2013年10月17日
10月17日 映像作家、海南友子さんインタビュー(3)
今週は映像作家、海南友子さんのインタビューです。海南さんは、福島第一原発と生年月日が全く同じ。原発事故も他人事ではないと、2011年4月、福島で取材を始めます。でも取材に入って1か月もしないうちに、今度は、自らの妊娠が明らかに。悩んだ末、海南さんは、福島、さらに東京も離れて、家族で京都に移住します。そして、2011年12月、男の子の赤ちゃんを出産しました。
◆福島からの避難母子を取材、あふれる想い
とりあえず生まれた直後は特別大きな病気がありそうな感じでもなかったので、ほっとして分娩台の上にいた、という感じ。検診などに行くと、ちょっと心配なことを言われたりすることがある。そうすると、どうしても放射能のことをつなげて考えてしまう自分がいる。おそらくこれは、3歳になっても5歳になっても、もしかしたら20歳や40歳になっても、うちの子どもがなにか放射能が関係している病気の疑いが持たれたときに、わたしは自分の責任をこれから何十年間も責めながら生きていくんだなと思う。
京都の近くにも、結構たくさんの(福島からの)避難母子が暮らしていて、そういうコミュニティがあるのがわかった。同じような気持ちで避難してきている方たちが、いまどうしているかというのをもっと取材したいなと思った。妊娠中から取材を始めて。実際どういう体験をして、いまどのように暮らしているのか、これからどうしたいのか。一人一人訪ねてお話を聞くというのを、一年半くらいやっている。自分もそうだけど、なんでいま京都に住んでいるのか。あの日を境に「運命」が変わってしまった人達が日本中にこんなにいるんだと、会えば会うほど感じる。多くの方が、「話を聞いてくれてどうもありがとうございました」とおっしゃる。話すことでもやもやがすっきりした、とお礼を言われることが多くて。それだけ皆さん思いがたまりにたまっている状態なんだなと思う。
海南さんは自身の体験と、避難母子のインタビューをまとめ、映画を製作中。
また先日「あなたを守りたい〜3.11と母子避難」というブックレットもリリースしています。
海南さんのサイト