2013年12月10日
12月10日 三陸ジオパーク
今朝は、「三陸ジオパーク」についてお伝えします。
ジオパークの「ジオ」は、地球のこと。ジオパークとは、自然の地形をそのまま利用した、「公園」のようなものです。実はいま、被災地沿岸部、青森・岩手・宮城にまたがる三陸地域が、日本ジオパークの審査を受けて、「三陸ジオパーク」に認定され、観光資源としての活用が始まっています。
三陸ジオパークの推進員、関博充さんに伺いました。
◆「大地の公園」を三陸に!
ジオパークは直訳すると「大地の公園」。そもそも津波以前から三陸地域は大地が作る造形がある場所だったためジオパーク活動を進めていたが、3月11日の地震と津波も地球活動の一つとしてとらえればジオパーク活動の大きな目玉になる、世界に打って出る視点になるということも含めて、今回の津波の被害を受けた建物跡、津波で運ばれた災害の建物跡も、ジオパークとして扱っている。
地球が起こす現象が作った海・陸地・自然。これがジオパークの大事な要素。それに加えて三陸ジオパークは、地震や津波という地球活動によって被害を受けた建物も、ジオパークと捉えています。
そして高橋万里恵は先日、この三陸ジオパークの一つ、岩手県大槌町のジオパークへ行ってきました。こちらでは、大槌町の地元有志達が、ジオパークをめぐるガイドをしてくれるのですが、今回、私を案内してくれたガイドさんは、地元の高校生の女の子でした!
◆大槌町の今を伝える高校生ガイド
みなさんが見ているのが大槌町の旧役場庁舎です。震災当時町長さんたちもいて136人が働いていました。津波による被害で40名が犠牲になった。なぜそれほどの数が亡くなったかというと、津波が来ることをわかりながらも高台ではなく、波を逃れられると考えられる屋上でもなく、今立っているこの場所に災害本部を設立した。後ろにはコンクリートの壁が並んでいますが、あれが防潮堤です。海の水は見えないですよね。津波が来たといわれても、津波を知るときには実際にその波が足元にくるまで気づかなかった。高台に逃げようにも間に合うはずはなかった。そんな中で40名という犠牲者が出てしまいました。いま大槌町は復興計画が出ているが、みなさんが見えている防潮堤の高さが6.4m。復興基本計画ではあの防潮堤が14.5mの高さになるといわれています。およそビル3階、建物の高さ。
そうなると今でさえ海の水が見えないのに、大槌町はコンクリートの壁に囲まれた町になってしまうというのが住民の中で問題になっている。被災地に目を向けられていない方にも発信することがはじまるのではないかと感じている。今から少し歩くんですがついてきてもらえればと思います。
大槌町の地元有志による団体「おらが大槌夢広場」の一員で、ジオパークのガイドを務めてくれたのが、地元の高校2年生、小林寿美さん。一見、とてもあどけない女の子ですが、ガイドをする姿は、本当にしっかりしていて、大人顔負けでした。大槌町では、彼女をはじめ地元の高校生たちから、街の復興にかかわりたいという声が本当にたくさんあり、高校生たちが自らガイドを買って出たそうです。現在、ガイドは70歳から高校生まで、6〜7名。高校生ガイドは、小林寿美さんを含め、4人いるということです。
大槌町でのことみちゃんのガイドはこのあとも続きます。明日も引き続き、お伝えします。
ジオパークの「ジオ」は、地球のこと。ジオパークとは、自然の地形をそのまま利用した、「公園」のようなものです。実はいま、被災地沿岸部、青森・岩手・宮城にまたがる三陸地域が、日本ジオパークの審査を受けて、「三陸ジオパーク」に認定され、観光資源としての活用が始まっています。
三陸ジオパークの推進員、関博充さんに伺いました。
◆「大地の公園」を三陸に!
ジオパークは直訳すると「大地の公園」。そもそも津波以前から三陸地域は大地が作る造形がある場所だったためジオパーク活動を進めていたが、3月11日の地震と津波も地球活動の一つとしてとらえればジオパーク活動の大きな目玉になる、世界に打って出る視点になるということも含めて、今回の津波の被害を受けた建物跡、津波で運ばれた災害の建物跡も、ジオパークとして扱っている。
地球が起こす現象が作った海・陸地・自然。これがジオパークの大事な要素。それに加えて三陸ジオパークは、地震や津波という地球活動によって被害を受けた建物も、ジオパークと捉えています。
そして高橋万里恵は先日、この三陸ジオパークの一つ、岩手県大槌町のジオパークへ行ってきました。こちらでは、大槌町の地元有志達が、ジオパークをめぐるガイドをしてくれるのですが、今回、私を案内してくれたガイドさんは、地元の高校生の女の子でした!
◆大槌町の今を伝える高校生ガイド
みなさんが見ているのが大槌町の旧役場庁舎です。震災当時町長さんたちもいて136人が働いていました。津波による被害で40名が犠牲になった。なぜそれほどの数が亡くなったかというと、津波が来ることをわかりながらも高台ではなく、波を逃れられると考えられる屋上でもなく、今立っているこの場所に災害本部を設立した。後ろにはコンクリートの壁が並んでいますが、あれが防潮堤です。海の水は見えないですよね。津波が来たといわれても、津波を知るときには実際にその波が足元にくるまで気づかなかった。高台に逃げようにも間に合うはずはなかった。そんな中で40名という犠牲者が出てしまいました。いま大槌町は復興計画が出ているが、みなさんが見えている防潮堤の高さが6.4m。復興基本計画ではあの防潮堤が14.5mの高さになるといわれています。およそビル3階、建物の高さ。
そうなると今でさえ海の水が見えないのに、大槌町はコンクリートの壁に囲まれた町になってしまうというのが住民の中で問題になっている。被災地に目を向けられていない方にも発信することがはじまるのではないかと感じている。今から少し歩くんですがついてきてもらえればと思います。
大槌町の地元有志による団体「おらが大槌夢広場」の一員で、ジオパークのガイドを務めてくれたのが、地元の高校2年生、小林寿美さん。一見、とてもあどけない女の子ですが、ガイドをする姿は、本当にしっかりしていて、大人顔負けでした。大槌町では、彼女をはじめ地元の高校生たちから、街の復興にかかわりたいという声が本当にたくさんあり、高校生たちが自らガイドを買って出たそうです。現在、ガイドは70歳から高校生まで、6〜7名。高校生ガイドは、小林寿美さんを含め、4人いるということです。
大槌町でのことみちゃんのガイドはこのあとも続きます。明日も引き続き、お伝えします。