2013年9月4日
9月4日 海と陸をつなぐ場所、防潮堤を考える(2)
津波の被害を食い止めるための「防潮堤」。現在、東北3県だけでも、総延長およそ370キロ、高い場所では、10メートルを超える高さの防潮堤の建設が、計画されています。
そんな中、「未来の海辺に何を残すか」・・というテーマで先日、「防潮堤」をめぐるシンポジウムが行われ、生態系や土木の専門家、また被災地の住民などが集まり、東北沿岸の未来について、さまざまな議論が交わされました。
きのうは、気仙沼市大谷地区の、三浦友幸さんのお話お送りしましたが、大谷地区に計画されている防潮堤の高さは、9.8m。砂浜を埋め立てる計画で、住民の間からも疑問の声があがっています。
三浦さんは、過去の巨大防潮堤建設について学ぶため、北海道奥尻島に視察に訪れました。奥尻島は1993年、マグニチュード7.8の地震に見舞われて、火災や津波で、230名の方が犠牲となっています。
◆奥尻島に学ぶ巨大防潮堤の功罪
ちょうど20年前に、北海道南西沖地震があって、沢山の犠牲者の方が出て、ここにもとても巨大な防潮堤ができた。高さ11メートルの防潮堤で、14キロに渡って張り巡らされている。
実際に目にしたが巨大すぎて、かなりショックを受けた。
ここにはもともと砂浜があったが、防潮堤を造ったことで、砂浜が消えてしまったらしい。当時防潮堤をつくることに反対する方は誰もいなかったという。地域の方は、まず命が大事ということで、合意形成をとって、防潮堤をつくった。でも、まさか砂浜が消えてしまうとは思わなかったという。さらにその砂が磯場のほうに流れて、ウニの生息域にウニがいなくなってしまったり、という状況も続いているという。僕は何人かの役所の方や観光協会の方、漁協の方にお話しを伺ったが、当時自分たちはパニックになっていて、砂浜が失われるとか自然環境が失われるということは頭になかった。でもわたしたちはこれに対して後悔している、というお話だった。
僕が質問した方は、家族6人を津波でなくした漁師さんだったが、20年経ってこの話をするときも、目の奥に深い悲しみを秘めているように、僕は感じた。いま防潮堤に対して、「建てられてよかった」と感じている人はいないと、その人は語っていた。
ただ若い方にも話を聞いたところ(彼はガソリンスタンドで働く25歳の青年)、彼は当時5歳で震災の記憶はほとんどなく、防潮堤についても「なんの違和感もない。これが当たり前の風景だから」と答えた。「あるかなしかだったら、防潮堤はあったほうがいいんじゃないか」という答えだった。
僕は奥尻でいろんなことを学んだが、過去のことを、最初から教訓として知っていて、ものごとの選択/街づくりを進めることができたなら、もっと違った結果があったんじゃないかと強く思った。
大きな津波で被災したら、「巨大防潮堤」があったほうがいいと思うのは、ごくごく自然なこと。でも、海と陸をつなぐ海岸に「巨大防潮堤」を建設することは、自然環境や生態系に、大きな影響を及ぼすことがわかってきています。また「海とともにある街の風景」も、大きく損なわれ、長い目で見れば、観光や漁業の経済的な損失にもつながります。「過去の事例」に学び、人/街/自然にとって一番いい方法はどれか、立ち止まって考える必要があるのかもしれません。