2014年1月28日

1月28日 飯舘村のいま 前田区長・長谷川健一さん1

きのうお伝えした、福島県飯舘村、菅野典雄村長の会見に引き続き、今日は、飯舘村・村民の方の声です

お伝えするのは、菅野村長の会見直後、去年12月8日に東京で開かれた、作家・渡辺一技さんが企画する「福島の声を聞こう」というトークイベントの模様です。
この日、イベントに招かれたのは、飯舘村前田地区の区長で、酪農家の長谷川健一さん。長谷川さんは、菅野村長の「年間追加被ばく線量で5ミリシーベルト以下」を、村に戻る基準とする考えに、真っ向から反対しています。まずは長谷川さんによる、福島第一原発事故直後の振り返りです。

◆「までいの村」に降り注いだ放射能
まずですね、飯舘村、この私の地区であの事故後に45キロ地点でプルトニウム、ストロンチウムが検出されたという報道が出ましたけれども、ということはそういう猛毒の物質にまで飯舘村は汚染されてしまったんだなと、そういう思いがします。まあそんな飯舘村、事故の前はどんな村だったのかと申しますと、一言で言えば美しい村。山間の本当に素朴で静かな村ということが言えます。皆さんもご存知かと思いますが、「までいな村」、までい、とは東北地方の方言で、物事を大切に、丁重に、手を携えて、色んな意味合いがあります。そんな言葉を合言葉にして村づくりを進めてきた。

そんな村に3月14日、3号機が大爆発を起こすわけですが、その前から3キロ、5キロ、10キロと避難の指示が出ました。そしてこの3号機の大爆発と同時に、飯舘村のさきほどの30キロ圏内、一部が30キロ圏内に入るので屋内退避の指示が出た。それでも我々は「国も万が一のことを考えてそういう対応をしたんだろう」と、そう思っていたんです。ところがその時はすでに放射能は来ていたんです。当時のSPEEDIの映像を見ると、まるで飯舘村を目がけているように放射能が流れているんですね。そしてこういうデーターが国によって隠ぺいされ、その結果我々は無用な被爆を続けたと言っても過言ではないと、そういう思いがします。そんな中で、3月21日には飯舘村の水道水の摂取制限がかかった。放射性ヨウ素967ベクレルが検出され、水を飲んじゃだめと言われた。しかし時すでに遅し、飯舘村の人たちはその水を飲んでご飯を炊き、風呂に入っていたんですね。そういう対応の遅れがこれからも問いただされなければならないと、そんな思いがします。


長谷川さんによれば、その後2011年3月下旬から4月にかけて、「放射線の専門家」を名乗る学者が飯舘村に入り「安全」を訴えたと言います。これを受け、自主避難していた村民は次々村へ戻り、飯舘村で普段の生活を始めたそうです。しかしその直後、4月中旬に、政府は飯舘村を「計画的非難区域」に指定しました。安全を強調した科学者と、計画的非難区域に指定した政府。飯舘の村民の方々は翻弄され続けたのは事実です。

そして長谷川さんは、原発事故直後から、ビデオカメラを回し続け、人のいなくなった飯舘村の見回りを続け、そこで見たことを全国各地で伝え続けています。


長谷川さんの著書『原発に「ふるさと」を奪われて~福島県飯舘村・酪農家の叫び』

明日は、避難を余儀なくされた飯舘の酪農家たちの、苦渋の選択について、長谷川さんのお話をお伝えします。

2014年1月27日

1月27日 飯舘村のいま 菅野村長の主張

今週は飯舘村が、置かれている現状についてお伝えします。

福島県 飯舘村は、福島第一原発から距離にして30キロ以上離れています。しかし原発事故直後の風向きなどの影響で、多くの土地が放射能に汚染されました。村は現在、線量に応じて、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に分かれており、村民およそ6,600人のほとんどが、県内・県外で避難生活を続けています。

そんな中、去年12月4日、飯舘村・菅野典雄村長は、東京で記者会見し、村の今後と、帰村に関する考えを語りました。

◆5ミリシーベルト以下を帰村の基準に
一つだけここでお話させて頂くと、放射能に対して避難はしなければならない。これは当たり前でありますけれども、じゃあそのために住民の生活をズタズタにしていいのかという両面、ですから、生活の変化によって起きるリスクと放射能のリスクとどうバランスを取りながら避難をさせるかというのが大切だ。

ただ、国も、失礼ですがメディアの人も「危ないから避難しろ」と言っていれば、それはそれで正論でございますからいいのですが、私はそうもいかないなあというところで住民に集まって頂いて喧々諤々の議論になり、あるいは将来に向けてのお話ができると、こういうことでございます。一つは除染の問題。国からは年間20ミリシーベルトになるので避難しなさい、という話だったわけであります。ですから基本的にはそこが基準ですから20ミリに、ということなんでしょうけども、それは避難する時の値でありますから、戻るときにも、それでいいよという話は、それはちょっときついでしょうと。ですから今、除染をモデルを、飯舘村はいち早く入れさせました。

その結果、除染をすればだいたい毎時1マイクロシーベルトくらいにはなるということがわかりましたので、とりあえず除染の目標を5ミリシーベルトにということで言っているところであります。私の村と伊達市だけです。あとはみんな1ミリシーベルトということでありますが、残念ながら学者も右から左までいます。私は1ミリシーベルトの呪縛を早く取り除かないと大変なことになるという風に、私は思っています。今はやはり、かなりの人たちが「ここでは死にたくないよ、戻りたい」と、どんどんと環境の違ったところでの生活から体を悪くしているところを考えれば、戻れない人はそれはそれで、村としても仕方がないですよとちゃんと言っているわけでありますから、私は5ミリということで帰村を考えてみたいと、このように思っているところです。


村長によれば、飯舘村は原発事故の前、世帯数は「1700世帯」でしたが現在は、およそ3100世帯と、世帯数が増えています。これは、もともと大家族で暮らしていた方々が、同じ仮設住宅やアパートなどに入ることができず、バラバラになってしまったことを意味します。
そんな状況を受け、菅野村長は、村民との議論を重ねたと話、その結果打ち出したのが「年間追加被ばく線量で5ミリシーベルト以下」という基準です。この数値まで除染できれば、帰村を進めると菅野村長は考えています。

一方、飯舘村の村民は、村長の考えをどう受け止めているのでしょうか。明日は、飯舘村の酪農家の声をお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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