生まれも育ちも宮城県石巻市です。私の家は、津波で跡形もなく流されました。
地盤沈下とその後の土地計画により、もうそこには住むことができないそうです。
街には新しい家が続々と建ち始めていますが、家族は今でも仮設住宅に暮らしています。
仮設に入居できたのは、震災から半年が経った秋頃でした。

家を建てるには土地とお金が必要です。
我が家の例として、実家のあった土地を市が買い、そのお金で新しく家を建てるという流れになります。
新たに家を建てる土地は市の集団移転先によって決まります。家を建てるまで、遠く長い道のりです。
私は東京で一人暮らし。家族は地元で仮設暮らし。家族と離れ、上京する時はとても心が痛みました。
それでも、家族は温かく私を見送ってくれて、実家に帰った時は笑顔で迎えてくれます。
くだらない他愛もない話をして笑ってます。震災前と何ら変わりない日常です。

上京してもう少しで1年が経ちますが、
東京で生活しているとまるで震災なんてなかったかのように毎日が過ぎていきます。

ただ、時折震災の瞬間が鮮明にフラッシュバックします。
津波の夢を見た時は怖くて1日中動けませんでした。瓦礫とヘドロだらけの実家の夢も見ました。
せめて夢の中でだけでも震災前と変わらない風景であってほしかったのに。
また、あの時のような地震が起こったら、と考えてしまって苦しくなることもあります。

正直、この記事を書くことを悩みました。
というのも、“被災地”ということで“可哀想”と思われることが嫌だったからです。
そんな理由から自分の出身をちゃんと言えないこともありました。
今でも人に震災のことを話すのを躊躇ってしまうこともあります。

ですが、東京と地元を何度も行き来しているうちに、
両方の地で生活しているうちに強く思い始めたことがあります。

憂いたり、悲しむことも、大変なこともあるけれど、
それでもこの街には他の地で過ごす誰とも変わらない日常がちゃんと流れている。

悲しみが完全に癒えることはないかもしれないけれど、いつまでもずっと悲しんでいる訳じゃない。
“可哀想”だとはもうあんまり思ってほしくはありません。
むしろ、遊びに来てほしいと思ってます。新鮮な海の幸や美味しいものがたくさんあります。

店舗が大きな被害を受けてしまったけれど頑張って店を復活させた人や、
街を活気付けようと奮闘するボランティアの人がいます。音楽イベントやライブも盛んです。

私の実家も、震災前は飲食店をやっていました。
今は休業中ですが、ありがたいことに店の復活を待ち望んでいる人がいます。
新しく家が建ったら再開する予定です。

石巻へは、仙台から(車で)約1時間半という行くのには大変な距離ですが、
どうか遊びに来てもらいたいです。
大きく壊れて、そこから少しずつ変わっていく街の様子を見てもらいたいです。

先日、土地の移転先が決まったと家族から連絡がありました。
詳しい区画や買い取られる土地の金額、家が建つ時期はまだわかりません。
もしかすると、家が建つのは来年以降になるかもしれません。それでも、私にとっては大きな一歩でした。

父が「この仮設を出る時、家族写真を撮ろう」と言いました。
実家と呼ぶこの仮設も、いずれは出ることになります。そして取り壊されてなくなってしまうでしょう。
仮設を出て、家族写真を撮って、新しい家に引っ越した時、
私の中の震災はやっとひとつの大きな区切りを打てると思います。


東京都 19歳 女の子
ラジオネネーム:ともぼー☆