に採った食べ物の放射能を測定するというイベントであったり、キクチさんは卵のブランド化を行なっています。そのほかにも努力をされてる方はいるのですが、共通して言えることは震災によって崩壊してしまった販路を、自分たちの力で取り戻したということです。生産者と消費者が直接つながることで信頼を生み出し、その食べ物に対しての安全性、信頼感を高めているということが言えます。ただ震災前の福島に戻すのではなく、震災前よりより素敵な福島に戻そうと努力しています。
早)どうもありがとう。さ、次は遠藤くん。
遠)いま右上の方に丸がついていて放射線の膜がある町、これが私の生まれた大熊町です。で、故郷の復興をどうしていくべきか?と考えた時に、廃炉を進めることが復興にいちばん直結するというか直接的な手段であると考えたので、私は将来、福島第一原発の廃炉に携わりたいと考えています。


こうした高校生の発表も交えながら、3部構成/4時間に渡ったパネルディスカッションは、「アップデイトふくしま宣言」を発表してフィナーレを迎えました
後日、公式Facebookで写真や動画などが掲載されるので、ぜひ福島の「今」について、皆さんも情報のアップデイトをお願いします。
オフィシャルページ
公式Facebookページ

ぜひ今回の放送を聴いて感じたこと、『LOVE & HOPE』ブログのメッセージフォームから送ってください。
抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2018年2月12日

2月12日 アップデイトふくしま(1)

今朝は、先日10日土曜日に、東京・青山の国連大学で行われましたパネルディスカッション「アップデイトふくしま」の模様をお届けします。

「知って応援。伝えて応援。」をキャッチフレーズに開催されたこの「アップデイトふくしま」、これまで『LOVE & HOPE』でもお話しを伺ってきました福島県民の被ばくの分析や発信をしてきた東京大学名誉教授、早野龍五さん、福島に通って医療活動を続ける医師の越智小枝さん、海外の学生を招いて福島を視察してもらう活動を続けている福島大学のウィリアム・マクマイケルさん、そして「はじめての福島学」を執筆するなど福島の現状発信に尽力してきた立命館大学の開沼博さん、この4人が立ち上げたアップデイトふくしま実行委員会によるパネルディスカッションです。この4名をはじめ、行政や教育、生産者や学生など、さまざまな立場の方が参加して、福島の現状や風評被害の払しょくへ向け討論や発表が行われました。

今朝は「アップデイトふくしま」から、開沼さんを進行役に行われました総括のパートを一部、お届けします。

開)じゃ最初にフリップボードに自由に「福島のイメージのアップデイトに何が必要か」書いてください。はいじゃ早野さん・・・
早)「産めます」って書きました。我々にとって衝撃的だったのは、去年、三菱総合研究所が、“福島県内のこれから生まれる子供、孫、健康影響があると思うか?”都民1000人に聞いた。すると50%が「ありうる」と答えた。答えは「×」。広島長崎ですら・・・というと言い方が難しいが広島長崎で健康被害が無かったというのは70年間の調査でよくわかっている。福島の今回ひじょうに低い被ばくで、そういうことがあり得ないということ、これは専門家が皆さん口をそろえて仰っていることです。このこと、きちんと“そうではない”ということを社会の皆さんが共有するようにしないと、10年20年何十年と渡って、差別や偏見に繋がりうるということがあるので、私にとってはアップデイトすべき最大の問題はこれかなと思っています。
開)はい。マクマイケルさん・・・
マ)シンプルに「境界線を無くす」というのが重要かなと。何の境界線かというと、1つは東京と福島、海外でも偏見があるのに、日本国内ですらちょっとあって、何でもっとみんなで一致団結して、問題解決していくかってすごく大事な問題なのにどうしてもっとみんなお互いに支えあってシェアしないの?って、もちろんシェアしてるんですけどそういう意見もあって、確かにそうかなと。そういった意味で境界線を一つ無くすと。もう一つが外国人と日本人ですね。いまだに「福島」って場所とか県じゃなくて、なんかすごい悪いことが起きた、この世のアポクリプス、終焉が起こりうるようなマイナスな「事象」としてのイメージがすごく強く残ってると思います。じっさい私、福島大学でグローバル教育を担当してまして、今日もじつは私のプログラムに来てる学生たちが来ているんですけど、毎年たくさんの学生を呼んで一緒に福島をまわってるんですけど、けっこう福島に関心があって皆さん来てるのに、福島に着いた瞬間、“人がいるんだ”とか“建物が建ってるんだ”とか、意外とそういうイメージが先行してしまっていて、そういう境界線もどんどん無くしていけばいいなと。であとは世代ですね。若者もお年寄りも熱い思いを持っているんだな、福島を愛する気持ちを持ってるんだなと感じてましたけど、今後すごく重要だと思うので、こうしてみんなで境界線を無くして行って、核心を突いた情報を確信をもって我々一人一人が調べていくことによって福島のイメージが革新していくのかなと、そういうメッセージを書きました。


