2018年3月7日

3月7日 大川伝承の会 語り部ガイド(3)

今日は、3月4日に行われた、宮城県石巻市、旧・大川小学校での語り部ガイドのレポートです。

東日本大震災の津波で、児童・教職員84名が犠牲となった、旧・大川小学校。被災当時のままの姿を遺す校舎では、悲劇と教訓を後世に伝える「大川伝承の会〜語り部ガイド」が継続的に行われています。

校舎の裏に反り立っていている山は、一見子供が上れる角度ではありませんが、じつは一部緩やかな登り口があり、子供たちはシイタケ栽培などの実習でよくそこから山へ登っていたといいます。上級生たちは先生に、“山へ逃げよう”と訴えますが、聞き入れては貰えず、その安全な場所は生かされることがありませんでした。

語り部の会・主催者で、娘を亡くされた遺族でもある佐藤敏郎さんが、その山から校舎を見ながら語った言葉です。

◆「仕方がない」ではない。考えなければならない
もし津波が来てもここがあるから大丈夫だろう、ここに逃げてるだろう、と多くの人が、私も思っていました。その山です。ここは毎年3月に椎茸栽培の体験学習をしていました。それからこちらの方は低学年の授業が行われています。ここまで登っていれば助かっています。ここを案内して、“ここは登りにくい山だね”、という人はいません。逆に、“こんな近いところにこんなに登れる山があったんだ”、っていうことにびっくりする人が多いです。でもね、立派な救命ボートがあっても、それに乗らなかったら助からないっていうのと同じです。それは救わなければならなかった命です。学校の先生ってのは・・・じつは私も教員なんですけれども・・・学校の先生というのは、たまたまそこに居合わせた大人じゃないです。子供の命を預かり守る、そういう仕事の大人なわけです。それはあの時の先生はみんな知っています。“果たせなかった”ということ、そこに向き合わなければダメです。“仕方がなかった”なんて言っちゃだめだと思います。やっぱりここに来るたびに、7年前のあの日の風景とかぶせて、私たち考えなければならないと思っています。あの日の命の代わりに、皆さんに焼き付けてほしいと思います。この景色が見えてればよかったんです・・・

(大川小学校の裏にある山に登ってきたんですけれど、登り始めて緩やかな坂を、走ったら10秒程度で登れるところだと思います。およそ高さが7〜8メートル。津波の高さがきたっていう大川小学校の 2階部分くらいの高さということなんですよね。この景色が見えてれば助かったっていう話がありましたが、なんでこっちじゃなかったのかなっていうのは純粋に思ってしまいます。悔しいですよね。)

・・・最後にですけれども大川小学校は閉校になっても名前もなくなります。ですがこの学校が震災遺構として防災教育を勉強する場として残ります。皆様また機会がございましたら是非来て頂いて、そして持ち帰っていただいて、ここでの教訓、皆さんの住むところへ持ち帰って頂いて、話をしていただければ、我々もありがたいなという風に思います。


佐藤さんは14日の朝、娘を探しに船で大川小学校へ。橋のたもとに子供たちの遺体が並べられていた光景が、いまも忘れられないといいます。

大川小学校の校歌は「未来をひらく」というタイトル。ここで起きた悲劇を、自分のことに置き換えて考え、何かを持ち帰って欲しいと会を結んでいました。明日は佐藤敏郎さんのインタビューをお伝えします。


パーソナリティ(月ー水)中西哲生・ケリーアン(木)中西哲生・綿谷エリナ(金)速水健朗・綿谷エリナ

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

LOVE & HOPE スペシャル 7年目の春便り〜ふたつの故郷(ふるさと)〜

TOKYO FM サンデースペシャル やさしい日本語 Supported by ヒューマンアカデミー

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN