2013年9月10日

9月10日海と陸をつなぐ場所、防潮堤を考える(5)

今朝は、先週お届けした東日本沿岸で進む巨大防潮堤計画について、別の視点から考えます。

東北3県だけでも、総延長およそ370キロという大規模な防潮堤の計画が、進もうとしています。すでに建設が始まっている地域がある中、一部の地域では、生態系への影響・住民の合意を理由に、計画の一時凍結を求める声も上がっています。先週は、防潮堤の必要性に疑問を投げかける、住民の方の声を紹介しましたが、一方、津波工学の専門家は、どう考えているのでしょうか。

お話を伺ったのは、東北大学・災害科学国際研究所 副所長、今村文彦教授です。今村教授は、東日本大震災による津波が、私たちに与えた教訓をこう説明します。

◆あの津波から何を学ぶか
まず基本的に津波を知るということ。今回の東日本での津波の状況、被害の状況を知る。今回は初めて津波の第一波、またはそれ以降をきちんと記録することができた。その結果、2段階の津波が見られた。ゆっくり上がってきた津波に、もう一つが加わった。急激に、まるでスパイクのような津波の成分が加わっていた。そういうものがおそらく、色んな堤防や建物の破壊を起こしたのではないかということがわかってきた。

2つ目は、津波の強度、強さが分かった。スピードというか流れ。流れは目で見えない。速い流れも遅い流れもよく見ないとわからない。速い流れがものすごく怖くて、建物・構造物を壊す原因が流れ。流れが速いと力が加わり、破壊をもたらす。仙台平野をふくむ平野は10mクラスの津波が来た。そ高さは三陸の半分以下だが、入ってきた水の量がすごい。それは沿岸部で泥や砂を巻き上げて内陸に入っていった。そういう状況になるとすごく重くなる。海水は密度が1.02だが、(津波は)1.2〜1.3ある。ものすごく重い水の塊がぶつかってきて、そのために港の工場が壊され、家やクルマも流された。ここでは流速が非常に速かった。


そういう状況も今回はじめてわかったので、次に我々が命を守るためには何をしなければいけないのか。住民だけでなく行政も一体として考えていく。これが総合的な防災の非常に重要な一歩だと思う。

今回の津波は、膨大な数の映像やデータが残された初めてのケースだと言われる。そして分かったのが、今回の津波の「速さ」と「重さ」。このデータをどう生かすか、どう生かせば命が守れるのか。住民・行政が一体となって考える必要があるというお話でした。

明日は、これを踏まえ、いま計画されている防潮堤とはどんなものなのか、引き続き、今村教授のお話をお届けします。

2013年9月10日

9月9日2020年東京五輪決定を受けて〜被災地の声

2020年、東京に、オリンピックとパラリンピックがやってきます。今朝は、この一報を受けた、被災地の声をお伝えします。

東京の招致委員による最終プレゼンテーションでは、オリンピックを開催することが、被災地の力になり復興を後押しすると、その意義を強調しました。

7年後に開催される東京オリンピックを、被災地の人々は、どう受け止めているのでしょうか。福島県・会津地方で、観光業に関わる20代の男性の声です。

◆福島の人間として思うこと
やった!という部分はもちろんあります。ただ、最終のプレゼンの中でも、僕は福島の人間なので「福島の原発から250?離れているので、東京では安全です」というフレーズが、言葉は悪いが“弾かれ者”というか腑に落ちないところは正直ある。オリンピックをやると言うことは、東京に限らず日本を観てもらえるということ。この大きな震災をどういう風に日本が乗り越えていくのかというのを世界に示せるところだと思う。まして私は福島の人間。福島は世界的にも有名な地名になってしまった。それをどうにか良い方向、プラスの方向へ持っていきたいという野望はひそかに持っているので、そこは前向きに捉えてやっていきたいなと思います。福島はマラソン選手を結構輩出している。もし望みがかなうならフルマラソンを福島で、という気持ちはありますね。三地方(会津、中通、浜通)とあるので、ぜひその三地方を入れるようなフルマラソンコースだと観に行きたいなと思った。


続いて、宮城県・南三陸で同じく観光に携わっている20代の女性の声です。

◆7年後、素敵な町になっていたい
日本にたくさん他の国の方が来て頂くので、7年後に被災した場所がどうなっているのかを改めて考えて頂きながら、7年前はこうなっていたけど今はこうなっているんだという。今メディア自体が被災地を取り上げることが少なくなってきているので、もう一度、日本というのはどんな国で、素晴らしい場所があって素敵な人たちがいるのか、人と人とのつながりも改めて日本人がみんな感じた部分。それも他の国に来た選手、応援するサポーターにも感じて頂ければと思います。7年後に、素敵な町になって、みんなと一緒に普通に平凡に笑って暮らせるような街になっていればいいなと思います。


そのほかの方にも伺ったが、全体的には、冷静に受け止めながらも、「楽しみにしている」という声が多い印象でした。

1964年の東京オリンピックも、戦後復興の象徴だったと言います。今回のIOC委員への最終プレゼンテーションで、ロンドンはじめパラリンピック3大会に女子陸上で出場した、気仙沼出身の佐藤真海選手は、「スポーツには、新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力」があると語りました。スポーツが持つそういった力をオリンピックをきっかけに、しっかり被災地へ向けるための努力が、これから本当に重要になってきます。

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パーソナリティ 鈴村健一

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