2015年5月19日

5月19日 「よそもの」が未来を作る アスヘノキボウ 代表理事 小松洋介さん?

引き続き、宮城県女川町から、復興に力を注ぐ、若き 「よそもの」の力について、お伝えします。

NPO法人アスヘノキボウ 代表の小松洋介さん、32歳。仙台出身・元リクルート社員の小松さんは、震災後に会社を辞め、被災地へ通い詰める中、女川町の復興支援に大きくかかわることになったと言います。2012年には、女川に出入りする人のための宿泊施設「エルファロ」を完成させ、女川の人々による復興連絡協議会に、唯一の「よそ者」として参加。現在も町づくりのキーパーソンとして、女川で活動を続けています。

◆女川で何かをしたい若者を支援
NPO法人を立ち上げたのは2013年4月。エルファロができてすぐ。アスヘノキボウとして次に手がけたプロジェクトは創業支援。町を作る中で必要な事業があり、若い人でも自分で関わりたい人がたくさんいたのでそういう方々が創業する時の事業計画を作ったり、今まで女川に無かった新しい事業を作るような仕事をした。例えばUターンをしたい30代の男の子がいて、彼はクラフトビール(地ビール)のお店を女川に作りたいという。なぜビールかというと「ビールの店は居酒屋と違って距離を近づけやすい。日本酒を飲んでしまうとみんなべろんべろんに酔っ払うので距離が近づかないが、ビールはとなりにいる見ず知らずの人と近くなりやすい」という。ああ面白いなと。彼はそういう夢を持っていて、帰って来たんだけどどうしていいか分からない。そこで僕らが創業支援をして資金も国の制度を活用して調達して地ビール屋の店主として活動している。店名は「ガル屋」女川町の希望の鐘商店街の中にある。彼が言う言葉で印象的なのは、「自分がこの町に戻ってたが、もっと同世代がたくさんいるので帰ってこられる場所にしたい」。そして彼がハブになって、僕にも同級生を紹介してくれる。彼が若者のUターンの象徴になっているのかなと思う。今は町づくりに関わるキーマンも集まっていて、その店に行けば町のキーマンに会える場所になっている。


このクラフトビールのお店「ガル屋」は、女川市長もお気に入りのお店だそう。そして現在、NPO法人アスヘノキボウは、小松さんのリクルート時代の先輩・後輩など現在 4人のメンバーで、新たな企画に乗り出しています。

◆外のノウハウを女川に
創業支援に加えて、町の中で事業をやるにあたって町の視点だけでなく外の視点が必要。そこで東京の経済同友会の会員・社長たちが経営している企業に、女川の若手人材を留学させ1週間勉強してもらって帰ってくるというプログラムをやっている。去年は14名、今年は女川町の職員も含め25名が留学。丸紅や全日空、キッコーマンなどそうそうたる企業で1週間もまれて帰ってくる。戻ってくると芽がキラキラしている。「すごい勉強になった」「こうやってモチベーションを作りたい」「ビジョンが大事。作らなきゃ」とか。一度外の目線をもつことで客観的に女川や自分の会社を見ることで新しいものが生まれるんじゃないかなと思っている。嬉しかったのは、受け入れ企業が喜んでくれて、「私たちも被災地支援をやっているがそこでは分からないことがいろいろ知ることができる。」そういった方々の話を聞きながら、受け入れるということは準備をしなければいけないので色々と学びになる、という話を頂いた。すごく良かったなと思っている。


ちなみに、女川町は40代前後、若い世代が町づくりの中心的役割を果たしている、ということを以前お伝えしましたが、アスヘノキボウのメンバーも20代から40代。女川ではこの世代が、町を次の世代へ受け渡す価値のあるものに育てようとしています。

2015年5月18日

5月18日 「よそもの」が未来を作る アスヘノキボウ 代表理事 小松洋介さん?

震災以降、「よそもの」という言葉を、復興のキーワードとしてよく聞くようになりました。よそもの・・・つまり県外から東北へやってきた人間のこと。今週は、宮城県女川町で、復興に力を注ぐ、若き 「よそもの」 の方のインタビューをお届けします。

お話を伺ったのは、NPOアスヘノキボウ 代表の小松洋介さん。いま、全国から注目される女川町で、町づくりに関わるキーパーソンの一人です。東日本大震災当時は28歳。当時はリクルートの社員として札幌に務めており、ボランティアで、東北へ足を運んでいたと言います。

◆新人時代を過ごした東北への想い
東北とは元々つながりがあった。出身が仙台ということと、リクルートの新人時代は宮城県沿岸部の担当をやっていた。範囲は気仙沼から松嶋までは地図を見なくても歩けるくらい詳しくなっていた。震災時は札幌でチームリーダーという立場で仕事をしていた。札幌は停電にもならずテレビを見ることが出来たが、衝撃だったのが新人時代担当していた沿岸部、町、クライアントの結婚式場が津波で流れる映像。ショックを受けてすぐに戻りたいとスーツケースに札幌で変えるだけの食料を入れて半年間は毎週必ず週末に仙台へ戻り、沿岸部へ行っていました。


こうして小松さんは、かつての取引先や知人を訪ね、ボランティアを続けたのですが、ただ、毎週末のボランティアで出来ることは限られます。悩んだ末、小松さんは2011年9月にリクルートを退社。まさに「よそもの」として、被災地で自分の役割を模索したと言います。

◆「よそもの」が受け入れられた瞬間
行けば行くほどほど気持ちは強くなった。すぐにでも行きたい、でも何が自分に出来るのか。でも行きたいという状態だった。特に何をするのかというのは決めておらず、リクルートで教えてもらったのが「課題は現場に落ちている」。とにかく現場に行けと言われていた。とにかく現場で課題を拾おうと思った。そしてリクルート時代の先輩でトレーラーハウスを使って商店街をやろうと動いている人がいて、それを商店街ではなく「宿」にできないかという話に、被災地を回る中で話をしていたのでその企画書を持って、課題をヒアリングしながらトレーラーハウスのアイデアを提案するという形で回っていた。トレーラーハウスの企画自体は、宮城県沿岸部は全て回って出していたので「面白い」と言ってくれる地域はあったが、その中で女川町はいち早く動いてくれた。話を聞くと、町の八割が無くなってしまったという圧倒的な被災率の高さがあり、とにかく自分たちで町をなんとかしなければ行けないという意識が高かった。誰かがアイデアを出したときに、それがすごく良いアイデアであればみんなで支え、協力して皆で作ろうと考える町の雰囲気があった。今回のトレーラーハウスの企画も私がどうしたというより、企画自体が良いからみんなで協力して作ようということで、気がついたらオール女川で立ち上げに動いていたプロジェクトだった。2012年12月にオープン。町の方から頂いた言葉で嬉しかったのは、よそもので企業に勤めているわけでも団体に属しているわけでも、スポンサーがいるわけでもない人間が関わっているのでみんな心配したはず。「彼は何者だ」と。でも町にトレーラーハウスが完成した時に、町の人たちが「小松君、良い仕事するね」と行ってくれたのが嬉しかったし、「次はこれをよろしく」と仕事を頂けたのが嬉しかったですね。




お話に出てきたトレーラーハウスの宿泊施設。これが以前番組で取材した女川の「エルファロ」です。現在も観光客、復興に関わる人の宿泊場所として人気を集めています。


あしたも「アスヘノキボウ」小松さんのお話をお届けします。
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 599 | 600 | 601 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN