2014年4月1日

4月1日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師2

引き続き「東北食べる通信」が取り上げた、生産者の声をお届けします。

2月号で紹介されたのが、宮城県 東松島市の「一番摘みの海苔」と、その生産者、大曲浜(おおまがりはま)の海苔漁師・相澤太さん。19歳で、祖父や父と同じ海苔漁師の道を歩みだした相澤さんは海苔づくりの世界に没頭して、品評会で優勝も経験する中、見た目と効率を優先する、海苔業界の風潮に疑問を持ち始めたと言います。本当に美味しい海苔を食べてほしい、そう考えた相澤さんは、20代後半で、ある行動を始めました。

◆「I LOVE 海苔」 !
市場を変えなきゃ、海苔の業界を変えなきゃと思い、自分が作った海苔をいかに自分で売れるようにしていくかを考えて、28歳で初めて営業をした。それは何の知識もなく、漁師しかやったことのない自分が、山形のあんまり海苔の無い地区の道の駅を回ることにした。8か所くらいまわったが話も聞いてもらえない、置いてもらえない。その頃はアホなのでサンダル、Tシャツ、ジーパン、ピアスに茶髪だった(笑) 今だからこそ、もし俺だったらこんな人の話を聞かねえわ…と思うのだけど、当時は勢いだったので、うわ、誰も話を聞いてくれない・・・と思った。そして企画書を書けなきゃダメだなとか、敬語使えないとダメだとか考えて、初歩的なことなんですが、そこから本屋さんで本を買って色々勉強して企画書を書けるようになり、企画書を持って蛇田にある石巻イオンに持っていった。でもアホなのでアポなし(笑) 駐車場からイオンに電話をしたらパートのおばちゃんが出た。あっちは分かっている人だと思って、一番偉い人につないだ。実はこういうわけでと説明したら「相澤さん、絶対にそれは無理です」と言われたが、近くにいるんで話だけ聞いてくださいと頼んで話をしたら、勢いがある営業だったためか、入れてもいいかなと思ったんではないか。蛇田のイオンで取引してもらえるようになり、海苔自体のパッケージも自分で考えて持って行った。今まで全部黒いパッケージでつまらなかったので、その中に白いパッケージがあったらどうだと思って真っ白い紙に「アイラブ海苔」と書いた笑 絶対にこれ(手に)取るべと。取ってもらうと裏には生産現場の写真と、作り手の想いが書いてある。とにかく手に取ってもらうことが勝負だと思った。その企画の話もして入れてもらえるようになってやっていた。
          



海苔の加工には、「海苔の中に混ざった不純物」を取り除く機械があります。ただ、この機械を導入するかどうかは“生産者の任意”。相澤さんは、安心・安全な海苔を出すためにこの機械を導入しており、
自ら、それをアピールして営業をしたと話しています。

明日も、東北食べる通信2月号から、海苔漁師・相澤太さんのお話、お届けします。

2014年3月31日

3月31日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師1

今朝は、この番組では何度も取り上げています。『東北 食べる通信』の続報です。東北の、農業・漁業に携わる“生産者”を取材した記事とともに、その「生産物」が、付録としてついてくる・・・史上初の“食べる情報誌”が、「東北食べる通信」です。

その2月号の付録が、宮城県 東松島市で、今年最初に獲れた「一番摘みの海苔」!生産者は、東松島 大曲浜の海苔漁師・相澤太さん、人呼んで、「海苔の顔が見える 職人漁師」です!


◆海苔の顔が見える職人漁師
味と言うか、海苔は種付けから育苗で、赤ちゃんの育て方で将来が全部変わる。今の海苔がどういう表情をしているのか、喜んでいるのかきつそうな顔をしているのかはわかるってことですよ。


相澤さんは現在34歳。おじいさんの代から続く海苔漁師さんです。2009年には海苔の品評会で史上最年少優勝を果たし、その海苔は皇室にも献上されています。

今では地元海苔漁師の間で“若きエース”と言われる相澤さんですが、高校時代はサーフィンばかりしていたそうです。
転機が訪れたのは高校卒業の時。一度就職していつかは漁師になろうと考えていた太さんに対しお父さんは「今、やる気がないならやるな」と一喝。太さんは腹をくくり海苔漁師の道へ進むことを決意して、九州・熊本県にある、海苔の種づくりの会社へ、単身修行の旅へ出たと言います。

◆品評会で優勝して、いろんなものが見えた
海苔漁師を19歳からやりはじめて、九州での研修を終えて帰ってきて変な自信があった。自分は勉強してきたんだ、と。でも帰ってきて色々やってみると何も分からずコテンパンに打ちのめされた。こういう仕事って経験がある人がわかっている。海のこともどうやったらいいものを作れるかも。だから人の仕事を見るようにした。海で張っている網を見て、失敗した人のも成功した人のも見る。おやじは一切教えてくれなかったんですよね。だから見た分だけ経験にできた。23歳でたまたまだ乾海苔の品評会で準優勝を取れた。それでさらにそこから優勝をしたいと思うようにあった。良い海苔を取れるように勉強して、28歳ではじめて優勝。それと同時に色んなものが見えてきた。良いものを作り続けても漁師はいなくなる。良いものを作ったって消費者に届いていない。問屋さんは「海苔は10年くらいストックできるからね」と言う。10年前の海苔が当たり前に市場に出回っている、味がないし風味がないのは当たり前。それにすごくショックを受けた。だったら俺は見た目じゃなくて美味しいものを作らないと、と思った。それまでの品評会は見た目重視でいかに問屋に買ってもらえるかが、良いものの基準だった。問屋さんが言う良いものは、色つやや味もあるが、やはり”歩留り”。壊れにくくてストックしやすい、モノがそろっていて扱いやすい海苔。味じゃない。だから、やっぱりここは俺の世代だ、こういう漁業や市場を変えるのは俺の世代。自分でもっとおいしいものを作ろうとやりだした。

                   
こうして相澤さんは、20代で海苔づくりに夢中になっていきました。海の上で育てる海苔は、こまめに育成状況を確認する必要があり、 相澤さんは「海苔が心配で、船の上で眠ってしまったこともある」そう。こうして朝から晩まで海苔に寄り添い続けているうちに、相澤さんは「海苔の顔がわかる」ようになった…といいます。


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パーソナリティ 鈴村健一

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