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この後記の放送を聴く

聴取期限 2022年8月5日(金)PM 23:00 まで

今月の放送後記(文字起こし)を掲載する前に、こちらをご覧の皆様にお知らせを少し!

・今月の放送分は1週間以内(2022年8月5日まで)であればradikoのタイムフリー機能でお聴きいただけます。BOSSのトークと音楽を合わせて楽しめるのは実際の放送だけなので聴き逃したという方はぜひどうぞ!

・さらに放送から1週間後、8月5日にはTOKYO FMの音声配信サービス「AuDee」にて放送されたナレーション音声も公開されます。放送尺の都合でカットされた未公開パートも含む完全版となっていますので、ぜひAuDeeの『YAZAWA LOCKS!』もチェックして下さい!

・そして『YAZAWA LOCKS!』では、皆さんからのメッセージも募集中!! BOSSに伝えたいこと、聞きたいこと、相談したいことなど内容はなんでもOK![ コチラ ]のメッセージフォームから送って下さい!




とーやま「ということで、これは……ボス、7月16日土曜日に、『音楽の日 2022』に出られましたよね。」

矢沢「そうなんですよ。裏話、ちょっとしますと。生放送で、出番が9:15ぐらいだったのかな。僕、今ちょうどツアー中ではないじゃないですか。ツアー中だったら、体がそっちにシフトするわけですけど、今はシーズンオフ。だから、体はもう9:30ぐらいになったら眠いのよ!(笑)」

とーやま「(笑)」

矢沢「いや、はっきり言うけどね、ちょっと昔からミック・ジャガーが夜10:30〜11:00になったら寝るって聞いて、『嘘だ〜(笑)』って思ってたから。もちろんツアーやってるときは別なんだけど、そうじゃないときなんて夜10:30〜11:00にはベッド入るみたいになってたから、 『嘘こけ!ロックシンガーが11時にベッドなんか入るわけねえだろうよ、飲んでるかなんかしてるんじゃないの!?』って言って、やがて月日が経ちました。……うん、僕もだいたい10:30ぐらいになったら眠いね!(笑)」

とーやま「(笑)」

矢沢「それで、この『音楽の日』のとき、やっぱりシーズンオフだから、9:15はもう喉が眠りの準備に入ってるときで。喉もほら、筋肉だから。でも、TBSとしては「ぜひこのぐらいの時間帯でやってもらいたい」と。わかった!がんばる!って言って、4日ぐらい前から夜遅くまで起きる訓練してたよ(笑)」

とーやま「いや、夏休み明けの小学生じゃないですか!(笑)」

矢沢「ほんとほんと!(笑)あれだけもう、朝方4時ぐらいまでがっつんがっつん呑んでた矢沢がね?街から街へライブ行ってるときは、もう朝4時ぐらいまで飲んで、次の街行って、またライブ決めてその夜また朝まで飲んで。それがもう、小学生ですよ。(笑)」

とーやま「ずっと夜更かしすぎて、その生活のバランス取れなくなって(笑)」

矢沢「だけど、4日ぐらい前からちょっと遅くまで起きてる訓練して、TBSの『音楽の日』に臨みました。」

とーやま「あれ、生放送で生演奏ですよね!」

矢沢「もちろん!生で決めてます。でもね、これは褒め言葉なんだけど。1曲目が『ラストシーン』、『チャイナタウン』。あれ、『黒く塗りつぶせ』に比べたらキーはどっちかっていうとそんなに高くないんですけどね。僕はあれ、ピシッと決めたと思うんだけど、観てる人が『上手すぎ!』『チャイナタウンって、絶対口パクだよ!』ぐらい、お褒めをもらったんです。でもやっぱり、途中でマイクスタンドを持ち替えたりとか、漏れた声で『いや、あれ本当に歌ってるよ…!』って。当たり前じゃないのよ!(笑)まあだけど、本当は口パクしたかったぐらいです(笑)」

とーやま「でも僕も、ちょうどそのとき(『音楽の日』放送当時)、地元の北海道に帰っていまして。ボスのことが大好きな父親と一緒に観てまして。もう、本当にやっぱりすごいな、と。迫力から何から。僕も嬉しくなっちゃってですね。Twitterで“矢沢永吉”検索しちゃいまして。そしたら、声量とか『ずっとこの人は歌上手いんだな』とか、もしかしたらボスのことを大好きな人も、初めてボスのことを見た若い方とかも、そういうつぶやきとかいっぱいされてて、それも見て、僕まですごく嬉しくなりました!」

矢沢「ありがとうございます。なんかね、やっぱりこうやって『あれもう口パクだよ!』っていうぐらいうまかったですよ、って言われたら嬉しいよね。」

M  チャイナタウン / 矢沢永吉


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永ちゃんこんばんは!14歳東京住みファン歴13年目です!2014年から毎年欠かさずライヴ参戦してます!去年は全国回りました!今年も期待してます!

本題になるのですが、先日のフェス最高でした!あの伝説の涙の最終日、横浜アリーナから7ヶ月。久々の永ちゃんに涙でした。2日間ステージに立っていた時の気持ちはなんですか?またその時の景色はどのようなものでしたか?教えてください!ヨロシクお願いします!

それから今年高校受験があるので、是非応援していただきたいです!ヨロシクお願いします!!!!
RN 銀冶
東京都 14歳 男性

とーやま「これは、幕張メッセで『E.YAZAWA ONE NIGHT SHOW 2022』が、7月2日、3日と開催されまして。お疲れ様でございました!」

矢沢「ありがとうございます。」

とーやま「僕も、2日目、7月3日の方を観させていただきまして。もう伝えたいことたくさんなんですけども。」

矢沢「観てる人にとっては、『初日が良かった』とか『2日目が良かった』とか両方好みあると思うけど、僕的には。やっぱり喉が、エンジン回ってきたのが2日目かな。1発やって、次の日ぐらいでわっと上がってくるんだけど。でも生っていうのはね、そのとき、そのときの味があるからこそ、生なんですよ。いいステージ、やれたと思います。それで、またいい仲間たちがもうみんな集まってくれましたね。」

とーやま「2日目は、ボスの直前のアクトが氣志團の皆さんだったんですけども。ボスへのリスペクトの言葉、気持ち。それが観ているこっちにも伝わりまして。で、セットリストの最後には、『ファンキー・モンキー・ベイビー』をやって。ボスに大きなバトンを渡すという、素晴らしい流れだと思いました!」

矢沢「僕は、幸せですよ。なぜかっていったら、飯食って、友達になって、わいわい仲間です、っていうことなんかしてもいないんだけど、もう何も言わなくても、『YAZAWA FES、ONE NIGHT SHOW、やらないか』って言ったら、『ぜひ!!!』と言ってくれるバンドがいっぱいいるわけでしょう。それはやっぱり、ロックで必ずつながってる。それで、今言ったように、プライベートでそんなに会って飯食ったりもしてないのに、あの瞬間のあのときっていったら…!氣志團にしても、布袋(寅泰)にしても。 まあ、布袋なんかは何回かプライベートで会ったことあるけど。プライベートっていっても、飯食ったんじゃないんだよ。

朝、うちの近所をジョギングで歩いてたら、目の前向こうにやたらでかいやつが、しかも黒いコートで決めてるから、余計なんだよ。ビッと立ってて、犬はなんだと思ったらドーベルマン(笑)」

とーやま「(笑)」

矢沢「ドーベルマンと、あの背のでかい布袋と、あの黒のコート。『お前決めすぎだろ!』ってぐらいかっこよかった。(当時)ちょうど彼がまだイギリスに家族で行く前だったね。で、僕は家族でLA(ロサンゼルス)で暮らした人間としては、先輩だから。なんか贈る言葉なんか一言だけ。『俺もLAで6年ぐらい家族で暮らした先輩だから言うけど、頑張っていろんな経験して、すげえミュージシャンもいっぱいいるし、知り合って。ところでさ、ご家族で行くわけだから、子供さんもいるし、もういいかなってどっかで、自分でよぎったときは、すぐ日本帰っておいで』って言ったよ。『あんまり気にしないでぱっと帰ってきて、またそこでまた新しい扉が開くとか。だから、なんか意地になってずっと居るのも大事だけど、居ることでもないんだよ』って。それは、俺がその昔、6年間家族でいたとき、それがあったからでしょうね。

