自分のまわりは幸いあの日亡くなった親戚もおらず、
すんでいる街も内陸なんで被害も海沿いより小さかったですが、
僕にとっては一生忘れられない日なのであの日について書こうと思います。

あの日3月11日は中学の卒業式でした。
午前中に式が終わり午後からは友達の家で遊び夜はクラスメイトと打ち上げをする予定でした。
しかし14時47分あの巨大地震に遭いました。

最初はまた地震かと思うぐらいでした。
何故なら3月9日にも地震を体験しましたし。

最初は不覚にもそんなことを思っていましたが、初期微動が長く嫌な予感を感じた瞬間、
いきなり地面が爆発したかのように大きく揺れました。

友達の部屋の漫画もフィギュアもテレビもあちこちに飛んでいきました。
僕たちは暫く自分の身を守るのに徹し暫くしてから脱出しました。
脱出する際も揺れが大きく大変でした。

その後各自家へ帰りました。
帰り道道路が盛り上がったり沈んだり、ブロック塀も崩壊したり、
中には家が全壊しているところもありました。

家に帰ってみると唖然としました。
リビングでは食器も全部落ちていて破片は隣の部屋の和室にまで飛んでいて
テレビも棚から落ちていていました。

自分の部屋もごちゃごちゃで部屋の端にあった学習机が移動し、自分のドアをふさいでいました。
飾っていたガンプラも全て落ちてしまい、本や棚の下敷きなっていました。

他にもベッドが移動していたりタンスが倒れていたりと
まるで家の中がミキサーでかき混ぜた状態でした。

妹を小学校からつれてきた後買い出しに行きましたが、酷い有り様でした。
セブンイレブンやローソンに行きましたが中は悪臭がしていました。
飲み物が全て割れ落ちトイレの水が溢れだしていて、その上に食品が落ちていました。
とても買える状態ではありませんでした。

スーパーも同じ状態でした。
帰る頃はもう日が落ちていました。

6時頃のはずなのに夜中のように真っ暗でした。
住宅街なのに家に明かりがなく不気味でした。

見上げると満天の星空でした。
山奥にいるときよりも星がよく見えまるで宇宙にいる気分になりました。
圧巻されました。

家についた後カップ麺を家族でわけあいながら食べすぐに寝ました。
部屋はいつもと同じ真っ暗ですが全然違うように感じました。
車の音もなく人の声もなく、ただ窓から星空が輝いているだけでした。

これからどうなるのだろうと思いましたが疲れがどっときてすぐ寝れました。
本当に静かすぎる夜でした。

三年が過ぎ、壊れていたブロック塀も我が家も直り今は普通に過ごしています。
でもがれきの山もまだあり、道路も未だに直っていない場所もあります。
海沿いに比べたらまだましですが復旧したとは言えない状況です。
最近放置されている部分が沢山あるので早く復旧してほしいです。

私は震災から学んだことがあります。
不便なく暮らせることがとても幸せだということです。

被災した時は、水もなく食料も少なく停電のため暗く、
ゲームもテレビもなく、道路も道が悪くまた車のガソリンもなかなか給油できないので
遠くに出かけられずとても不便な生活でした。

私の周辺は一週間ぐらいで電気や水が復旧しましたが食料は暫く解消されませんでした。
あの頃は震災に対する準備もあまりしていなかったので
今はまたそんな事態にならないよう、食料や水の備蓄や電池や懐中電灯を用意したりしています。

また被災した時同じ過ちをしないように意識しています。
皆さんもいつ被災するかわからないので準備しておきましょう!!


宮城県 18歳 男の子
ラジオネーム:カステラ8号機