2016年12月6日

12月6日 群馬大学・片田敏孝教授(4)

今朝も引き続き、防災のスペシャリスト、岩手県釜石市で長年防災教育に携わり現在は全国各地で防災の取り組みを指導する群馬大学大学院教授、片田敏孝さんのインタビューです。

東日本大震災では、家族や知人を助けにいって、多くの方が津波の犠牲となりました。一方首都圏では、家族の安否を確認しようとわが家を目指し、およそ500万人が帰宅困難となりました。なぜわたしたちは、命の危険を顧みず、このような行動をとってしまうのか。

今日のお話のテーマは「人は人として逃げられない」です。

◆人は人として逃げられない
災害の現場を見るときにいつも思うことは、例えば東日本大震災のときに高台まで若者が駆け上がってきておじいちゃんを探す。おじいちゃんがいない。すると彼は、おじいちゃんを連れに行こうとする。もちろん、みんな止める。津波てんでんこだといってみんな止めるけれども、放っておいたらおじいちゃんはと思うと彼は行ってしまう。そして戻ってこない。
またあるお母さんはさっきまで子どもがここで遊んでいたといって、懸命に子どもを探す。お母さんは津波が来るとわかっているが、だからこそ見当たらない子どもを探して、津波に飲まれていった。こういう事例を考えるときに、僕は「人は人として逃げられない」と思う。この方たちはけして防災意識が低かったわけでもない、知識がなかったわけでもない。けれども、人は自分の命が本当にあやういと思うような事態が起きた時に思うことは、自分の命ではないと思う。大事な人のことを思い、人は人として、その行動を優先してしまう。そうすると防災施設を作ることも大事だし、堤防を作ることも大事、情報をしっかり伝えることも大事、だけれども、この「人は人として逃げられない」という部分をどう理解しておくのかということが僕は防災のポイントだろうと思う。

東日本大震災のときに首都圏では帰宅難民問題というのが発生した。当たり前だと思う。東京の都心にいても大きく揺れた。ひょっとしたら自分の命が、と思わざる負えない状況に置かれたときに、みなさん思ったことは、うちの子どもは大丈夫だろうか、家族は大丈夫だろうか、ということ。それが情報としてどうしても伝わってこない、安否が確認できないということになったら、自分の命があやうい状況になったからこそ、家族のもとに行きたいと考える。

やはりそう考えると防災というのは、もちろん、物理的に災害を排除することももちろん大事だが、それ以前に大事なことがもっとある。岩手県釜石では子どもたちが必至に逃げた。それは「自分が逃げれば、お母さんが逃げてくれる」と思ったから。子どもたちはいまのままでは、自分がいるところにお母さんが迎えにきちゃう、そうしたらお母さんの命が危ない、どうしたらいいのか。それは、僕がちゃんと逃げる子になっていればいいんだ。なんの心配も与えないほど、僕がちゃんと逃げる子だとお父さん、お母さんが信じてくれていたら、お父さんお母さんも逃げるだろう、と。だから子どもたちは必至で逃げた。お父さん、お母さんもうちの子は逃げていると信じよう、あの子たちのためにも死んではいけないと思って逃げた。やはり防災とは、人の心の問題、家族の絆の問題、自分の命は決して自分だけの命ではないということ。そこをしっかり災害に向かいあっても大丈夫なような家庭を築いておくことのほうが大事なんじゃないかと私は思うのです。


命の危険を感じると、人は自分のより、自分の大切な人のことを考えてしまう。だから「人は人として逃げられない」。このことを踏まえたうえで「自分の命は自分で守る」そして「家族を信じる」ことが大事。災害のとき突然できることではない。普段から家族で話あっておくことが重要です。

★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

パーソナリティ 鈴村健一

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