2013年10月1日
10月1日 福島の声を聞こう2
今朝は、福島の今を伝えるイベントのレポートです。
作家 渡部一枝さんが、東京神楽坂のイベントスペースで続けている『福島の声を聞こう』という企画です。毎回、福島で生きる当事者の方を招いて行われています。
先日の第7回に招かれたのは、福島県南相馬市の上野敬幸さん。上野さんのご自宅は、南相馬市の「萱浜」という、福島第一原発から22キロ、海沿いの地区にあります。
◆避難すると思っていた
3月11日は職場の農協にいた。心配で一度家に戻ると、親父、おふくろ、下の子の倖太郎が家にいて、避難するところだった。地元消防団の活動へ向う最中に津波がきたが、“自分の家は大丈夫だ”という感覚があった。自分の家族は大丈夫、避難すると思っていた。そして、同じ地区で流されている人を助けていた。自分の家族が流されているとは気づかずによその人を助けていた。夕方になって、安心したいと思い、長女が行っているはずの高台の避難所へ行った。そこにいるもんだと思っていた。子どもたちの顔を見て安心しようと思っていた。
しかし「(家に)帰っていったよ」と言われ、そこからは自分の家族の捜索になった。
夜は懐中電灯を持って捜索した。長女が見つかったのは田んぼだった。近所のみんなも捜索に協力してくれていて、仲間たちが見つけてくれた。15日くらいまでは色んな人がいた。自衛隊や警察ではなく消防団、地元の人たちの助けがあったが、原発事故が有り、15日以降はみな避難した。でも1週間くらい経つと10人くらいの地元の若い奴らで捜索が始まった。
この日のゲストスピーカー、南相馬市の上野敬幸さんは、奥様は無事だったものの、 ご両親と、当時小学校2年生だった長女の永吏可(えりか)ちゃん、幼稚園入園を控えていた、長男の倖太郎(こうたろう)ちゃんの4人を津波で流され、お父さんと長男・倖太郎くんは現在も見つかっていません。
そして上野さんは、震災直後から地元の方とともに、瓦礫の撤去と行方不明者の捜索に動き出し、現在もその活動を続けています。
明日は、震災から2年半が経過した今も続く、捜索活動についてお伝えします。
作家 渡部一枝さんが、東京神楽坂のイベントスペースで続けている『福島の声を聞こう』という企画です。毎回、福島で生きる当事者の方を招いて行われています。
先日の第7回に招かれたのは、福島県南相馬市の上野敬幸さん。上野さんのご自宅は、南相馬市の「萱浜」という、福島第一原発から22キロ、海沿いの地区にあります。
◆避難すると思っていた
3月11日は職場の農協にいた。心配で一度家に戻ると、親父、おふくろ、下の子の倖太郎が家にいて、避難するところだった。地元消防団の活動へ向う最中に津波がきたが、“自分の家は大丈夫だ”という感覚があった。自分の家族は大丈夫、避難すると思っていた。そして、同じ地区で流されている人を助けていた。自分の家族が流されているとは気づかずによその人を助けていた。夕方になって、安心したいと思い、長女が行っているはずの高台の避難所へ行った。そこにいるもんだと思っていた。子どもたちの顔を見て安心しようと思っていた。
しかし「(家に)帰っていったよ」と言われ、そこからは自分の家族の捜索になった。
夜は懐中電灯を持って捜索した。長女が見つかったのは田んぼだった。近所のみんなも捜索に協力してくれていて、仲間たちが見つけてくれた。15日くらいまでは色んな人がいた。自衛隊や警察ではなく消防団、地元の人たちの助けがあったが、原発事故が有り、15日以降はみな避難した。でも1週間くらい経つと10人くらいの地元の若い奴らで捜索が始まった。
この日のゲストスピーカー、南相馬市の上野敬幸さんは、奥様は無事だったものの、 ご両親と、当時小学校2年生だった長女の永吏可(えりか)ちゃん、幼稚園入園を控えていた、長男の倖太郎(こうたろう)ちゃんの4人を津波で流され、お父さんと長男・倖太郎くんは現在も見つかっていません。
そして上野さんは、震災直後から地元の方とともに、瓦礫の撤去と行方不明者の捜索に動き出し、現在もその活動を続けています。
明日は、震災から2年半が経過した今も続く、捜索活動についてお伝えします。