半径3mの「世界観」ライナーノーツ
裏切られたのに嘘はつかれなかった、いつも真っ直ぐ音楽にぶつかってくれる。
自分自身の気持ちの変化を受け入れてそれを丸ごと愛してくれる。
これが今の私だと伝えてくれる。


クリープハイプのアルバムは絶対に1曲目から聞きたい、これは私のこだわりである。

理由としては、最初の音で雰囲気や、彼らがどんな音楽を今回このアルバムに入れたのかが分かる気がするからである。普通は最後の音まで隅々聞かなければ分からないかもしれない、でもそうじゃない。例えて言うならばフルコース料理である。最初の前菜を食べただけで最後のデザートまでのストーリーが見えてくるような感覚になるのである。1曲目で全て見えてくる。「ああこれが私の好きなクリープハイプだ、今回も素敵な音楽をありがとう」そう心で呟いて手を合わせる。

さて今までこんな風に思っていたが、今回のアルバム『世界観』で裏切られた。先ほどの表現と同じものを使うのであれば最初は西洋料理だったのに、次に中華料理を出されて最後に日本料理を出された気分だ。しかし不快どころか、もっと引き込まれた。「ああこういうことも出来るんだ、いい意味で裏切られたな」そう思わせてくれた。良い意味でクリープハイプらしくなかった。でも、これが今の彼らなのかもしれないと感じた。

「カップリングにして隠しておこう/カップリング」
「サビなら言える/二十九、三十」
もっとあるが、このような歌詞のように最近のクリープハイプも「直接言えないことを歌を通して伝える」、といったような表現が多くあった。これがクリープハイプの言葉の使い方、音楽なのだろうと思っていたし、私はそんな彼らが好きだった。

「歌にして逃げてしまう前に/バンド」
それゆえ、今回のアルバム『世界観』の最後にこの曲を持ってきたことは何か大きな意味があるとしか考えられなかった。尾崎世界観一人だけではなく、クリープハイプとしての音楽になったからこそ生まれた曲なのではないだろうか。はっきりと言葉で理由を述べれるほど理解出来ないことであろう、仕方ないのさ。これはきっと人と人の心と心の話であるのだから。しかし4人の気持ちを想像するだけで胸が熱くなる。涙が止まらなくなる。私がこう感じた訳は曲に聞いて欲しい。きっと分かるはず、彼らをもっと愛したい、そう思うはず。

今回のアルバム『世界観』にはとても
裏切られた、想像と違かった。
しかし、そこには確かにクリープハイプという
バンドの音が鳴り響いていていた。

裏切られたのに嘘はつかれなかった、
いつも真っ直ぐ音楽にぶつかってくれる。
自分自身の気持ちの変化を受け入れて
それを丸ごと愛してくれる。
これが今の私だと伝えてくれる。

変わっていくクリープハイプと共に私も変わりたい、ずっとついていきたい。そんな風に思わせてくれるアルバムであった。

ゆずかへ 18歳 宮城県