2015年6月17日

6月17日 東松島月浜 「汐さいの宿 ちどり館」(3)


東松島市宮戸島・月浜で去年11月に営業を再開した「汐さいの宿 ちどり館」。
ご主人 鈴木一男さんは、漁師さんとして今も海へ出て、自分で獲った海の幸で宿泊客をもてなしています。

いま、被災地の漁業は後継者不足が深刻になっていますが鈴木さんの場合は、中学生のお孫さんが、海で働きたい、と考えているそうです。

◆親子3代で漁やってます
今中学2年の孫がね、この地域から離れるのやんだって。本来なら考えたの、矢本か松島か石巻行こうかなって。でも孫がやんだって言うの。漁師か民宿するか、海苔をするか。海苔は協業化なわけさ。私も海苔をやって来たけど協業化っていうのは難しいんだよね。いまは若い人にあわせないといけないが、それはストレスがたまって病気するからやめた。だから今は定置網をやっている。うちの孫は魚を獲るのが好きで、うちは3代で私も息子も孫も定置網をやっている。もう仕事をさせたら一人前ですよ。去年も潜ってアワビを6キロ採ってね。ウェットスーツ着て潜るんだもん。だからウェットスーツ作ってやらなきゃ。私も息子も孫も3人でもくぐる。今の子どもには見えないほど珍しい。


月浜も震災以降、漁師さんの廃業が相次いだため、協業…つまり、グループを組んで海苔の養殖を再開したケースもあるそうです。鈴木さんはそれには参加せずに、漁師を続けていると。そんな中、お孫さんの「海の仕事がしたい」という後継者宣言があったんですね。

そしてこの中学2年の「漁師の卵」、この地域で昔から続く、「一人前の男」になるための大事な行事も無事に乗り越えていました。これちょっと面白い話なんです!

◆えんずのわり 
「えんずのわり」というのがある。国の無形文化財。子どもたちの行事。自分でご飯を炊いて自炊して包丁も使って、芋や大根の皮を取って薪を取ってご飯を炊いて、来る人に酒を飲ませる。洞窟で六日間過ごす。そこから学校へ行く。宮戸島でも月浜だけの風習。200年以上前から続く風習。小学校2年生から中学2年生まで。普通は中学2年が親分(大将)それが被災地となり子どもたちがいなくなって、うちの孫が残って小学5年生で大将になった。5、4、3年生。かわいそうだからって2年生で入らない人もいる。あの冬に水をくんで、バケツに氷が張るようななかでやる。12月に夜の3時に起床して子どもたちが生活をする。私たちもこの辺の人たちはそれをやってきた。女は入らない。津波以降は洞窟には寝ないことになった。電気もないから。
うちの孫も5年生でえんずのわりをして大人になっていっているんだね。


この、月浜で行われる、小正月の行事「えんずのわり」。
地元の男の子たちがおよそ1週間、神社の洞窟で精進料理を作って神様にささげながら、共同生活をするというもの。小学2年生〜中学2年生までが参加。食べ物も自分たちで野菜を取ってきて調理する。釣りはダメ。油揚げはOKだそう。そして、各民家を回って無病息災や豊漁、集落の繁栄を祈る。200年以上前から続く、国の重要無形文化財になっています。




2015年6月16日

6月16日 東松島月浜 「汐さいの宿 ちどり館」(2)

JR仙石線の全線復旧を受け、宮城県東松島市の観光名所“奥松島”からのレポートです。

津波で家屋の8割が流された、東松島市「宮戸島」。この島の南端・月浜は震災前、26軒の旅館が海水浴客でにぎわっていました。しかし現在、営業を再開した旅館は、5軒に留まっています。
その一つが、去年11月に 再建した「汐さいの宿 ちどり館」です。ご主人 鈴木一男さんは「恩返しがしたかった」と、再建までの経緯を語ってくれました。

◆恩返しがしたかった
再建は一番はリピーター。何十人と言うお客さんが札幌から福岡から新潟から、物資や金銭、食べ物まで支援してくれた。Aさんが3000円、Bさんが5000円と義援金を集めて送ってくれた。返す言葉がないっちゃ。ありがとうで終わりでしょ。だからそういうことで、私も2014年11月1日にオープンしたんだけど、支援してくれた人を泊めることができた。それが一番の恩返しだと思って。


そんなちどり館、今でも支援者の方や、全国から口コミでやってくるお客さんで、平日もにぎわっています。鈴木さんご自身も、すでに仮設住宅を出て、民宿のそばに自宅を再建しています。
そして先月、JR仙石線が開業。観光地の再生にはまだ課題も多いのですが、鈴木さんは大きな期待を寄せています。

◆仙石線開通が復興の第一歩!
仙石線が開通して、今の生き甲斐はお客さんが来てくれることかな。それが一番の生き甲斐だね。やっぱり仙石線の駅があるのとないのではまるきり違う。電車が通っていない時は松島や矢本まで迎えに行っていた。仙石線の松島で切り替えてバスに乗り換えるというのはイヤだという人もいる。東松島市でも月浜の海水浴場は特に良い海水浴場だった。奥松島は自然が豊富で景観もいいし、食べ物も美味しいしなんでも取れる。これからはウニやアワビ。でもアサリが取れなくなった。この目の前で一人で何百キロと取れたが、砂が流されてしまった。そこの2つの島、唐戸島と中ノ島は砂浜で繋がりきれいな海水浴場だった。月浜が混んでいた頃は連泊してここの海水浴場で遊ぶというお客さんも多かった。でもその砂浜が無くなってしまった。潮の流れがなければいいのだがまだ早い。自然には逆らえない。被災地はやっぱり5年間はかかる。自然をコントロールして海水浴場を作ろうとしても作れない。ここは自然に恵まれている。外海も内海もあるし、「松島自然の家」を県が宮戸によこしたのは励みになる。今までは野蒜に野外活動センターというのがあったが、野蒜がダメになったので宮戸に作る。宮戸小学校が廃校になるので校舎を利用して造成している。そこで自然のキャンプ場などを作ってもらえると雇用策にもなるし、色んな漁も体験できる。そこは県が力を入れてもらっている。


宮戸小学校の跡地にできるという『少年自然の家』。漁師体験、シーカヤックなども体験できる施設。来年度中に完成予定です。
一方、「月浜」の海水浴場は、防潮堤の工事があるため今年は休業するそう。来年の夏はちゃんと再開する予定だということです。


あすも、宮戸島『汐さいの宿 ちどり館』 鈴木一男さんのお話です。


汐さいの宿 ちどり館
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パーソナリティ 鈴村健一

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