2014年5月27日

5月26日 福島県大熊町 木村紀夫さん(1)

福島県大熊町は、福島第一原発が立地する町。
いまも、町民全員が町の外に避難する、「全町避難」が続いています。

木村紀夫さんは、震災前、家族でこの大熊町に住み、隣町、富岡の養豚場で働いていました。両親、妻、二人の娘、そして愛犬との、何気ない日常。それが、震災で一変します。

震災当時、木村さんは職場で大きな揺れに襲われました。家族のことが頭にありましたが、夕方までは職場で仕事を続けたといいます。

◆津波と原発事故の両方の被害
3メートルの津波が来るという最初の情報を鵜のみにして、それなら自宅が海抜5〜6メートルだから大丈夫だろうと、仕事を続けていた。自宅に戻ったのは夕方6時ちかく。津波でめちゃくちゃな状況で、避難所に行って、そこで初めて、自分の母親から三人(父、妻、次女)が見あたらないと知らされた。
夜自宅に戻ると、買っていた犬がリードをつけた状態で飛び出してきて、普通リードはしていないので誰かがリードをつけて逃がしたのかと。犬も津波で濡れて砂をかぶっていて、初めてそこで本当に流されたのかと思った。次の朝、部落の区長が来て「避難指示が出た」と。その時に「生きているもののほうが大事」という話をされて、はっと長女のことが気になり始めて、避難させなきゃと気持ちが切り替わった。


木村さんは津波で父と妻を亡くし、次女の汐凪ちゃんは、いまだに行方がわからないまま。いまも、自らの手で、汐凪ちゃんの捜索を続けています。

そして現在、長女と二人、長野県白馬村に移り住み、新たな生活をスタートさせました。明日はそんな白馬での暮らしと、いまの想いを伺います。

2014年5月21日

5月22日 舞根森里海研究所〜舞根湾のいま(畠山信)

月曜日から、宮城県気仙沼のNPO法人「森は海の恋人」の活動をレポートしてきましたが、今日でラストです。

森は海の恋人の新しい活動拠点「舞根 森里海研究所」。この施設は今後、震災後の海の環境調査の拠点となり、15の大学の研究者がデータを共有しながら、調査を続けることになります。

元々この調査は、津波を受けた海で牡蠣養殖を再開するために始まったものなのですが、森は海の恋人・副理事長の畠山信さんによれば、舞根湾は震災前とは「全く別の海」になっていると言います。

◆地震と津波は生態系をどう変えたか
東日本大震災の前と後で海の状況がどう変わったかは調査も行われ、データも取れている。震災前の海ではない別の海と言える。同じ部分もあるが完全に同じではない。生き物の種類もそう。地盤が沈下したというのが大きな理由。時間を追うごとに刻々と、海自体が大きな生き物みたいなものなので変化している。潮の流れも明らかに変わりプランクトンの種類も年々変わる。変わらないものもいるが今までこんなのいなかったというのもいたりするし、魚も同じ。ただ人にとって有用か有用じゃないかを別にすれば生態系は良くなっている。
海岸の護岸が崩れていたりするがその隙間にウナギが住んでいたり、災害復旧、道路や護岸の修復がこの地区では道路や護岸の修復が少なく重機も入っていない。そのため勝手に生き物が増えている。草原だった場所が林に、林が森にという自然の遷移が、海でも感じられるようになってきた。


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パーソナリティ 鈴村健一

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