登壇者それぞれがこうして、“いまアップデイトすべきこと”を発表していったほか、来場者に向けて○×クイズなども出題。来場されている方は福島について知ろうとする意識の高い方が多くて、正解する人がほとんどでした。後日、公式Facebookで写真や動画などが掲載されます。
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『LOVE & HOPE』、明日も引き続き、「アップデイトふくしま」のレポートです。
ぜひ今回の放送を聴いて感じたこと、『LOVE & HOPE』ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2018年2月8日

2月8日 岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」2

今朝は引き続き、今年3月31日に営業期限を迎える、岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」についてお届けします。

震災の翌年、2012年1月に開業した「釜石はまゆり飲食店街」は、釜石駅に近い「鈴子公園」に建てられた仮設商店街です。飲食店に特化した仮設商店街で、一角には震災前から釜石の名物として親しまれた「呑ん兵衛横丁」という飲み屋街もあります。開業から6年、復興のシンボルとして親しまれた名所の灯は、ついに消えようとしています。

一方、震災からまもなく7年が経つ市内の復興状況はどうなのか?飲食店会会長で「BAR LINK」のオーナーでもある山健さんのお話しです。

◆釜石はかさ上げをしていない分、復興工事は早かった
釜石は三陸沿岸だとめちゃくちゃ早い方だと思います。その一つの大きな理由として〔市街地のかさ上げを行わなかった〕というのがあります。ダメになっちゃったんですけれども湾口防波堤とかの威力を信じてまた湾口防波堤を作ってますけれどもね。1ミリもかさ上げしなかったです。ホテルなんかも高さ変わってないんでお分かりだと思いますけれども。道路を何センチ上げたとかこの地域は何センチ上げたとか言ってもホテルとかが上がってないのでしょうがない。こないだちょっと調べてみたら、僕らがいた横町の跡地なんかは、いまたぶん0メートル地帯。震災前1メートルそこそこ海抜あったんですけど、その時にも水害はあったんです。何度か。それで今この状況で地盤が下がったままですから、やっぱり目立ったところでいうと、あの岩泉のものすごい水害がありましたけれども、釜石も冠水してるんです。それはどうですかね・・・。見た目は復興したように見えるんでしょうけれども、実際そういう災害はもうふつうに。復興住宅という名で何棟も大町付近に建ててますけど、長い歴史、水害の歴史の中で、初めてじゃないですから。何度も何度も津波あるので、だから今後も必ず津波が来るって事考えた時に、その辺に住むっていう人は、少ないですよね。


一見、復興が進んでいるように見えるけど、かさ上げをしていない分、不安もあるというお話し。話しに出てきた市街地の大町は、ホテルや復興住宅が立ち並び、商店も増えてきているエリア。でも0メートル地帯・・・。かさ上げ工事で何年も時間がかかっている地域とはまた違った課題があるようです。

そんな中、3月末で期限を迎える「釜石はまゆり飲食店街」、駅前への集団移転計画が頓挫してしまっている状況の中、山さんが考える次の一手とは。

◆移転しないという考えも
ちょっと今からだと時間足りないんですけれども、ほかの民有地、今度は民間と民間との話になるんですけれども、そっちの方はちょっといま具体的なことは申し上げられないんですけれども、いま急いで動いてまして、とにかく諦めたらそれでおしまいなので、まずはそれで頑張って動いています。で、5年も6年もさすがにここで商売してるとやっぱり根ざしちゃったっていうか、それなりの常連さんもついたというか、なのでそれはまた大町へってことになると、逆にこの辺のお客さんは、“歩いて15分もかかるなら行かないよ”っていう人も出てきますよね。なのでできるだけこの鈴子地区で移転したいなという考え方はあるんですよ。ひとつね。


