2012年2月9日
2月9日「郷土芸能の復興へ向けて・宮城県南三陸町の『鹿躍』」
西暦1700年以前、元禄時代よりも前から伝わる郷土芸能、宮城県南三陸町の「鹿躍」は、震災後、昨年7月から活動を再開しました。
今年もお盆や秋の奉納へ向けて、準備を進めています。
南三陸町・行山流 水戸辺 鹿躍保存会会長・村岡賢一さんにお話を伺いました。
◆震災後の「鹿躍」ができたこと
鹿躍は、8頭の鹿…鹿の格好をした踊り手が踊りを繰り広げる。供養をするために造られたものと考えられている。
私たちの地区の小高い丘の公民館が、津波の避難所に指定された。そこで鹿躍の練習をしていた。センターに衣装から何からあった。津波はそこまで来たため、骨組みだけで、伝統芸能どころではないとあきらめていた。
現地に出向いたとき、太鼓が一つ見つかり、もったいないと骨組みのセンターに置いておいた。2〜3日ごとに一個ずつ拾い集めていたが、徐々に荷物が増えていった。近所の人たちががれきから見つけて、集めてくれていた。そこで奇跡的に、一通り踊れるだけの衣装や鹿頭が見つかり、水洗いをして干した。
登米市で、桜の季節が終わったころ葉桜祭りが行われ、「避難者の方も鹿躍はどうですか」と要請。どうかと思ったが、避難している中学生に聞いてみたら「やります」と言われた。元気な声に押されて葉桜祭りで踊ったところ、お客さんも涙を流して楽しんでくれた。踊る方も涙を流して踊った。
鹿躍は、震災復興にも、亡くなった人の供養にしても、こういう時のためにあったのかなと思った。医学も何も発達していない時代に、人の生死、色んなものを作り上げる時に、鹿躍で勇気づけ、元気づけていたのではないかと思った。



南三陸の鹿躍は、300年前に歴史が一度途絶えています。
しかし、南三陸をルーツとする岩手県一ノ関の鹿踊りを「逆輸入」して、最近復活したばかりでした。
そして今また、その一ノ関から衣装や鹿頭などの支援を受け、南三陸鹿踊は、ふたたび再生しようとしています。
今年もお盆や秋の奉納へ向けて、準備を進めています。
南三陸町・行山流 水戸辺 鹿躍保存会会長・村岡賢一さんにお話を伺いました。
◆震災後の「鹿躍」ができたこと
鹿躍は、8頭の鹿…鹿の格好をした踊り手が踊りを繰り広げる。供養をするために造られたものと考えられている。
私たちの地区の小高い丘の公民館が、津波の避難所に指定された。そこで鹿躍の練習をしていた。センターに衣装から何からあった。津波はそこまで来たため、骨組みだけで、伝統芸能どころではないとあきらめていた。
現地に出向いたとき、太鼓が一つ見つかり、もったいないと骨組みのセンターに置いておいた。2〜3日ごとに一個ずつ拾い集めていたが、徐々に荷物が増えていった。近所の人たちががれきから見つけて、集めてくれていた。そこで奇跡的に、一通り踊れるだけの衣装や鹿頭が見つかり、水洗いをして干した。
登米市で、桜の季節が終わったころ葉桜祭りが行われ、「避難者の方も鹿躍はどうですか」と要請。どうかと思ったが、避難している中学生に聞いてみたら「やります」と言われた。元気な声に押されて葉桜祭りで踊ったところ、お客さんも涙を流して楽しんでくれた。踊る方も涙を流して踊った。
鹿躍は、震災復興にも、亡くなった人の供養にしても、こういう時のためにあったのかなと思った。医学も何も発達していない時代に、人の生死、色んなものを作り上げる時に、鹿躍で勇気づけ、元気づけていたのではないかと思った。
南三陸の鹿躍は、300年前に歴史が一度途絶えています。
しかし、南三陸をルーツとする岩手県一ノ関の鹿踊りを「逆輸入」して、最近復活したばかりでした。
そして今また、その一ノ関から衣装や鹿頭などの支援を受け、南三陸鹿踊は、ふたたび再生しようとしています。



