2018年4月24日

4月24日 ハッピーローズアワード受賞、中村雅俊さん(2)

昨日に引き続き、東京ビッグサイトで行われた、東日本大震災の復興支援イベント「フラワードリーム2018」で「ハッピーローズアワード」を受賞した中村雅俊さんのインタビューをお届けします。

「ハッピーローズアワード」は、“花キューピッド”で親しまれている一般社団法人JFTDが主催する「フラワードリーム」の一環として、社会で活躍する60歳以上の方を毎年選んで表彰しています。2011年からは、“東日本大震災の復興支援”というテーマも加わり、震災後継続的に被災地を訪ねて支援活動、応援活動を続けている中村雅俊さんが受賞されました。

ご存知、中村雅俊さんは宮城県女川町の出身。大学に進学するまで女川の町で育ちました。この番組でもたびたび、女川町の方には取材をしていますが「おたづもっこ」→(お調子者)と呼ばれる人たちが多い、ラテン気質の女川町、中村さんにとってはどんな町なのか、聴いてみました。

◆ヤンチャな人が多い!けど優しい
うわーもう怖い街ですよ。もうヤンチャな人が多くて、人口一万人くらいしかいないのに飲み屋200軒ぐらいある。やっぱりマグロ船とカツオ船、で俺が子供の時はクジラ獲れてたのでクジラの基地だったんですよ。だから解剖場があって、いつもチョコレート色したキャッチャーボートが両サイドに捕まえてきたクジラを解剖待ちでいるんですよ。基幹産業は水産業なので、とにかく船乗りさんとか漁業関係者の人みんな口は悪いし、そういう中で育ちましたね。やっぱり振り返るといい街だったなという、あんな風光明媚で、気性はみんな荒いんだけど、優しくて、小っちゃい街だから誰がどうしたってよくわかっていて、お袋がやっぱり飲み屋やってたんですけど、俺が大学を受かった時に近所の人とか、もうほんと町の人たちもみんな“雅俊どこの大学受かった!”ってお袋に言いに来たり、まあ本当に人情味あふれる街で育って良かったなあっていう風に思ってますけどね。


そんなふるさと女川が、2011年、震災による津波で市街地のほとんどが壊滅するという大きな被害を受けました。その時、そして今、中村さんの女川に対する思いは、どう変化してきているのでしょうか。

◆この町をずっと愛していたんだなって
人でいうと健康体だったやつがいきなり事故にあって重体だっていう、やっぱりその現実を食らった時に、初めて“生きていてくれ”とか“元気になってくれ”って思うのと一緒で、やっぱり震災後っていうのは、“ああやっぱり俺は地元なんだな”っていう自覚っていうか、やっぱりちょっと真剣に思って、それはやっぱり普段は会話にも出さないけど、この町をずっと愛していたんだなって、はっきりわかった出来事ですね震災ってのは。で復興のスピードは他の町とか市に比べると女川ってすごく早くて、別にお金があるって事じゃなくて、俺と同い年くらいの連中もものすごい頑張ってて、仲間集めて“よしやるぞ!”とかって、すごいんですよそのチーム力が。若い連中もちゃんとそれに刺激を受けてすごいその結束みたいなのがあって、すごい行動力があるんですよ。だから被災地いろんなとこ行かせてもらうんですけど、贔屓じゃなくて女川は本当にすごく進んでるなっていう実感は行くたんびにあるんですよ。でもあらためて問題は?って提起するとけっこう山積みですよね。それじゃなくてもウチの女川は過疎で少子化で高齢化であの石巻線っていうのが走ってんですけど終着駅で赤字路線だし、震災前なんかは“あの街もダメだな”みたいなところもあったんですけど、震災をきっかけに頑張ろうという意識がすごく高まってるんで、みんなでその気運をずっと持続させようっていうのは思ってるんですけどね。



『LOVE&HOPE』、明日は、復興支援イベント「LOVEフェス3.11」を主宰するLOVEさんとの対談をお届けします。

パーソナリティ 鈴村健一

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