明日は呑兵衛横丁の魅力についてお届けします。

2018年2月7日

2月7日 岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」1

今朝は、今年3月31日に営業期限を迎える、岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」についてお届けします。

震災の翌年、2012年1月に開業した「釜石はまゆり飲食店街」は、釜石駅に近い「鈴子公園」に建てられた仮設商店街です。飲食店に特化した仮設商店街で、一角には震災前から釜石の名物として親しまれた「呑ん兵衛横丁」という飲み屋街もあります。地元の方はもちろん、観光客も足を運ぶ名所の灯がついに消えてしまう!ということで、気をもむ声も少なくないとか。そんな「釜石はまゆり飲食店街」の成り立ちと現状について、飲食店会会長で「BAR LINK」のオーナーでもある、山健さんにお話しを伺いました。

◆「呑ん兵衛横丁」だけでも釜石の文化として残したい
余震がすごく多かったんだよね。なので町なかにお店を出したりとかというのは、また津波が来るんじゃないか?ということもあったり恐怖感があって、ほとんどの人は“ほかの仮設店舗ありますよ?”って言っても入居しなかったんです。どうしてここの鈴子かっていうと、一本川があったりして、もし津波が来てもたぶん直接の波の被害はないだろうっていう考え方があって、それでここ飲食店は集中したということがあるんですね。それで契約の話があって、じゃこれからどうするか?って話になって、今から2年くらい前から徐々に、出来る限り「呑ん兵衛横丁」だけでも釜石の文化として残したいなというのがありました。「お恵」さんでいうと55年くらい営業されているんですよ。僕で14年なのでぜんぜん下っ端で、もう半世紀以上ですからね、人生の半分以上をお店に費やしてる、そういう方々が多いんですよね。彼らもなかなかお年をめされてる方多いんですけど、それでもやる気は十分にあったりして、もう店の中で死んでもいい!くらいのお店に対する愛が強い方が多いのが現状なんですね。なので“どこかテナントが空いてるからどうぞ”という訳にもいかなくて、それで僕らの企画「集団で移転したらどうか?」っていう案を出して、モメて、ダメで、その結果、集団移転は諦めたという格好になったんですね。それでも一応いろんな建設会社等々との話をしてた案がいくつかあったもんですから、それで駅前の「シープラザユー」というテントがちょうど取り壊しになるということで、その跡地を利用させてもらえないか?と、1階と2階を店舗にして3階4階を居住区にして、それでワールドカップ関係の民泊対応にもなるしということで建設会社が出資者を募ってくれて。結構な金額が集まる予定になったので、じゃ土地の提供をしてくれないか?というお話しをさせて頂いた。そしたら、「あそこは駐車場にするからダメだ」というお返事を頂いたんですね。これでおしまいということなので、まあどうしようかという状況なんですね。


「呑ん兵衛横丁」はそもそも、昭和30年代、戦争で夫を失った女性たちが市の中心部の水路の上に店を開いたのがはじまり。高度成長期には30店以上が並び、
製鉄所の従業員らでにぎわいましたが、津波で全26店が流されました。「はまゆり飲食店街」では12店が営業しています。釜石市は別の場所に店舗施設を建て、その場所で継続させようとしたものの、出店費用が高額なため高齢の店主たちは移転に踏み切れなかったといいます。

山さんたちは、独自の計画を出して資金も見通しを建てたものの、市の計画は覆らず。期限が迫る中、なんとか釜石の横丁文化を絶やすまいと奔走を続けています。明日はそんな、“この先の計画”についてお届けします。

2018年2月6日

2月6日 サポート・アワー・キッズ 「リユニオン」(2)

昨日に引き続き、復興を担う被災地の子どもたちの、自立支援に取り組む団体「サポートアワーキッズ」の活動レポートです。サポートアワーキッズでは、2011年から継続的に、被災地の子ども達のための海外ホームステイを実施しています。


