2015年2月6日

2月6日 東松島食べる通信5

5日間にわたり宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長、太田将司さんのインタビューお届けしています。

今回のインタビュー、番組で何度も紹介している東松島の海苔漁師、相澤太さんも同席していました。千葉から移住してきた太田さんと、太田さんに東松島の海を教えた相澤さん。2人とも、昔からの親友のような雰囲気でした。



さて。まもなく東松島食べる通信は、冬の2月号が購読者の手元に届きます。どんな特集が組まれるのか、太田さん・相澤さんにいち早く教えていただきました。



◆海苔漁師のサラブレッド
太田:2月号は相澤太くんとおんなじ浜の若手の海苔漁師・津田大(ひろし)君。東松島の生産者で活躍しているのは3代目の世代なのだが、津田くんは代々海苔漁師をやっている4代目。どこよりも早く代替わりをした海苔屋。ある意味、海苔漁師のサラブレッド。皇室献上も何度もしている家の4代目。まだ28歳で粗削りだが骨太でついつい惹かれて特集しちゃいました。大曲浜の海苔漁師は、家も何もかも無くしてしまっているが、大のところも幸い家族が無事で、家族の反対があったが海苔をやりたいと仕事を再開した。まじめと無骨が入り乱れた性格(笑)そして「一番」が好きなやつ。

相澤:負けず嫌いだし根性があるし先を見ているし、言っていいのか分からないが唯一ライバルになるんじゃないかと思っている(笑) 本当に大物になりますよ彼は間違いなく。


先輩海苔漁師の相澤さんから、後輩・津田さんへの最高のほめ言葉!そんな津田さんは大学を卒業後、マグロ漁船を経て、実家に戻り四代目になったということで、海苔漁師歴はまだ5年目。期待の若手です。

一方、編集長の太田さんは、東松島食べる通信を「東松島っぽいね」と言われるようにしたいと話していましたが、お話を伺っていると、相澤さんや津田さんをあだ名で呼んだり、太田さん自身、すっかり“東松島っぽく”なっているみたいです。

◆愛すべきアホなんです。
太田:ふー(相澤太)も、「去年より旨い海苔を作る」と毎年言っているように、海苔漁師には終わりがない。僕も仕事で「一番じゃなくて一流を目指せ」と言われていたことがあったが、ようやく今になって分かって来たような。僕らのような市場で生きている人間とは違い、自然を相手にしているから叶わないですよ。悔しいけど。農家もそうだけど圧倒的。

相澤:太田さんも俺らから見れば、(震災)1年目に太田さんがやってきた行動をみんな観ているんですよ。その頃の彼はアホなんですよね(笑) だって、真冬に住むところ転々としていて、ベニヤでできたプレハブに住んでいて、1年間そこで過ごしてた。この人アホなんじゃないかなって思うくらいのことをやっていたんですよね。それをみんな知っているのでみんな仲良くなれるし心も開けた。彼は「漁師にはなれない」なんて言ってるけど、似たようなもんですよ。


こうして、ゆかいな仲間に支えられ、全国へ発信される東松島食べる通信。創刊号と11月号の2紙だけで、すでにおよそ270人の読者を集めています。そして、その3分の1は、地元・東松島の方です。太田さんは、『食材を直接買うこともできる地元の人が、“あえて”食べる通信を買ってくれている。地元の人に地元を知ってほしいと考えて創刊したので、それが本当にうれしい』と話しています。また、県外の読者が、特集した生産者に会いに来てくれることもあると、嬉しそうに語っていました。

東松島食べる通信 冬の2月号は、まもなく完成。2月20日すぎには、津田さんの海苔とともに初回分が読者に届くということです。
★東松島食べる通信

2015年2月5日

2月5日 東松島食べる通信4

今朝も宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長 太田将司さんのインタビューお届けします。

生産者を特集した紙の新聞に、その生産物、「たべもの」がセットになって届く“食べる通信”。このアイデアは、東北から全国へ広がりを見せています。

その一つ、「東松島食べる通信」が創刊したのは、去年 8 月。 全国はもとより、地元の人に東松島の生産者を知ってほしいという編集長・太田さんが創刊号で特集したのは、「真鰯(まいわし)」でした。



◆地元も知らなかった真鰯
東松島の浜市地区は宮城県内でも少ない定置網を仕掛けて魚を獲る漁師がいる。大友康広・31 歳。創刊号で彼と真鰯を特集した。真鰯って毎年、取れるか取れないかが「ゼロか100」。20 年周期くらいで大漁か不漁になる。去年はほぼ水揚げがなかった。創刊号は 160 軒くらいの発送だったのだが、140 軒が出荷延期だった。希望日を受け付けていたが7 回くらい延期となった人もいる。 最後は「いつでもいいです」とお客さんが根をあげた。でもみんな待ってくれた。それはなぜかというと、毎日ほぼ船に乗ってオンタイムでFacebook に状況を上げていたので。「きょうはダメでした」 「今日は風で出港できないのでごめんなさい」と。大変でしたね。(食べ方は)やはり刺身ですね。手で開いて。獲った次の日には届いているので、透明な目のまま出荷している。ヤス(大友さん)直伝の刺身のつくり方も紹介しながら、読者がみんな「初めて食べた」と、各々好き好きに食べていましたね。 地元の人でも、地元で鰯が獲れることを知っていたのは5 人いるかどうか。漁師は基本的に市場に持って行っちゃうから。海苔も牡蠣も 名だし魚を獲っているのは知っていても、鰯が獲れることは知らなかった。だから、やった!と思って(笑)


「東松島食べる通信」は、年4回発行。毎回の特集では、
生産者のストーリーを写真とともに丁寧に記事にするのが特徴です。
創刊号では、定置網漁師の大友さんの生い立ち、そして3月11日の震災から漁を再開するまでのいきさつも書かれています。


そして、11月に発刊された秋号は、海から陸へ。 特集は東松島のブランド米でした。



◆かぐや姫のように光り輝く稲
11月号は東松島の大塩地区。東松島で発見されたお米の変異種がある。「かぐや姫」というササニシキの突然変異。それを市内で一人だけ創り続けている農家・木村正明さんを特集した。年齢は38 歳。 地元で見つかった貴重なお米だがあまり地元で食べられていない。地元が食べないでどうするんだと思って特集した。平成9年に大冷害があり宮城県でほぼ米が獲れない年があったが、その時、田んぼに3本だけイネが立っていて、そこに光が差していた。 だから「かぐや姫」という名前にしたというロマンチックなお米。その後、3 年かけて種もみを増やして、みんなで作ろうということで「竹取倶楽部」という団体を7 人くらいで発足して米作りを進めたという。当時は東松島の特産米となり、日本酒を作ったりコンビニのおにぎりを大曲浜の海苔と組み合わせて作ったり一時期は盛り上がったが衰退。震災の時には生産者は発見した小野寺さん、もう一人と 木村さんの3 軒だけだった。震災後もやりけたのは本当に木村さんだけ。全国的には3・4人いるらしいが発祥の地で作っているのは木村さんだけ。地元でもう一度知ってもらうきっかけを作らなければなと思っている。今は東京のお寿司さんでも、食べる通信をきっかけに米の取り扱いが始まっている。これからどんどん広がっていくといいなと。味はもちろん美味しいです!


★東松島食べる通信

明日は、東松島食べる通信 次号の内容についてお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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