SCHOOL OF LOCK!
SCHOOL OF LOCK!

2011年3月11日金曜日。あの日あの時、小学3年生だった私は友達と特別教室でおしゃべりをしながら帰りの準備をしていました。14時46分18秒。突如地震がゆらゆらと起き始め、私や友達はすぐさま机の下に隠れました。徐々に大きくなっていく地震。怖くて泣き始めてしまう友達もいるなか、私は涙を堪え「大丈夫!! 絶対助かるから!!もう少しで止まるから!」と必死になって励ましてあげました。その後揺れが少し収まった隙を見て教室で帰りの準備をしていた友達と先生と合流し校庭へ。雪がちらちらと降ってくる中、私の家族が迎えに来てくれて家に帰れました。でも地獄はここからでした。私の家は3つある玄関の1つが潰れたりするなど、半壊していました。家の中もガラスが飛び散ったりテレビが倒れていたりして散々な状態でした。車の中で布団を敷き、皆で寝て、起きたら掃除して。そんな日々が1週間以上続きました。今日が何日で何曜日かも分からないほど毎日同じことを繰り返し、茶の間だけには入れるようになった時には皆憔悴していました。震災が起きた日から家に避難して来ていた親戚も。プロパンガスで炊いたご飯を食べ、ゆらゆらと揺れる大きなろうそくの火を吹き消し涙を堪えながら眠りに就く。こんな生活したくない。誰もがそう思ったはずです。

1ヶ月すると電気も復旧し、テレビも見れるように。でも相変わらず食料は足りないし水道も復旧しませんでした。洗濯は近所の人の井戸の水で行い、給水車での給水は服を何度も替えて一人ポリタンク1個分なのを3個分貰ったりしたり、近所のスーパーに朝早くから並び食料を集め、必死に生きてきました。それでも私の我慢は限界でした。それを察してくれた母がドライブに連れてくれてそのとき堪えていた涙をたくさん流しました。その後水道も復旧し、ほとんど元の生活に戻ることができました被災して1年くらいしてから私は石巻の日和山に登り、復興の現状を見てきました。その時の日和山周辺はまだ瓦礫だらけで見るに耐えられませんでした。

でもあの震災から4年。今はどのくらい復興が進んでいるのか私にも分かりません。私の住む地域は幸い津波が来ず、大切な人たちもほとんど失わなかったです。でも皆辛い思いをして生きてきました。今思い返すと大切な経験だったと思います。人との関わりを、人の大切さを改めて実感できました。日本中、世界中の方々からの支援、援助金に感謝して私達被災者は生きています。この場をお借りして御礼申し上げます。県、そして国という垣根を越えたご支援ありがとうございました。私達被災者は生きる。亡くなってしまった方々の分まで。そしてこれから産まれてくる子供にこの震災のことを伝えなければならない。いつ起きるか分からない地震のために。地震の怖さを。人の繋がりの大切さを。

(写真の絵は支援で世界中の子供たちから貰った絵です。)

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