これを経験した子どもたちは、自ら次の活動へ向けてスタート。1月12日、仙台市で「リユニオン」という報告会を行いました。
この会では、昨年夏の留学経験者33人のほか、これまでに同じ経験をしてきたOB・OGによる活動報告も行われたのですが、今日はその中から、2016年にアメリカへのホームステイを経験した、18歳の女の子のプレゼン、お聴き頂きます。


◆夢は、日本の「和菓子」を世界へ!
及川徳乃と申します。仙台青陵中等教育学校の6年生で18歳です。突然ですが私には将来の目標があります。和菓子職人になりたいと思っています。しかし学校の人がほとんどみんな進学を目指していたので、その中で和菓子職人になりたいんだよと語るのはすごく恥ずかしくて言えなかったり、本を読んでみようとか実際に自分で作ってみようと行動することが全くなかったのが、サポートアワーキッズでアメリカに渡らせていただいて、日本や東北の良さを改めて感じることができて、和菓子職人に、ただなりたいとうっすら思うだけではなく、本当になりたいと強く思うようになりました。ここでご報告をさせていただきます。来年の4月から、京都の老舗和菓子屋さんである末富さんというところに就職が決まりました。厳しい修行などはこれからだと思うので、私の大きな野望というか目標を今ここで宣言したいと思います。日本の良いところとか東北の良いところを、和菓子を通じて海外へ伝えられたらなと思います。また、海外に自分の和菓子のお店を作りたいです。アメリカにいかせていただいた時に、和菓子職人になりたいと言ったら、「和菓子って何?」と聞かれることが多くて、日本食はいろんな国で分かってもらえるようになってきたと思うんですが、まだまだ和菓子はわからないというのを知ってすごくショックを受けたので、どこに行っても和菓子、日本のお菓子と言ってもらえるような世界共通語にしたいと思います。(最後に、後輩たちのメッセージをお話ししていただきたいと思います) 「夢はあこがれで終わらせない」と言うことです。私自身、もともと末富は求人を取っていなかったんですがどうしても入りたいとお店に直接電話をして、面接をしていただいて内定をいただくことができたので、ただなりたい、これがやりたいと言っているだけではかなわないけれども、それを行動に移して初めて夢に一歩近づくと思うので、ただ考えているだけではなくてとりあえず、まずはやってみると言うのが、挑戦し続けることが大切です。以上です。


そして、このサポートアワーキッズの語学留学、2018年夏の実施へ向けて、募集がスタートしています。

6月から8月にかけて、フランス・アイルランド・オーストラリアなど5か国で実施される予定です。応募詳細・条件などは、サポートアワーキッズ・募集要項 をご確認ください。

2018年2月5日

2月5日 サポート・アワー・キッズ 「リユニオン」(1)

今朝は、復興を担う被災地の子どもたちの、自立支援に取り組む団体「サポートアワーキッズ」の活動をレポートします。この番組では継続してお伝えしていますが、サポートアワーキッズでは、2011年から継続的に被災地の子ども達による、海外ホームステイを実施しています。

そしてホームステイを経た子どもたちは、自ら、次の活動へ向けてスタート。それが昨年11月19日に仙台市で行われた「リユニオン」という報告会です。この報告会は、昨年夏に、フランス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダを訪れたそれぞれの子どもたちが自ら企画。得たものや次の目標を発表しました。その中から、カナダホームステイに参加した3人の声、お届けします。



◆海外での経験は一生の宝物に
・熊谷海音さん、岩手県陸前高田市在住 中学2年
「私は震災後にミュージカルと出会い歌を歌うことがとても好きになりました。キャンプでは歌を披露する機会があり、私の歌で涙を流してくれる人や「良かったね」と感動を伝えてくれる人もいました。私はそれを聞いて、私の歌で人を元気にしたいと思いました。ホームステイでは、私は内藤洋子さんのお家にステイさせて頂きました。最初会った時は不安がありましたが、洋子さんはパワフルで本当の家族のように接してっくれました。娘のエリカとエリーナはキャンプにも参加していて、すぐ仲良くなることができました。ホームステイでは朝みんなと散歩したり、町へ出て買い物をしたり、日本と違う毎日で楽しく過ごすことができました。私は震災で、母と父と姉と祖母を亡くしました。祖父が死んだときは涙を流せませんでした。ホームステイをして相談に乗ってもらった時には、改めて家族っていいな、温かいなと思いました。洋子さんに「留学したいなら家においで」と言われたので、中学の家にたくさん勉強して、第二の故郷・家族に会えるように頑張っていきたいと思います。

