2017年5月17日

5月17日 2020年・聖火トーチを福島から2

きのうに引き続き、2020年東京オリンピックでの採用を目指し「聖火トーチ」の開発を続けるメーカーのインタビューです。

1964年の、あの東京オリンピックのトーチを製作し、2020年も採用を目指している火薬メーカー・日本工機。その工場は、福島県・西白河郡にあります。

そしてこの工場、6年前の東日本大震災では、一時、稼働停止に追い込まれたといいます。当時について、日本工機 白河工場の工場長 佐藤公之(まさゆき)さんはこう振り返ります。

◆震度6強の地震
震度6強というかなり強い揺れに見舞われまして、工場も道路の陥没があり、建屋は300棟以上あるのですが大きな被害を受けたのはそのうち22棟。電気はかろうじて落ちなかったんですが水が一切出ない大変な状況になりました。私は当時技術部にいて会議中に震災にあったと。従業員を安全な場所に誘導すること、そして当然ながら地震対策委員会は招集されていたので、どうするか会議をしました。地震の復旧だけなら良かったんですが、原発事故の影響が出ました。復旧に必要な重機の燃料、必要な資材が全く入ってこない。福島県に入ってこない。それを運ぶタンクローリーなどは福島県を迂回して別の県に行ってしまう状況で、復旧が殆どできませんでした。ただ指を加えてみているわけには行かなかったので、県外の協力会社のご好意で燃料を確保し、市内の工事業者さんもガソリンや経由がないということなので燃料を分けてあげて工事をやってもらって、なんとか6月いっぱいで全面操業開始となりました。原発事故があって浜通り、沿岸の方々が大変だという話になり、当社の従業員にも沿岸部に家がある人がいたものですから、当社の寮に避難させました。原発から80キロ圏内です。直接放射能を浴びるということではなく、一旦北上したものが南下してきた。ですから爆発してから1日、2日遅れて白河市の線量が上がったと。通常は100分の1以下ですが、当時は7〜11マイクロシーベルトまで上がりました。当社は80万坪という広大な敷地があるので除染は2年間まるまるかかり、全て基準値以内に線量は収まっているという状況ですね。


そして、この経験から2年後の2013年、東京に、再びオリンピックがやってくることが決定。このニュースを佐藤工場長は、どんな想いで受け止めたのでしょうか。

◆復興のシンボルとして聖火トーチを!
これには、色々な思いがありますが、2011年の大震災に見舞われて、福島の復興のシンボルとして聖火トーチを世の中にぜひ出したい、という強い気持ちになりましたね。


あしたも日本工機 佐藤工場長のインタビューです。

パーソナリティ 鈴村健一

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