僕はもう早い段階からロサンゼルス行った時に『あ、ここで骨を埋める人じゃないな』って、僕はすぐわかったから。必ず日本に帰って、最終的には日本だなってことは分かってて居たあの6年間は、素晴らしかったね。友達もいっぱいできたし。大体分かれるよ、海外いる人は。そのまんま居れる人と、やっぱり最終的には日本に帰るんだって人に。そんなにプライベートでしょっちゅう話してる関係じゃないけど、ドーベルマンとビッと立ってたあの朝、あれから何年か経ったいまもこうやって、YAZAWA FESに出てくれたり…ありがたいっていうか、素晴らしいね。」

とーやま「僕、ライブ見てて思ったのがですね。ボスが下手から出られた瞬間に、もう会場全体がボスのものになるっていう感じがすごくしました。それがまずほんとにかっこよかったなっていうのと。もう1個めちゃくちゃかっこいいなと思ったのが、歌ってる最中とかに、例えばスタッフさんに(上を指差す動作をして)“モニターの音量を上げてくれ”とか、ミュージシャンの皆さん、よくやられるじゃないですか。僕が今まで見てきたのは、例えばサビ終わって、上手見て“上に上げてくれ”とかっていう指示をしてて、そういうのかっこいいな、と思って見てたんですけども。ボスは、ボスの動きのまま袖のスタッフさんに指示をされてるなって思ったんですよ。一度も素に落ちることがなく、ずっとボスのままだったんだなって。(パフォーマンスの)流れの中で指示を出すっていう のが、めちゃくちゃかっこいいな、と思いました!」

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矢沢「神経質なんだろうね!“キックもっと上げてくれ”とか、“スネアをもうちょっと下げろ”とか。“俺のボーカルもうちょっとくれ”とか。いつももリクエストが多くて、申し訳ない(笑)僕だけじゃなくて、ステージに立ってる人は、やっぱり真剣勝負でやってるから、3曲4曲いってるうちに、バチッとモニターができるんじゃないかな。

あれね、客入れる前に音合わせはやってはいるんだけど、フェスなんかは現場の人にもう任せちゃってるね。エンジニアにもう任せる。うちのエンジニア……もう名前言っちゃうけど、”ミツヤ”って言うんだけど、日本一だと思う。」

とーやま「どういったところが、ミツヤさんは“これは日本一だな”と思われるポイントのなんですか?」

矢沢「音をよく分かってる。“音をよく分かってる”って言い方は、ちょっと抽象的でラジオ聴いてる人はちょっとピンと来ないかもしれないけど。例えば、加減のいいところを知ってる、っていうのかな。音っていうのは、どこでいいのかって言ったら、バランスでいいわけでしょう。このギターとこのドラムと、このピアノとこのカラオケに対して、ボーカルがいる。ボーカルが主役って言うけど、いや言いきれない。すべての調和が合って主役なんだから、その調和をわかってるっていうのかな。その都度、ボーカルの上げ方も緩め方も、その曲によってまた違う。上げりゃいいってもんじゃない、でかけりゃいいってもんじゃない。やっぱり、響いてくるっていうのかな。それを知ってるってこと。

それはね、1年、2年、10年じゃ無理だよね。やっぱり何十年もやって、いろんなライブを経験してきて、加減っていうのがわかる。僕はもういつぐらいからそう思ったかっていうと、もう10年以上前からそう思ってて、今はもう表(客席に届く)音に対して、何ひとつリクエストなんかないよ。(ミツヤさんの)名前をなんでここで言ったかっていったら、たぶん俺のプライドみたいなものがあるから、言っちゃったんだろうね。」

