2012年5月2日

5月2日「岩手県山田町・心の支えである『神社と祭』」

岩手県山田町・山田八幡宮と大杉神社の例大祭「山田祭」に伝わる「八幡大神楽」の歌神楽。
明治19年から参加している、歴史ある民族芸能です。

「山田祭」は三陸有数の船祭り。
船祭りの多くが、岸壁から直接船に神輿を乗せるのに対し、山田祭では、海から直接神輿を引き上げるという伝統のスタイルを守り続けている、全国的にも類を見ないお祭りだそうです。

山田町にも昨年3月、地震と津波が押し寄せました。

山田八幡宮と大杉神社の宮司・佐藤明徳さんにお話を伺いました。


◆祭り好きの多い町・山田町
山田祭は山田八幡宮と大杉神社で、3日間に渡って行なう。祭り好きのDNAが組み込まれているのが山田の人間。子供からお年寄りまでお祭り好きが多い町。
お盆に帰省せず、祭に帰ってくる。そうすると街の人口が普段の2倍になったりする。故郷を離れて嫁にいった人も、子供を連れて帰ってくる。祭りが大好きな町民性がある街。


◆震災の被害
2つの祭りに参加する8団体のうち5団体は、祭りの道具を保管してあるところが、津波やその後の火災で100%無くなった。
祭りの中心となる八幡宮は高台にあり助かったが、大杉神社は鳥居一つと鉄筋が残っただけ。



震災で、大杉神社だけでなく、約1600世帯の氏子の8割が壊滅的な被害を受けたといいます。
それでも昨年の9月には規模を縮小して、「山田祭」を再開。
しかし、祭りの再興には、思わぬ壁が立ちはだかっていました。

◆自分たちでやるしかない
しょうがない話だが、文科省は郷土芸能を守るため、支援で太鼓や半纏を作ってくれたりするが、郷土芸能の軸となる神社には、政教分離の壁になって、神社の復興のための支援は一切出ない。
昭和20年の終戦のとき、神社は「宗教法人」にさせられた。新しい日本国憲法によって政治と宗教は離すという基本原則。被災した寺も協会も一切公的な支援を受けられない。これが寺社、ひいては街の復興の妨げになっている。
神社や寺は人々の心の支えになっている場所。自分たちでやるしかない。時間がかかってもやるしかないと思っている。街の人間の想いは一つ。一日もはやく大杉神社を復興して、昔に近い祭を再開したい。

2012年5月1日

5月1日「藻塩作りが支える塩竃の復興」

数千年にわたる塩づくりの歴史をもつ宮城県塩竈市では、海藻のホンダワラを用いた伝統の「藻塩作り」が、いま改めて注目されています。

6年前に「藻塩」の製造を始めたのが、「合同会社 顔晴れ(がんばれ)塩竈」の及川文男さんです。
昨年の震災では、沿岸部に位置する工房と事務所にも津波が押し寄せたそうです。

◆震災から復旧への力添え
 3メートルの水が入った。電気系統(乾燥、脱水、ボイラー)も全てダメになった。
 でも復旧の力添えになったのは、残った神棚、竈、そして「顔晴れ塩竈」という看板。
 これが神様からのお告げかなと思って、次の日から前に進んだ。


◆震災から2か月後の5月中旬に営業再開
 塩なくして塩竈を語ることはできない。塩竈には6800年に渡る長い歴史と文化がある。それを子供たちに伝えてやるのが大人の責任。いままでそれをやっていなかった。こういう啓蒙活動をしないで故郷の誇りなんて語れないと思った。
 工房を兼ねた体験の場、歴史、文化を教える場所、また塩をつかった商品の展示販売ができる「塩のミュージアム」を作るのが私の夢。


◆活気を取り戻すには時間がかかる
 被災地に働く場所を見つけないと人は街からいなくなる。我々が塩竈の一つの産業の核になりたいと思っている。
 塩竈は魚の街だが、3年前から我々が塩の事業を始めてから、塩をつかったスイーツがけっこう来ている。今まで考えられなかった。
 市のマイナスになった勢いを、いろいろなことに転換しながら補っていきたい。


「顔晴れ塩竈」では、工房の見学と塩作り体験をすることもできます。(要・事前連絡)

【合同会社 顔晴れ(がんばれ)塩竈 Official Website】
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パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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