2014年1月30日

1月30日飯舘村のいま 前田区長・長谷川健一さん3

引き続き、福島県 飯舘村の酪農家の声です。

去年12月、東京で開かれた、作家・渡辺一枝さんが企画する「福島の声を聞こう」。このイベントにスピーカーとして招かれたのが、飯舘村前田地区の区長で酪農家の長谷川健一さんです。

長谷川さんは、飯舘村 菅野典雄村長が主張する、村民が村に戻るための基準「年間追加被ばく線量で5ミリシーベルト以下」という数値について真っ向から反対しています。

◆5ミリシーベルトを巡る対立
国では追加被ばく線量を「1ミリシーベルトを長期的には目指しますよ」と言っているんですね。ところが飯舘村村長さんは、「いやいや、飯舘村は5ミリでいいですよ」ということがはじまった。今度は環境省でそれに乗っかってきた。国では1ミリシーベルトと言っているんだけども、飯舘村に関しては極力5ミリシーベルトに近づけるように努力しますと、こういうことを国で言ってきた。とんでもないことだと。私も村長にかみついた。すると、「国が言う1ミリシーベルトを待っていたのでは10年も20年も帰村できないでしょ、だから5ミリなんだ、多少のリスクは仕方がないでしょう」と。健康とか安心安全という言葉はどっか言っちゃった。
とんでもない話です。私は今度は村長に対して、5ミリという数字がどういう数字かわかっているのか、わかっていないなら教えてやると、5ミリという数字はチェルノブイリにすれば「移住の義務のライン」だぞ。日本だって病院の放射線管理区域が5ミリ。そういうところを飯舘村は目指すのか、できなくてもできなくても、国がいう1ミリシーベルトに極力近づけろと、それが当たり前だと私は思います。そして先月27日に飯舘村のワークショップがあり、村長に質問をした。村長は帰村宣言を出すにあたってどの時点で出すつもりなのか。まず一つは、「住環境の除染を終えた時点で帰村宣言を出すのか」、ふたつめが「住環境と農地の除染を終えた時点で出すのか」、三つ目「住宅地と農地と、山積みの汚染度を撤去した時点で出すのか」どれだと。するとなんとなさけなや、村長の答えは、「1住環境の除染を終えた時点」で帰村宣言だった。田圃も畑も除染をせず、汚染度が山住の中で帰れるわけねえだろ、何考えているんだと。これからもこの戦いはずーっと続きます。


今朝は、去年12月に開かれた、「福島の声を聞こう」というトークイベントから、福島県飯舘村・前田地区の区長で、酪農家の長谷川健一さんのお話をお届けしました。

飯舘村は震災前、豊かな自然を活用するライフスタイルを実践する村として、全国的にも高い評価を受けていました。その村づくりを主導したのが、菅野村長です。そして長谷川さんは元々、菅野村長を支援する、最大の支持者の一人でした。2人は、「良い村を作る」という共通の目的を持つ関係だったそうです。

明日は、飯舘村の「除染」をめぐる、長谷川さんのお話をお伝えします。


長谷川さんの著書『原発に「ふるさと」を奪われて~福島県飯舘村・酪農家の叫び』

2014年1月29日

1月29日 飯舘村のいま 前田区長・長谷川健一さん2

引き続き、福島県 飯舘村の酪農家の声です。

去年12月、東京で開かれた、作家・渡辺一技さんが企画する「福島の声を聞こう」。このイベントにスピーカーとして招かれたのが、飯舘村前田地区の区長で、酪農家の長谷川健一さんです。

福島第一原発の事故発生から1か月後の2011年4月中旬、政府は飯舘村を「計画的避難区域」に指定。村民は避難を余儀なくされました。そして長谷川さんをはじめとした酪農家の方々は、もう一つのつらい選択をしなければなりませんでした。

◆11戸の酪農家、苦渋の決断
我々酪農家は、「飯舘村は計画的避難区域に設定されたのだから、そこに牛は飼ってはダメですよ」と言われた。さらにそれにおまけがついた。牛を移動してダメだといわれた。何を言っている。牛は移動してはダメだ、人間は避難してくださいと。そんなむちゃくちゃな話は無いだろう。牛が餓死するだろう。そんなことできないぞと。私は酪農家組合の役員をやっています。協議をした結果こういわれた。「飯舘村の牛2頭を屠畜してください。その肉から放射性物質が検出されなければ、飯舘村の酪農家の親牛を全部屠畜してもいいですよ」と言われた。みんなで考えた。しかし餓死させるよりはその方がよいだろうということで、屠畜という道を選ばざるを得なかったわけですね。この映像は私のうちの牛が屠畜に連れていかれる映像。
ロープを結っているのはうちの息子です。事故の6年前に、「おやじ、俺べこやる」と戻ってきたんですね。そして牛のお尻を押しているのが私の次男坊で、立っているのが女房です。家族と同じ牛が屠畜に連れていかれる。ごめんね、ごめんねと泣きながら牛が積まれていくトラックを追いかけた。本当になぜこんなことが起きたのか。からっぽの牛舎に入って、俺はこれからどうすっぺと、そういう思いにふけっていた時に、ついに私たちが最も恐れていたことが起きてしまった。「原発さえなければ」、という走り書きを残して、飯舘村のすぐとなり相馬市の酪農家、私の友人(が自殺)。さらに南相馬市では93歳のおばあちゃんが、「私はお墓に避難します」と命を絶った。こういうことがどんどん起きていった。
2年8か月の避難生活でみんな疲れ切り、どうでもよい、投げやりな気持ちになっている。それが現状です。      


こうして2011年4月末、牧草から基準を超える放射性物質が検出されるおそれがある、などの理由で、
長谷川さんはじめ飯舘の酪農家の方は、「酪農を『休止』する」こと決定。11軒あった酪農家は、すべての牛を失いました。長谷川さん自身、30年以上続けてきた酪農から離れることに。そしてその2か月後、相馬市の酪農家の男性が、「原発さえなければと思ます」という言葉や、家族へ詫びる言葉を書き置いて命を絶った出来事は、当時ニュースでも報じられました。

明日は、飯舘村ではじまった「除染」の現状について長谷川さんのお話をお伝えします。


長谷川さんの著書『原発に「ふるさと」を奪われて~福島県飯舘村・酪農家の叫び』
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 746 | 747 | 748 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN