2014年7月4日

7月4日 気仙沼の塩辛「波座物産」3

川崎市に本社を置く「波座物産(なぐらぶっさん)」は創業44年。宮城県気仙沼に工場を置いて、水産加工業を営んできました。

東日本大震災による津波で、工場は壊滅。しかし人とのつながりを第一に再建を進め、1年半で工場を再開させました。

「ここでしかこの味は出せない」という「波座物産」の塩辛。看板商品は「昔ながらの濃厚熟成塩辛」。
国産の真イカのみを使い、一カ月以上熟成させて仕上げたこだわりの塩辛で、今や入手するのが難しいほどの人気となっています。

今朝も「波座物産」専務取締役、朝田慶太さんのお話しです。

◆絶品!昔ながらの濃厚熟成塩辛
気仙沼は水産加工技術は高いレベルを持っている。それが家庭で違うが特徴ある塩辛を作っていた。もともとウチの工場長はメカブを作っていたので、塩辛ぜんぜん作ったことなかった。で、やってみようという事で試行錯誤して、3〜4年ぐらいかかって、ようやく完成させた。日本中どこを探してもこんなに手間をかける塩辛は無い。原料はもちろん、イカを一度一夜干しにしている。一夜干しにすると旨みが凝縮する。それをイカの内臓を調味したものに漬け込む。漬け込むことで干したイカに旨みが戻ってくる。元の形に戻るまで最低一カ月。長い時は2ヶ月ぐらい寝かせる。発酵が生きたタイプの塩辛。レシピは有るが工場長の経験と勘。20年間書き続けたノートがある。私が見ても分からない。そのノートも津波に流された、と思ってたら工場長の長男が水の中から見つけてきた。新しい工場が出来た時もかなり助かった。私もびっくりした。やっぱりこの昔ながらの濃厚熟成塩辛、うちのメインの商材なので皆さんに食べてもらいたい。という気持ちでやってる。


お話しに出てきた「昔ながらの濃厚熟成塩辛」などの塩辛シリーズに加えて、「波座物産」では、松前漬けや、イクラの醤油漬けなど、三陸の美味しい海の幸を販売しています。

いすれも波座物産のオフィシャルサイトから購入可能。
また一部店舗を除く、首都圏のイトーヨーカドーなどでも販売中です。

「波座物産」オフィシャルサイト

2014年7月4日

7月3日 気仙沼の塩辛「波座物産」2

川崎市に本社を置く「波座物産(なぐらぶっさん)」は創業44年。宮城県気仙沼に工場を置いて、水産加工業を営んできました。

看板商品は「昔ながらの濃厚熟成塩辛」。国産の真イカのみを使い、一カ月以上熟成させて仕上げたこだわりの塩辛は、知る人ぞ知る、波座物産の人気商品でした。しかし、東日本大震災による津波で、気仙沼工場は2階まで浸水。加工のための機械も流され、地盤沈下も追い打ちをかけます。

お話は「波座物産」専務取締役、朝田慶太さんです。

◆震災を乗り越え、気仙沼への想い
ほんとに最初見たときは、看板も建物も残っているから、軽い気持ちで大丈夫なんじゃないかなと。でも実際中に足を踏み入れたら、想像を超えた被害が大きかった。地盤も沈下し、想像もしない事態になっていた。これはちょっと無理だなと。ただ、気仙沼に対する想いもすごく強かったし、やっぱり人。ここでこの人達と縁がなくなってしまうということは考えられなかった。それで、震災翌月の2011年4月から新しい土地の確保をするためにいろいろ探して、9か月ぐらい、12月1日に新しい土地の契約をなんとかすることができた。もともとあった場所から内陸に1キロないぐらいの場所に工場を移動した。
他でやったほうがいいんじゃないの?と言われたこともあったし、考えたことも実際あったが、それはできなかった。気仙沼じゃないとつくれない商品が、うちの特徴である塩辛なので、なんとしても気仙沼でやりたいという気持ちが強かった。


実際、函館にある工場で一時的に塩辛を作った事もあったそうなんですが、どうしても味を再現できなかったんだそうです。そしてなにより、朝田さんを「気仙沼工場再開」に奮い立たせたのは、工場のスタッフとの「強い絆」でした。

◆学校再生へ
わたしが震災直後に支援物資を積んで気仙沼に入ったときに、気仙沼工場のスタッフに約束したのは、必ず工場を再開するからその時まで待ってくれ、その時には必ず一緒に仕事をしましょうと話をした。でもその前に一旦皆さんを解雇しなければならなかった。それは、雇用保険の問題などがいろいろあったが、それ(解雇)をするということが非常につらいことで。いま思い出すだけで、胸が熱くなる。でも、その時に、また皆で仕事をしましょうと約束をして、皆も待っていてくれた。待っている間もスタッフの皆が集まって食事会をしていたという。それをわたしは知らなかったが、気仙沼に行ったときに「専務もどうですか?」と誘われて、初めて知った。本当にうれしくて、早く声をかけて一緒にやりたいねと。そして本当に(工場再開の際には)皆戻ってきてくれたから、それが本当にうれしかった



震災翌年の2012年春には、工場の再建を始め、秋に操業開始。比較的早いスピードで、工場再開にこぎつけました。
朝田さんはいまも、東京と気仙沼を往復する毎日。主力の「塩辛」の人気が高まる中、生産量を増やしたいところなんですが、目下の悩みは、人出不足。気仙沼では復興事業など、他の職種に人出が集中してしまって、募集をかけても、なかなか人が集まらないといいます。これも、被災地が抱える現実です。
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パーソナリティ 鈴村健一

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