2014年1月16日

1月16日 宮城県山元町 りんごラジオ

今朝も、東北の臨時災害放送局にスポットをあてます。


現在、東北で活動する臨時災害放送局は17局。その中で、震災後いち早く放送を始めたのが、宮城県山元町の「りんごラジオ」です。


「りんごラジオ」の名物パーソナリティが、高橋厚さん。元・東北放送のアナウンサーで、引退後、縁あって山元町に移住し、いま地域密着の小さなラジオ局を支えています。

◆自主制作100%を目指して
放送時間は朝9時から夕方6時まで。りんごラジオ制作100%。これは正直、とんでもなく大変。毎時間毎時間、町長、教育長、町議会議員、町の皆さんにご出演いただいたり、こちらから出向いて取材したり、中継をしたり。そこがりんごラジオの特徴だと思っている。
町民の皆さんは、町の復旧復興状況がどうなっているのかが最大の関心事。いつ町がつくってくれた住宅に移れるのか、その建設状況がどうなっているのか、など。さらに交通手段。いつ本格工事が始まって、通勤通学の足が確保されるのか。町議会の生中継なども大きな関心を持って聞かれているという状況。


山元町では、震災の10日後に、いち早く臨時災害放送局が立ち上がりました。これは、高橋さんなど町民が、町のコミュニティFM開局に向けて、以前から勉強会を行っていたことが、大きな要因です。

◆災害時の地域密着ラジオの必要性
山元町民が中心となって、コミュニティラジオがあれば、お祭りとか商店街の情報などを放送することで町が活性化できる、なんとか開局しましょうと町に働きかけていたが、結局開局には至らなかった。その5年後に大震災となってしまった。
震災のときは、こちらは震度6強の地震だったが、役場の屋上にあった防災無線が折れたり、町内に50カ所くらいあった防災無線のスピーカーも大半が流されて、情報を伝えることができなかった。また、仙台などのメディアは山元町の情報を1週間近く伝えてくれなかった。気仙沼とか石巻とか女川とか、県北のほうにメディアの取材、中継が集中してしまった。被災者にとっては、被災直後、一番大事なのは情報だった。水も食べ物も、とにかく情報が大事だった。そういうときに、りんごラジオが何年かまえに開局して、日頃から町民の皆さんに聞いていただける習慣があったら、もう少し救える命もあったのではないかと思っている。


高橋さんは仮設住宅がゼロになる見通しの平成27年までは、臨時災害放送局として放送を続けたいと話しています。また、その後もコミュニティFMとして放送を継続したいが、資金面のハードルが高いということです。

パーソナリティ 鈴村健一

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