2017年3月21日

3月21日 釜石出身、小笠原舞さんのあの日

今日からの3日間は、東北の若者から届いたメッセージです。

◆「津波てんでんこ」
岩手県釜石市出身、群馬大学2年の小笠原舞です。
津波てんでんこを始めて聞いたのは、小学校高学年のとき片田先生の津波に関する講演のときだったと思う。最初は肉親にもかまわず一人で逃げろと聞いて、実際に津波がきたら家族とかおいていけないから絶対に無理だと思っていたが、小学校中学校と防災について活動する中で、自分が率先して逃げることで周りの人の命も救えると思てって、津波てんでんこはいい言葉だと思った。


岩手県釜石市は、防災教育のスペシャリスト、片田敏孝さんが東日本大震災の前から「津波てんでんこ」を熱心に広めた街です。これにより、釜石で多くの命が救われたことはよく知られています。
小笠原舞さんもそんな片田先生の教えを受けた生徒の一人です。

2011年3月11日。舞さんは、あの日の出来事をこう振り返ります。

◆津波てんでんこを実践したあの日
わたしはそのとき中学2年生で地震のときは学校の渡り廊下の天井が落ちたり、グラウンドの地面が割れて水が吹き出してきました。絶対津波がくるから危ないと思って、先生の指示もありましたがそれよりも生徒たちが率先して第一避難場所まで一目散に避難しました。地域の方は中学生が避難しているのを道路で見ていたりして、地域の方にも「津波が来るから逃げろ」と避難を促しました。第一避難場所についたら近くの山が崩れているのを見つけて、さらに急な坂を上って第二避難場所に避難しました。第二避難場所についたら「ごー」というものすごい大きな音が鳴り響いたので振り返ると津波が見え「これは死ぬな」と思って、自分の意志でさらに高いところに逃げなきゃと、なにも考えず逃げることに集中して必死に逃げました。絶対逃げてないと思ったから家族の安否も心配で。
片田先生の3つの教えが「率先避難者たれ」「想定にとらわれるな」「その状況下において最善を尽くせ」。釜石東中学校(海抜3メートル)はもともと浸水区域外だったのですが、想定に取らわれず逃げることで生き延びることができました。


震災を経て「自分にできることはなにか」と考えた舞さんは、高校卒業後、片田先生が教える「群馬大学理工学部」に進学しました。

◆防災教育を学んで、将来は岩手県の防災活動に取り組みたい
地震があって防災教育の大切さを身に染みて感じた。自分がなにをしたいかと思ったときに、防災教育を岩手県に広めたいと思った。それで防災教育が学べる群馬大学に進学した。片田先生の研究室に所属してどうしたらみんなの意識が高められるか、多くの命を救うにはどうしたらいいかを学びたい。卒業後は岩手県庁に入って岩手県全体の防災活動に取り組みたいです。


舞さんは来月から群馬大学の3年生に。さらに専門的な知識を身に付けて、将来故郷のために力を尽くしたいと話してくれました。
LOVE&HOPE、明日は宮城県南三陸の若者から届いたメッセージです。 

パーソナリティ 鈴村健一

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