2017年3月30日

3月29日 福島県楢葉町「ならはみらい」西芽衣さん1

今日は、福島県楢葉町で活動する西芽衣さんのインタビューです。

西さんは京都にある立命館大学をこの春卒業したばかり。実家は東京で、福島とは縁もゆかりもありませんでしたが大学の被災地支援のボランティア活動をきっかけに、楢葉町で活動するようになりました。2015年4月から1年間は大学を休学して楢葉町の復興と町づくりを支援する「ならはみらい」の臨時職員を経験。その後も、月に数回楢葉町に通って町民の方たちとの交流を続けています。

◆大学を休学して楢葉町へ
いちばん初めに休学して現地に行くという選択肢をもらえたのが、一年間休学していわき市のNPOで働いていた先輩がいて、「あ、休学して学んだり経験したりすることもできるなだな」と。楢葉町のことをもっと知りたいし京都からの支援では限界があると感じていて、一年間休学しようと決めました。それを後押ししてくれた機会がいくちかある。一つは楢葉での活動で知り合って文通をしていたおばあちゃん。町のことが大好きだが、町には戻らずに息子さんとご家族といわき市に家を建てて住むことを決めたと聞いた。楢葉は比較的放射性物質の線量も低く、避難指示の解除もいずれされるだろうとされていたので、おばあちゃんもいつから楢葉に戻るんだろうと思っていたが、あんなに町のことが大好きでいっぱい町のことを話してくれたおばあちゃんが別の町で暮らすことを決めたと聞いたときに、複雑さがたくさんあるなと思って、やっぱり京都からでは理解できていない部分がたくさんあるな、より現地で学びたいと感じました。あとは現地でお世話になっている役場の職員の方や他の方たちに、仲間として来てくれないかと言ってくださる方がいて、少し安心していくことができたかなと思います。


楢葉町は、2015年9月に避難指示が解除され、帰町して町で暮らすことが可能になりました。
けれども、避難解除から1年半経過した現時点でも戻った方は震災前のおよそ1割程度。「ならはみらい」の活動を通して見えてきたのは、町民一人ひとりが抱える「悩みや不安」でした。

◆戻る、戻らない、その選択の難しさ
避難指示が解除になって初めて「戻る」という選択ができるようになったときに、やはり「戻る」という選択ができるようになったからこその「立場の違い」が生まれたということが、わたしの中で想定ができていなくて。「あの人は町には戻らない」と耳にしてその方々が別の場所に住むという選択をなかなか人に言えなかったり、そういう話を聞いたときに、選択することの難しさとか、避難指示が解除されることによって複雑になっていくのを感じた。
2015年9月からは「ならは未来」の事務所も楢葉町に戻ったので、町に戻られた方とお会いする機会のほうが多くなっていったが、戻られた方たちは震災前のように集まって趣味の会をしたり、野菜を作ったりと生き生きと暮らす姿を見る一方で、「戻ってきてよかったのか」という不安を聴くこともあって。戻った方もいろんな思いをしながら暮らしているのを感じました。


今日は福島県楢葉町で復興支援と町づくりに携わる、西芽衣さんの声をお届けしました。

西さん、大学を休学して「ならはみらい」の臨時職員になる時は両親の反対もあったそう。それを懸命に説得し最後は納得してもらったとか。そして1年間「ならはみらい」で活動した後、大学に戻り就職活動をして、一旦は一般企業への就職が決まっていたのですが、その内定を辞退。この4月から「ならはみらい」の正規職員としての採用が決まり、楢葉町に移り住んで、本格的に町づくりに関わることになりました。

西さんが考える楢葉町の課題、そしてこれからの夢、明日の『LOVE&HOPE』でお伝えします。

パーソナリティ 鈴村健一

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