とーやま「“プライド”ですか。」

矢沢「矢沢のサウンドを支えてくれてる、ってプライドですかね。」

とーやま「観てる側としてはあんまり意識はしたことなかったんですけど、プロフェッショナルの技術とか、そういったものが詰まってるライブなんですよね。」

矢沢「うん。誰が欠けてもダメだよ。みんな役割があって、たぶん矢沢のあのステージを、たまんないメモリーにしてくれるんじゃない。」

とーやま「いまの言葉を聴いて、14歳の銀冶くんも嬉しいはずだと思います。さらにボス、1個忘れてました。銀治くんが今年、高校受験があるので、一言だけメッセージをいただけたら嬉しいんですけど…!」

矢沢「もう“頑張れ”っていうのは当たり前でね。目的の高校、受かったらいいね。受験は、人生の扉の第1歩だよね。」


エーちゃん、とーやまさん こんばんは!以前聞いたことがあります。その人の声を聞いて心地良いと感じるのは、相性がいいとか本能的に好む相手だそうです。兄が持っていたレコードで、初めてキャロルのエーちゃんの歌を聴いたのは、私が小学生の時でした。現在50代の私ですが、あの時からずっとエーちゃんの声に心奪われたままです。歳を重ねて、更に強く魅力的で包容力さえ感じられます!エーちゃんは自分の声について、どう感じていらっしゃいますか?

RN チャイナタウンで安物の時計
栃木県 57歳 女性

矢沢「自分の声に関して、自分はどう思うかったら、ちょっとあんまりピンと来ないよね。だけど、『独特な声ですよね。』とか、『永ちゃんの声聞いたらすぐわかる!』とか、よく言われる。だから、そうなんだろうな、と最近は思ってます。」

とーやま「じゃあ例えば、ご自分のアルバムとかを改めて聴き直すこともあるじゃないですか。」

矢沢「もちろん、もちろん。」

とーやま「そういうときには、どのように感じられるんですか?」

矢沢「“バラードがいい声してますね。”って言われたら嬉しいし。改めて『え、そうなの』ってことで聴くじゃないですか。嬉しい、並びに、“あ、このバラードのこのタッチング。あ、そういうことか。”みたいに、勉強になりますよね。」

とーやま「ちっちゃい頃とか声変わりする前とかに、カセットテープに自分の声を録音して、自分の声聴いたときにすごく恥ずかしいっていう感覚。たぶんみんなあると思うんですけど、そういったのは、ちっちゃい頃はボスはあんまりなかったですか?」

矢沢「わかる。わかりますよ。僕も同じように、自分の声をテープレコーダーで再生して、“こういう声してんだ!”ってあるよね!(笑)それからこの歌うっていう仕事について、もう何十年でしょ。これからますます、喉も筋肉ですから、衰えていきますので、これをどう衰えさせないようにトレーニングしながら。また、この衰えていくのをかっこよくさせるようなテクニックとか。歳をとったら、とったなりにダメ…じゃなくて、歳をとって。筋力は落ちていくよね。落ちていく加減みたいなものが、“妙に色気があるよね”って言われたら、僕のものだよね。逆に、“それが今の魅力がなんか感じるよね”って言われたら、それはそれですごいよね。」

M. キャロル「New Recording Version」 / 矢沢永吉



BOSSは経営者として、会社を経営をする上で何を重視されていますか?私は起業して12年目ですが、これまで判断に迷った時、「エーチャンだったらどうするかな?」と考えて会社を経営してきました。
BOSSが考える「経営の勘所」をぜひ教えてください。

