2017年11月22日

11月22日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(3)

今週は、双葉郡大熊町出身、原発から3キロの距離に自宅のあった木村紀夫さんの声をお届けしています。
東日本大震災の津波で、父と妻を亡くし、当時7歳だった次女の汐凪ちゃんは行方不明に。がれきの山の中、ボランティアの手を借りた人力の捜索だけでは「先が見えない」と、環境省の協力を仰いで重機を入れたのは、昨年11月のことでした。

そして、大規模な捜索を始めて、およそ1か月。汐凪ちゃんの遺骨の一部が見つかります。そこは、大熊町の自宅から、ほんの数百メートルの海岸沿いでした。

◆汐凪に申し訳ないという気持ちが消えない。
最初はあんまりにもあっけなかったんで、本当に信じられなかったんだけど。作業員のおばちゃんがマフラーを見つけて、マフラーの土をはらおうとパタパタと振るったら、その中から首の骨がぽろっと出てきた。それが最初でした。それから、片方のあごの骨、歯の付いたやつが見つかって。それが12月9日の金曜日。さらに11日には、あごの骨の反対側が見つかりました。

始めて現場であごの骨の型を見た時は、ほっとした気持ちもあったし。ただそれもだんだんと、ここで見つかったということはどういうことだと考え始めて。見つけられずにいままで6年近くが経って、いまも全部が見つかっているわけではない。ここで見つかったっていうのは、自分が積極的に探さなかったということもあるが、その原因を作ったのは原発事故。改めてそう思ったら、怒りというのじゃなく、本当にやるせないきもち、汐凪には申し訳ないと。2011年3月12日にしっかり捜索していれば、もしかしたら生きていたのかもしれないとか、そのとき見殺しにしたのかもしれない、という気持ちが消えない。逆に見つかったことによって、自分の中ではつらいものがでてきてしまったというか。

今現在も捜索活動はしているが、環境省のほうでもどんどん作業を進めていて、その後土地を造成して、という作業を続けている。どんどん捜索する場所がなくなっていくような状況で。最近思っているのは、このまま捜索をここで続けて、いま見つかっている汐凪の遺骨は全体の2割ぐらいだが、残りの8割はどこかにあるはず。その中で見つからず、土地は造成されて、アスファルトを引かれてというのは、最初は環境省にお願いしたときはそれでしょうがないという気持ちでお願いしたが、いまはそれが嫌で仕方がない。なかなかどうしても重機の力が必要だし、人手も必要な中で、自分たちだけでは進められない捜索ではあるが、それでも、そういう形でどんどん前に進められてしまうっていうのは、なかなか受け入れられないというのが、いまの状況です。


大熊町では、原発事故の影響により、震災当初、自衛隊などによる大規模な捜索がほとんどされませんでした。
今回見つかった場所で2012年6月に汐凪ちゃんの靴が見つかっていましたが、その時は遺骨の発見には至らず、結局、木村さんが汐凪ちゃんを見つけるまでに、5年9カ月の歳月がかかりました。木村さんはいまも汐凪ちゃんの遺骨の一部が見つかった自宅近くの捜索を続けています。

そして、木村さんはいま、大熊町に菜の花を植える活動を行っています。明日はそのお話です。

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN