大地震が起こってからもう三年。
あの日は私の中学校の卒業式でした。
泣き別れをした卒業式。あの時はまだ最悪な日になるとは思ってなかった。

卒業式が終わって2日後に曾祖父の法事があったので、
妹も学校を早退し曾祖母の家があるいわき市に行く準備をして。
その時はお昼をまだ食べてなかったので、お母さんと妹でお昼を買いに出かけて。

私と夜勤明けで帰って来たお父さんは、家でテレビを見て帰って来るのを待っていました。

突然テレビから地震を知らせるアラームがなって、
最初はなんだろうと思っていたらいきなり揺れ始まって怖くなり、
こたつの中に隠れました。

次々と落ちる本、物いつ収まってくれるだろうと思っていたらようやく収まって、
お父さんの同僚から『みんな気を付けて早く外に出ろ』と言われ、私は外に出ました。

買い物に行っているお母さんと妹が心配になって
お父さんの携帯から電話したけどつながんなくって、
帰って来るまで心配で怖かったです。

とりあえずお父さんの勤務地である警察署に避難して他の人と一晩中一緒にいました。
時々地震で揺れる時に思っていたことは
「日本はどうなるんだろ? 大丈夫なんだろうか」

その後私の知っている人達がみんな大丈夫だと聞いた時は少し安心しました。
しかし妹がかよっていた、私が卒業した小学校は地震で倒壊して無くなってしまいました。

地震があった日に卒業した中学校は一部倒壊した所はあるけど無事な様子であり、
今私がかよっている高校は、北校舎倒壊で仮設校舎が出来るまで学校に通えなかったり、
通えても週にニ、三回は小体育館、格技場で他のクラスの音が聞こえる中の授業。

仮設校舎が出来る7月後半までこのような高校生活でした。
なので仮設校舎が出来た時、やっと自分たちの空間が出来たと思いました。

しかしそれを見ていた先生達が、三年間仮設校舎で学ぶ私達三年生のために
工事の人に頼んで早く北校舎を作り直してくれもらい、
1月後半(私達三年生は10日間のみですが)から全学年全員新しい北校舎で学んでいます。

なので私は仮設校舎と新校舎、二つの校舎が私の母校であり、三年間の思い出です。

しかし福島は地震の他に原発事故も起こって今でもたくさんのことに苦しんでいます。

最後にこの地震が起こって三年たって思ったことを書きます。
私達地震を経験した人として未来に伝え続けないといけない。
このような事態にならないようにしたいです。

私は大学に進学して保育士として働く予定です。
私が保育士になったら震災を知らない子どもたちに分かりやすく私達のことを教えて
未来に伝えて行きたいと思います。


私が通った仮説校舎です


福島県 18歳 女の子
ラジオネーム:合唱部