私は中学校の卒業式の日に震災にあいました。

浪江町にあった自宅は倒壊寸前。
高台から見た津波は自宅の一歩手前で止まり、
翌日には原子力発電所が危ないと言われて着のみ着のまま避難しました。

あの日のことは約3年経った今でも鮮明に覚えています。

高校は合格発表前に震災が起きたため全員合格という形になり、
県内四ヶ所に他の高校教室を間借りして高校生活がスタートしました。
同級生は4分の1に減少し、入学式はありませんでした。

精神的に追い詰められた日々が1年間続きました。
しかし多くの方々の支援により
高校2年生、3年生は生徒会長を務めるなど
沢山のことに挑戦し、充実した日々を過ごすことができました。

先日、福島県の南相馬市に私たち家族の新居が建ちました。

それを見に行く際、警戒区域内にある自宅へ1年ぶりに立ち寄りました。
警戒区域内はあの震災の日から何も変わっていませんでした。
半壊や倒壊したままの住宅。撤去されることなく残された瓦礫。

自宅に着いた時、その現実を目の前にして声を上げて泣いてしまいました。
とても『復興している』とは言えませんでした。警戒区域内は置いてきぼりです。

でも全く未来が見えていないわけではありません。

私は大学進学のため関東地方へ一人暮らしとなりますが、
4月から新居で3年ぶりに家族が一つ屋根の下で暮らすことができます。

私自身は将来、地元福島県で高校教諭になりたいと思っています。
福島県は現在、原発事故による放射能の不安から多くの人たちが県外へ避難しているため、
子供が減少しています。しかし、福島県に残っている子供たちも沢山います。
私はその子たちを支え、共に福島県で頑張りたいと考えています。

原発廃炉そして収束という未来、警戒区域内の復興という未来は、正直はっきりとは見えません。
しかし、私は自分自身についての未来は見えています。

まずはその『未来』を目標に、これからも頑張っていきます。


福島県 18歳 女の子
ラジオネーム:バイ・マイ・サイ