2017年7月26日

7月26日 医師・越智小枝さんが語る相馬市1

今週は、福島県の「いま」ということで、当事者や福島に関わる人々の声をお伝えしています。

今朝は、ドクターの視点で語る福島県・相馬市の人々の「いま」です。
お話伺ったのは医学博士で、日本医療研究開発機構の越智小枝さん。

東日本大震災をきっかけに、相馬市の相馬中央病院に勤務。住民の放射能への不安を解消する活動を続けてきました。現在は東京から相馬に通う形で活動を続けています。まずは、元々、東京の医療機関にいた越智さんが、相馬市へ行くことになったきっかけです。

◆「公衆衛生」を被災地で役立てたい
もともと私は東京で10年以上医者をやっていまして、そこで下町の非常に貧しいところで医者をやっていた時に、医学だけでは人を救えないと言うことで公衆衛生と言うものに興味を持ち、2009年に留学して公衆衛生を学ぼうと決めました。2011年に公衆衛生大学院から合格通知が来たのが2月28日で留学の準備をして職場を辞めると決まっている時に震災が起きたんです。結局留学をしたんですが、留学をする前に少し福島でボランティアをして、留学中も何とか戻ってきてボランティアをしているうちに勉強した公衆衛生を被災地で役立てたいというの思ったのもありますし、留学が終わった後に福島でまた勉強しようということも思って2013年の11月から相馬市民として相馬市に住むようになりました。


こうして相馬に住むことになった越智さん。当時の相馬の人々が抱えていた不安に対して、どんなことを伝えてきたのでしょうか。

◆「何を心配しているのかもわからない」
基本は相馬中央病院と言うところで内科の医者、特に私の専門であるリウマチの医者をやらせてもらっていて、普段は診療してその合間に仮設住宅や自分のお母さん方に放射能の話や甲状腺のスクリーニングの話などをさせていただきました。直接何を心配しているのかと聞くと、「何を心配しているのかもわからない」という方が多かったかなと思います。その中で放射能の説明をしていくわけですけれども、放射能だけ乗せて放射能だけの説明であれば物理に詳しい方がすればいいのかもしれない。ただ、すごく記憶に残っているのは放射能に詳しい方が説明をしたときに70歳位の女性が手を挙げて「じゃあ結局私たちはいつから山菜を食べていいの」と聞いたんです。その時に使命をしている方は放射能の量やガンの確立など数値を説明したんですが、そこで言葉に詰まってしまったんですね。数値でいくら言ってもどうやって暮らしていくかをを説明できない限り、やっぱり不安は消えないなと思ったんです。それができるのはガンがどういうものか、診療として知っている一緒にしかできないんだろうなと思って。ガンはとりあえず日本人の2人に1人がかかる病気で、3人に1人は亡くなっている。それが、これだけの量を食べたら(確率が)増えるかもしれない。でもじっと家の中で座って閉じこもって運動しないと、それだけで寝たきりのリスクも上がっちゃうよねと言う話を他のリスクと交えてするようにしたというのが、自分が一番できたのかなと思っています。


これは、越智さんが相馬市に住民票を移し、勤務されていた頃のお話です。この当時からさらに時間が経過したいま、相馬の人々、福島県外の人々、
そして、避難指示が解除された地域の人々の 「いま」は明日以降お伝えします。

そして、ぜひ今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

パーソナリティ 鈴村健一

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