2013年7月4日
7月4日 富岡を離れて4
月曜日から、福島県を離れ東京で避難生活を続ける、橋本弘さんご夫妻のインタビューをお届けして来ました。
福島県双葉郡富岡町。浜通り随一という桜の名所「夜の森の桜」、落葉広葉樹の広がる大倉山(おおくらやま)などの山々、そして町を2つに分け、太平洋に注ぐ富岡川、海と山と川に囲まれた、自然の豊かな町です。
長年暮らしてきたこの町についてたずねたところ、橋本さんは、震災前に撮りだめていたという、一冊のアルバムを開いてくれました。
◆大切なものがなくなっちゃった
向こうにいた時に、散歩の時に小さなカメラをもってパチパチと撮影していた。でもこういう暮らしが無くなってしまった。町がひとつ。その時より、結局こっちにきて、なんだかとっても大切なモノがなくなっちゃったんだな。これは私たちの町から消えたというより日本から消えちゃったということでしょ。自然災害というのは避けようがないところがあるが、これが全て放射能に汚染されていると思うと。(写真を見ながら)…豚のさんぽ(笑)。豚も散歩できる街だったんです。鮭も川を上がってくる町だった。
富岡で生まれ育ったという、奥さんの かほるさんは、写真を眺めながら、こうおっしゃっています。
◆3月11日以前の富岡に…
こんなにいいところだったんだなって。こっち(東京)にきて、富岡って自然に恵まれていて、山と海と川があって、野菜も新鮮でお米も取れていいところだったんだなって再認識した。毎日海まで散歩していた。こっちにきてウォーキングしようとしても、体を鍛えるためのような感じで楽しくない。富岡だったら周りが変わる。田んぼの状態も、花も、雑草も。そういうところを歩くと鍛えるとかそういう目的ではなく毎日楽しくて、同じコースでも毎日違って楽しかった。自分の意志でここにきたわけではない。居住スペースを与えてもらえたのはありがたいことだが、今まで庭が広い家、一歩外に出ると地べたがある生活だった。ここはなかなか外に行けない環境で、どうしても閉じこもりがちになる。3月11日以前の同じ町に戻りたいというのが本音だがそれは不可能なので、戻りたいといっても戻れない。今戻ったって誰も近所もいないし、水道なども全然戻っていないので。
明日は、宮城県石巻市・牡鹿半島から、復興商店街の話題をお届けします。
福島県双葉郡富岡町。浜通り随一という桜の名所「夜の森の桜」、落葉広葉樹の広がる大倉山(おおくらやま)などの山々、そして町を2つに分け、太平洋に注ぐ富岡川、海と山と川に囲まれた、自然の豊かな町です。
長年暮らしてきたこの町についてたずねたところ、橋本さんは、震災前に撮りだめていたという、一冊のアルバムを開いてくれました。
◆大切なものがなくなっちゃった
向こうにいた時に、散歩の時に小さなカメラをもってパチパチと撮影していた。でもこういう暮らしが無くなってしまった。町がひとつ。その時より、結局こっちにきて、なんだかとっても大切なモノがなくなっちゃったんだな。これは私たちの町から消えたというより日本から消えちゃったということでしょ。自然災害というのは避けようがないところがあるが、これが全て放射能に汚染されていると思うと。(写真を見ながら)…豚のさんぽ(笑)。豚も散歩できる街だったんです。鮭も川を上がってくる町だった。
富岡で生まれ育ったという、奥さんの かほるさんは、写真を眺めながら、こうおっしゃっています。
◆3月11日以前の富岡に…
こんなにいいところだったんだなって。こっち(東京)にきて、富岡って自然に恵まれていて、山と海と川があって、野菜も新鮮でお米も取れていいところだったんだなって再認識した。毎日海まで散歩していた。こっちにきてウォーキングしようとしても、体を鍛えるためのような感じで楽しくない。富岡だったら周りが変わる。田んぼの状態も、花も、雑草も。そういうところを歩くと鍛えるとかそういう目的ではなく毎日楽しくて、同じコースでも毎日違って楽しかった。自分の意志でここにきたわけではない。居住スペースを与えてもらえたのはありがたいことだが、今まで庭が広い家、一歩外に出ると地べたがある生活だった。ここはなかなか外に行けない環境で、どうしても閉じこもりがちになる。3月11日以前の同じ町に戻りたいというのが本音だがそれは不可能なので、戻りたいといっても戻れない。今戻ったって誰も近所もいないし、水道なども全然戻っていないので。
明日は、宮城県石巻市・牡鹿半島から、復興商店街の話題をお届けします。