RN 矢沢ライヴ歴37年149回
神奈川県 53歳 男性

矢沢「つまるところ、あんまりわかんないんだよね。これは正直なところ。ラジオだから気持ちを変えて喋ってるんじゃなくて、本当の話。会社を興して、もう何十年になります。会社とともに、著作権とか権利も意識して、自分の手の中に全部入れなきゃいけないんだ、ってことをビートルズから学んだからね。肖像権も全部自分の中で管理しなきゃいけないんだ、ってことも、ビートルズから教えてもらった。一生懸命やるんですけど、学ぶことだらけでね。後から気づくことだらけで。僕、ソロになって50周年でしょ。会社持ってからもうかれこれ40年になります。

なんで会社を立ち上げたかって、会社したかったから立ち上げたんじゃないんだもん。例えば作曲した僕のメロディーの楽曲だって、自分が自分のものとして管理するためには、やっぱり出版会社ってのを立ち上げなきゃダメだよね。だから、しょうがないから、会社経営者になっていったんです。

何度かこの壁にぶち当たったことありますよ。“なんで俺がこんなことしなきゃいけないの”。“俺、アーティストなんだから、寝ても覚めても、ステージのことと、メロディーのことと、アレンジのことだけやってればいいっていう風に、なんでできないんだ”。世の中にはいっぱいいるよ。受け皿がしっかりしてて、その会社がしっかりしてて、そこに所属してるアーティストっていったら、経営のことなんか考えることないじゃないですか。その会社に任して、アーティストとして、ただ走ればいい。僕にどれだけのバリューを認めてくれて、僕と取り分をどういう関係性にするのかは、決めたらいいわけじゃない。ビートルズだって、ちゃんとブライアン・エプスタインっていう名マネージャーと出会ったわけですよ。ローリング・ストーンズだってみんなそうです。

だけど…まあ、性格もよるのかな。やっぱり“中身や仕組みのことを知っていたい”とか、“知らなきゃいけない”とか。で、僕はどっちかっていうと“知っていたい”って方のくせに、なんで俺がしなきゃいけない、っていう狭間に立っていたりして(笑)だから、僕は最初にこれ言っときたいけど、経営者やりたくてやったわけじゃないんです。ただ、“やっぱり知っていなきゃいけない。じゃあ、やるしかないのか”っていうことからやっていた。で、行くと知らないことだらけ。悔しい思いだらけ。その繰り返しだったね。だから、それをずっと何十年もやって、今ここに来てんのかなと思う。で、もちろん何十年も来た分だけ、悔しい思いをした分だけ、だんだん自分が見えてくる。自分の会社も見えてくる。人との付き合い方もわかってくる。“会社”としてのね。アーティストの矢沢がいて、会社経営者の矢沢がいて、全く付き合い方も変わるからね。ミュージシャン同士で『今度飯行こうぜ!』『オッケー!』っていうのと、会社で『これはこういう風にやろう』『こういう風にやってほしい』というように。

まとめて言うとね、面白い。違うから面白いんだよ。同じだったら面白くも何もないじゃない。繰り返して繰り返して、今があって、そのまま行くんじゃないですか。で、やがて僕の時代じゃない人たちが、会社をどういう風に膨らましていくのかは、もう僕の役目が終わったら、もう僕はおしまいですから。悩んだり、頭来たり、色々してきて、何十年経ったなと、たまに思ったりしますね。」

とーやま「ボスが今まで何か決めなきゃいけないときとかも、会社の経営者としてあったわけですよね。そういうときは、どういう基準で選ばれてきたんですか。」

矢沢「僕って、やっぱり根がアーティスト、歌手ですから。感覚的な、パッション的なことで決めるっていうのが、多々ありますね。ただ面白かったのは、日本のアーティストの中で、一番最初に携帯サイトを導入したり。これを聞いたら、ラジオ聴いてる人は『え、感覚で商売できるでしょう』っていうかもわかんないけど、その根拠たるものも、裏を取ってなんとかっていうことをやる人じゃないから。自分の感覚的なもので走った部分もありますよね。」

とーやま「となると、その感覚を普段から研ぎ澄まさないといけないですし。」

矢沢「僕はこれだけ言う。感覚はそう思ったんだからやった、でいいじゃないですか。もちろんはまらない時もあるに決まってるよね。外れちゃった、ってこともありますよ。それはそれでいいんじゃない。自分で責任とってるんだから。」