・長峰希来々さん、宮城県仙台市在住 中学2年
「私たちはカナダで初めてキリスト教という異文化に触れました。キリスト教に触れることで文化や考え方の違いを体感することができました。私は今回カナダに行かせて頂き、日本という国を客観的に見ることができました。私はカナダに行くまで自分を押し殺すことが癖になっているということに気が付きませんでした。日本には”普通”という基準が強くあり、それより優れるモノ・劣るモノに対して偏見的な見方をします。なので学校に行っても自分の思ったことを言うのではなく、よくあることを口にしたり、得意なことがあっても目立つとあとで何か言われるのでやりません。日本人は変わったことを受け入れにくいと感じました。しかし私はカナダに行って自分を持つということの重要性に気が付きました。今回経験したことを踏まえ、今後私は模範的な何かではなく常に自分の考えを持って生活したいと思いました。」

・宍戸葵さん、福島県いわき市 中学3年「ホームステイ後、私は自分に自信が持てるようになりました。私の将来の夢は医者になることです。私は人の笑顔を見ることが好きです。なのでたくさんの人々を笑顔にできるような医者を目指したいです。カナダの方々の前で公言してきたので絶対に医者になってみせます。今回の経験は失われることのない一生の宝物です。この宝物をずっと大切にして将来に生かしていきたいです。」


リユニオンでは、この3人を含む合計33人が、こうしてプレゼンを行い、東北の未来を担うメッセージを会場で話しました。
震災で夢をあきらめかけた子が、海外の広い世界を知ってもう一度自分のやりたいことへ動き出す姿をなんどもお伝えしていますが、やはりこの経験は貴重なものになっているんですね!

そして、このサポートアワーキッズの語学留学、2018年夏の実施へ向けて、募集がスタートしています。6月から8月にかけて、フランス・アイルランド・オーストラリアなど5か国で実施される予定です。応募詳細・条件などは、サポートアワーキッズ・募集要項 をご確認ください。

あしたも「リユニオン」の模様をお伝えします。
 

2018年2月2日

2月2日 ふたば未来学園(5)

今週は、福島県立「ふたば未来学園」からのレポートです。

2015年4月、福島県双葉郡広野町に開校した「ふたば未来学園」。一期生、およそ150人が、この3月卒業を迎えます。一期生の一人、遠藤健次さんは、福島県双葉郡川内村の出身。「ふたば未来学園」の海外研修で、ドイツの省エネ社会を目の当たりにし、再生可能エネルギーの研究を「自分の目指す道」だと決めました。研究しているのは、断熱材や高性能な窓を利用した「パッシブハウス」や植物から電気を生み出す「植物発電」。「再生可能エネルギーで故郷を元気にしたい。」という強い想いが遠藤さんの原動力です。

◆再エネで「福島=クリーン」なイメージに変えたい
震災があって、もともといい村なのに、こんなに人がいなくなって、こんなに静かな村になっちゃったのが悔しくって、もとの活気のある街に戻したいという気持ちがあって、こういう再生可能エネルギーに関する活動をしています。川内村は戻りつつあるが、富岡町や双葉町、大熊町など原発に近い町はまだぜんぜん放射線の被害で、人が戻れていない。まだ放射線が残っていると、危ないとか危険だと言うまわりからのイメージで、放射線を心配しなくてもいい時期になっても人が戻ってこないという、一番嫌なケースがあるので、そういう問題がないように再生可能エネルギーを推進して、「福島=原発、放射線」というイメージから、「福島=再生可能エネルギー」というクリーンなイメージに変えることで放射線を心配しなくてもいい時期に、人が戻ってくるようになったらいいなと思っています。再生可能エネルギーや省エネが100%の地域は世界的にみても珍しいので、福島が世界から見て再生可能エネルギー、省エネルギーのお手本の地域になる。そうすると、県外海外から教育の場として人が集まってくるので、そこで人口の減少を解決できるんじゃないかと思っています。


