2018年4月19日

4月19日 南阿蘇村・立野 ニコニコ饅頭(1)

今週は震災から2年を迎えた、熊本からのレポートをお伝えしています。
今日と明日は、南阿蘇村・立野地区の老舗饅頭屋さん、「ニコニコ饅頭」の4代目、眄ヂ臺紊気鵑里話しです。

立野は南阿蘇村の北西にあって、JR豊肥本線、南阿蘇鉄道が接続する「立野駅」があり、また熊本市と阿蘇を結ぶ動脈、国道57号線も通るアクセスの要所。地震とそのあとの豪雨で土砂災害が相次ぎ、去年秋まで長期避難認定となって、ほとんどの住民が避難生活を余儀なくされていました。立野駅周辺の鉄道は、JR、南阿蘇鉄道ともに今なお不通となっています。

この立野駅前で、1907年・明治40年から製造販売を続けているのが「ニコニコ饅頭」。震災後、立野からはひと足が途絶えてしまいましたが、復興を願っていち早くお店を再開した眄イ気鵑砲話しを伺いました。

◆一か月後にニコニコ饅頭再スタート
(いま立野駅のすぐ横に立ってますけれども本当に気持ちのいい場所ですね)そうですね、まあ自然と水はいいですね。(ここで地震があったときは?)両親は家にいました。私は隣町に住んでますので。店の隣が家なんですね。(どれぐらいの揺れでしたか?)よく“机の下に隠れろ”って言いますけれども、そんな状態じゃないです。もうそういうことはできない状態でしたね。もう立てません。自分の身を守ることだけしか頭になかったです。前前日に地震があったんでまったく寝てなくて、もう来ないだろうな、と思った矢先だったんですね、安心して寝ようかなって時だったんでもうどうにもできなかったですね。(倒壊は?)倒壊はなかったです。私は隣町に住んでいて家も揺れましたけれども、両親はもう連絡が取れなくなって、もう一瞬、諦めました。(いつこちらの方に?)2日後です。通れたのが。国道がもうどこもぐちゃぐちゃで、最初見たときは、私、地元の消防団に入ってるので家の状況をちょっと確認したくらいで、両親が頑張ってどうにかしてる状態で、自分はすぐ学校の方が避難所になってるので消防団で駆けつけて避難してる方々の手配してましたね。(けっこう倒壊した家も多かった?)多かったです。亡くなった方も立野では3人。(ちょうどいま山を見てますけど、山の中腹から下にかけて一気に崩れてる・・・)そうですねこっちの反対側の山もすごいです。これは今まで崩れたこと一回もなかったんですよね。(この場所にはいつも学生とか会社の方とかいっぱい?)そうですね観光客が南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗りに来られたりとか、そういったのも多かったですね。(震災直後はもう当然お店の方は・・・)震災食後は諦めました。饅頭づくりも。それでも地元の方とか、ぜひ頑張ってくれ、ということで、また再開を目指して一ヶ月後ぐらいには無事に再開して、ここで販売はぜんぜんできないので、隣の町の道の駅に問い合わせをして、そこからまた紹介してもらって、いま熊本市内のスーパーに出してる状態です。(じゃ熊本市内のスーパーではいま買える状態?)はい。まあウチでも買えますけれども、はい。


震災後、主要道路も鉄道も不通に、しかも住民も避難した立野地区で、わずか1か月後に饅頭の製造販売を再開した眄イ気鵝1援の声や、水を運んでくれたり支援してくれる人に背中を押されて、再開を決めたということ。

いま長陽大橋が開通して国道57号線が通れるようになり、去年秋には長期避難認定が解除された立野。ただ電車は不通のままで、人通りはほぼありません。

復興への願いも込められた「ニコニコ饅頭」、いまは立野駅前のお店のほか、熊本市内のスーパーでも買うことが出来ます。

パーソナリティ 鈴村健一

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