2017年11月13日

11月13日 ドキュメンタリー映画『LIFE 生きてゆく』笠井千晶監督1

今週は、「LIFE 生きてゆく」という映画を制作した笠井千晶監督のインタビューです。

この映画は、南相馬市・萱浜(かいはま)地区で暮らす上野敬幸さんを数年に渡り追いかけ、記録したドキュメンタリーです。
 
上野さんは、2011年の津波でご両親と2人のお子さんを失い、お父様と、幼稚園入園直前だった長男・倖太郎(こうたろう)君はいまも行方がわかっていません。そして上野さんは、倖太郎くんはじめ、行方不明者の捜索をする「福興浜団」の団長として現在も活動を続けています。

まずは、笠井監督が、上野さんの存在を知ったきっかけから伺いました。

◆上野さんとの出会い
出会ったのは2011年の秋で、私はその時テレビの仕事をしていたんですけど、週末自分1人で自分の時間で、自分のカメラで、お会いする人に何かお話が聞けたらと。私には、映像で、ここのことを知ってもらうというくらいしか貢献できるところはないなと思っていたので。カメラを持って萱浜の海岸で撮影して終わってというところにちょうど上野さんが来て、「何やっているんだ」みたいな声を出されて軽トラで走り去ったんです。それを追いかけて、皆さんを撮影するとかって言うのではない、申し訳ありませんとお話したんですが、「どこのテレビなんだ、マスコミなんだろう、何しに来たんだ」と本当に激怒している顔で見られて、その時の目が本当に凄い怖くてこっちを睨んでいたんですが、でもすごい悲しい目をしていて。この人は多分言いたいことがものすごく本当はある人なんだなと言う一瞬ですけど思って、ちゃんと再会する機会があったらどういう想いを持っているのか、聞ける時があればいいかなと漠然と思ったんです。そして、それから年が明けてたまたま南相馬の別のシンポジウムがあって、そこで福興浜団がブースを出していたので訪ねていったら上野さんが出てきて、その時初めて自己紹介して、震災の日から何があったかを全部お話をしてくださって。私は言葉も発することができなくて。それで最後に、「また来る時があったら連絡してくれれば」という感じで私は立ち去ったんですけど、そこからまたさらに翌月ですかね、初めてこちらにお邪魔してちゃんと話を聞かせてもらったんです。でもそこに対してカメラを向けるとか、とてもそういう気持ちにはなれなかったんです。その日もこれで帰りますと、1時間くらいお話を聞いて帰りかけたんです。車で走って途中まで行ったんですけれども、ダメだと。このまま帰ったら今日せっかく話をしてくれたのに、それは私1人が聞いただけで何も意味がないじゃないかと。それで携帯で電話をかけて、もう一回今すぐ行くので、カメラの前で話をしてもらえませんかとお願いをきちんとして、そしたら「今帰ってくれば話をするよ」と言ってくださったんです。


こうして映像ディレクターの笠井さんは、2011年から、自宅のある東海地方と福島県を休日ごとに往復。上野さん、奥さん、震災後に生まれた次女倖吏生(さりい)ちゃん、福興浜団の活動を見つめ続けました。取材は手弁当。自公負担だったといいます。そして昨年、4年間 撮りだめた数百時間に及ぶ映像を編集し、クラウドファンディングで資金を集め映画を制作。各地での上映会も精力的に行っています。また、上野さんの取材は現在も継続しています。

★映画「LIFE 生きてゆく」Facebookページ

明日も笠井千晶さんのインタビューです。

パーソナリティ 鈴村健一

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