とーやま「いまのボスのこの言葉は、RN 矢沢ライヴ歴37年149回さんに、すごく重要な指針になったな、って思います。どこかで気が楽になったのではないかな、というのも、僕はいまお聞きして思いました。」

矢沢「こうだからこうやるべきだ、っていうセオリーみたいなものが、誰に対してもピッタリの答えなんてあるわけないんだよね。あったら苦労しないよ、みんなそこをやりゃいいんだもん。いいじゃないの、外れたら外れ。自分のケツは自分で拭きゃいいじゃない!

とーやま「はい!!!」

矢沢「すんません、言いたいことばっかり(笑)」

とーやま「いや、とんでもないです!(笑)ありがとうございます!」

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とーやま「ボス!いよいよ来月8月より50周年を記念した全国スタジアム&ドームツアー『MY WAY』の開催が迫ってまいりました!」


永ちゃん、こんばんは!!京セラドーム大阪のチケット当たりました!!今年も会えるので今からメチャクチャ楽しみにしています。タオル投げ、今回から解禁!! 最高ですよ。やっぱり投げたいですよ!3年ぶりですからね、今から右腕の筋肉鍛えてしっかり投げられるように練習しておきます。では9月にお会いできるのを楽しみにしています。

RN 豊橋のひでき
愛知県 53歳 男性

とーやま「ボスのライブといえば、このタオルを投げるというのも大きな楽しみのひとつなわけですけども、それがコロナ禍に入って、控えるということになったわけですけども、今回これが3年ぶりに解禁!ということで。」

矢沢「3年ぶりなんですね。ファンの皆さんにとっては、タオルも投げちゃいけないのかよ、っていう長い3年だったんじゃないですかね。国全体でどうやってコロナ禍を越えられるか、っていうのをみんなで頑張って。考えうることをみんなでやったじゃないですか。それで、タオルはもうあげてもいいだろう、と。マスクもしてるし。マスクを外して声をあげるのはちょっと待ってよ、と。そういう新たな基準がまた今できてるんでしょうね。」

とーやま「皆さんの気持ちもそうですし、実際、RN 豊橋のひできさんも右腕の筋肉、もう1ヶ月、2か月鍛えるわけですから、30メートルぐらい飛ぶ可能性ありますよ!」

矢沢「すごいね(笑)」

とーやま「ドームの屋根にだって、全部ついちゃう可能性もありますから。自分のかどうかわかんなくなっちゃう、とかもね。」

矢沢「いや、よくあるんだろうね、あれ。投げて、他人のところに行っちゃうとか。」

とーやま「どうしてんだろう、みんな。」

矢沢「ヒモかなんかつけて、パッと隣の2つ隣りのところ行っちゃったら、ヒモできゅって(笑)」

とーやま「(笑)改めまして、全国スタジアム&ドームツアー『MY WAY』!8月27日、28日が東京の新国立競技場なんですけども、27日のチケットがもうソールドアウト!さらに9月18日福岡paypayドーム、9月25日京セラドームのチケットも、もうクローズドとなってしまっているということです。なんですけれども、東京の2日目・新国立競技場がまだ若干あるらしいんですよ。」

矢沢「いや、もう本当にありがたいことですね。」

とーやま「詳しくは、矢沢永吉オフィシャルサイトよりチェックの方よろしくお願いいたします!」


永ちゃん、とーやまさん、こんばんは。私は父母の影響で、車内で流れる『逃亡者』を子守歌に育った、年齢=永ちゃんファン歴のロックンローラーです!

