2014年10月3日

10月3日 サムライブルーの料理人(2)

引き続き、「サムライブルーの料理人」、サッカー日本代表専属シェフ、西芳照さんのインタビューです。



福島第一原発からちょうど20キロの地点・楢葉町にある日本サッカー協会の施設『Jビレッジ』で、震災後、西さんはレストランを再開。西さんは奥様とともに住み込みで、原発作業員やボランティアに食事を提供し続けています。

実は西さん、別の厨房で腕を振るうチャンスも色々あったそうです。でも、西さんはJビレッジの厨房で働き続ける道を選んだんです。

◆どういう風に生きたらいいか。
震災後、どういう風に生きたらいいか、人生ってなんだと振り返るきっかけになった。今できることをどうやるか?友達や近所の人が津波に流され、生きてる自分はどう生きていくか?心を新たにする機会になった。


現在 西さんは、Jビレッジで再開した「ハーフタイム」の他にもう一軒、楢葉に隣接する広野町で「アルパインローズ」というレストランも切り盛りしています。広野町に帰還した住民の方々の集いの場も提供したい、という想いからです。二つのレストランで、西さんが腕を振るうメニューを教えて頂きました。

◆20キロ圏で生きる人々のために
(ハーフタイムのランチは)600円のビュッフェ。魚料理一品、肉料理一品、野菜料理一品、副菜を一品、ご飯味噌汁食べ放題。あとはラーメンとかうどんとかカレー。作業員の皆さんはどうしても食生活が偏るので、なるべく栄養のバランスが取れた食事を摂ってもらおうという気持ちで、ビタミン、ミネラル、鉄分、たんぱく質・・・PFCバランスを考えて作るよう心がけている。(食材も線量を気にしながらではあると思うが地元のモノを使っていこうという気持ちは?)震災前から地元のものを使ってたしそこはぶれたくない。安全が第一ではあるが。(アルパインローズで好評なメニューは?)トルシエが名前を付けた「マミーすいとん」。懐かしがってもらえる。(料理人として喜びを感じる瞬間は?)代表なら勝った時。作業員の場合は、「ここに有って良かった」。定年などで去る時にそういう言葉をかけられると、やってて良かったと思う。


あのフィリップ・トルシエが「故郷のママのスープみたい」と名付けたのが「マミーすいとん」。震災前からの人気メニューで、今も「あのすいとんを食べたい」というお客さんが訪れることもあるとか。

そしていま。西さんのお店の評判は広まり、全国のサッカーファンたちが、訪れる場所にもなっています。

◆世界のサッカーを愛するサポーターたち
今回初めて気が付いたのが、店に全国からサポーターが来てくれる。北海道・愛媛・大分・沖縄・ドイツ!そういうサポーターの方と出会いが有って、本当にこの人たちはサッカーを愛してる、熱い心が初めて分かった。僕も頑張らないとと思い知らされた。
                                                     
ちなみに西さんのお店は、20人ほどのスタッフがいます。当然お給料も払わなければいけないわけです。復興支援ツアーの団体も来店するので、現在お店は順調だということですが、それでも人の減った町、厳しい状況で、西さんは経営者として懸命に戦い続けています。

西さんのお話は、『サムライブルーの料理人 3・11後の福島から』という本で、より詳しく語られています。この本の印税は、西さんの故郷・南相馬市に全額寄付しているということです。

今朝は、サムライブルーの料理人、西芳照さんのインタビューを、お届けしました。

2014年10月2日

10月2日 サムライブルーの料理人(1)

今日と明日は、サッカー日本代表の専属シェフ、西芳照さんのインタビューをお届けします。

福島県楢葉町、福島第一原発からちょうど20キロの地点にある日本サッカー協会の施設『Jビレッジ』の料理人。そして日本代表専属シェフでもある西さん。現在はそのJビレッジ内にレストランを再開し、選手ではなく、福島第一原発の作業員のための食事を提供しています。

さらに西さんはJヴィレッジの近くにもう1軒お店をオープン。2軒を切り盛りされています。いま西さんはどんな状況なのか伺いました。

◆サッカー選手の夢“第三ピッチ”
(店を再開から3年?)3年目です。Jビレッジと広野町に。Jビレッジは5年後の日本サッカー協会のナショナルトレーニングセンターとしての再オープン向けて駐車場に車は入れないようにして、芝を整備することに。広野も5000人中1300人くらい戻ってきてる。(あそこが駐車場になった時は何とも言えない気持ちになりました)あの当時は本当に、二度とここには戻れないんだろうな・・・っていう風に思ってた。震災の次の日、あそこから出て行く時に。そういう意味ではこんなに早く戻れるというのがね・・・。(僕も想像が出来ないです)。


いま駐車場になっているというピッチは「第三ピッチ」。これは日本代表用が練習する特別なピッチです。西さんは震災前、仕事の合間にこのピッチを眺めて休憩するのが好きだったといいます。

一度はJビレッジを離れた西さん、料理人として色んな仕事のオファーもあったと言います、しかし震災2か月後に厨房の様子を確認しようとJビレッジへ戻った時のこと。そこで目の当たりにした光景が、西さんを大きな決意に駆り立てました。

◆24番目のメンバー
(2011年)4月から、Jビレッジに働いてた人が別なところで働くということになった。Jビレッジのレストランには包丁とかみんな置きっぱなしだったので、それを送り届けるのは僕の役目と思って戻ったところ、目にしたのは作業員の厳しい環境。それを見て、果たして僕自身、東京でお酒飲んだりしてていいのだろうか・・・あそこで15年働いて、いま困ってる人がいる・・・なにか自分のできることがあるんじゃないか?と戻る決心をした。良かったと思ったのは、一緒に働いてたスタッフが一緒にやりましょう!と言ってくれた人が多数いたこと。(やっぱりチームですね)社名が「ドリーム24」。母が「大きな夢を持たないと!」いうのでドリームに。24はサポーターナンバー。サポートする会社になろうと名前を付けた。


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パーソナリティ 鈴村健一

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