2014年7月8日
7月8日 石巻市 三輪田窯2
引き続き、宮城県石巻市の陶芸家・亀山英児さんのインタビューです。
北上川のほとり、三輪田(みのわだ)地区で、「三輪田窯」という窯を開き、焼き物作りを続ける亀山さん。東日本大震災 発災当時、亀山さんは窯で仕事をしている最中でした。三輪田地区は、海からおよそ10キロと離れているので、津波の被害は少なかったそうですが、亀山さんは、当時をこう振り返ります。
◆消防団として感じた無力感
(津波は)北上川もずっとのぼっていっている。この辺りは堤防があるので少し田んぼにあふれたくらいだが、水は登米のほうまで上がっていったと聞いている。その日は見にいかなかったが、2、3日して、消防団に入っていたので大川小の方に捜索救助にいき、堤防が切れているので車を止めて歩いて行ったが、細いところを歩いていると木を一本避けるにも人の力が無力だと感じた。重なっている木を、重機が入れない中で人力で1本ずつ除けていると1時間で疲れてしまう。もどかしさの中で時間が経過してしまう。どこに亡くなった方がいるかが分からないのでひたすら色んなところを探した。陶芸教室に来ていた子どもたちも救ったりしていた。学校のかばんが残っていて名札も残っていた。辛かったですね。でもやっぱり見つかっていない子は早く見つけてあげたいという気持ちもありますし。。。
亀山さんのご自宅や焼き窯、そしてご家族は、全員無事だったそうです。また、水道も電気も止まってしまった中、すぐそばを流れる沢水と、窯に使う薪があったおかげで、ライフラインは確保できた、というお話もしていました。
ただ、北上川付近では大川小学校の児童はじめ、多くの犠牲者が出ている中、亀山さんは焼き物作りを再開していいのか、葛藤したと言います。その気持を変えてくれたのは、ふと窯を訪れたお客さんの言葉でした。
◆自分の焼き物を、必要としてくれる人がいる
周りが全然そういう状況じゃなく焼き物を作れなかったが、声をかけてくれる人がいた。仮設住宅から来てくれた方が、「物は一通りそろっているけど、手作りの、ぬくもりのあるものが使いたい」と、うちの湯呑を買ってくれた。ああ作ってもいいのかな、そういう思いになってくれる人がいるなら作ってみたいなと思いはじめた。それがすごく大きなきっかけとしてあった。
明日も、三輪田窯の亀山さんのお話です。
北上川のほとり、三輪田(みのわだ)地区で、「三輪田窯」という窯を開き、焼き物作りを続ける亀山さん。東日本大震災 発災当時、亀山さんは窯で仕事をしている最中でした。三輪田地区は、海からおよそ10キロと離れているので、津波の被害は少なかったそうですが、亀山さんは、当時をこう振り返ります。
◆消防団として感じた無力感
(津波は)北上川もずっとのぼっていっている。この辺りは堤防があるので少し田んぼにあふれたくらいだが、水は登米のほうまで上がっていったと聞いている。その日は見にいかなかったが、2、3日して、消防団に入っていたので大川小の方に捜索救助にいき、堤防が切れているので車を止めて歩いて行ったが、細いところを歩いていると木を一本避けるにも人の力が無力だと感じた。重なっている木を、重機が入れない中で人力で1本ずつ除けていると1時間で疲れてしまう。もどかしさの中で時間が経過してしまう。どこに亡くなった方がいるかが分からないのでひたすら色んなところを探した。陶芸教室に来ていた子どもたちも救ったりしていた。学校のかばんが残っていて名札も残っていた。辛かったですね。でもやっぱり見つかっていない子は早く見つけてあげたいという気持ちもありますし。。。
亀山さんのご自宅や焼き窯、そしてご家族は、全員無事だったそうです。また、水道も電気も止まってしまった中、すぐそばを流れる沢水と、窯に使う薪があったおかげで、ライフラインは確保できた、というお話もしていました。
ただ、北上川付近では大川小学校の児童はじめ、多くの犠牲者が出ている中、亀山さんは焼き物作りを再開していいのか、葛藤したと言います。その気持を変えてくれたのは、ふと窯を訪れたお客さんの言葉でした。
◆自分の焼き物を、必要としてくれる人がいる
周りが全然そういう状況じゃなく焼き物を作れなかったが、声をかけてくれる人がいた。仮設住宅から来てくれた方が、「物は一通りそろっているけど、手作りの、ぬくもりのあるものが使いたい」と、うちの湯呑を買ってくれた。ああ作ってもいいのかな、そういう思いになってくれる人がいるなら作ってみたいなと思いはじめた。それがすごく大きなきっかけとしてあった。
明日も、三輪田窯の亀山さんのお話です。