突然の質問で申し訳ないですが、『20代の内にこれだけはやっておけ』というアドバイスを永ちゃんから頂くことが出来れば幸いです。

というのは、私は来月には25になり、四捨五入すれば30となる事に心のどこかで焦りが生じています…。同じ25の時、キャロルを解散し、ソロデビューに向かって突き進んでいた永ちゃんは、どのような心の原動力で道を切り開いていったのでしょうか?よろしくお願いいたします。

RN しょこかー
東京都 24歳 男性

矢沢「キャロルがデビューしたのは23か24だったかな。ですから、20〜22歳、この辺は怖かったのを覚えてるね。やたら怖かった。“俺はどこへ行っちゃうんだろう”、“どうなっちゃうんだろう”、 “何者かになれんのか”、 “一体全体どうなるんだろう”というのは、大体あるじゃない。20代で何にも考えてません、っていう方が僕は不思議でしょうがないの、逆に。“お前怖くねえのか、先のことを考えたら”ってこっちが聞きたいぐらい。だから、この方がある一種の“どういうことを思ったらいいんですか”っていうのは、それがこの人にもあるからでしょう。“どこを心構えに持ったらいいんですかね、永ちゃん”と言ってるわけじゃない。ちょうど僕が20代の頃に、“この先どうなってんだ”と考えていたのと、似てるよね。それ、当然なんじゃねえの。20代はあっという間に過ぎるから。

『20代を頑張った人間にしか30代のパスポートはもらえないよ』って言ったことがあるの。あれは、自分で名言と言ったら怒られちゃうんだけども、そんな気がしたから。20代で固まるわけはないんだよ。固まるわけはないけど、なんでもいいから、30、40、50の向こうに行けるための用意、なにかできたのかな、って。かっちりできるわけなんか、ありはしないんだよ。まだ20代で若いんだから。だけど、とりあえず自分はこういうところを感じてんだよね、っていうことがあるかないか。そりゃ大事なことだよ。だから僕は、 “パスポート” っていう言葉を置いたんですけど。20代、大きさなんかどうでもいい。まだ形なんか見えなくてもいい。でも、“こんな感じで俺は走ろうと思うんだよね”って、何かテーマがひとつでもないと、パスポートもらえないよ。って言ったことあるのね。

だから、大きさなんかどうでもいい。種類はどうでもいい。君に合ってるもの、俺に合ってるもの、って感じ。偉そうに言ってるわけでも、確定してることでもないんだよ。怖いから。せめて怖いから、そういうようなことを思って、向こうに見えるような見えないような、ぼんやりしたものを見ていたい、考えていたい、っていうことかな。」

とーやま「これ、今の言葉もRN しょこかーさんからしたら、めちゃくちゃ嬉しいはずですよ!」

矢沢「時間なんて、すぐ経つね。だって21、22の頃って大体周りが許してくれる、って自分で勝手に思ってたよね?俺は思ってた。ある程度バカやっても許してくれる。あれ、不思議なんだけど、26過ぎて7ぐらい来るとさ、そろそろ周りが許してくれないんだよね。」

とーやま「たしかに、そうですね!」

矢沢「それで30入ったら、“おじさん、What you want?” “何が欲しいの?”って言ってくるからね、世間は。世間って怖いよ。“Oh, my god! こわ〜!”って感じ!これが社会の現実ですよ。だから、この人は、大丈夫だよ。」


矢沢永吉さんへ

20歳の時に、たまたま出会った『成りあがり』を読んで以来、永ちゃんの大ファンです。(永ちゃんという馴れ馴れしい呼び方をお許しください)

今年も9月の京セラドームに1人で行きます!毎日永ちゃんの音楽やライブ動画を聴きながら、『今日もやってやろう!』と仕事のパワーを貰っています。いつも本当にありがとうございます。

永ちゃんに1つ質問です。過去のインタビューで『人生というのは、失うものを増やしていくゲームなんだ。』と話されていたかと思います。

私はこの言葉の意味を『何かを成し遂げるためには何かを捨てなければならない』と解釈しており、自身の夢のために娯楽や遊びを犠牲にして仕事に打ち込んでおります!