遠藤さんは、3月にふたば未来学園を卒業し、4月から福島大学の「共生システム理工学類」という学部でさらに、エネルギー関連の勉強を続けます。

◆将来は再エネの企業で世界に広めたい
自分は福島大学に進学して、エネルギー関係について学びたいし、福島の復興にも携わっていきたい。もっと視野を広げて課題も見つけたいので、福島大学のカリキュラムにある文理融合でエネルギーを学べるので、そこで視野を広げて課題を発見してエネルギーについて学んで、大学を卒業したら再生可能エネルギーの企業に就職したい。グローバル化も進んでいるので、大学では英語も学んで、英語のコミュニケーションも生かして世界でも活躍して、再生可能エネルギーをどんどん広めていきたいと思っています。


一期生、およそ150人の卒業式は3月1日。「ふたば未来学園」で行われる最初の卒業式です。

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2018年2月1日

2月1日 ふたば未来学園(4)

今週は、福島県立「ふたば未来学園」からのレポートです。
「ふたば未来学園」は、避難と休校を余儀なくされた福島県双葉郡の5つの高校の受け皿として2015年に開校しました。学校が目指したのは、知識の詰め込みではなく、「世界の人と力を併せて、困難な問題に立ち向かう力」を育てること。

まもなく卒業を迎える、「ふたば未来学園」一期生の遠藤健次さんは、高校3年間で将来の目標を見つけました。

◆パッシブハウスや新たしい再生可能エネルギーで福島を再生したい
ふたば未来学園高等学校3年の遠藤健次です。川内村出身です。
最初高校に入るときには、復興に携わりたいとは思っていたけど、どう携わったらいいのかわからず。だから、この3年間は自分のこれからの目標や将来の夢を決められた、大事な三年間になったと思います。自分は震災の後原発事故にあって、小学校5年から6年の1年間避難生活を経験して、その経験や高校の研修を通して、福島県の課題を自分なりに2つみつけました。それは原発事故による産業の創出と、放射性物質の飛散による風評被害が主な問題だと感じて。その問題を解決するためにはどうしたらいいかと考えていたときに、一年生の後半にドイツ研修があったんですね。そのドイツ研修でドイツのエネルギー環境について学んで、ドイツにある「パッシブハウス」という省エネの家があるんですが、その省エネの家を日本にも取り入れていければ、再生可能エネルギーがもっと普及して、福島県を再エネ100%にすることによって、風評被害の問題や、再エネという新産業を創出することができるので、2つの課題をなくすことができるのではないかと感じているので、現在はふたば未来学園の特徴でもある「未来創造探求」の授業で、パッシブハウスと植物発電の再エネを研究、調査をしています。パッシブハウスの特徴は3重窓。自分も実験をしたが、窓の枚数を重ねるごとに外の温度をシャットダウンできるが、日本の場合夏になると湿気が多くて温度も高くなってしまうので、そういう点を考慮した日本にあうパッシブハウスをつくらなきゃいけないので、そこをいま考えていますが、思いつかなくていま苦戦しています。
自分は新しい再生可能エネルギーもつくりたいなとも思っていて。植物発電は微生物で発電するもので、植物を利用して、微生物が植物から出る栄養素を分解して電子が放出されるということが調べてわかったので、その電子を使って発電する仕組みの研究を進めています。植物発電だと植物を生かしたまま発電できるので、これからのエネルギーに一番適しているのではないかと思っています。


パッシブハウスや植物エネルギーなどの再生可能エネルギーで福島を再生したいという遠藤さん。さまざまな実験の結果をニューヨークの国連本部でプレゼンしたとのこと。卒業後は、福島大学の「共生システム理工学類」という学部でさらにエネルギー関連の勉強にまい進するそう。

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今週は福島の現状、そして「ふたば未来学園」の取り組みについて、あなたからの感想もお待ちしています。住所・氏名・連絡先を明記の上メッセージフォームからお送りください。抽選で5名の方に、3000円分の図書カードをプレゼントします。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

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