2015年1月14日

1月14日 成人の日特番『神戸に生まれて、二十歳の誓い』(3)


今週は、今年「成人の日」を迎えた20歳の若者にスポットをあてて、神戸と東北の復興を見つめています。

神戸市長田区在住の出羽亮介君は、1995年1月2日生まれ。将来の夢「検察官」を目指して、神戸大学の法学部に通う大学2年生です。

出羽君は今回初めて東北の沿岸部を訪れました。そこで出会ったのが、宮城県亘理郡亘理町出身の中津留裕人君です。
中津留君は高1のとき東日本大震災で被災。ご両親が経営していた養豚場が津波で流され、家族は生活の糧を失って宮城県蔵王町に移住しました。中津留君も、蔵王町から故郷の高校に片道2時間かけ通学することになります。

◆他人を喜ばせる仕事に就きたい
引っ越してからは嫌なことばかりだった。何もかも不便で、地元の友達とも会えなくなったし、片道2時間で学校に通うのも本当に嫌だったけれど、我慢して生活していた。
(高2の9月だと進路を決める時期だと思うが、悩んだことは?)
元々、海外の大学に進学したくてそれに向けて頑張っていたが、それが一気にパーになった。高2の最後らへんに、元々親には伝えていたが、お金の問題で海外の大学はきついと言われて、それがすごく悔しくて、諦めきれなかった。一人で泣いたりして、思い悩んだりもして・・・。なるべくお金のかからない選択肢を選ぼうと調べていたら、宮城大学が国公立の大学で県内だし、自分のやりたい勉強もできるので、ここが一番いいと思った。ずっと自分との戦いで気合を入れていた。
(どうしてその将来の夢を持っているのですか?)
今の夢はホテルマン。優しさや、他人を喜ばせることが、実感できる仕事だと思っていた。人とのコミュニケーションは得意ではないが、そういう自分を改善することも含めてやってみたいと思った。人に何かしてあげるのが好き。相手の喜んだ顔をみると嬉しくなっちゃう(笑)


阪神淡路大震災の年に生まれ、神戸の復興とともに成長してきた出羽君。一方、中津留君は思春期に東日本大震災で被災し、ふるさと東北はいまだ復興の途上にあります。


◆震災は自分が成長できる大きなチャンス
(今震災から3年、もう少しで4年経つが、今どう受け止めていますか?)
今となっては、自分が人間として成長できる大きなチャンスだと思っている。震災があってからだいぶ生き方が変わったと実感している。やれば出来るようになったというよりかは、自信がないのは元々だけど、やらないと始まらない、やってみないと出来るか出来ないかわからないので、やるしかないと思っている。
(実際に高1で震災を体験した立場として、新成人に伝えたいことは?)
とりあえず両親に感謝をして、なるべく苦労をかけないようにして欲しい。一番偉大な存在だから。

2015年1月13日

1月13日 成人の日特番『神戸に生まれて、二十歳の誓い』(2)

今週は、今年「成人の日」を迎えた20歳の若者にスポットをあてて、神戸と東北の復興を見つめます。

神戸市長田区出身の出羽亮介君は、1995年1月2日生まれ。
阪神淡路大震災の2週間前に生まれ、今年「成人の日」を迎えました。

現在は、将来の夢「検察官」を目指して、神戸大学法学部に通う大学2年生。「震災の記憶」はありませんが、当時のことを両親や学校の授業で伝え聞いてきました。

そんな出羽君が、ここ数年心にわだかまりを感じていたのが、被災地東北のことです。今回出羽君は、初めて東北の沿岸部を訪ねることになりました。

◆東北への想い
明日、初めて東北に行くとなった時に、震災の傷跡を見た時に自分は無力感を感じると思った。作るのは時間がかかるけど、壊れるのはほんの一瞬。自分が物心ついた時には神戸は作り終えた段階だったので、全てを意識したことはなかった。壊れていくのを見た上で、そこにまた作り上げていくステップを見ていくのは、元を知っている以上、辛さとかもあると思うので、自分は明日、作り上げている途中の街を見に行くんだという気持ちがある。
これから東北を考える上でのキッカケになると思う。今までボランティアで仙台に行くとなった時に、行った自分に何が出来るのかとか、キッカケを見つけられずにいた。20歳になってできることも増えてきて、20歳が一つの区切りだと思う。0歳で起きた震災、20歳の時に見る東日本大震災の仙台というのは、意味あること。また、意味ある体験にしなきゃいけない。
 


出羽君が訪ねたのは、宮城県亘理郡亘理町出身の中津留裕人君です。
中津留君も今年「成人の日」を迎えたばかりの20歳。仙台市内の大学に通い、ホテルマンを目指して勉強とバイトに明け暮れる毎日です。

そんな中津留君が案内してくれたのは、ご両親が経営していた、宮城県岩沼市内の養豚場、跡地。津波で流され、いまは一面、土と雑草に覆われています。

◆岩沼市養豚場跡地へ
ここの敷地内には大きい建物が5〜6戸あった。そこに豚とかが住んでいて、1200匹位いた。子豚とこもいたのでもう少し多かった。
(震災以降にこの場所へは来ましたか?)
直後は水浸しで来れなかった。1年後に来て、初めて状況を見た。まだその時は、若干建物が残っていて面影があったので寂しい感じがする。今は本当に何もないので、何も感じない。
(ご両親の仕事をどう思っていましたか?)
中学生の頃とかは、夜まで家にいないこともあったので早く帰ってきて欲しいとずっと思っていた。何でこんな仕事しているのと。今となっては超大変な仕事だなと。そういう意味ではすごく尊敬している。


中津留君のご両親が経営していた養豚場は津波で流され、ご両親は仕事を失いました。中津留君は大学進学のため仙台市内で一人暮らしをしています。

明日は中津留君の将来の夢、そして同じ20歳の新成人に贈るメッセージです。
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パーソナリティ 鈴村健一

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