2017年2月13日

2月13日 女川のグラフィティライター D-Bonsさん1

今朝は、宮城県女川町から、あるカルチャーを発信する人物に焦点を当ててお届けします。

それが「グラフィティ・アート」です。スプレー缶を使って町の壁などに絵を描く、アメリカで生まれたアートです。実は、女川を始め、石巻、牡鹿半島には、本当にたくさんこのグラフィティが見られます。

その多くを手掛けたのが、女川のグラフィティライター、D-BONSさんです。

◆グラフィティとの出会い
高橋:以前、女川のイベントで拝見したときにすごくきれいな桜の絵を書かれていて感動したんですが、名刺には「グラフィティライター」と。
ボン:スプレー缶で絵を描く、いわゆる町中にあるようなものをちゃんとお金を頂いて仕事でやっている、というところですね。
高橋:町の方がが「ボンちゃん」と呼んでいたので私もボンちゃんと呼んで良いですか(笑)ボンちゃんは元々女川のご出身ですか。
ボン:女川生まれ女川育ちです。元々10代の時にヒップホップという文化に触れて、ヒップホップの中にはグラフィティという絵を描くことがあるというのを知って、その東京のT0MI-Eさんという方と隣町の石巻で出会ったのがきっかけというか。プロジェクトで1ヶ月くらい石巻に滞在して作品を描いていたので、絵を見させてという感じで。
高橋:それは何歳くらいですか。
ボン:あれは18才、高校生でした。高校生の夏休みかな。その人の描いているのをずっと見てて。面白くて面白くて夏休みは毎日朝、電車に乗って行ってましたね。


こうしてこのカルチャーにのめり込んでいったボンちゃん。学校を出たあとは、石巻で会社員をしながら、グラフィティを描いていたそう。そんな生活を続ける中、あの地震と津波が町を襲いました。

◆被災地に届いたスプレー缶
高橋:震災当日は?
ボン:石巻の会社にいました。それで空いた時間に絵を描いていて。そこから日和山に避難して一夜を明かしました。次の日は歩いて女川まで帰ってきて。自宅は流されました。
高橋:師匠から「支援物資は何がほしい」って言われた時のお話が印象的でした。
ボン:震災から2週間経っていない頃に連絡が来て、「いまそっちに向かう準備をしていて、物資は何が欲しい」と尋ねられて。その人は俺の中で本当に心の支えというか人生の目標で、その人からそう言われた時に、スプレー缶が欲しいということを言って、そしたら物資と一緒にスプレー缶を持ってきてくれて。避難所であった時はすごく力が抜けたのを覚えていますね。最初にハグしてくれて、その人が着ていたジャンパーをかけてくれて。ハグされて、やっぱり気を張っていたのがホッとしたというか安心感というか、そういうのはすごくあったですね。普段持っていたスプレー缶ですけどすごく重みを感じたのを覚えていますね。スプレー缶なんだけどその奥に見えるその人の思いや背景を余計感じて。一番良い状態で再スタートできたかなと。重みを大事にしなきゃなと言う意味では。


ボンちゃんはこの時の、支援物資のスプレー缶があったから、もう一度グラフィティライターとして、絵を描く気持ちになれたといいます。そして震災の年の秋には、石巻のイベントでライブペイント…描く様子もライブで見せるパフォーマンスをするのですが、これについては、明日のこの時間にお伝えします。

パーソナリティ 鈴村健一

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