2016年12月7日

12月7日 群馬大学・片田敏孝教授(5)

今朝も、防災のスペシャリスト、群馬大学大学院教授で広域首都圏防災研究センター長 片田敏孝さんのインタビューです。

岩手県釜石市や三重県尾鷲市(おわせし)で長年防災教育に携わり、現在は全国各地で防災の取り組みを指導する片田先生。南海トラフの大地震で、巨大な津波が想定されている紀伊半島や四国では東日本大震災を機に、津波防災の教訓が活かされはじめていると言います。

◆星「☆☆☆」3つ!住民の手によってつくれらた無数の「駆け上がり階段」
東日本大震災があって、三重県尾鷲市や紀伊半島や四国の方たちはあれを見たことから、この5年8か月の間、大津波の被害を受けるのは、次は自分たちかもしれないという危機感を持って過ごしてこられた。初めは、あの東日本大震災の大津波を見てしまったものだから、あれに備えなければ防災にあらず、というような思いの中で怯えきって防災の対応をしてこられた。しかしここへきて、「本当にそうなんだろうか」と。「そんな大きい津波がきたらもうあかんわ」とおじいちゃんおばあちゃんなんかは避難放棄者になってしまわれたり、震災前過疎といって、沿岸部の方はその地域を離れ始めたりするという状況があったんです。といっても、1000年に一回と言われるほどの巨大地震。1000年に一回ということは、普段起こる津波は文字通り十中八九いままでの津波。1000年に一回ということは、10回のうち1回は巨大津波ということだが、十中八九いままでの避難で大丈夫なはずなのに、あの巨大津波想定を突き付けられ、もうあかんといって逃げなくなってしまったら、それは本末転倒。やはりいままで通りの避難でいいんだと、だけどこれまでの避難に加えて、あの東日本みたいなこともあるから、できる限りもっと逃げようという、逃げるということに対する積み増しができていればいいと僕は思う。
そんな中で紀伊半島、和歌山県の沿岸部に国道42号線があるが、そこにいま無数の“駆け上がり階段”が住民の手によって作られているんです。ことの発端は、わたしは和歌山県の知事さんに防災のアドバイスをするような役割をいただいていて、「先生これまでの避難所は新想定では役に立たないんだけど、どうしたいいだろうか?」と相談を受けた。僕は知事さんに「いままで準備した避難所も使ってください。新想定が出たがゆえにできた高いところの避難所も使ってください。そして、いままでの避難所には★と、★を1つ付けてください。新想定でも大丈夫なところには★★★。その中間のところには★★とつけてください。全部の避難所に★をつけてください。」と。知事さんは「そんなことになんの意味があるんですか」と聞かれたので私は、「県民の皆さんにはこう説明してください。★にしかいけないひとは★に行ってください。それより余裕がある人は★★に行くべきだ、それよりさらに余裕がある人は★★★に行くべきだ」と。つまり自分で取りうる限りの安全を積極的にどんどんとるような県民の姿勢をあおることにポイントがあるんだと僕は申し上げた。知事さんはそうか、ということでそれを取り入れてくださって、和歌山県の避難所には★の評価がつくようになったんです。そうしたら、ある住民の皆さんは「僕たちの地域には★ひとつの避難所しかない」と役場に相談にこられて、どこまで駆け上がり階段をつけたら★★にしてくれるの?」という。役場の方は「このぐらいのものをつければ★★になりますね」とお答えしたりすると、地域住民の皆さんがみんなで子どもたちにも手伝わせて駆け上がり階段をつくって、行政はセメント袋だけ提供するが、用地の交渉から作ることから維持管理まで、自分たちでつくった避難路ですから補修も住民の皆さんがやられるわけですが、それがもう700本800本とできているんです。そういった無数の避難路ができて、より高い安全を目指すようになっておられる。おそらくこれは東日本大震災の教訓が和歌山県で生きている事例だと思うんですね。


★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

パーソナリティ 鈴村健一

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