ただ、この言葉の前後がネットなどにも記載がなく、実際どのような背景や意図があるかを是非永ちゃんに聞きたいです。

よろしくお願いします。

RN タコス
大阪府 25歳 男性

矢沢「僕は昔言ったんですね。 人生ってのは失うものを増やしていくゲームなんだ、って。覚えてますよ。学生の頃は仲間がいて、なんでも言えるような悪ふざけがお互いにできるような、すごい近い人がいて、学生生活は色々辛いこともあるけど、でも楽しかったよね。

さて、社会へ出ていく。今度は大人として、社会人として。アパート借りゃ、自分で家賃払う。家賃代を稼がなきゃいかんね。電気、ガス、水道も自分で払わなきゃだな。それで食ってかなきゃだな。でも、まだ1人だ。やがて恋をして、好きな人ができて、一緒になろうって話になったら2人で暮らす。一緒に力を合わせて、ちょっとずつ電化製品も揃えていくだろうな。やがて子供ができるかもしれない。子供ができれば、ちゃんと育ててやんなきゃいけないよね。何やるにしてもお金がかかる。保育園入れるのも金かかる。小学校やがて、中学受験も全部守ってやらなきゃいけない。養ってやらなきゃいけない、育ててやらなきゃいけない。2人だけじゃない。今度は3人になって……っていう。

そういう、失うことのできないものが増えていくんだよね。そういうことをやっていくゲームなんだ、っていうことを僕は言いたかった。だから、1人で自由にやれる時はどれほど楽だったか。『宵越しの金は持たねぇ!』と誰かが言った。かっこいいんだけど、かっこよくないね、ってことを言いたかった。それよりも、宵越しの金じゃなくていいから、家1軒ぐらい立てて、嫁さんと子供楽にしてやれよ、っていうのが僕は言い分があったんだよね。

M. 背中ごしのI LOVE YOU / 矢沢永吉


矢沢「山手線に揺られて頑張ってる人たちも、好き好んでサラリーマンやってるわけじゃないじゃん。その後ろには奥さんがいたり、子供がいたりしてるよね。自分ひとりのとき、どれだけ楽だった?というようなことよ。だから、みんな頑張ってんだよってことを言いたかったんだろうな。」

とーやま「RN タコスさんは、この言葉とはまた別の解釈をしていて、これはこれで何も間違ってないですよね。」

矢沢「間違ってない、全然間違ってないですよ。」

とーやま「RN タコスさんはめちゃくちゃスッキリして、腑に落ちたでしょうし、明日以降の活力に絶対になってるはずだなと思いながら、いまのボスの言葉を聞いてて、僕43歳なんですけど……いまだ独り身でですね…。1度も結婚もしたこともなく、自分には守るものとか、そういったものを失うものをどれだけ増えてるんだろうなと思ったら、全然増えてないな、っていうのがあって…ですね……いま、ちょっと苦しいんです…!」

矢沢「いやいや(笑)も、申し訳ないです(笑)」

とーやま「ということで、ボス。今日もそろそろお別れの時間となってしまったわけなんですけれども。今日も素敵なお言葉いっぱいで…!」

矢沢「そうですか。いや、言いたいこと言って申し訳ないなと思うんですけど。」

とーやま「いえいえ!僕としても、聴いてる皆さんも気づけたこととか、答えになることとか。ヒントもいっぱいあったと思いますし、今日も素敵な1時間でした。」

矢沢「とんでもないです!」

とーやま「じゃあ、ボス。また、来月もぜひ、皆さんのためにお言葉いただきたいと思います!今日もどうもありがとうございました!」

矢沢「ありがとうございます!」



『YAZAWA LOCKS!』第4回目をお聴きいただいての感想、BOSSへのメッセージは、[YAZAWA LOCKS!公式サイトのメールフォーム]でお待ちしています。

SNSで呟く際には、「#YAZAWA LOCKS!」 「#SOL教育委員会」をつけていただけると、とーやま委員、YAZAWA LOCKS!チームも拝見いたします!

次回は【8月26日(金)】に開講!
お楽しみに!

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この後記の放送を聴く

聴取期限 2022年8月5日(金)PM 23:00 まで