2017年6月22日

6月22日 福島県川俣町の名産品「川俣シャモ」1

今朝は福島県川俣町の名産品、「川俣シャモ」の生産者のお話しです。

約30年前に生産が始まり、町を代表する名産品として全国に知られるようになった「川俣シャモ」。プリプリした食感と、噛めば噛むほど味わいが広がるということで評判を呼び、シャモ鍋はもちろん、ステーキや燻製、親子丼にカレーなどなどいろんな料理に使われるようになりました。

そんな「川俣シャモ」の生産農家が中心になって設立した、飼育から流通までを一手に担う「川俣シャモファーム」の代表、斎藤正博さんにお話を伺いました。そもそも川俣町にシャモが根付いた経緯とは何だったんでしょうか?

◆川俣町はシルクの町だった
川俣町はもともと絹織物の町なんですね。なぜ川俣でシャモ?ってよく聞かれるんですけど、川俣は絹織物で財を成した人がたくさん居た。で“シャモ遊び”って言って「闘鶏」ですね、それを楽しんでいた方がたくさんいたんです。それに目をつけたのが当時の町長。“よそでシャモを食べたら美味かった!”、“川俣にもシャモはいっぱいいんだから、これで町おこしは出来ないか”と。というのは川俣町で新鮮な刺身を出しても海の近くではないからそんなに喜ばれない、なにか川俣ならではの美味しいもの、ご馳走を提供したいっていう、おもてなしの心から生まれたんですね。で、純系のシャモっていうのはもの凄くかたいんですね。人間で言えばアスリートみたいな、体脂肪率5%くらいの鳥なんですけど、それとレッドコーニッシュをかけ合せて、さらにロード・アイランド・レッドという地鶏をかけ合せて、今のほどよい歯ごたえとジューシーさ、あまり脂っぽくなくて、ちょうどプリプリ感があって、噛むと肉汁が出てきて、その適度なバランスが非常にいいんじゃないかと思いますね。


そんな川俣シャモの生産者の皆さん、東日本大震災による福島第一原発事故で大きな被害を受けることになりました。

◆一度は殺処分されたシャモ
最初は何が何だかわからない状況の中で、モノが送れない、でモノが送れるようになったら、“ちょっと待ってくれ”と。“やっぱり福島県のものは使えない” とか“使うなと言われた”とか、そういうことがあって、これは大変なことになったという状況で、一回殺処分しました。これは苦しいことですよね。いちばん。あとは卵の入卵数を減らして減産、一時4割とか減らしました。私らはとにかく放射能検査をやったり、とにかく安全なものを出していこうということで、放射能を吸わない施設、今まで放し飼いしてたんですけど、それをやめて。そういったことをやってまして徐々に“安全が担保されているのであればまた使うよ”というお客さんも多くなってきて、3年くらいでほぼ元以上になってきまして、でもまだ“福島県のものだめだ”っていう人いますからね。まあこれはしょうがないことかなと思ってますけどね。


福島第一原発の事故当時、計画的避難区域の農家が休業。さらに風評被害による需要減少で平成23年は出荷数が前年比で半分以下と大きく減少しました。

明日も「川俣シャモファーム」の代表、斎藤正博さんのお話しお届けします。

パーソナリティ 鈴村健一

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