2017年7月25日

7月25日 長谷川健一さんが伝える飯舘村のいま2

引き続き、福島県飯舘村の「いま」、お伝えします。

お話を伺ったのは、飯舘村・前田地区の区長、長谷川健一さん。福島県 伊達市の仮設住宅で暮らしながら、飯舘村の現状を伝え続けている方です。

今年の春、浪江町、川俣町、富岡町、そして飯舘村で、原発事故による避難指示が解除されました。しかし、帰還を選ぶ人は、たいへん限られています。先日、東京で行われた「福島の声を聞こう!」というトークイベントで、長谷川さんは帰還に関するデータを挙げて、こう訴えました。

◆減っていく子どもたち
今の飯舘村。帰りたいと思っている人はどのくらいなのかと言うと、33%。ところが村側に問い合わせをして、「なんだこれは、1番肝心な年齢構成が書かれてねーべ」と。これは全体の構造のように捉えさせようとしているんですね。この33%と言うのはお年寄り。若い人は戻らないわけだから。そして学校をどうすんだ。子供たちがどんどん減っている。だから幼稚園・小学校・中学校の一貫校にしようと言う話になりました。その下に、スポーツ公園があるんです。全天候型のテニスコートや野球場。63億円。学校は来年の4月から始まるそうです。ところが子どもたちの数はどんどん減っていって、今年の3月で小学生が105人。それが3月31日避難解除がされて、避難解除と言う言葉がどんと出たことで今現在51人。そして今年の4月にピカピカの1年生が2人。その日中の2人のお母さんは来年が学校を飯舘村に戻すと言うことが決まっているなら転向させると言っている。だから私はこれについては、飯舘村いずれ第二の夕張になるだと思うんです。


現在、飯舘の子どもたちは、福島市はじめ別の市町村の仮設校舎に通っています。そして、今年3月発表、復興庁などによる意識調査では、33.5%の方が「将来的な希望も含め飯舘村に戻りたい」となっています。ただ、年齢層で分けると18歳未満の方のいる世帯では「戻らないと決めている」が49.8%となっています。

一方、60代半ばになる長谷川さんは、「いずれは村に戻ろうと思っている」といいます。飯舘の将来を考え、チェルノブイリの視察までした長谷川さんの、故郷への想いとは。

◆なにもせずにいられない
これが故郷よ、何を言って言われたって。これもチェルノブイリの人たちにも聞きました。「どうして戻ったんですか「と。それは生まれた故郷だから」と言う答えが返ってきた。それと同じ。いつになるかわからないが、そんな遠い時期ではないと思うけれどもいずれは戻りたいと思っている。今年は戻らない。というのもうちの女房が伊達東仮設住宅の管理人をやっているから。1年間委員長やって来年の3月までは戻らない。俺は。だからそれまでは農地を荒らさないように手入れだけはする。何もせずにはいられない。蕎麦を作らないで、田んぼも荒れ放題で、それは簡単だ、やらなければいいわけだから。でもそのあいだ俺は何をやっているのと。健康のためでもある。蕎麦は好きだから、今は国や県にも申請をして、蕎麦に関連する機械を全て導入しようとしているのよ。国の事業として。だからあそこで蕎麦を打って食うと思う。事故の前は楽しみと言えば、山を歩いてキノコや山菜をとって、冬は鉄砲かついで猪とかいろいろやっていたけれども今の楽しみってなんだろうなぁ。ただ仮設住宅に黙っているわけにもいかないので自然と車に乗ると、ハンドルが飯舘村に向く。飯舘村の家に行くとほっとする。行くのが楽しいんだな(笑)


長谷川さんはいま、5人の仲間と、蕎麦、飼料用のお米作りに動き出しています。ただ、去年の蕎麦からは基準値よりも低いとはいえ、放射線が検出されています。それでも長谷川さんは「なにもせずにいられない」と、未来のためにこの取り組みを続けていくということです。
ただ、その一方、長谷川さんはトークイベントでこうも言っています。「子どもたがいないところに未来はない。」

「LOVE & HOPE」」、一週間かけて、福島の「いま」をお伝えしています。明日は、相馬市の医師、越智小枝(おち・さえ)さんのインタビューです。

ぜひ今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

パーソナリティ 鈴村健一

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