2013年10月11日
10月11日 浪江焼麺太国@関東甲信越B-1グランプリin勝浦
今朝は、9月末、千葉県勝浦市で行われた関東甲信越B−1グランプリin勝浦からのレポートです。
ご当地グルメの町おこし団体によるイベント、B1グランプリの、この地区大会は、2日でおよそ12万人を集め、全国から様々なまちおこし団体が出展。その中に、福島県双葉郡・浪江町の町おこし団体
「浪江焼麺太国」のメンバーの姿もありました。リーダーの八島貞之さんのお話です。
◆心を繋ぎとめるために
浪江焼麺太国の大王です。震災当時、避難した先がバラバラになってしまい、それぞれ避難先から集まってくるようになっている。今回は、宮城県岩沼、茨城、東京、福島の5人。元々平成20年に商工会青年部の部長だった時に町おこし事業をやろうと考えた。目的は仲間作りだった。せっかくあそこまでやってきて、いま離れ離れになったからって諦めきれない。一時は色々悩んだ。家族の負担、避難先で不安な状況なのにやっていていいのか。速く生活を安定させなければ。色々悩んだが出来る限りこられないメンバーをカバーしながらやり続けている。宮城や岩手では私らと同じ世代が前向きに、一所懸命に仕事をして復興の先頭に立っているが、私たちには何もできない。でもせめて焼きそばでみんなの心を繋ぎとめることができるのかなと思ってやっています。
浪江町は、いまも町民全員が街へ戻れない状況が続いています。避難区域の再編が行われましたが、町の大半は、放射線量の高い帰還困難区域です。一方、町は、今月1日づけで、除染やガレキ撤去を担当する「ふるさと再生課」を浪江町内にある本庁舎に移転。町の再生へ向けて動き出していますが、
住民である、八島さんの心境は複雑です。
◆帰還への不安
ほんとうに何も変わっていない。私たちも納得していない。街の方針は「5年かけて除染とインフラ整備をして5年後に期間宣言」だが、帰還しても私たちが本当に生活できるかが心配。いくらインフラ整備や除染をしたからといって、2キロ〜3キロとなりに中間貯蔵施設ができる予定。浪江の隣町、3キロくらいのところに施設ができるのに、そのとなりで子どもたちと一緒に生活ができるかと言われたら、ちょっと心配で迷ってしまう。あとは仕事。私も鉄工所を経営していたが、戻ったからと言って地域全体が戻るわけじゃない。仕事が続くかどうかも心配。帰還するという方針ではとにかく人が少ないんじゃないか。ただ、浪江町という部分では諦めたくないので、町おこしができなくても、全国にバラバラになってしまっても、
町を残す、名前だけでも残すという活動で訴えていく。あとは、現状が変わらないことも伝えて風化させないようにしたい。今日の食数提供は終了。予定よりも1時間も早く。
地元のローカルフード「なみえ焼きそば」による街のPR活動は、今も続いています。震災前のメンバーは33人ですが、この日集まったのは5人。それぞれの生活もあり、集まる人数は限られるようになっています。
お話を伺った八島さんも、元々雇っていた鉄工所のスタッフのために、浪江町できるだけ近い 南相馬市でお仕事を続けています。一方、ご家族はいわき市で避難生活をしています。
浪江焼麺太国は、11月9日(土)、10日(日)に行われる全国大会『B1グランプリin豊川』にも出場する予定です。
来週は、オリンピックの東京招致で、最終プレゼンテーションをした、気仙沼出身のパラリンピック女子陸上代表、佐藤真海(さとう・まみ)選手の声をお届けします。
ご当地グルメの町おこし団体によるイベント、B1グランプリの、この地区大会は、2日でおよそ12万人を集め、全国から様々なまちおこし団体が出展。その中に、福島県双葉郡・浪江町の町おこし団体
「浪江焼麺太国」のメンバーの姿もありました。リーダーの八島貞之さんのお話です。
◆心を繋ぎとめるために
浪江焼麺太国の大王です。震災当時、避難した先がバラバラになってしまい、それぞれ避難先から集まってくるようになっている。今回は、宮城県岩沼、茨城、東京、福島の5人。元々平成20年に商工会青年部の部長だった時に町おこし事業をやろうと考えた。目的は仲間作りだった。せっかくあそこまでやってきて、いま離れ離れになったからって諦めきれない。一時は色々悩んだ。家族の負担、避難先で不安な状況なのにやっていていいのか。速く生活を安定させなければ。色々悩んだが出来る限りこられないメンバーをカバーしながらやり続けている。宮城や岩手では私らと同じ世代が前向きに、一所懸命に仕事をして復興の先頭に立っているが、私たちには何もできない。でもせめて焼きそばでみんなの心を繋ぎとめることができるのかなと思ってやっています。
浪江町は、いまも町民全員が街へ戻れない状況が続いています。避難区域の再編が行われましたが、町の大半は、放射線量の高い帰還困難区域です。一方、町は、今月1日づけで、除染やガレキ撤去を担当する「ふるさと再生課」を浪江町内にある本庁舎に移転。町の再生へ向けて動き出していますが、
住民である、八島さんの心境は複雑です。
◆帰還への不安
ほんとうに何も変わっていない。私たちも納得していない。街の方針は「5年かけて除染とインフラ整備をして5年後に期間宣言」だが、帰還しても私たちが本当に生活できるかが心配。いくらインフラ整備や除染をしたからといって、2キロ〜3キロとなりに中間貯蔵施設ができる予定。浪江の隣町、3キロくらいのところに施設ができるのに、そのとなりで子どもたちと一緒に生活ができるかと言われたら、ちょっと心配で迷ってしまう。あとは仕事。私も鉄工所を経営していたが、戻ったからと言って地域全体が戻るわけじゃない。仕事が続くかどうかも心配。帰還するという方針ではとにかく人が少ないんじゃないか。ただ、浪江町という部分では諦めたくないので、町おこしができなくても、全国にバラバラになってしまっても、
町を残す、名前だけでも残すという活動で訴えていく。あとは、現状が変わらないことも伝えて風化させないようにしたい。今日の食数提供は終了。予定よりも1時間も早く。
地元のローカルフード「なみえ焼きそば」による街のPR活動は、今も続いています。震災前のメンバーは33人ですが、この日集まったのは5人。それぞれの生活もあり、集まる人数は限られるようになっています。
お話を伺った八島さんも、元々雇っていた鉄工所のスタッフのために、浪江町できるだけ近い 南相馬市でお仕事を続けています。一方、ご家族はいわき市で避難生活をしています。
浪江焼麺太国は、11月9日(土)、10日(日)に行われる全国大会『B1グランプリin豊川』にも出場する予定です。
来週は、オリンピックの東京招致で、最終プレゼンテーションをした、気仙沼出身のパラリンピック女子陸上代表、佐藤真海(さとう・まみ)選手の声をお届けします。